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GAT 039 ブレット・リットマン
イサム・ノグチ − イン・ビトウィーン(あいだで): Part 3

2025.04.28
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イサム・ノグチ(1904–1988)は、20世紀を代表する彫刻家の一人である。2018年から2023年までイサム・ノグチ財団および庭園美術館のディレクターを務めたブレット・リットマンは、ノグチの創作を「ものとものの間」にある空間から読み解く視点を提示する。本稿は、2023年4月18日に京都芸術大学で行われた彼のトークの概要である。

構成: 石井潤一郎(ICA京都)




イサム・ノグチ − イン・ビトウィーン(あいだで): Part 1』 へ
イサム・ノグチ − イン・ビトウィーン(あいだで): Part 2』 へ



Part 3: 公共作品と野外プロジェクト

最後にお話ししたいことがふたつあります。ノグチの「遊び場(プレイグラウンド)」と、彼が取り組んだ本質的にサイトスペシフィックなランドアートや屋外彫刻プロジェクトについてです。

「遊び」や、「プレイ・スカルプチャー」という構想は、ノグチがすでに1930年代後半から考え始めていたものでした。

ノグチが生涯で実現させることができた遊び場(プレイグラウンド)はわずか3つでしたが、彼はおそらく10件から20件以上の提案を行っています。最初の提案は1939年で、ドール社のためにハワイに設置する計画でした。そして2つ目の提案はおそらく最も有名なもので、1941年にロバート・モーゼスに提出された《コンター・プレイグラウンド(起伏のある遊び場)》です。しかしこの案はモーゼスに即座に却下されました。モーゼスはノグチを全く好んでおらず、その後も長年にわたってニューヨークで彼の仕事を拒み続けました。

«Contoured playground» 1941
Photo courtesy of The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum

実際に制作・設置され、現在も作り続けられている《プレイ・スカルプチャー》は、1965年に初めて制作された作品です。その後、1980年に若干の再設計がなされましたが、現在も無制限エディションとして継続的に生産されています。

«Play Sculpture» 1965-1980
Photo courtesy of The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum

この作品は、下水道や配管用のエルボ継手を素材として作られています。現在でも、こうした大型の配管は下水・配管資材の専門店から購入しており、それらを溶接して組み立てています。ノグチは、わたしたちの都市インフラにも使われているような、ごく基本的な工業素材をあえて用いて制作していたのです。

«Octetra» 1965-1966
Photo courtesy of The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum

《オクテトラ》は1965〜66年にスタートし、現在も制作が続けられている作品です。

2018年にわたしが撮影した《モエレ沼公園》の写真もいくつかお見せします。

«Moerenuma» 2005
Photo by Brett Littman

これはノグチの死後に完成した非常に大規模な遊び場で、セントラルパークのおよそ半分の広さがあります。そこには8つのユニークなプレイグラウンド、大きな噴水、そして巨大なプレイ・マウンテンもあります。本当に信じがたいような光景ですが、残念ながら最近は少し寂れた印象もあります。なんとか修復されるといいのですが、おそらくこれが世界で最大のノグチ作品のプレイグラウンドになることでしょう。

«Moerenuma» 2005
Photo by Brett Littman

ノグチは、彫刻が持ちうる社会的な力、すなわち人々をつなぎ合わせる可能性に深い関心を持っていました。わたしの考えでは、彼の公共作品は、長年にわたって培ってきた思考の集大成ともいえるものです。

ノグチにとって最初のパブリックアート作品は、1936年の《メキシコの歴史》で、現在もメキシコシティの青果市場に現存しています。この作品は、政治の視点からメキシコの歴史を描いたもので、ノグチがフリーダ・カーロと関係を持っていた時期に制作されたものです。

«History Mexico» 1936
Photo courtesy of The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum

《メキシコの歴史》の現場に、フリーダ・カーロがいるとても有名な写真があります。とても興味深い一枚です。この作品はまた、スワスティカ(鉤十字)を反ファシズムの表現として取り入れた、最初期の視覚芸術作品のひとつでもあります。もしかすると、ドイツの画家ジョージ・グロスだけがノグチより早くこの記号を使っていたかもしれません。とはいえ、1936年のメキシコシティにこのような表現が存在していたことは、非常に興味深く、かつ力強いものです。

«History Mexico» 1936
Photo courtesy of The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum

ノグチにとって非常に重要な作品のひとつが《ニュース》です。これは彼がニューヨーク市で初めて手がけた恒久設置作品であり、現在もロックフェラー・センターに設置されています。毎日何百万人もの人々がこの作品の前を通り過ぎていますが、それがイサム・ノグチの作品だと気づいている人はほとんどいないでしょう。

«News» 1938-1940
Photo courtesy of The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum

公式には、ニューヨーク市におけるノグチの最初の公共彫刻は、1939〜1940年の万国博覧会で発表された《フォード・ファウンテン》でした。残念ながらこの作品はその後、撤去され、解体されてしまいましたが、ノグチがニューヨークの公共空間で初めて実現できたプロジェクトでした。

«Gardens for UNESCO» 1956-1958
Photo courtesy of The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum

ここからはいくつかの屋外プロジェクトを簡単にご紹介します。

«Ford Fountain» 1939-1940
Photo courtesy of The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum

《ユネスコ庭園》、通称《日本庭園》は、1956年にマルセル・ブロイヤーの依頼によって制作された、ノグチのプロジェクトの中でも最も重要なもののひとつです。この作品は、1950年から1951年にかけて京都で長谷川三郎とともに庭園について語り合った時期の成果が結実したものでもあり、彼が構想していたアイデアをすべて盛り込むことができた数少ない機会でした。この庭園は、のちの美術館や数多くのプロジェクトに通じる原型(プロトタイプ)と言ってもよく、まさにノグチの思想が凝縮された代表的な作品だと言えるでしょう。

«Gardens for UNESCO» 1956-1958
Photo by Brett Littman

こちらは最近ユネスコで撮影した写真です。ノグチの屋外プロジェクトには多くの問題があります。というのも、美術館が所有していない作品が49点もあるんです。そうした作品の多くが、現在「絶滅危惧種」のような状態になっていて、非常に劣化した状態にあるのです。本当に落ち込むような状況で、中には完全に撤去され、破壊されそうになっているものも実際にあります。

わたしはそういった作品を保護し、少なくともあと50年、できれば100年持ちこたえられるように守っていくために、ますます多くの時間を費やすようになっています。

«Sunken Garden» 1961-1964
Photo courtesy of The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum

1961年〜1964年の《サンケン・ガーデン》は、バイネキー図書館に設置されたもので、ノグチが何度も協働した建築家、ゴードン・バンシャフトによって委嘱された作品です。

«Billy Rose Sculpture Garden Jerusalem» 1960-1965
Photo courtesy of The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum

1960年〜1965年にかけて制作されたエルサレム美術館のビリー・ローズ彫刻庭園の模型。

«Gardens at the IBM Headquarters» 1964
Photo courtesy of The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum

ニューヨーク州アーモンクにある《IBM本社の庭園(Gardens at the IBM Headquarters)》は、現在も現存しています。その空間は非常に素晴らしいものですが、残念ながら現在はかなり荒れた状態にあります。

そして最後にご紹介するのは、おそらくノグチ作品の中でも「聖杯」と呼べるような存在で、東京の最高裁判所の地下にある作品です。

この作品については、1974年以降、美術館関係者の中でわたしだけが実際に見たことがあるというもので、それほどまでに最高裁の中に入ることは不可能なのです。この作品は、裁判官たちが重要な判断を下す前に地下に降り、瞑想するための空間として設計されたものです。

«Supreme Court Fountains» 1974
Photo courtesy of The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum

構造としては「5つ半の井戸」があり、片側に2つ半、反対側にも2つ半、という配置になっています。この空間は、人が階下へ降りて、ある種の瞑想を行うために設計された場所です。

最高裁判所ビルの最下層にある通風孔(エアシャフト)の中にあり、その建物自体はブルータリズム様式の建築です。東京の皇居のそばを車で通るときに、きっと見かけたことがある建物だと思います。しかし、非常に珍しい空間にあります。

残念なことに、現在ではこの場所を訪れる人も使う人もほとんどいません。わたしが訪れたときには、そのドアが開かれたのは5年ぶりだったそうです。

最後までお付き合いいただき、プレゼンテーションを全てさせていただけたことに感謝いたします。この講演を通して、イサム・ノグチの創作活動について、より深くご理解いただけたのではないかと思います。

そして、この講演を終えたあとには、彫刻とは何かという問いに対して、ノグチがどれほど多様で複雑なアプローチをしていたのか、そして彫刻が社会的な次元の中でどのように機能し得るのかという視点にも気づいていただけたら嬉しく思います。


ブレット・リットマン(Brett Littman)

ブレット・リットマンは、2018年5月から2023年6月まで、ニューヨーク・ロングアイランドシティにあるイサム・ノグチ財団・庭園美術館の館長を務めました。2007年から2018年までザ・ドローイング・センターのエグゼクティブ・ディレクター、2003年から2007年までMoMA PS1の副館長、2001年から2003年までディウ・ドネ・ペーパーミルの共同ディレクター、そして1996年から2001年まではアーバン・グラスのアソシエイト・ディレクターを歴任しました。
リットマンの関心は学際的です。過去16年間で150以上の展覧会を監督、30以上の展覧会を個人的にキュレーションするなかで、視覚芸術、アウトサイダー・アート、工芸、デザイン、建築、詩、音楽、科学、文学を扱ってきました。2019年と2020年には、ロックフェラー・センターの フリーズ彫刻展(Frieze Sculpture)のキュレーターに任命されました。美術評論家、講師、美術館やギャラリーのカタログの活発なエッセイストにとどまらない、米国および国際的なアート、ファッション、デザイン雑誌での執筆など幅広く活躍しています。
生粋のニューヨーカーであるブレット・リットマンは、2017年にフランスから芸術文化勲章シュヴァリエを授与されました。同年、カリフォルニア大学サンディエゴ校で哲学の博士号を取得しています。

※ このトークは2023年4月18日に京都芸術大学で開催された。