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田中功起のトークを聞き逃して
福永 信

2014.12.08
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田中功起の『アーティストはいつしか作品を作るのをやめ、資料を作り始めている。』と題されたトークを聞きに行こうと、本日(12月8日)、京都芸大へ向かうべくバスに乗り込んだ。17時の開始であるから、今からではギリギリであるが、「このバスに乗れば間に合うであろう」と安心して座席に深く腰を下ろした。『アーティストはいつしか作品を作るのをやめ、資料を作り始めている。』と、キッパリと断言しているこのタイトルは、もはや、いつもの田中功起らしさが発揮されているといってよく、2冊目の著書の『必然的にばらばらなものが生まれてくる』に非常に似通っているのであった。これは、田中功起の初期から現在までを追った作品集でありながら、同時に美術評論でもあるという離れ業をやってみせた本であって、「ばらばら」を標榜しつつも一貫して「日が暮れても遊び続ける」覚悟の男の子気あふれる著者の姿勢がくっきりと際立っている良書である。むしろ、この本こそ、『アーティストはいつしか作品を作るのをやめ、資料を作り始めている。』と題するのに相応しいのではないかと思われるほどなのである。何しろ、これから私が聞くことになるはずの講演も、事前の情報によれば、「このトークでは、近年の自身の実践の中にある美術史を参照するもの、歴史を参照するもの、過去の自作を参照するもの、それら三つの参照点を再考し、ひとつのケーススタディとして描き直す」とあるのだから、この作品集/美術評論の著者自身によるリアクションなのであろうと推察されても仕方がないのである。つまり、タイトルにはすでに相当の出オチの要素が含まれており、ということはこのタイトル自体が、すでに、「タイトル」と「作品」をめぐる神話的な関係の崩壊(もはや、誰もが、いいかげんにタイトルをつけているのではないか)が語られるのではないか、あるいは、端的に彼自身を含む「アーティスト」の限界について(書類の形をとっていなくても、絵画でも彫刻でも映像でも、アートはもはやプレゼンの資料と見なされる可能性について)、率直に語られるのかもしれない、などと、これから語られる講演内容を夢想しながら、次々と後方へ流れ去る洛西の風景を見ていると、思いがけないことに、直線に進むべき道を、バスは、思春期の若者のごとく、不意に曲がってみせたのであった。さらに、右へ左へと、バスはハイキングを楽しむかのごとく傾斜を軽快に進み、着実に、芸大から離れていくのであった。それでも、私は、「迂回しているだけだ」「もうじきに引き返す」「人間は大きな心を持たなければ」と、思ったのであるが、とうとう我慢できず、ピンポンを押したのである。降りたバス停は、このようなバス停であった。

 
付近は、閑静な住宅地であった。時計を見ると、ちょうど17時であった。帰宅後にグーグル地図で確認してみると、京都芸大から北へ600メートルほどズレた位置に私は降り立ったようである。大枝山古墳群(桂坂古墳の森)の付近である。たかが600メートルではあるが、山の斜面に沿っており、勾配はかなりある。30分も歩くとすっかり日は暮れて、このような見事な夜景まで、見ることができるのである。

 
また、さらに、真っ暗な道を歩いて山の方へ向かうと、こういう看板もある。

 
さて、私は何をしているのかというと、田中功起による『アーティストはいつしか作品を作るのをやめ、資料を作り始めている。』のトーク会場へ向かうのをあきらめたわけである。私は、田中功起が、今頃、しゃべっているのだということを、はっきりと意識しながら、まるで無関係な場所を、ふらふらと歩きはじめてしまったわけである。理由はわからない。今さら芸大を探し当てるのが、面倒臭くなったのかもしれない。突然田中功起とはりあう気持ちが湧いてきて、「おれは、おれで、ここをうろつくことにする。このおれのうろつきと、きみのトークが、釣り合うか、勝負だ」というふうに、思ったのかもしれない。開演時間を過ぎた今、バスに乗り間違えていなければ、『アーティストはいつしか作品を作るのをやめ、資料を作り始めている。』が、どのような内容だったのか、すでに知りはじめているはずである。しかし、現実にはトーク会場から600メートル離れた夕闇の寒く寂しい道を歩き始めているのだから、そのトーク内容について、ずっと私の頭の中はカラッポのままなのである。だからこそ余計に、どんなことを田中さんがしゃべっているのか、気になってしょうがない、ということかもしれない。なあ田中さんよ、きみはいったい今頃、何をしゃべっているんだろう。おれは、アーティストはいつしか作品を作るのをやめ、資料を作り始めている、と、すっかり暗唱できるようになってしまったよ。トークは、ほんとに開催されているのだろうか。もしかしたら、演者は、いないかもしれない、きみのことだから。きみのことだから、トークは実際には開催されてなくて、戸惑う観客だけが存在し、「トークがある」という情報だけが、ぷかぷかと宙に浮いていた、おれは、強がりからではなく、実際にそう思わないでもないよ。なぜなら、このミステリスアスなタイトルの意味も伏線であったと理解できるように思うから。アーティストはいつしか作品を作るのをやめ、資料を作り始めている。内容がカラッポであることによって、タイトルは、タイトルの位置から、内容そのものへと滑り落ちてしまう。作品と資料の区別が、消滅してしまう。たしかに、この世に残るものといえば、埋もれた末の断片ばかりであり、それは資料と似通ったものであり、きみが試みようとしていることは、今回のことに限らず、「残る」「残らない」であると思うが、それは、もしかしたら不気味なほど文学にそっくりなのかもしれないよなどと、しきりに、このような寂しい夜道を歩きながら、考えていたのである。

 
私は、田中功起によるトークが終わる18時30分まで、桂坂周辺をうろうろしていたわけであるが、最終的にたどりついた場所は、ロータリーであった。可愛らしく信号なしでくるくると車が方向転換する小さなロータリーを、車の真似をして一回くるりと回ってから、近くのバス停から桂駅東口行きのバスに乗り込んだ。トークの聴衆になりそこねた者は、ふたたびバスの乗客になり、桂駅東口に到着して「バスの乗客」をやめたが、「トークの聴衆になりそこねた者」というのはいったいどこでやめればいいんですかなどと思うと少し不安になる。