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瀬戸内国際芸術祭(1−1)
浅田 彰

2013.03.20
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鉄道開通20周年となる3月20日に瀬戸大橋を渡り、高松で開かれる瀬戸内国際芸術祭の開会式に向かう。

個人的なことを言えば、父方の祖父母の出身地は香川県の牟礼、丹下健三の右腕だった伯父の浅田孝がイサムノグチ(丹下健三設計の広島平和記念公園に慰霊碑をつくるはずがアメリカ国籍ゆえ反対されて果たせなかった)のため故郷に近い庵治にアトリエ(現在のイサムノグチ庭園美術館)を斡旋したといった過去もあるし、私自身、小学校5年まで愛媛県の松山で過ごし、宇野と高松を結ぶ連絡船も何度となく利用したことがある。その頃と比べて、今では鉄道で京都から高松までわずか2時間なのだから、ずいぶんと便利になったものだ。

しかし、瀬戸内を楽しむにはやはり船、そして、島々を結ぶ船便の数は限られているから(自分の船があるか、タクシー・ボートをチャーターするのでない限り)、まずは時間感覚を切り替える必要がある。芸術祭をすべて見ようなどと思わず、可能な範囲だけ見ればいいと割り切って臨む—その過程で船の移動を楽しみ、見知らぬ島々の魅力を発見するというのが、この芸術祭の大きな魅力なのだ。そもそも、この芸術祭は、福武總一郎が直島で始めたアートによる地域再生の実験が犬島や豊島に広がっていった(この段階についてはさしあたり直島に地中美術館が出来た段階での紀行にまとめてある)、その延長上に生まれてきたのだが、2010年に開催された第1回の会場は7島(+高松港)、それが今回は西に拡がって12島(+高松港・宇野港)に及ぶというのだから、すべて見ようと目論むのは無謀だろう。ちなみに、前回は会期が夏だったため、暑さも大きな問題だった。私は豊島でクリスチャン・ボルタンスキーをはじめとするアーティストたちとのトークに参加したのだが(『瀬戸内国際芸術祭 2010 作品記録集』[美術出版社]に部分的に採録されている)、あまりの暑さに熱中症寸前となり、島に散在する作品はほとんど見ずに退散したのだった(豊島の一角にはボルタンスキーの「心臓音のアーカイヴ」があり、この場所や世界の他の場所で記録された観客たちの心拍を聴ける、そこで私の名前で検索すれば、異常な速さの心拍を聴けるはずだ)。そもそも、その段階では、最大の見ものである豊島美術館(西沢立衛+内藤礼)はまだ工事中だった。そして、会期末に再訪した私は、豊島美術館のオープニングに立ち会って、それが21世紀の傑作であることを驚きをもって確認することになる…。今回は会期が

春 3月20日—4月21日

夏 7月20日—9月 1日

秋 10月5日—11月4日

の3期に分散されており、やはり豊島横尾館などは夏会期の初めに完成が予定されているので、一度にすべてを見ようなどと思わず、できればこの間に何度か訪れて、多様なアート作品を、そして、それをきっかけとした多様な風土との出会いを楽しむようにしたい。

 
犬島

とは言え、私としては2日の間に見られるだけのものは見ようと思っていたので、開会式が始まる前から会場を抜け出し、フェリーで豊島をへて犬島に向かう(本当は犬島は岡山側から行くほうが近い)。途中で大竹伸朗とすれ違って女木島の作品のことを聞くが、見に行くのは明日になるだろう…。

石切場として長い歴史をもつ犬島(大阪城などの巨石もここから切り出されたものが少なくない)には、1909年に大規模な銅の製錬所がつくられたが、銅価格の暴落のため短期間で閉鎖される。2008年、この近代化産業遺産の一部が、三分一博志のリノヴェーションによって見事に甦った。そこに柳幸典のつくったアート作品も、巨大な煙突から入ってきた太陽の光が暗い迷宮を屈折して進むという設定の部分はスリリングだし、煙突の下に三島由紀夫が1937年から50年まで住んだ松濤の家(後に三島自身の建てたキッチュな洋館ではない)が分解して展示されているのも悪くないとして、そのあとヴィデオ・インスタレーションで「などてすめろぎは人となりたまいしや」という三島由紀夫の言葉が血文字のように流れ落ちるあたりでどうにも堪えがたいものとなる。ナショナリズムへの批判—少なくともアイロニーをこめて日の丸なら日の丸を扱ってきたアーティストが、保つべき距離を失い、安っぽいナショナリズムのコピーに堕してしまったのではないか。2008年のオープン時に書きつけたこの感想は、いまも強まるばかりだ。

その後、犬島では、古い集落の家を妹島和世が別の角度から作り直す「家プロジェクト」が始まり、2010年から公開された。たとえば、山神社の傍らに立つ「F邸」は、一見、普通の木造家屋なのだが、よく見ると、高い巨大な屋根を細い柱だけでどうやって支えているのか、不思議に思えてくるだろう。実は、この家の両端には、一方は平面、他方は曲面の壁で囲まれた小さな庭があり、これらの壁が家を両方からがっちりグリップすることで、それだけではもたないはずの構造をもたせているのだ。この例のように、犬島の「家」プロジェクトは、地味に見えて、実は非常に興味深い、妹島和世ならではの佳作揃いと言える。

さて、2010年の段階では3軒の家のすべてに柳幸典の作品が設置された。たとえば「F邸」に設置されたのは、ネオンの日の丸(半分が実物で、あとの半分が水の反映)だ。それ自体は、直島のベネッセハウス・ミュージアムにある、ウルトラマンの人形を並べ、鏡の反映とあわせて大きな日の丸をつくる作品の延長で、半ばアイロニカルなパロディと見ることも十分に可能だ。しかし、製錬所跡の三島由紀夫の血文字もどきを見てしまうと、この日の丸も過度にイデオロギー的なものと見えてしまうのは避けがたいだろう。

今回、新たな「家」が加わるとともに、アート作品が入れ替わることになった。「F邸」を担当したのは名和晃平である。その作品は、彼の現在の到達点を示すものであるとともに、「F邸」そのものに新たな生命を与える傑作と言ってよい。まず、母屋の高い天井の下の空間は、白い発泡ウレタンが好き放題に膨れ上がった「SCUM」に満たされている。しかし、スポットライトに照らされた空隙部分には一種のアトラクタがあり、「SCUM」の一部がそれに引きつけられて新たな形態形成を開始し「MANIFOLD」へと変容しつつある。他方、両サイドにある、鏡面仕上げの壁に囲まれた小さな庭には、曲面の壁の方は白、平面の壁の方は多種多様な玉虫色の表面をもつ大小さまざまのオブジェが所狭しと並べられている。人物や動物もあれば、海綿を思わせる正体不明のオブジェもある。それらは3Dディジタル・モデリングによって精密に成形され、さまざまな質感や色彩で仕上げられてたものだ。そのひとつひとつが実に魅力的なのだが、多種多様な形態や質感や色彩の並列から読み取るべきは、アーティストが特定の形態や質感や色彩にこだわっているのではなく、「SCUM」や「MANIFOLD」の場合と同様、そうした形態や質感や色彩を生み出すマテリアルの変形過程こそを(言い換えれば、「TRANS」というカテゴリー名が示す通り、個々のフォームではなくトランスフォーメーションの過程こそを)主要な関心事にしている—新時代の素材や技術を駆使して、その過程を分析し、自然発生性を生かしながら部分的に制御しようとしている—ということである。そう、名和晃平はあらゆる意味でマテリアリストと言うにふさわしいアーティストなのだ。その到達点は、すでにさまざまな場所で示されている。たとえば、去年、韓国のアラリオ・ギャラリーと阪急うめだギャラリーで開催された(今年、東京のTraumarisにも巡回した)「TRANS」展では、多種多様な質感や色彩をもつこのシリーズのオブジェ群が披露されたし、6月に韓国で完成・披露される予定の巨大彫刻は「MANIFOLD」の可能性の限界に挑むものとなるだろう。しかし、犬島の「F邸」では、その両面が、十分なスケールと多様性を持ちながらも、コンパクトに凝縮されて示されているのだ。実を言うと、私は昨年5月13日に、妹島和世と名和晃平、そしてキュレーターの長谷川祐子が「F邸」で作品の計画を話し合う初期段階のミーティングに立ち会っているのだが、そのとき提案されていたのは今とはまったく違うプランだった。そこから二転三転したあげく、それ自体としてきわめて質の高い、また建築の可能性を最大限に生かした作品が出来上がったことを、驚きと喜びをもって歓迎したいと思う。

さて、そこから少し歩くと、透明な湾曲した廻廊のようなパヴィリオン(「S邸」)、そして、全体で円形を成すパヴィリオン(今回新たに完成した「A邸」)が現れる。そこには荒神明香の作品が設置された。レンズになった透明シートを使う前者の作品は、それ自体は面白いのだが、パヴィリオンがあまり見晴らしのよくない場所にあるので、レンズが十分に効果を発揮していない憾みがある。色紙を二つに折って切り、また広げたような後者の作品は、カラフルできれいではあるものの、スケールを考えるとやや単調で、たとえばロールシャッハ・テストに使う図形のようなインパクトを持たせる部分もあってよかったのではないかと思う。

その先の道端には、やはり妹島和世による「中の谷東屋」という休憩所があり、金属の屋根が音を反響するところが面白い。この休憩所のみならず、島の各所にはSANAA(妹島和世+西沢立衛)のデザインしたラビット・チェアなどが二つずつ置かれている。SANAAの軽やかなデザインはいかにも都会的なものと思われているし、実際、都会にフィットするものではあるのだが、こうして小さな島の道沿いに置かれていてもなかなかいい雰囲気を醸し出す、これは意外な発見と言うべきだろう。

さて、そこから坂を下っていくと、新たに完成した「C邸」が現れる。その中ではジュン・グエン=ハツシバが犬島に滞在して制作した映像作品が上映されていた。10人足らずの老人たちが船を見送るシーンで始まるのだが、おそらく犬島の老人ほぼ全員が出演したのではないか。その後、石の紋様から生物の形を浮かび上がらせるシークエンスは、いささか安易だろう。しかし、巨石が散らばる水辺の石切場跡で、ピッチャーが石を投げてバッターが金属バットで打つシーンは、きわめて印象的だし、その合間に挿入される島の各所の映像、そして強い風の音も、たいへん効果的だ。そして、上映が終わったあと、「C邸」から出た観客は、ボコボコになったバットが4本、壁にかけてあるのを目にする、というわけである。このヴェトナムのアーティストの作品では、葬送あるいは鎮魂の儀式だろうか、深い海底で若者たちがシクロを漕いでいく「ナ・トラン(ヴェトナム)のメモリアル・プロジェクト」(横浜トリエンナーレ2001委嘱作品)を忘れることができないが、今回の作品は、アド・ホックなコラージュである分、そこから来る軽みも魅力にしおおせていると言えるだろう。

さらに海に向かうと、「I邸」が現れる。ここに設置された前田征紀の作品は、小さなクリスタルの容器に入った水の波紋を光と音の波紋に変換するミニマルなサウンド・インスタレーションで、さほど高度なものとは思われないが、「家」そのもののミニマルな構造と見事に適合していた。そう、今回、私は、妹島和世の「家」たちのもつ構造的な美しさをあらためて認識させられた。それだけでも犬島を再訪した価値はあるだろう。

誤解を避けるために付け加えておけば、私は柳幸典の製錬所のアート作品について否定的な評価を述べたものの、彼の作品全般を否定するつもりはまったくない。砂絵の万国旗や紙幣をアリが掘り崩していく作品(直島のベネッセハウス・ミュージアムにある)などがすでに現代美術史の中に確固たる位置を占めていることは言うまでもないし、瀬戸内国際芸術祭だけではなく広島県で彼が進めているアート・ベース百島のプロジェクトなどにも注目していかなければならないと思っている。

 
豊島

行きのフェリーの乗継ぎの間に、永山祐子の設計で建築中の豊島横尾館を覗きに行った。はじめ「葬館」と呼ばれていたこのパヴィリオンの構想は、このブログの11月2日のエントリーで取り上げた東京での展覧会ですでに発表されていたが、建築現場を見ると、内壁にそって無数の瀧の絵葉書が絵葉書の瀧となって雪崩れ落ちるはずの塔は想像以上のスケールだし、庭を非現実的な風景に変える真っ赤なガラスがこれまた想像以上の効果を上げていて、完成・公開が今から楽しみだ。先のエントリーで触れたとおり、神戸にオープンした横尾忠則現代美術館は、アーカイヴとして機能するばかりか、数か月ごとに意欲的な企画展を開催して、目の離せない横尾芸術の本拠地となっているが、それに対し、豊島横尾館は、横尾忠則のヴィジョンを永山祐子のフィルターを通じて濃縮した前進基地のような位置を占めることになるだろう。

他方、帰りのフェリーの乗継ぎの間には、豊島美術館(西沢立衛+内藤礼)を再訪した。水の雫をイメージしたシェル構造のドームは、40×60mというスケールをもちながら、いちばん高いところでも4.5mと非常に低いので、巨大さを感じさせることなく、唐櫃港を望む美しい棚田の中に静かに身を潜めている。西沢立衛の傑作と言ってよい。その微妙な凹凸をもつ撥水性の床には100を超える穴があって、そこから出てくる小さな水の雫が床を走って水たまりをつくり、やがて別の穴に吸い込まれていく。ドームの二つの開口部には紐が揺れているし、よく注意すると天井から糸も下がっているのだが、それを除けば、これらの雫たちのひそやかなダンスがこの作品のすべてだ。しかし、それが信じられないほど魅力的なので、私だけではない、多くの観客が、それを眺めて長い長い時間を過ごすのだという。実のところ、私は、作者である内藤礼の旧作については、いかにも女性的な繊細さを評価する一方、直島の「きんざ」(「家プロジェクト」のひとつ)のように、観客が一人ずつ入って15分過ごすよう求められる、といった閉鎖性には批判的だった。豊島美術館にそういう閉鎖性はない。30人くらいは一緒に入ってもかまわないだろうし、大きな二つの開口部からは光や風や音とともに虫が飛び込んできたりもする。実は、雪の時がことのほか素晴らしいと聞いているのだが、それに立ち会うのは至難のこととして、三度目の訪問となる今回は、雨の後だったため、アーティストの計算した雫と外から降り込んできた雫が共存する様がたいへん印象的だった。21世紀の傑作と言ってよい豊島美術館を、私はこれからも折に触れて訪れることになるだろう。そのたびに、雫の形をしたこの器は、外の状況に敏感に反応しながら、さまざまな表情を見せてくれるに違いない。

せっかく豊島に来たのだから、ボルタンスキーの「心臓音のアーカイヴ」も再訪したいところだが、無理は禁物だということはそこで聴けるはずの私の危機的な心拍が物語っている—というか、バスの便数が少ないので、こうして豊島美術館まで来たこと自体、かなりの強行軍なのだ。今日はここまでにして、高松に帰り、ゆっくり休むことにしよう。

 
3月20日