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『学校で出会う 京都の日本画』
福永 信

2012.12.06
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しわすの四条河原町の喧騒にへきえきするようなそんな日は、藤井大丸の横を曲がって御幸町通を進めばいい。しばらくすると、小学校の校舎を利用した、京都市学校歴史博物館が見えてくる。
全国に先駆けて、学区制の小学校(番組小学校)を、上からではなくいわば横から、地元住民たちの手によって作ったという、京都が誇る小学校の歴史が、数々の現物、わかりやすく拡大した複製などともに展示されている。そもそも、この博物館自体が、明治2年(1869年)に開校した開智小学校の建物を利用している(その年の5月から12月にかけて、全国初の小学校は、京都の地で次々と開校していった)。
開智小は、下京第11番組小学校として6月に開校し、平成4年(1992年)というからおよそ120年のその歴史に幕を閉じ、京都の小学校の歴史にまつわる品々を収集・保存する施設としてリニューアルオープンしたわけだが、おどろくほど静かなその内部で、今、興味深い企画展覧会がひっそりと(というほかない)開かれている。

『学校で出会う 京都の日本画』(10月5日-2013年1月22日)と題されたその企画展覧会は、かつて、京都の小学校に寄贈され、所蔵されてきた日本画を集めたものである。小倉亀遊や秋野不矩、富岡鉄斎、棟方志功といったおなじみの名をちらほら目にすることができるが、それら「お宝」を拝見することだけが、この展覧会のおもしろさではない。というか、いっそ、そんなお宝拝見にはこの展覧会の見どころはないと言い切りたい。有名無名は、つまり、どうでもいい。(とはいえ、秋野不矩の描く「青年」は、三人の裸の青年の横向きの首から下、足首までが、全面灰色がかった白で描かれ、ほとんど抽象画のようで、単純な画面にもかかわらず単調さはなく、見入ってしまうし、また榊原紫峰、苔山らを兄に持つ榊原始更の「滝図」は、お題は珍しいものではないが、そのほとんど投げやりにすら見える筆さばき、配色は、滝そのものをいつまでも見てしまうのに似て、これまたやはり、飽きさせない。つまり、展示作品に魅力は十分にあるのだが、それはさておき)、日本画なんか知らないよ、というわれわれのためのこれは展覧会かもしれないからだ。というのは、ある意味でこれ以上ない、理想的な出会い方がここで、できるからだ。

企画展の冒頭からして、そもそも奇抜だ。
建物に入って、受付で200円払って(大人料金。安い!)、すぐに常設展示になるのだが、そこには真空ポンプやら感応起電機やら(いずれも理科のための実験器具)、太鼓(時間を告げるためのもの)やら、火消しのまとい(火事のときにわっしょいとやるやつ)やら、当時の各教科の教科書やら、国産のオルガンやら高価な輸入ピアノやらが所せましと並ぶその横に、いきなり、国井応陽のガッツリした「生祥顕瑞図」の掛軸が、また神坂雪佳のグニュッと折れたようなシャレた「松図」が、目に飛び込んでくる。
斬新な導入に腰が抜けるが、落ち着いてその後の企画展示室まで足をのばしてみれば、要は、その企画展示室からハミダシて、常設展示の一部を追い出すかたちで、この企画展示が始まっていただけだった。おそらく出品数の多さから、やむを得ない措置をほどこしたにすぎないのだろうが、これが効いている。

もっとも、この出だしを除けば、昔ながらの展示構成ではある。しかし、「博物館」というごつい名前に変わり衣替えしたとはいえ、ここが小学校だったという歴史、その小学校そのものの建物が活かされた環境での展示というのは、展示作品の優劣/好き嫌いをこえて、不思議なおもしろさ、愛着をまとわせる。
50点ほどの出品作の所蔵先として「小学校」「元・小学校」と、それぞれの学校名がクレジットされている(一部、幼稚園も)ことに、何しろ新鮮なおどろきがある。京都市立の学校で所蔵されている美術作品は、およそ2000点以上が現在、確認されているというが、そこには日本画だけではなく、洋画もあれば陶芸なども含まれる。今回、日本画が選ばれたのは、もっとも多いからだそうだ(さらに大半が円山四条派だという)。かつて小学校を飾っていた日本画が、美術館ではなく、あらためて小学校だった場所に送り返され、展示されるということ。まさに美術作品たちの同窓会のような、そんな場所になっているのだ。

当時、小学校は子供が通うためだけの施設ではなく、地元の町の者らの交流の場にもなっていた。警察、消防署といった役も果たしたというからすごいが、先述の「まとい」やらなにやら、常設展示にあった、小学校の所蔵品にしては不思議な品々は、そんな当時の小学校の性格を示している。大人達の集う場所でもあったということは、美術品を贈るのも単に善意によるだけでなく、むろん下心が、つまりはそのことで名を残し、また自身の権威を示すためでもあるだろう。そのためか、思わず笑ってしまうような、まさに絵に描いたような立派な絵が所蔵、寄贈されてもいる。しかし、それは、まさに日本画(にかぎらず、多くの美術品)の持つ「機能」のひとつだったわけだし、そもそも今もなお、ふだんわれわれが美術館で「絵」を見るとき、つい、何か「立派な」ものを見ていると思ってしまう、そんな見方、錯覚と、うりふたつかもしれない、なんてことに自然に気づかされるのは、ここが美術館ではなく、当時の小学校だからにちがいない。美術館展示への反省的な視線をうながす力が、ここにはすこし、宿っている。

ほかに、小学校という場所柄、子供への教育的な熱い思いを込めた、余計なお世話的な絵(木島桜谷「石門心学図」など。余計なことだが、この木島桜谷さん、上記作だけでなくド派手な朝日を描いた昭和12年作「旭日桜花」も別途展示されているが、これは時節にめちゃめちゃ染まっていて見るのが辛いほどで、はっきりいって、この企画展でもっとも損している画家だと思うが、京都市美のコレクションでもある「寒月」などはかっこいいのでぜひ検索されたし)や、子供にちなんだ牧歌的な絵(堀井香坡「少女像」、板倉星光「わらべ」、徳力富吉郎「伏見人形を売る」など)も、美術館で見るのとは違った経験として見ることができる。しかし、子供の目をひくように描かれた絵のなかで、もっとも強烈なのは、やはり、教科書、それも日本画の教科書である。

日本画といっても、京都ならではの仕様というか、織物や染物の図案を学ぶものであるが、これがすごいかわいい。日本画(毛筆画)の教科書は、京都の伝統産業の基本的な技術として後継者教育という意味もあって独自に作られたという。「小学日本画初歩」(森川曾文・著)では、シンプルにうちわの図案が筆で描かれている。その図案もすばらしいが、その横に、小さく、団扇、そして、ウチワとカタカナで振ってあり、これがなんともかわいらしい。同じく、月に霞、に、ツキニカスミとルビが添えてある、その全体が、なんとも知れずあいらしいのである。もっとも、当時、実際の授業のなかで、生徒らは「かわいい」「あいらしい」などとは、この教科書を前にして露とも思わぬはずだが、こうしてケースに入って展示品になってしまえば、「かわいい」といえる。同じものを見ながら、まったく異なる別の視線がそそがれるのが、おもしろい。かつて京都の小学校のどこかに飾られていた、という文脈が、ふだん美術館で日本画を見る視線とは、ひと味違ったふうにわれわれを導くのと、それは同じだ。

下京第3番組小学校だった明倫小学校が、京都芸術センターとして広く親しまれているが、そこで現代の芸術に触れた目で、同じ下京、第11番組小学校だった開智小学校・京都市学校歴史博物館に向かい、江戸の絵画や日本画を見る、そんな2つの小学校をハシゴすると、そんじょそこらの美術館なんかよりも圧倒的にゆたかな時間を、子供の頃のあの「放課後」の時間のように、感じ取ることができるだろう。