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GAT 048 ライアン・タベット
サイト・ストーリーズ

2025.04.19
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ベイルートとサンフランシスコを拠点に活動するアーティストのライアン・タベットは、自身の経験とリサーチに基づきながら、偶然の出会い、地政学的な出来事、彫刻を作ることの意味を探求する作品を制作してきた。自身の私的記憶から立ち上がった手法によって向き合う場所が、家庭から都市、地域、世界へといかに拡張されていったのか。また歴史を背負いながらアーティストが果たすべき役割とは。以下は2024年9月30日に行われたトークの抜粋である。

構成:櫻井 拓(のほ本)



記憶と結びつくもの

今から18年前の2006年の夏、ある朝目覚めて、突然自分の最初の記憶を思い出そうとしました。そのとき、気づいたのです。私には最初の記憶が5つあったことに。
避難に備えてベッドのそばに、荷物を詰めたスーツケースを置いていたこと。消えてしまった寝室のドアの前に立っていたこと。木製のおもちゃ一式で遊んでいたこと。両親とボートに乗っていたこと。ディエゴ・マラドーナがイングランド相手にゴールを決めたというラジオの放送を聞いたこと。
それぞれの記憶は、ある物体や場所と結びついていました。私は、記憶によって変容したこれらの物体を再現・再構築する作品シリーズに着手し、完成に10年を費やしました。
歴史というのは人の目を通して記憶されていきますが、私は常に物体の目から見た可能性、素材の目からみた可能性というものを考えようとしています。

fossils, 2006-2016
From the series: five distant memories: the suitcase, the room, the toys, the boat and Maradona (2006 – 2016)
Suitcases encased in concrete
Installation view: ART NOW IN LEBANON, Darat al Funun (march – may 2006)

1989, 2012
From the series: five distant memories: the suitcase, the room, the toys, the boat and Maradona (2006 – 2016)
Canvas, wood, hardware
Installation view: THE UNGOVERNABLES: THE 2ND NEW MUSEUM TRIENNIAL, THE NEW MUSEUM (February – April 2012)

《Five Distant Memories》のシリーズは私に、暴力的な歴史から「生成の可能性」について考えられるのではないか、そしてそれを歴史、記憶、構成の場とすることができるのではないかと考えさせました。
ただすぐに気づいたのが、家庭という空間や、都市という空間を扱うだけでは十分ではないということです。そこで私は地域の歴史に目を向け、それについて考えはじめました。
自分がローカルな(local)文脈において創出してきた私的空間の中で開発してきたツールを、地域(region)へと拡大して適用することで、私自身が生まれ育った地域の複雑な地政学に取り組むことができるのではないかと思いました。


私的な経験から生まれる眼差し

2013年に私はヨルダンに招かれ、1ヶ月間レジデンスをしました。そのときに地質学者たちに会いましたが、彼らは死海の水位の正確な地図を作ろうとしていました。
死海に対するおそらく最も破壊的な行為は、1948年の国連によるパレスチナ分割の副産物として起こりました。それはイスラエルという国家を創出・公認し、先住のパレスチナ人たちを強制的に立ち退かせ、死海もヨルダン、イスラエル、パレスチナの3つの国へと分断されました。
私は常に、風景というレンズを通して見てとれる、地政学的な決断の副産物に関心を抱いてきました。そこには考えるべき物語があると思うのです。
私は地質学者たちと協力し、死海の水量の3Dモデルを開発しました。死海の泥を用いて、1948年に起こった分断の境界線に沿って切断した作品を制作しました。境界線はもはや地図上の線ではなく、風景に実際にナイフで切り込みを入れたかのようです。

The dead sea in three parts, 2013-2016
Mixed media
Installation view: ART UNLIMITED, art basel, basel (2016)

この作品で発見したのは、死海の一番低い地点は完全にヨルダン側にあるので、その部分だけは自力で立つことができますが、他の2つの部分は床に倒れてしまうことです。文字通りの行為が突然、比喩的、地理的、地政学的、彫刻的な質を得るかのように感じられます。

家庭という空間での私的な経験によって、私のまなざしは変容してきました。私はそれを都市やローカルな文脈へと転用し、さらに生まれ育った地域へと適用してきました。
私はそのような試みを、世界のその他の地域でも行う方法を探っていました。私はいつも、私的な経験は物の見方を変えるもので、どこに行ったとしても自分の目を通して物を見ざるをえないと感じていたからです。世界のどこにいたとしても、自分の過去の経験は、現在の経験へと投影されます。
去年、私はルクセンブルクのMudam Luxembourg(ジャン大公近代美術館)に招聘され、個展のための提案を行いました。まず現地に行って、美術館の建物を自分の目で見ざるをえませんでした。
Mudamは1989年に計画・デザインされました。建築には冷戦終結後のヨーロッパが抱いた希望に満ちた考え方が反映され、大きなガラス張りの開口部に現れています。

Installation view: TRILOGY, MUDAM MUSEUM LUXEMBOURG (December 2023 – may 2024)

現地視察で建物の中を歩いていると、誰もが天井から入る美しい光に感嘆するのですが、私にはこの建物が、もし爆撃にあえばいかに脆弱かということしか考えられませんでした。
そこで私は、自分、両親、祖父母の人生のなかで、窓やガラスと関連する瞬間について考えはじめました。
私の祖父母はベイルートで1950年に結婚しました。当時お金がなくて自分たちのアパートに住むことができなかったので、私の曽祖父、曽祖母のアパートで暮らしました。
そのため家財を新しく買う必要はなかったのですが、曽祖母は娘の結婚を祝って何か記念のものをあつらえたいと考えました。そこで祖母は、暗くて分厚いベルベットのカーテンを、1950年代に非常に人気だった、白くて透けるシアーのカーテンと取り替えることにしました。
当時はハイ・モダニズムとインターナショナル・スタイルの時代で、空間に光を取り入れるために、彼らも合成繊維で作られたカーテンを購入しました。しかしこの美しく、夢のような、優雅な素材には、非常に暗い、複雑な過去があります。
この生地はレーヨンとナイロンを組み合わせて作られたものですが、どちらの素材も、最初は第一次世界大戦の際に兵士が戦場で使用するために、綿の安価な代用品として開発されました。その技術はさらに第二次世界大戦中に発展し、ナチスドイツは奴隷の労働力を使ってパラシュートのためにこの素材を量産しました。
この展覧会で展示した3部作の1つ目の作品は、私の家族へのオマージュです。ベイルートの祖父母のアパートのカーテンをすべて、この美術館の廊下へと設えました。

Sheer Curtains , 1950 – 2023
13 original sheer curtains from Rayyane Tabet’s grandparents’ apartment in Beirut, hardware
Installation view: TRILOGY, MUDAM MUSEUM LUXEMBOURG (December 2023 – may 2024)

2つ目の作品は、私の両親の世代と接点を持っています。
1967年夏の出来事が、彼らの物の見方を完全に変えてしまいました。1967年6月5日から10日までの6日間の戦争の間、アラブ全域で夜間外出禁止命令が出て、皆が爆撃に怯えました。人々はその場に避難し、すべての明かりを消すように命じられました。空から確認できないようにするためです。
そのときすぐに、爆撃機は青色は識別できないという噂が広まりました。そこで人々は窓や車のヘッドライトを、ブルーイング剤を使って塗装しはじめたのです。
私は子供のころに両親からその物語を聞き、ずっと心に残っていました。少なくとも自分の想像の中では、まるでアラブ全土が6日間にわたり深い青の暗闇に包まれたかのようでした。
展示会場であるパビリオンの美しい天窓に向き合ったとき、天井全体を青いビニールで覆い、改造した車のライトをブルーイング材で染めた彫刻作品を吊り下げることにしました。美術館全体が永遠の青い黄昏へと変容したかのようでした。

Installation view: TRILOGY, MUDAM MUSEUM LUXEMBOURG (December 2023 – may 2024)

とても暗い歴史に由来する色の参照。ガラスを青く染め、反射によって生まれた魔法のような優美な空間の効果。その両者の間にある矛盾に、私は強く関心を持ちました。
私が思うに、人々が今日に至るまで経験してきた歴史的瞬間の数々には、私たちの認識を変える力があります。それは想像を超えた物事を想像するための、助けになるはずです。


記憶を託すこと

3つ目の作品は、私の世代への言及でありオマージュです。
2020年8月4日、ベイルートの港で、違法に貯蔵された硝酸アンモニウムの爆発がありました。
人命と財産の悲劇的な喪失の傍らで、爆発の最大の副産物の1つは、30秒間で10万トンのガラスが粉々になったことでした。このガラスの多くは路上に散らばり、建物の残骸や人々の血と混ざり合いました。そのため何に使うこともできなかったのです。
けれども人々のアパートの中に残されたガラスの破片の一部は、回収し、再利用することができました。
環境エンジニア・活動家のZiad Abi Chakerは、割れたガラスを全国のガラス吹き職人に寄付する活動を始めました。ガラスの破片を溶かし、飲み水用の水差しへと変えていきました。
私はこの活動に魅了されると同時に、とても考えさせられました。きわめて暴力的で犯罪的な破壊行為の遺物が再利用され、人々の家庭の中に入っていくということでもあったからです。
この物語を聞いた後、私はこの水差しを作っている工場の1つと連絡を取って、生産ライン全体、この場合には200個の水差しを買うと申し出ました。
3年後にルクセンブルクで展示することになったとき、美術館の地下に展示される最後の作品は、未解決の、解決不可能な犯罪行為のサイレント・モニュメントにしようと決めました。

From window to jug, 2020 – 2023
200 drinking jugs made out of recycled glass from the 2020 Beirut port explosion, custom made shelf
Installation view: TRILOGY, MUDAM MUSEUM LUXEMBOURG (December 2023 – may 2024)

18年前、私は自分の最初の記憶に思いを馳せざるをえませんでした。2006年の夏に起きた戦争が、子供時代を想起させ、私はまたスーツケースに荷物を詰めて避難しようとしなければならなかったからです。私は、このような経験をするのは自分の世代が最後だと信じていました。
そこで気づいたのは、曽祖父母、祖父母、両親、私の全員が、この重荷を担いで生きていく運命にあるということです。ただし私の場合は、作品を通じてこれらの経験を伝える特権、言語、ツールがありました。
今日、私の姪たちが避難を強いられ、自分のバッグに荷物を詰めざるをえない状況です。
アーティストは過去の記録を、現在において保持し、未来へと託す存在です。そのことを忘れないことが私の義務であり、運命です。私はそれを生きます。


ライアン・タベット(Rayyane Tabet)

ベイルートとサンフランシスコを拠点に活動。近年、ウォーカー・アートセンター、ストアフロント美術建築ギャラリー、メトロポリタン美術館、パラソルユニット現代美術財団、ルーブル美術館、ニームのカレダール、ハンブルグのクンストファーレン、ヴィッテ・デ・ヴィット現代美術センターで個展を開催。彼の作品は、マニフェスタ12、第21回シドニー・ビエンナーレ、第15回イスタンブール・ビエンナーレ、第32回サンパウロ・ビエンナーレ、第6回マラケシュ・ビエンナーレ、第10回・第12回シャルージャ・ビエンナーレ、第2回ニュー・ミュージアム・トリエンナーレでも注目されている。

※ このトークは2024年9月30日に京都芸術大学で開催された。