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村上隆なら森美術館より横浜美術館で
浅田 彰

2016.01.29
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村上隆が日本では14年ぶりに「村上隆の五百羅漢図展」(森美術館)と題する大規模な新作展を開催、ついで「村上隆のスーパーフラット・コレクション」展(横浜美術館)も始まった。率直に言って森美術館の展覧会は規模が大きい割に期待外れ、むしろアーティストの膨大なコレクションをぶちまけた横浜美術館の展覧会の方が問題含みで面白い。だが、結論を急ぐ前に、世界で日本の現代美術を代表する存在となったこのアーティストについて改めてざっと振り返ってみよう。

村上隆の活動の基礎にあるのは、おおよそ次のような認識と戦略だ(彼の発言は時により場所によって変化するので、大ざっぱな要約でしかないことを断っておく)。

[1]世界に通用するアートは一つだけ、それは、欧米のアート・ワールド(欧米のアート・マーケットに支えられたもので、現在はそのグローバル化にともなってそれ自体グローバル化した)で評価される ものである。非欧米のアートはそこに組み込まれてはじめて世界に通用するものとなる。その現実に背を向けて、あるいはローカルな伝統芸術を継承し、あるいはローカルな場で欧米のアートを批判してみても、プロヴィンシャルな自己満足の域を超えられない。

[2]非欧米、たとえば日本は、グローバル化した欧米のアート・ワールドの中で周縁的な存在に過ぎず、周縁のアーティストが中心のアーティストと同じことをしても評価されない。周縁のアーティストは、グローバル・マーケットで商品価値を持つようなローカル・カラー(たとえば「日本色」)を売り物にするほかない。

私はこの認識は根本的に誤っていると思う。グローバル化した欧米のアート・ワールドといっても一枚岩ではないし、その外側にも多種多様なアート・ワールズがある。グローバル化したアート・マーケットで売れるようになってグローバル化したアート・ワールドに登録されることだけが成功の尺度ではないし、周縁のアーティストがそのためにローカル・カラーを売り物にしなければならないとは限らない(たとえば河原温や杉本博司は「日本色」を押し出すことなく世界的アーティストになった——後者が「日本的」なものへの関心を表に出したのはその後になってからだ)。

とはいえ、多種多様な文化/アート・ワールズが水平的に共存していると見る多文化主義(そんな単純なものがあったとして)はナイーヴに過ぎるので、それら多種多様な文化/アート・ワールズはグローバル資本主義/グローバル化したアート・マーケットのバザールに並んでいるに過ぎないというのは厳然たる事実である。日本のアーティスト村上隆がその中で苦闘を続け、見事に成功を収めてきたことは、誰も否定できないだろう。

とくに、初期の村上隆がいわゆるオタク文化の中で育まれたマンガやアニメやゲームのイメージをアート化することで世界に打って出た、これはきわめて巧妙な戦略だったし、現に大きな成功を収めた。彼が2005年にニューヨークで開いたオタク・アート展の「リトルボーイ」というタイトルには、この戦略の核心が表れている。言うまでもなく「リトルボーイ」とは広島に投下された原子爆弾(村上隆の「シーブリーズ」はすでにこのテーマを扱っていた)のニックネームである。それによって日本は去勢され、占領軍司令官マッカーサーの言葉によれば「12歳の子ども」——リトル・ボーイズ&ガールズになってしまったのだ。しかし、その後の日本はマンガやアニメやゲームのような子どもの文化を徹底的に洗練してきた。そして気が付いてみれば、世界的に幼児化が進むポストモダン時代にあって、アメリカをはじめ世界中の人々が日本の幼児的文化に夢中になっているではないか。そうであってみれば、そのような幼児的文化の前衛とも言えるオタク文化をアート化することによってグローバル化したアート・ワールドを席捲することも夢ではないはずだ…。この自虐的とも言える捨て身の戦略を成功させることによって、村上隆は実際に「世界に通用するアーティスト」となったのである。

そこで注目しておくべきは、村上隆が「スーパーフラット」と呼ぶ手法が対象とうまく合っていたということだ。「スーパーフラット」というのはたんに「極端な平面性」だけではなく「平面性を超えるような平面性」を意味する。村上隆によれば、辻惟雄が『奇想の系譜』で取り上げた日本の絵師たちの画面は、平面の中にあまりに過剰な要素が盛り込まれているため、視線があちこちに引っ張られ、あるいは盛り上がって見えたり、あるいは窪んで見えたり、挙句の果てには動き出してさえ見える。絵巻物がアニメにつながるという常識的な歴史観を退け、そういうスーパーフラット(超平面的)な平面に含まれていた潜在的な運動性を顕在化したところにこそアニメの可能性の中心があると考える村上隆の説は、文化史的に見て正しいかどうかはともかく、きわめて刺激的なものと言えるだろう。また実際、村上隆の画面は、きわめてフラットに仕上げられながら、たとえば(東浩紀の注目したように)マンガやアニメに不可欠な目のアイコンを異様に増殖させることによって、マンガやアニメで視線が二つの目をとらえたとたん顔のゲシュタルトを認知して安定してしまうのに対し、そのような安定を妨げ、画面のあちこちに視線をさまよわせて、それをスーパーフラット(超平面的)なものとして認知させるのに成功していた。そう、それはマンガやアニメやゲームを素材としながらも、特異な方法論によってそれらを別次元にもたらす試みだったのである。こうした村上隆の試みは、オタク文化の当事者たちからはオタク文化を利用=搾取するものとして嫌われることが多かったが、そのこと自体、村上隆の作品がアートとしてもつ特異性を裏側から証明するものだったと言ってもよい。付け加えて言えば、この時期に制作された一連のオブジェ——巨乳から白いミルクを迸らせる少女や、男根から白い精液を迸らせる少年、そして変形すると性器を先端に突き出した戦闘機となる美少女なども、そのスケールと徹底性においてオタク文化の閉じた共同体を突き破るものであり、一時代の象徴となりうるものだったと思う。(たしか小山登美夫のギャラリーで精液を迸らせる「My Lonesome Cowboy」を初めて見たとき、熱心なギャラリストは「見てください、これ、すごいんです、肛門までちゃんとついてるんですよ」と私にそれを見せようとした。悪趣味なゲームにそこまで付き合う気はなかったので、2008年に16億円近く[手数料込み]で落札されることになる「My Lonesome Cowboy」の肛門をチェックする貴重な機会を逃したことになるが、倒錯趣味の大コレクターたちに向けた対策も万全であることを確認して、その徹底性には感心したのを覚えている。)

それから14年以上たって、村上隆はどう変わったのか。基本的な認識と戦略は変わっていない。変わったとしたら、「日本的」なものとして取り上げる対象が、現代のオタク文化から古い美術、たとえば仏画に変わったということだろう——今回の「五百羅漢図展」に見られるように。マンガやアニメやゲームばかりを取り上げていてはアーティストとして成熟できないし、成熟したコレクターの需要にも応えられない、定評ある日本の古美術をスーパーフラット化することで、多種多様な作品を生み出し、幅広いコレクターの需要に応えよう、ということなのだろうか。この戦略は理論的には理解できなくもない。だが、そこにはいくつかの問題がある。まず、欧米において日本の古美術はつねに高く評価されてきたので、欧米が幼稚なものとして軽蔑する日本のオタク文化を逆手にとって逆襲に出たときのバネはもはや働かない。それでは、村上隆の方法が日本の古美術をうまくスーパーフラット化できているかというと、これまたとてもそうは言えない。マンガやアニメのイメージャリーはフラットな表現に合っていたし、村上隆はそれをスーパーフラット(超平面)化することによって元のマンガやアニメになかった表現を切り開き得ていたのだが、筆のストロークを重要な要素とする日本の古美術は記号化されたフラットな表現に合っておらず(合わないなら合わないなりに、抽象表現主義のダイナミックなブラッシュストロークをプラスティックのオブジェに固定化してみせたリキテンシュタインのような逆転の発想も可能だと思うのだが、ここにはそれもない)、肝心の「五百羅漢図」からして下手にマンガ化された出来損ないのキャラクターが並列されるだけのたんにフラットな画面に終わってしまった(それを「スーパーフラット」と言うなら、それはもはや「超平面的」という意味ではなく、「きわめて平面的」という意味でしかない)。「村上隆の五百羅漢図展」には引用源のひとつである狩野一信の「五百羅漢図」から二幅が出展されているが、どちらがスーパーフラットかといえば狩野一信の方であり、村上隆の方はたんにフラットと言わざるを得ないだろう。狩野一信の「五百羅漢図」が一挙に公開されたとき(私が見たのは2011年の東京の展覧会ではなく2013年の山口での展覧会だ;なお、所蔵先の増上寺宝物展示室では3月13日まで「狩野一信の五百羅漢図展」(後期)で20幅が展示中である)、私はそれを基本的に下手物と判断しながら半日かけても見飽きることがなかったのに対し、森美術館で披露された村上隆の全長100mに及ぶという「五百羅漢図」は5分で通り過ぎてしまった(ついでに行った Kaikai Kiki Gallery での個展[2015年11月21日に終了]は1分で見られた——この効率性こそグローバル化したアート・マーケットにふさわしいと言えばハンス=ウルリヒ・オブリストばりのシニシズムということになるだろうか)。それがコンセプトの平板な図解でしかないことが一目瞭然だからだ。強いて言えば、小さな白い髑髏を一面に敷き詰めた上に大きく〇を描いた円相図(たとえば2015年の「南無八幡大菩薩」「真っ白シロスケ」「君は空洞、僕も空洞」の三幅対)ならデザイン的にはきれいに仕上がっており日本の古美術のポストモダン・ヴァージョンといって通用するかもしれないが、後はいちいち見る価値もないというのが私の判断である。しかも、観客をさらにうんざりさせるのは、村上隆がいかに辻惟雄の課題に応えながら日本美術史と真剣に取り組んだか、その成果を作品化するにあたってスタジオのメンバー全員がいかに一丸となって頑張ったかが、わざわざヴィデオまで使って展示されていることだ。それを見せつけられれば見せつけられるほど、観客は「そこまで頑張ってこんなつまらないものしかできないのか」と思うだけだろう。そもそもスーパーフラット・アートがポップ・アートの流れを汲むものだとしたら、勉強や苦労など一切していないかのようにクールに振る舞うというアティテュードが不可欠ではなかったのか。

村上隆《五百羅漢図》展示風景:「村上隆の五百羅漢図展」 森美術館、東京、2015年
撮影:高山幸三/画像提供:森美術館、東京
©Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.


村上隆《五百羅漢図》(部分)2012年 個人蔵
©2012 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.


この「五百羅漢図」は2012年にカタールのドーハで披露されたものだが(そのあと加筆された完全版が今回世界初公開された)、カタールがスポンサーになったヴェルサイユ宮殿での毎年の現代アート展でも、2010年に村上隆がフィーチャーされた。私はこのイヴェントを毎年フォローしているわけではなく、村上隆の展示も写真でしか見たことがない。しかし、その限りで言えば、たとえば村上隆と2008-09年のジェフ・クーンズを比較してみたとき、ほとんど絶望的な違いを感じずにはいられないだろう。村上隆は例によって涙ぐましい努力で手の込んだ作品を並べて見せる。しかし、努力を見せたとたん、その努力はヴェルサイユ宮殿をつくった職人たちの努力に圧倒されてしまうほかはない(ヴェルサイユ宮殿そのものがキッチュの極みなのだから)。他方、ジェフ・クーンズはと言えば、巨大な風船犬のようなおなじみの作品を適当に並べて見せるだけ。実はあの作品にも高度な技術が凝らされているのだが、そんなことはおくびにも出さず、ヴェルサイユ宮殿もアート・ワールドもナメきった態度で「こんなしろものに大枚をはたくバカがいるからオレはそのカネでマネでも買うよ」と斜に構えてみせるのだ(→注1)。戦略というならこれくらい戦略的であるべきだろう。こういうときの村上隆の反応は予測がつく。「ジェフ・クーンズはアメリカのアーティストだからそういうアティテュードが許されるのであって、敗戦国日本のアーティストである自分はバカにされてもナメられても這いつくばって頑張り続けるしかないのだ」というわけだ。最初に言ったことを繰り返すが、私はこの基本認識が間違っていると思う。それはグローバル化した欧米のアート・ワールドの中で「日本のアーティスト」に課された宿命なのではなく、たんに村上隆個人が自ら選び取った運命であるに過ぎない。自縄自縛で悪戦苦闘するその姿を気の毒に思わないわけではないけれど、それはまさしく自業自得と言うほかないだろう。すでに誰もが認める世界的なアーティストになり、所期の目的を果たしたのだから、もう「世界」とか「日本」とかいう束縛から離れ、自縄自縛の戦略を捨てて、やりたいことをやりたいようにやればいいのではないか。

日本のアート・ワールドを詳しく観察しているわけではないので、私の目に触れていないだけかもしれないが、今回の村上隆展に対して批評と呼ぶに足るものはあまり出ていないように見える(→注2)。批判するのも面倒なのでパスしておくというのが大半の反応だろうか。若者たちにとっては村上隆は過去の有名人でしかなく、大規模な展覧会といってもわざわざ見に行こうとは思わないらしい。これは論争好きのアーティストにとって最も耐え難い状況だろう。実のところ、私自身、今回批評めいたものを書くことはないだろうと思っていた。5分で見た展覧会について一体何が書けるというのか。しかし、どんな批判より悪いのは黙殺であり、もしかするとそれに近いのではないかと思われる状況を見るにつけ、かつて村上隆から刺激を受けた私としては、それ以来最大規模の展覧会を黙殺すべきではないと考えるに至った。繰り返せば、14年前の村上隆の方がいまよりはるかに刺激的な存在だったと考える私は、いまの村上隆を評価することができない。しかし、彼がもはや批判に足る対象でさえないと断ずるのは性急に過ぎるのではないか。村上隆はいまも良かれ悪しかれきわめて刺激的な存在であり続けているのではないか。森美術館を出た段階では希望的観測に過ぎなかったこの問いに肯定的な答を与えてくれたのが、村上隆コレクションを展示する横浜美術館での破天荒な展覧会だったのである。

「巨匠がこうやって膨大なコレクションの一端を展示してくれるから、現代美術の市場規模がきわめて小さく、公立美術館もスズメの涙ほどの作品購入予算しかない日本で、刺激的な展覧会が見られる。ぼくのような貧乏人にとってはありがたいことですよ。」横浜美術館で村上隆に言った私のこの言葉は、皮肉でも何でもない、文字通りの意味である。

美術館のロビーに入った観客は、巨大なガラス・ケースに入ったアンゼルム・キーファーの《メルカバ》《(エルサレムの)神殿破壊》《セフィロト》(いずれも2010年)に圧倒されるだろう。飛行機の残骸、それを取り囲み、あるいははるか上方から瀧のように流れ落ちる膨大なフィルム、燃やされた本から生え育ったセフィロトの木。その価格は問わないとしても、普通なら三階までの吹き抜けでもないかぎり設置できないこの巨大な作品を保管しておけるコレクターは、そう多くはない。あるいはリ・ウーファンの新作《Dialogue-Excavation》(2014/16年)の部屋。巨大な筆のワン・ストロークで描かれたかに見える方形の絵は有名だが、ここではコンクリートの上に砂と小石を敷き詰めた床に三か所の方形の空白をつくり、その一か所に灰色、もう一か所に赤みがかった茶色でこの絵が描かれている。これまたフレームに入った作品を壁に掛けて終わりというわけにはいかないのだ。

アンゼルム・キーファー《メルカバ》 2010年 
(c) Anselm Kiefer. Courtesy Gagosian Gallery, Photo by Charles Duprat


しかし、こうした突出した作品を見られることだけがこの展覧会の魅力ではない。広大なロビーを見渡せばすぐわかるように、そこには一見ガラクタと見分けのつかないような作品も数多く並べられている。そして、2階に上がり、マウリツィオ・カテランの超小型エレヴェーター(キーファーの超大作とは対極的なこの作品を入口に持ってきたのは絶妙な配置だ)を眺めつつ展示室に入ると、縄文土器からオタク垂涎の BOME の美少女フィギュアまで、さらにはどこの何ともわからないガラクタの類が空間を埋め尽くしており、その随所に、あるいは曾我蕭白や白隠慧鶴、あるいはアンディ・ウォーホルやジュリアン・シュナーベルらのそれぞれに個性的な作品が並んでいるのだ。とくに、村上隆自身と同世代の中原浩大や奈良美智、あるいは少し年上の岡﨑乾二郎(「あかさかみつけ」などのレリーフ作品が3点)、中村一美、小林正人、はたまた大竹伸朗らの、それぞれの特長がよく出た作品が集められているのは面白い。そうかと思うと、東日本大震災の後に話題になった《ふくいちライブカメラを指差す》(2011年:竹内公太の作品だと思うが作者名は書かれていない)も欠けてはいない。あるいは、銀の画面に銀の蝶を散らしたダミアン・ハーストの《壮大なる夢》の近くに、村上福寿郎の《不思議な蝶》というオブジェが掛けてある、これはいったいどんな作家だろうと思ったら、アーティストの父親だというのだ。そう、このコレクションは、一定の美術史観に基づいて上から構成されたものではなく、市場価値だけを基準にフラットに並列されたものでもない。そこに含まれるのは、あくまで村上隆個人が身をもって現代美術史を生きる過程で強く惹かれたもの、気になったものだけなのであり、そういうものである限りにおいてそこではいつどこのものとも知れぬガラクタとキーファーの超大作とが並列される(逆に言えばキーファーの超大作もまたガラクタとしての本質を現す)のである。観衆の目を眩ませ価値観を揺さぶるこの極端な凹凸ゆえにそれを「スーパーフラット・コレクション」と呼ぶのは、おかしなことではないだろう。実のところ、村上隆はオープニング前日の深夜までコレクションを運び込み続けたらしく、作者名・作品名さえ明記されていないものも多い。自分ではとても整理できないので、展覧会を期に美術館の学芸員にカタログをつくらせようというのだろうか。むろんそれもオープニングには到底間に合わなかったのだが、このコレクションに関するかぎりは、整然とカタログ化されたアーティストたちの作品群というより、謎のガラクタの集積と見て、観衆が自分の勘だけを頼りに気になる作品を発見していくのがいいのかもしれない。

村上隆とスーパーフラット・コレクション
Photo: Kentaro Hirao


その意味で、村上隆コレクションは杉本博司コレクションと対極的と言えるだろう。売れない写真家だった頃はニューヨークで日本の骨董のディーラーとして生計を立てていたという杉本博司は、どこに何があってどうすれば入手できるかを知り尽くしており、自作が高額で売れるようになってから短期間で質・量ともに驚異的なコレクションを形成した。そこには、一見村上隆コレクションと同じように、古代の石器から果ては化石まで、はたまた戦争にまつわるメモラビリアからダッチ・ワイフまで、下手物と言われるようなものも含まれている。だが、それらも含めたすべては杉本博司のこだわる「時間」「終焉」「永遠」といったコンセプトによって統合されており、また、普段は見せる相手に応じて慎重に取り合わせて展示される。たとえば私が磯崎新を伴って杉本博司邸(正確にはそこで写真家が板前になりきって手料理を供する「味占郷」)を訪ねた際には、それぞれ凝りに凝って表装した堀口捨己と白井晟一の書が掛けてあり、他のすべての美術品や道具類もそれに合わせてあるといった具合だ。個々のオブジェの「いわれ」を一定の文脈に統合していくこうした手法は、とくに茶道が洗練してきたもてなしの文化であると同時に、骨董の価値をフレーム・アップする技術でもある(極端に言えば、どんなものでも、物理的に洗練されたフレーム[表具など]に収め、意味的に興味深い文脈にはめ込めば、「お宝」になるのだ)。そのことは、さまざまな客に合わせたそのつどの取り合わせを並べた最近の『趣味と芸術』展(千葉市美術館から4月に細見美術館に巡回予定)でも、はっきりと見て取ることができる(女性誌の連載をきっかけとしたものなので、必ずしも主人の意図を読み解く見識のある客ばかりとは限らないのだが)。きわめて洗練されたゲームである半面、嫌味といえばこれほど嫌味なスノビスムもない。そういうスノビッシュなゲームを馬鹿にしながらもまことしやかに演じてのけるのが杉本博司一流の悪意なのである(むろんそこでは私も共犯者になっていることを認めておかねばならない)。

良かれ悪しかれそういう洗練と悪意から限りなく遠いところにいるのが村上隆だ。繰り返せば、その支離滅裂なコレクションは、村上隆が身をもって現代美術史を生きる過程で偶然アンテナに引っかかったものの集積であり、そこには世間体などかまわず試行錯誤を繰り返すアーティストの正直な姿がそのまま表れている。逆に、世間で評判のいいものを買ってしまうスノッブとしての側面もあるが、彼はそんな側面を隠さないのであり、自分がスノッブであることを隠そうとするのがスノッブだとすれば、彼はスノッブではないのである。ある意味でそれは「野蛮人」のコレクションであり、「趣味人」の目にはそこにある掛軸も器も宝の持ち腐れと見えるかもしれない。だが、そこにこそこのコレクションの面白さがある。また、だからこそ、それは茶人であれオタクであれいかなる趣味の持ち主にも開かれており、ぶらっと骨董屋に入るように美術館を訪れた観客は、膨大なガラクタの山の中から自分だけの掘り出し物を見つけることができるかもしれないのだ。村上隆のファンでなくとも、騙されたと思って、いちど横浜美術館を訪ねてみるとよい。そこには必ずや観客ひとりひとりにとっての驚きが待ち構えているはずだ。(ついでに言うと、横浜美術館自体のコレクション展も「村上隆のスーパーフラット・コレクション」展に引っ張られていつもと少し違う相貌を見せている。そこにはリキテンシュタインの《ブラッシュストローク(「筆触」という邦題は「タッチ」と混同されやすく適切ではない)》[残念ながらシルクスクリーン作品だが]もあるし、村上隆コレクションのマイク&ダグ・スターン作品よりはるかに本格的なスターン・ツインズの《石棺(凸面、平面、凹面)》[1990-93年]も久しぶりに展示されている。せっかくの機会だから見落とさないようにしたい。)

さて、森美術館と横浜美術館の二つの展覧会を見た人の目に、どのような村上隆像が見えてくるだろうか。私は「五百羅漢図」を典型とする村上隆の近年の作品を評価しないと言った。しかし、おそらくはそういう作品を売った収入も惜しげなく注ぎ込んで破天荒なコレクションを形成し公衆に公開する村上隆の生き方を面白いと思い、このような同時代人の存在から刺激を受けられることを幸運だと思う。私が100mに及ぶ「五百羅漢図」を5分もかけずに見たというのを読んで「村上隆ももう終わりか」と思うのは性急に過ぎる。少なくとも私にとって、村上隆は今も昔もきわめて遠いところにいながらなぜか気になる存在であり続けているのだ。

 
 
(付記)
「村上隆の五百羅漢図展」に際して森美術館で映画《めめめのくらげ》(2013年)が再映された。これは実写の子供たちとコンピュータ・グラフィックスのモンスター(ふれんど)たちを合わせた子供向けの映画で、普通に配給されていたならそれなりに人気が出たかもしれないと思うが、アート作品と思われたためかごくわずかな映画館で上映されるにとどまった。私はお台場のシネマメディアージュまで行って観たのだが、広いホールに私を含めて3〜4組しか観客がいなかったのを覚えている。映画自体は、アマチュア的なところもあるとはいえ、子どもたちの個性的な表情が生き生きととらえられており、CGのモンスターたちもそれぞれ魅力的で、決して悪くはなかった。続篇も予定されていたはずの映画のプロジェクトがいまどうなっているのか詳しいことは知らないが、それが今後も展開されてゆくなら、絵画作品や立体作品、そしてコレクションとはまた別に、批評対象として取り上げる必要があるだろう。

(注1)
2010年に開かれた三菱一号館美術館開館記念展「マネとモダン・パリ」にもジェフ・クーンズの所蔵する《4個のリンゴ》(1882年)が出展されていた。(1882年は、パリ・コミューンで指導的役割を果たしたため亡命先のスイスで1877年に亡くなったクールベの死後初めての回顧展がパリ美術学校で開催された年であり、このレアリストと共通する画題からしても《4個のリンゴ》をクールベへのオマージュと見ることができるのではないか、という石谷治寛の指摘はたいへん興味深い。)
なお、1月18日に岡﨑乾二郎が京都造形芸術大学大学院を訪れ、20世紀における時空とその表象の変容を第一次世界大戦に遡って広く深くサーヴェイしたあげく第二次世界大戦中の藤田嗣治の戦争画に説き及ぶきわめて内容豊富な講義を行ったが、そこでもイギリス海軍のためにヴォーティシズムの画家が開発したダズル迷彩(dazzle camouflage)に触れたところで最近ジェフ・クーンズが豪華ヨットのデザインにそれを引用していることが指摘され、このアーティストの端倪すべからざる文化史的教養が評価された。

(注2)
『美術手帖』2016年1月号の村上隆特集は、エディター役の橋本麻里が近年の日本(および東アジア)美術史研究の成果を手際よくまとめたもので、目新しい論点はないにせよ初心者向けの入門書としては悪くない。しかし、肝心の村上隆に関しては、そこで強調されたいくつかのポイントを彼が意識的に実践している(たとえば狩野派の集団制作を Kaikai Kiki でやるというふうに)ことが指摘されるだけで、それがすぐれた作品を生んでいるかどうかに関する批評的判断がほとんど読み取れないのだ。つまり、それは村上隆特集ではなく、村上隆を考える「予習」としての日本美術史特集であるに過ぎない。

 
 
「村上隆の五百羅漢図展」
 森美術館 2015年10月31日-2016年3月6日

「村上隆のスーパーフラット・コレクション ―蕭白、魯山人からキーファーまで―」
 横浜美術館 2016年1月30日-4月3日