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奈義町現代美術館を再訪する
浅田 彰

2014.09.07
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水の面に照る月波を数ふれば今宵ぞ秋の最中なりける
 
三十六歌仙絵巻でも有名な源順(みなもとのしたがふ)の歌だ。万葉集に比べ古今和歌集は理知的に過ぎると批判されたこともあった。しかし、グラフィックな言語遊戯まで展開してみせた源順ともなると、むしろそこが面白いとも言えるのではないか。「月波/月並を数えて今宵が中秋(旧暦8月15日)と知る」というこの歌も、いかにもこの学匠歌人らしいものだ。ただ、「最中(もなか)」という言葉はいまでは菓子と直結しており(そもそも江戸時代の菓子屋が「最中の月」[中秋の満月]という菓子を売り出したことが始まりなのだが)、それ抜きに純粋に読むことが難しくなってしまったのが残念だ…

ともあれ、源順にならって数えてみると、今年の中秋は9月8日になるらしい。ぴったりその日ではないが、前日の夕刻に奈義町現代美術館(NagiMOCA)でパフォーマンスがあるというので、思い立って行ってみることにした。

実は8月31日から東京の Watarium美術館で磯崎新(1931-)の展覧会 ——普通の建築展ではなく、1954年に東京大学工学部建築学科を卒業してからの60年を多面的に振り返る、一度見ただけではとても汲みつくせない内容を盛り込んだ回顧展——が開催されており、そこでNagiMOCAの重要性をあらためて感じたからだ。実のところ、1994年のオープニング以来、何度か再訪はしたものの、夕刻に行ったことは一度もなかったのだが、この美術館の「月」の部屋は、午後10時の中秋の月の光がまっすぐ射し込む角度になっているというのだ。今年の9月7日は中秋の前日でいわゆる待宵の月しか見られないし、パフォーマンスは午後5時半からでむしろ日没の頃だったから、磯崎新の計算を確認することはできなかったが、久しぶりに再訪してこれが画期的な美術館であることを再確認することができた。半日かけて奈義町まで行った甲斐は十分にあったと言えよう。

 
*「大地」——宮脇愛子の《うつろひ》
NagiMOCAのロビーを兼ねた喫茶室の外に広がる池、そしてその奥にある拳より大きな丸石を敷き詰めた「大地」の部屋は、鳥取県にまたがって聳える那岐山の山頂に向かう線を中心軸としており、そこに宮脇愛子(1929-2014)の《うつろひ》が展開されている。強い張力を孕みながらあくまでエレガントな曲線を描くステンレス・スティールのワイヤーが、風に吹かれ、あるいはわれわれが触れることで、微妙に揺れ動いて、目に見えない「気」(淮南子)の流れを感じさせてくれるのだ。夫君の磯崎新が喝破した通り、これは彫刻ではなく、脱構築された彫刻——いわば×をつけられた彫刻であって、その魅力は視覚的にとらえること——ましてや写真に撮ることがきわめて難しい。その点、奈義町現代美術館では、望むなら石の上を歩きながらワイヤーに触れてその動きを間近に体感することができるのである。

宮脇愛子は1960年代からキャンヴァスの上に大理石の粉を混ぜた絵の具で単純なパターンを並べてゆく作品、あるいは似た構造をもつドローイングを制作していた。初期のミニマル・アートとも関連をもつこの種の作品の中では、現在、草間彌生のそれが注目を集めているし、私自身それを精神分析理論とからめて論じもした。だが、純粋に美学的に見たとき宮脇愛子の作品ははるかに精度が高く(それを見るのに精神分析理論などは必要ない)、彼女がヨーロッパで制作していたことから、たとえばイタリアのマンゾーニやカステラーニなどとの関連も見て取れて、美術史的にも貴重なものと言えよう。グッゲンハイム美術館などにいくつかの作品が収蔵されているとはいえ、まだまだ十分に評価されているとは言えず、再評価のための研究が待たれる。

むろん、宮脇愛子は平面作品にとどまっていたわけではなく、金属やガラスを使ったオブジェをつくるようになった。ただ、それらはたんなる彫刻ではなく、反射や透過といった問題を探求するための媒体だったと言ったほうがよい。その延長線上に現れたのが、脱構築された彫刻、固定的なオブジェではなく「気」の動きをとらえる媒体としての《うつろひ》だったのだ。また逆に、《うつろひ》のエッセンスを簡潔な線だけで表現したデッサン(NagiMOCAにもいくつか展示されている)は、平面作品としてきわめてすぐれたものであると同時に、その思い切りのよいダイナミックな筆致であのワイヤーのたわみや揺れを見る者に感じさせる。

マン・レイが《ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)》のパロディのモデルとしたことで知られる宮脇愛子は、美しい人、そして美の追求にあたって妥協のない人だった。1997年には脳梗塞で入院するが、見舞いに行った病室には余白に「Get well, Aiko(よくなれ、愛子)」と書いたリトグラフが飾られていた。ニューヨークで病気になったときジャスパー・ジョーンズから贈られたものだと言う。退院後も、左半身麻痺にもかかわらず制作に励み、国内外で《うつろひ》を制作したほか、とくに水墨画による新たな表現を切り開いた。2013年になってすら、小さな細胞状の形態を反復する作品——ある意味で初期の作品に通ずるとともに、いっそうの自由を感じさせる作品を描いていた。

今年の春には、横須賀のカスヤの森現代美術館でそれらの近作を含む最後の個展が開かれ、クロージング前日の5月24日には宮田まゆみが笙を奏する機会にアーティスト自身が車椅子で姿を見せた。ほとんど声は出なかったものの、明晰な状態ではっきりと挨拶を交わすことができたことは、展示会場で、また大きく風にそよぐ裏山の竹林の中で、繊細な笙の響きにじっと耳を傾けていたその姿とともに、私にとって貴重な思い出である。宮脇愛子が84歳の生涯を閉じたのは、それから3か月もたたない8月20日のことだった。

《うつろひ》は国内外の各地に設置されており、私もそのすべてを見たわけではない。だが、奈義町現代美術館の《うつろひ》は、少なくとも国内で見られる最良の作品のひとつと言えるのではないか。池と「大地」の部屋で静かに揺れる《うつろひ》のあくまでもエレガントな曲線を眺め、ワイヤーにそっと触れてその強大な張力を感じながら、私は、いつも——病いに倒れてもなお美しく誇り高い人だった宮脇愛子のことを思い出していた。

 
*「太陽」——荒川修作&マドリン・ギンズ《遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体》   
「浅田君、わかるか? この部屋にはたったひとりで入って、シーソーに乗るんだ。Incredible !!」
「荒川さん、だけどシーソーは一人じゃ乗れませんよ。」
「ああ…」

私はあまりに常識的なことを言って、熱っぽく語るアーティストの腰を折ってしまったのかもしれない。もしかすると彼は「隻手音声(片手だけの拍手の音を聞く)」という禅の公案のようなことを考えていたのか? ともあれ、荒川修作(1936-2010)はそのまま黙ってしまった。美術館のオープニングには出席していなかったから、まだ準備段階でのことだったと思う。

それより前の初期段階で荒川修作とパートナーのマドリン・ギンズ(1941-2014)が提案していたのは、五重塔を上下さかさまに建てるという案だった(NagiMOCAに数枚のスケッチがある)。磯崎新との話し合いの中で、その案に替えて、南北軸に沿い八分の一の傾きをもつ巨大な円筒(南の空に向けた望遠鏡のようでもある)の内壁両面に龍安寺の石庭のレプリカを対称的に貼り付けるという、「太陽」の部屋の現行案が固まった。その円筒の真ん中あたりの床と天井にシーソーがあり、いちばん高くまで行ったところの床と天井に低い鉄棒がある。

狭い螺旋階段を上って円筒に入ると、誰もが平衡を失ってふらふらするだろう。傾斜は思いのほか険しく、円筒だから床も湾曲していて、バランスが取りにくいのだ。私としては、慣れる前にそのままいちばん高いところまで歩いて行って、鉄棒で何回転かしてみることを勧めたい。いよいよ日常的な水平・垂直の枠が揺るがされるはずだ。しかし、その不安定感はすでにあなたが意志的に択び取ったものだ。そこから円筒の中ほどまで戻り、しばらくシーソーに乗っていると(作者の意図はどうあれ、やはり二人で乗るべきものだ)、あなたの身体は新たに一種の動的平衡を体感できるようになる。あなたはもう水平な床や垂直な壁に支えられる必要を感じない……

むろんこれは「太陽」の部屋を体験する最も初歩的な方法であり、作者はもっと複雑なことを考えていたのかもしれない。荒川&ギンズの話は何度か聞いたけれど、率直に言って私にはその論理がよくわからないままだった。具体的にみると、NagiMOCAのあと、《養老天命反転地》(1995)や《三鷹天命反転住宅》(2005)では、五重塔をさかさにするという案にあった上下反転という手法が目立つようになるのだが、上下を反転しただけで時間が反転するはずもない(むしろ、《養老天命反転地》のオープン当初、転倒して怪我をする人が相次いだ、まさにそのように reversible destiny どころか irreversible なダメージを被るのが実情だろう)。荒川&ギンズのコンセプトがそういう過度に単純な形で実現され、失望を招いたとしたら、残念なことだと思う。

その点、NagiMOCAの「太陽」の部屋は、私のような常識人でも荒川&ギンズの構想の一端を効果的に体感することのできる貴重な作品であると言えよう。個人的な感想としては、龍安寺の石庭のレプリカがきれいにできすぎていて、むしろうるさい感じがしないでもない(荒川修作は、どこから見ても15個の石をすべて見ることができないといったコンセプチュアルな面白さからこの石庭に惹かれたので、細部はさほど問題ではなかったはずだ)。しかし、逆に言えば、20年たったいまも二つの石庭がほとんど古びることなく無言の照応を続けている、そのことを評価しておくべきだろう。

荒川修作が個人で発表した作品——とくに「図形絵画」は認めるけれど、晩年にマドリン・ギンズと連名で発表した空間的な作品は認めがたいという人も多い。しかし、私はかならずしもそうは思わない。逆に意地悪に言うなら、「図形絵画」にも不可解な部分はいくらでもある。確かに《養老天命反転地》や《三鷹天命反転住宅》までいくと、まともに評価するのはなかなか難しいだろう。だが、むしろ、NagiMOCAの「太陽」の部屋こそ、平面にも立体にも収まりきらない荒川&ギンズのヴィジョンを最良の形で垣間見ることのできる代表作と言えるのではないか。揺れるシーソーの上で、私はそんなことを考えていた。

 
*「月」——岡崎和郎の《HISASHIー補遺するもの》
いわば日月山水図のごとく「太陽」の部屋の反対側に配された「月」の部屋は、奈義町現代美術館の中でも最も魅力的な空間である。高い天井をもつ細長い空間。一方の平坦な壁は午後10時の中秋の月を基準とする軸に沿っており、他方の壁は湾曲していて、あわせて一種の三日月型を成している。特筆すべきは土を固めたような床で、歩くと足音が思いのほか大きく反響する。そして、湾曲した壁には溶けて垂れ下がったような金属の庇が取り付けられており、まっすぐの壁の前には座るとやや不安定な石のベンチが置かれている。それが岡崎和郎(1930-)の作品《休息のためにHISASHIとベンチが与えられたとせよ》なのである。

岡崎和郎は独特なオブジェを制作してきたアーティストであり、瀧口修造とのコラボレーションでも知られている。彼が最初の頃からこだわってきたのが「補遺(supplement)」という概念(デリダ的とも言ってよい)だ。たとえば建築に付加される補遺でしかない庇を主題化すること。ただ、ここでは磯崎新の見事な建築空間が本体となることで、補遺としての庇がいっそう際立って見える。理想的なコラボレーションと言えよう。
「太陽」の部屋や「大地」の部屋がそうだったように、この「月」の部屋も体感型の空間である。身体ごと中に入って歩きまわり、とくにその響きを通して空間を体験しなければ、この部屋の魅力は十分にはわからないだろう。このように、NagiMOCAは体感型の空間と作品を中心とするミュージアムであり、視覚像を超えたその印象は記憶にとどめることが難しい——ということは、この美術館が何度も再訪する価値のあるミュージアムだということであり、何度か訪れた経験のある私も今回またしても新鮮な驚きを感ずることができた。

 
*平井優子+三尾奈緒子の《アゴーギク》
9月8日夕刻には、美術館のエントランスから、池と「大地」部屋、そして「月」の部屋にいたる空間を使って、平井優子と三尾奈緒子による《アゴーギク》と題するダンス・パフォーマンスが行なわれた。

三尾奈緒子のフルートは、たっぷりした響きが魅力的だったが、クラシックなレパートリーが主だったのでやや単調に響いた。こういう場合は、むしろ、バッハ以前あるいはドビュッシー以後の音楽の方が合うのではないか。とはいえ、「月」の部屋でフルートの音に加えて息の音やタンギングの音まで大きく響いたところは、単純ながらスリリングだった。

平井優子は、7月に札幌で再演された高谷史郎の《Chroma》にも参加しており、舞台の背景と床に投影されたコンピュータ・グラフィックスの動くマップの上で彼女が踊るシーンは、この作品の中でも最も美しいシーンのひとつに数えられる。その彼女が、ここでは「大地」の部屋の石の上を歩いて《うつろひ》のワイヤーに触れ、「月」の部屋の床で摺り足による音を響かせるなど、物質との触れ合いに触発されて、別なダンスの可能性を見せてくれた。

平井優子×三尾奈緒子パフォーマンス《Agogik(アゴーギク)》
2014年9月7日/奈義町現代美術館 「大地」の部屋 他


なお、NagiMOCAでは、三つの部屋の常設作品のみならず、企画展も開催されており、今回も Antenna × 佐倉密の展覧会が開かれていたことを付記しておく。

もうひとつ、建築については、企画展会場の近くにある図書館についても触れておくべきだろう。磯崎新が図書館建築の名手であることは、たとえば山口情報芸術センターの図書館に入ってみればすぐにわかるはずだ。小ぶりな空間にそのエッセンスを盛り込んだのが奈義町の図書館であり、たとえば2階のバルコニーで12個の小さな窓の前に読書机を作り付けたところなどは心憎いデザインと言うほかない。

「大地」の部屋、「太陽」の部屋、「月」の部屋では、宮脇愛子、荒川修作&マドリン・ギンズ、岡崎和郎、それぞれの代表作がほぼ理想的な形で展示されており、企画展示室では若手まで含む意欲的な展覧会が開かれている。そして、天窓からの光に満たされた明るい図書室では、近隣の住民がのんびりと読書を楽しんでいる。オープニングから20年をへて、奈義町現代美術館がそのエッセンスを保ちながら地域に根差して着実に歩みを続けている姿に、私は深い感銘を受けた。

実のところ、岡山県の中でも鳥取県に接する位置にある奈義町は決して交通の便がいいとは言えず、そこに実験的な美術館をつくる計画には疑念を呈する向きも多かった。自衛隊の駐屯地があり、その分の人口と税収が上乗せされるという事情もあったのだが、その駐屯地の規模も縮小されつつあり、奈義町の未来に影を落としている。そういう場所だからこそ、中途半端な美術館ではなく、そこでしか見られない突出した作品のある美術館をつくるべきだというのが、磯崎新の提案だった。そして、ルーヴルのような第一世代の美術館とも、ホワイト・ボックスに作品を並べた第二世代の美術館とも違う、サイト・スペシフィックな作品を中心とする第三世代の美術館として、NagiMOCAが構想・建設されたのだ。開館20周年のいま見るかぎり、磯崎新はその大胆な賭けに勝ちつつあるように見える。

 
午後5時半からのパフォーマンスが月見には早すぎたことは残念といえば残念だったが、美術館を去るとき空には待宵の月が明るく輝いていた。津山の近くまで来ると、街灯の周囲におびただしい数のウスバカゲロウが乱舞している。朝になるとその死骸が道路をうっすらと雪のように覆っていることさえあるそうだ。そんな地上のドラマからはるかに遠い上空で、月はあくまでも冷たく輝き続けていた。