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GAT 022 ジュン・ヤン
新しい日常に順応することへの拒絶

2021.06.30
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2021年に入ってからも世界中に大きな衝撃を与え続けているCOVID-19。わたしたちの社会はそれ以前のものから一変した。2020年9月23日に行われたオンライン・トークでは、ウィーン、台北、横浜を拠点に活動するアーティスト、ジュン・ヤンを迎え、創作活動についての話を聞いた。幅広いメディウムを通して、パブリックや社会の文脈に問いかけるヤン。その活動に通底する思考とは・・・以下はその抜粋である。

構成: 石井潤一郎(ICA京都)




楽観的な視点

今回のこの、「新しい日常に順応することへの拒絶」あるいは「サーカスのカーテン・コール」というトークは、何か完成した講義ではなく、過去の考えのようなもので、したがって単一のメッセージを持つ一貫したプレゼンテーションではありません。

お話しするもののひとつは、非常に楽観的に聞こえるかもしれません。わたしのようにアートを信じ、アート作品を提供したり、あるいはその実践を行おうとするとき、わたし達はすべての希望や、想像しうる可能性を教え、説くことができます。わたしは「アートは重要であり、社会に密接に関係している」と言います。アーティストというのはナイーヴに過ぎるのかもしれませんが、おそらくこのナイーヴさはちょっとしたユートピアへの希望で、それがわたしに自分がやっていることを続けさせる力を与えてくれるのです。

アーティストとしてわたし達には、このような信念が必要です。なぜならそれは世界を違った方法で思考することを可能にし、アートを通して世界を変えることができる、という希望や感覚を与えてくれるからです。

公という領域

数年前に行った « Things We Have in Common » という作品の例を挙げたいと思います。この作品は2010年の「欧州文化首都」事業の一環として、(ドイツ)ドルトムント市の教会に作られました。教会は町の中心地の商業地区、歩行者専用のショッピング・ストリートの近くにあり、わたしはこの教会とパブリック・スペース、ショッピング・エリアとの関係に興味を持ちました。

今日、都市部ではレストランやカフェのように、多くのパブリック・スペースがプライベート・スペースとなり、ますます大きく広がっていることをわたしたちは知っています。現場の下見をしたときに、わたしはどこにも座ることができない、何かを消費せずに休むことができない、ということに気付きました。
17世紀の絵画など歴史を振り返ってみると、教会というのは信仰の場であるとともに、出会いの場としても機能していたことがわかります。ある意味で教会広場は、守られた公共空間でした。ですのでわたしは、教会の内に招かれて何かを行うよりも外の空間を使って、そこで何ができるのかを考え定義しよう、と提案したのです。

« Things We Have in Common » 2010

これらのランタンは、台湾で寺院を示すために使用されるランタンです。しかし寺の内部だけでなく、寺院へと導く公の空間であることも示しています。わたしに宗教的な目的はありません。ですからこのインスタレーションを制作、あるいは設置することによって、それは突然、消費をせず、そして特に何かをしなければならないというルールもなく、人々にただ座ったり休んだりする場所を提供することになります。

開かれた対話

楽観主義やアートの機能、あるいは社会や公共空間の文脈に関連していたであろう、二つ目のプロジェクトをお話しします。タイトルは « A Contemporary Art Centre in Taipei – A Proposal »、このプロジェクトは2008年の台北ビエンナーレの中で始められました。それは当時の台北の現代アートの状況に言及するものでしたが、またどのような空間が、どのような形で、どのような役割を果たし得るのかを考える機会でもありました。

根本にあったいくつかの問いは…… 展示空間とはそもそも何か?台湾で展示をする意味とは?誰が――都市か、政府か、企業か、ギャラリーか――どのような興味や意図を持って、どのようなスペースを所有、または管理しているのか?そして中核を成す問いは… 現代アートの役割とは何か?資本、官僚制、公的な文化政策、集団、社会、台北または台湾、それとも国家当局との関係における、現代アートの立場とは?

« A Contemporary Art Centre in Taipei – A Proposal » 2008

プロジェクトは主要な3つの部分で構成されました。ビエンナーレ中は、公式会場――イヴェントなどが行われている美術館――の外にパヴィリオンを作り、この建物をオフィスとして、学生の集まりのような外部の集会を受け入れました。

« A Contemporary Art Centre in Taipei – A Proposal » 2008

二つ目は、わたしが作りたかった「コンフェランス」でした。古典的な意味での「会議」ではありません。わたしが作ったのは「緊密」でした。わたしはホテルを貸し切り、そこでわたしと共に週末の休暇を過ごしてくれる47人を招待しました。
わたしたちは47人のアート界の主人公たち、最もアクティヴなアーティスト、キュレーターを招待し、一堂に会し、週末を共にし、現代アートについて議論しました。役人も商売人もいません。もしもアートが――活発なアート・ソサエティが集まって、自分たちには何を変えることができるのか、について話し合ったとしたら?これはひとつの思考実験です。

そして9ヶ月後になりますが、プロジェクトの最後に、わたしはアート雑誌の客員編集員となり、この雑誌で、プロジェクトとすべての考えとすべての可能性を要約する機会を得ました。

これら3つの側面について確実に重要だと言えることは、これらが現代アートの条件を巡るある一時代の、ある国の、あるいはある都市の議論と対話の、異なったプラットフォームであったということです。それらはすべて公共の場で行われました。ある開かれた社会において、公の場でこれらすべての意見や批評を交わすことができる機会と機関を持つのは、非常に重要なことだと思います。

危機の時代のアート

わたしは自身を活動家、あるいはアート・アクティヴィストであるとは考えていません。しかし、他のインスタレーションを制作したり映画を作ったり、パフォーマンスを書いていている時にも確かに、アートは決して肯定的なものであってはならない、批判的なスタンスを持つか、あるいは何か変化のための精神を持つべきだと強く信じています。

別のトークにおいて、わたしはこの話に「現代アートの倫理と偽善的なモラルについて」という、別の見解を書いてみることも考えていました。高級品としてのアート、見せるべきでないものを覆い隠す粉飾、うわべの飾りのアート。資金援助者の慈悲と私的財産に左右されるアート、そして腰巾着としてのアーティスト。それはあいちトリエンナーレ(2019年)の文脈、閉鎖、自己検閲といった出来事におけるアート、そしてとりわけ保守的で国粋主義的な日本社会における、アートの非常に弱い立場について、です。これはアートの力を疑う話にもなるかもしれません。

わたしは日本の横浜にも住んでいますが、日本社会で現代アートの占める立場を見るのはとても難しいと思います。それはここで現代アートへの支援、特に政府からの支援や資金提供がほとんど見られないからです。わたしはもともと中央ヨーロッパ、オーストリア出身ですので、政治的な干渉をまったく行わずに資金を提供する政府や地方自治体の必要を強く信じています。また、わたしは無垢な夢想家ではないので、自由市場がアートを調整するという考え方、あるいは自由市場がアートを支援するという考え方を信じていません。

ここ数年来、ビエンナーレや主要な展覧会を観て回ると、スポンサーや経済的支援、民間財団や商業ギャラリーによって資金提供がなされた作品が増えている、ということに気づかざるを得ません。正直に言うと、今日では何の後ろ盾もないまま、このような大型の展覧会に参加するのは困難です。
聴講者のみなさん全員が賛同してくれるとは思いませんが、ともあれこの傾向には多くの苦悩や苦痛が伴います。なぜならばそれはキュレーターの決定に、あるいはスペースやフェスティバル、イヴェントや美術館の独立性に張り付いてしまうからです。それは彼らの選択に付着し、干渉し、市場の影響力を発揮します。

もちろん、文化予算が削減された欧州諸国でも、保守的で右派系の政党が彼らの議題を推し進め、主流派をより開かれていない、より閉鎖的な社会へと引きずっています。アートにはまったく立場がありません。しかしこれはもっと悲観的な話になります。わたしはどちらを話すべきか迷いました。しかし、わたしは招待され、京都で共に働いている、このグローバル・ゼミの学生のことを考えました。そして数ヶ月を一緒に働いている彼らと共に、危機の時代のアートという文脈で話しをすることにしました。わたしたちは華やかで上品なアートの世界の背後にある、倫理、道徳、検閲について話しました。
危機とは、COVID-19という世界的な情勢だけでなく、現代アート全般の危機でもあります。

サーカスのカーテンコール

これらの例と現状を鑑みて、わたしは自分自身に問いかけます。
今、わたしは本当にこれらの例についてだけを話したいのだろうか?
はたして、それらは現在に関係があるのだろうか?
確かにそうであって欲しいと思う。だが、わたしは何を今気にかけているのだろうか?

ここ数ヶ月もの間――わたしは自身の存在と、人生について考えなければなりませんでした。20年以上もの間、わたしはこの現代アート・サーカスの一員でした。3つの都市(ウィーン、台北、横浜)に生活するわたしの人生は行き来することでいっぱいで――つまりわたしは絶えず移動していました。

しかし、今こそが「停止」の時なのかもしれません。サーカスを中断して、 振り返って考えてみると、わたしたちにあった特権――高揚、しかし凹凸のある、消沈、そして落ち込み――太陽やスポットライトに照らされた時代に感謝すると共に、その影や暗闇の中での瞬間を思い出します。

だからこの10年間、わたしはアートのキャリアを追求すると同時に――自身の身の引き方も計画してきました。それは、わたしの本のプロジェクトである « the monograph project » に蓄積されてきました。そしてそれはさらに、台北の関渡美術館、台北当代芸術館(MOCA Taipei)、TKG+ ギャラリー・プロジェクト・スペースで同時に開催される三つの個展――太陽光の集積ではなく反射としての、そして脱出戦略としての展覧会に集約されるのです。

* トークの最後には、ヤンがアーティスト・松根充和と共に、COVID-19 パンデミックに対するリアクションとして、台北アートフェスティバル2020のために制作した新作パフォーマンス作品 « Dear Friend » が朗読された。


ジュン・ヤン〈楊俊〉

アーティスト。ウィーン、台北、横浜を拠点に、映画、インスタレーション、パフォーマンス、公共空間でのプロジェクトなど幅広いメディウムを含んだ作品を制作する。これまでに、シドニー・ビエンナーレ、光州ビエンナーレ、台北ビエンナーレ、リバプール・ビエンナーレ、ヴェネチア・ビエンナーレ、マニフェスタ4に参加。常に視覚芸術、ビジネスそして政治との間の重複や交錯に関心を抱く彼の実践は、(ライプツィヒ現代美術館GfZKで開催された)gfzk garten、ホテルParis Syndrom、カフェParis Syndromや、台北現代アートセンターの設立につながったa contemporary art centre, taipei (a proposal)、台北ビエンナーレ08など、食文化や施設に関するプロジェクトに代表される。ウィーンのレストラン・バーra’mienやレオポルド美術館のカフェ・レオポルドの共同設立者。

※ このトークは2020年9月23日にオンラインで開催された。