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GAT 023 山本浩貴
東アジアの現代美術と植民地主義の遺産

2021.02.26
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Hiroki Yamamoto, Shed Light on the Unwritten History, 2014,
Art project, photo by Kakeru Okada

ロンドン芸術大学チェルシー・カレッジ・オヴ・アーツで修士号と博士号を取得した山本は、2013年から18年まで、ロンドン芸術大学トランスナショナル・アート研究センターに博士研究員として在籍した。その後、韓国のアジア・カルチャーセンター研究員、香港理工大学ポストドクトラル・フェローを経て、2020年1月より東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科で助教を務めている。2020年9月、米・ラトガース大学が出版した『Media Culture in Transnational Asia』に収録された論文では、今回のトーク・テーマでもある「東アジアにおける植民地主義のトランスナショナルな遺産」の、現代日本における事例として下道基行、岡本光博、小泉明郎、嶋田美子を紹介した。2019年の『あいちトリエンナーレ』以降、ますます議論が高まる「社会と関わる芸術」。文化研究者であり、ソーシャリー・エンゲージド・アートの実践者でもある山本に話を聞いた。以下は、その抜粋である。

構成: 石井潤一郎(ICA京都)




「精神の植民地主義」を引き剥がす

「植民地主義は終わった」と言われることもありますが、今の世の中に具体的な問題として残っているものもあります。特に「東アジアのコロニアリズムの遺産」を考えると、僕たちの認識、考え方を未だに拘束している部分があるような気がします。そういったものにどう向き合って、少しでも公正な未来を作ってゆけるか、そこに美術がどういう風に関わることができるか、という問題を僕は考えてきました。

人間という存在は必ずしも歴史から独立していない。例えば僕は戦時中には生まれていなかったんですけど、生まれていなかったからといってその歴史と切り離されているわけではない。そういう歴史の中に埋め込まれている存在としての自分を考えたい、という思いがあります。

社会学とか国際関係論とか、いろんな学問がナショナリズムに基づく排他的な差別に、それぞれの仕方で取り組んでいたと思うんですけど、僕は美術に関心があったので、他の学問とは違う貢献ができるとしたらなんだろうか、と思って研究を始めました。

ポストコロニアリズムの議論は、旧イギリス植民地のインドなどでも盛んにやっていて、むしろインド発祥というような部分もあります。一方で、どうしても欧米を中心に発展してきた学問なので、東アジアのことを考えていく中で、その理論や知識をただ単純に応用するだけでよいのだろうかという疑問が出てきました。結論として僕は「難しい」と思うに至ったんですが、ひとつ例を挙げると、ブラック・スタディーズ(黒人研究)の社会学者にW・E・B・デュボイスという人がいます。彼は「20世紀の問題はカラー・ラインの問題だ」と言うんですね。つまり肌の色の境界線の問題だ、と。ただし、これはちょっと考えればわかるのですが、例えば「在日コリアン」と言ったときに、やっぱり単純に見た目とか肌の色の問題としては考えられない。逆に言うと、そういうはっきりと識別できるインデックスがない分、問題が不可視化されているということもあるのかなと思います。

インドの研究者アシシュ・ナンディは「第二の植民地主義」という話をしていて、これはシンプルに言うと「精神の植民地化」ですね。実際に身体を拘束し、支配するようなコロニアリズムが終わっても、自分たちの考え方、ものを見る枠組みみたいなものを拘束している植民地主義はいまだに残存していて、その構造を引き剥がすことができない限り、本当に植民地主義との決別はできない。もちろん、それは支配した側が第一の責任を負うべきなんですけども、自分は日本に生まれた日本人として、そういった精神の植民地主義のようなものを引き剥がすための作品作りができないかな、という関心がありました。



今ある世界は必然的なものではない

ペドロ・レイエスの «銃をシャベルに» という作品では、メキシコの銃犯罪の多いところに実際に入っていって、警官とか地元の人とかから銃を集めるんですね。その銃を全部鉄に溶かして作り上げたのがこのシャベルです。で、どうするかっていうと、なんかヨーゼフ・ボイスっぽいなっていう部分もあるんですけど、みんなで植樹をする。これって僕はソーシャリー・エンゲージド・アート、社会的関与をするアートのいくつかの特徴を備えているような気がするんですね。まずは「現実的な社会変革」に関与するということ。実際の銃をどんどん回収してゆくわけですね。もう一方で死のシンボルとしての銃から、ある種生命のシンボルとしての木に変えてゆくこと。これは僕は美術の強みのひとつだと思っていて、「シンボルを用いて人間の認識にアプローチしてゆく」ということですね。

美術史家のミウォン・クォンの議論では「サイトスペシフィック・アートの変容」っていうのが90年代ぐらいに起こっている。もともと「サイトスペシフィック」って、例えばランドアートとか、ミニマリズムもよく言われるんですけど、その場所の地理的な特性、形状的な特徴みたいなものに特化しているということだったんですね。それがだんだん歴史的かつ社会的な文脈、もしくはそこにいる住民なんかをその場の重要なエレメントとして捉えるようになってきた。僕の議論もそういったところに関わっていて、その場所の特殊性みたいなものを、植民地主義の歴史というものから見てゆくんですね。
そうして日本植民地主義や、そのある種の後継者としての冷戦でのポリティックスが、現在の東アジア全域にどういう影響を与えてきて、芸術がそれに対してどういう風に取り組んできたのか、というのが僕の関心です。

もうひとつ、僕が挑戦したいなと思っているものとして、日本の現代美術は、特にそれ自体が悪いわけではないですが、やっぱりポップ・アートとかサブカルチャーをベースにした作品であって、非常にアポリティカル、非政治的だというイメージがある。もちろん、アートは政治的でなきゃいけない、と僕はまったく思いませんが、そういう日本のアートの「社会性の弱さ」みたいなイメージは覆すべきだと思うし、そのために、いろんなプラクティスを日本語と英語で書いてゆくというのを研究者としての課題にしています。



山本浩貴(やまもと・ひろき)
文化研究者/アーティスト
1986年千葉県生まれ。一橋大学社会学部卒。ロンドン芸術大学チェルシー・カレッジ・オブ・アーツにて修士号と博士号を取得。2013~18年、ロンドン芸術大学トランスナショナル・アート研究センター博士研究員。韓国のアジア・カルチャーセンター研究員、香港理工大学ポストドクトラル・フェローを経て2020年1月より東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科助教。京都芸術大学美術工芸学科非常勤講師。著書に『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』(中央公論新社 、2019年)。

※ このトークは2020年10月24日にオンラインで開催された。