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先制第一撃批判――新芸術校成果展講評の余白に
浅田 彰

2016.02.27
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2016年2月26日に開催された「ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校」の第一期成果展「先制第一撃」の講評会に審査員として参加したのだが(他の審査員は岩渕貞哉と夏野剛、そして主任講師の黒瀬陽平とゲンロン主催者の東浩紀)、講評会という性格と時間の制約のため複雑な問題もかなり乱暴な形で語るほかなかった。講評会は公開され、ニコニコ動画でも中継されたので、誤解の余地を少なくしておいたほうがいいと考え、以下に私の発言の一部に補足を加えたものをあらためて公開する。

「先制第一撃」展 チラシ


新芸術校の主任講師である黒瀬陽平さんは、どこかで授業を聞いて、ぼくは良い教師ではないと判断したらしい。それで、ぼくは新芸術校の授業に呼ばれたことがない。「そもそも良い教師・良い学校などという幻想を抱くべきではなく、すべての教師は反面教師でありすべての学校は廃墟であると考えるべきだ」という持論のせいかもしれませんが、確かにぼくは人にものを教える資格があるという幻想を抱いたことがないので、黒瀬さんの判断に異議を唱えるつもりは毛頭ありません。年度末の成果発表展の審査員として講評会に呼んでもらったことを名誉に思うばかりです。

先ほどからゲンロンカフェと五反田アトリエ、そしてトラックを使ったもうひとつの会場を回って、23点の作品を見、作者の話を聞いてきました。総じて、みなさんの強い意欲に感銘を受けましたし、作品も力作が多かったと思います。ただ、先ほどの持論からすると、主任講師の黒瀬陽平さんがカオス*ラウンジの中心メンバーである以上、受講生はカオス*ラウンジのスタイルの対極を目指すべきなのに、とくにゲンロンカフェ会場は全体として学園祭を思わせる混沌とした展示――まさしくカオス*ラウンジ的な展示になっていることに、根本的な違和感も感じました。

それに輪をかけたのが、参加者の一人である弓指寛治さんの母親が2015年10月に自殺し、それが他の受講生にも大きな波紋を投げかけたといういきさつです。母親の死をきっかけに一度は捨てたはずの絵筆をとって描かれた弓指さんの大作《挽歌》や、弓指さんのために和田唯奈さんの描いた《母の恋》、そして、受講生が一年間につくってきた作品群を破壊することで「成仏」させようとするかのような ALI-KA さんのインスタレーション《御神座 Go-Shin-Za》は、その大波をもろに受け止めて制作され、それらがゲンロンカフェ会場を支配する結果となっていました。自殺が残された者に大きな衝撃を与えるのは当然でしょうが、それが直接アートに反映されるべきかどうかは疑問の余地があるし、さらに、受講生の擬似共同体がその衝撃を共有するというのはあまり健康なこととは思えません――いかにもソーシャル・ネットワーク時代を象徴する現象だとは言えるかもしれませんが。(ちなみに、ソサエティ[社会]というのがコミュニティ[共同体]からはみ出した「他人」の集まりだとすれば、いま述べた現象はソーシャルというよりむしろコミューナルというべきでしょう。「擬似共同体」という言葉を使ったのはそういう意味です。言うまでもなく、モダンな社会からポストモダンな擬似共同体への回帰は、ぼくが「Realkyoto 」での黒瀬陽平さんとの意見交換の[第1ラウンド]2で「ポストモダニズム右派」と呼んで批判した流れの一環です。)もちろん、相対的に優れた作品を評価するのが審査員の役割ですから、ぼくはいま挙げた3つの作品(力作であるには違いない)をそれなりに評価し、5人の審査員の投票により弓指さんの作品がグラン・プリに選ばれたのも順当な結果だと判断しましたが、ぼく自身の考えるアートはそれらとはまったく違ったものだということも言っておきたいと思います。

弓指寛治《挽歌》(撮影:ゲンロン)


和田唯奈《母の恋》(撮影:河野有実)


ALI-KA《御神座 Go-Shin-Za》(撮影:河野有実)


歴史的に考えれば、地震のような災害が珍しくないように、死も――自殺さえも珍しくはありません。むろん、災害が被災者に大きな衝撃を与えるように、自殺も残された家族や知人に大きな衝撃を与えるでしょう。多くの死者を出した災害の場合、自分が生き残ったこと自体を死者に申し訳なく思う人――いわゆる「サヴァイヴァーズ・ギルト」を感ずる人が少なくない。まして自殺の場合、自殺者は生前周囲の人たちに「助けてほしい」というシグナルを発していたことが多いだけに、「それを受け止めて助けてやることができなかった」という罪責感が残された人たちを襲うのです。

こうした苦しみを和らげる役割は、かつて宗教が担ってきた。そして、マルクスの言うように宗教が「民衆の阿片」だとすれば、アートも一種の代替宗教として合成麻薬のような役割を演ずる場合があった。むろん、耐え難い痛みに苦しむ人が、一時的に阿片や合成麻薬を求めるとしても、それを非難することはできない。しかし、それがあくまで阿片であり合成麻薬であることを否定することもできないのです。マルクスの宗教批判の真意は、「民衆の阿片」を一方的に非難するのではなく、それを必要とする痛みを生み出す現実的な条件を変革しなければならないということでした(柄谷行人が『トランスクリティーク』で言うように、そもそも「批判[クリティーク]」というのはたんなる非難ではなく「批評=吟味」です)。ぼくはそれはいまでも原理的に正しいと思うので、そのような意味での宗教への批判、ましてや擬似宗教としてのアートへの批判の手を緩めるつもりはまったくありません。逆に言えば、「救い」や「癒し」のためにつくられたと称する安っぽい歌の類より、宗教音楽においてすらむしろ客観的なフォーマリズムを厳格に貫いたJ.S.バッハの作品こそが、多くの人々に深い「救い」と「癒し」をもたらしてきたという逆説に、真のアートのあり方を垣間見ることができるのではないでしょうか。

ついでに言えば、ぼくは昔から一貫して自殺の権利を擁護してきました。自殺は残された者に耐え難い苦しみを与えると言いますが、そんなことを気にしていられないほどの苦しみの中にある人が、その苦しみを現実的に解消する手段として自殺を選んだとしても、誰もそれを非難することはできないでしょう。とくに、医療が発達し、終末期に苦痛の多い延命を強いられるケースが増えてきた今日、(「安楽死」や「尊厳死」という婉曲語法は嫌いなのであえてはっきり言えば)自殺と自殺幇助の合法化は喫緊の課題だと思います(悪用されない形で法律化することは技術的にきわめて難しいだろうとも思いますが)。むしろ、じりじりと追いつめられて最後に首吊りや飛び降りに至るより、いざとなれば誰でも手軽に利用できる自殺幇助システムがあって楽に死ねると思えれば居直って生きることもずっと容易になるのではないでしょうか。

そのような自殺も含め、死はたんなる出来事であって、そこには悩むべき謎などありません。自らも呼吸器病の苦しみを逃れて窓から身を投げたジル・ドゥルーズが言ったように、雨が降るように人が死ぬだけのことです。死によって、その人とその人の世界はたんに消滅します。来世などというものはありません。ただし、生き残った人々にとって、死者の痕跡と記憶は――より強く言って死者のゴーストは、自分たちの世界の中に存在し続け、場合によって大きな影響を与えます。たしかラカン派の新宮一成さんもそういう言い方をされていたと記憶しますが、その意味で(その意味においてのみ)「私にとっての来世とは私の死後の現世である」と考えてみてもいいでしょう。私が死によって消滅しても、私のゴーストはそのような意味での来世に残ります。言い換えれば、私の生きるこの現世も、すでに死んだ人々の来世の重ね合わせであり、そこには無数のゴーストがひしめいています。しかし、繰り返して言えば、そこには悩むべき謎などありません。

こうした意味において、生きるとは無数の死の後にサヴァイヴする(生き残る)ことです――未来の無数の生の前に生き、死後もゴーストとしてサヴァイヴすることであると同時に。死を生の絶対的な否定としてとらえ、その死の謎に答える特権的なメディウム(媒体=霊媒)として宗教や擬似宗教としてのアートを要請するのは間違っている。むしろ、アートとは生/死ではなくサヴァイヴァルにかかわるもの――端的な art of survival (サヴァイヴァルの技法)だと言ってもいいでしょう。

そうした観点からすると、この成果発表展の「先制第一撃」というタイトルが適切であるかどうか疑問が生じます(この言葉は、後のことを考えず自殺的なパフォーマンスとしてのテロに突っ走るロマンティックなアナーキストの「左翼小児病」にこそふさわしいでしょう→注1)。端的に言って、今回のケースでは弓指さんの母親の自殺が最大の「第一撃」なのであり、アートはそれに対するサヴァイヴァーのリアクション――誤解を恐れずにあえて言うなら「反撃」だと考えるべきでしょう。もちろん、ぼくは、東日本大震災をフレームアップし、日本全体がその波をかぶったかのごとく反応することに反対だったように、自殺という事件をフレームアップし、擬似共同体全体がその波をかぶったかのごとく反応することには批判的ですが、ひとりひとりの立場から見ても、誰もが何らかの「第一撃」(さらには多くの「第n撃」)の事後にサヴァイヴする存在である限りにおいて、同じことが言えるはずです。

ここでニーチェの言う能動/反動の差が重要になってきます。「第一撃」のトラウマに対する反動として、宗教や擬似宗教による「救い」や「癒し」が捏造されるなら、それはまさしく反動的なものでしかありません。むしろ、あくまで能動的なものとして、いわば「超人」による「超生(sur-vival)」を考えなければならないでしょう。ここで重要なのは、「超人」や「超生」を「生の哲学」の枠内に引き戻してとらえてはならないということです。現に、ニーチェ自身、ナチスを筆頭とする後の読者たちによって、そのような誤解の対象とされてしまった。「超人」というのは、トラウマの痛みをものともせず、したがって宗教や擬似宗教を必要としない究極の強者、余計な意識や良心など持たず鋼鉄の戦争機械と一体化して惑星を蹂躙する金髪の野獣であるかのようにとらえられてしまったわけです。しかし、だとすれば、それはsuperhumanな「超人」ではなく、subhumanな「未人」としての野獣でしかないでしょう。ニーチェのいう「強者」というのは、むしろその対極です。このことについては、AIDS危機のときアヴィタル・ロネルが「ニーチェの抗体」という興味深いエッセーを書いており、ぼくもそれに触発されて『天使が通る』(島田雅彦との対談集;新潮社刊)のニーチェの章でいろいろ考えてみたので、詳しくはそれに譲るとして、あえて単純化して誇張するなら、ニーチェの言う「強者」というのはAIDS患者のようなものだと言えるでしょう。免疫系による「非自己」の排除によって確立された「自己」は、「非自己」(病原体など)による感染がおこると発熱や膿といった反動的な症状を呈し(スーザン・ソンタグが『隠喩としての病い』で指摘したように、結核という病いからインスピレーションを得た一部のロマン派文学者の作品などはその好例です)、治癒の過程で「自己」を再強化する。ところが、ニーチェの「強者」は「非自己」に対して無防備に開かれており(「強い」者は防備など必要としないから)、度重なる感染や打撃を受けて実際にはボロボロになりながらも、反動的な症状を呈する(たとえばトラウマの傷跡からルサンチマンの膿を分泌する)どころか、過去の傷はけろっと忘却して未来に向かっていこうとする。その意味でニーチェの「強者」というのは実際にはきわめて弱く、したがって「強者を弱者から守らなければならない」のです(ナショナリストをみればすぐわかるように、「弱者」はトラウマやルサンチマンを共有することで巨大な「畜群」を形成し、おそるべき暴力を振るいますから)。「超人」というのがそのような「強者」の究極のフィギュアだとすれば、その「超生」も、金髪の野獣のあくなき前進などとは程遠く、むしろAIDS患者のそれのような辛うじてのサヴァイヴァルととらえるべきでしょう(むろんこれは隠喩的な表現に過ぎず、薬物療法の進歩によってAIDSはいまやおそるべき死病ではなくなったので誤解と偏見は避けねばなりませんが)。先にアートとは art of survival だと述べた、それもまたそのような文脈での表現です。そう、あくまで一例ではありますが、「超人」とその art of survival とは、たとえばAIDSで死んだキース・へリングと、最後まで一見白痴的とも見える明るさと軽さを貫いた彼のグラフィティのようなものなのではないでしょうか。
寄り道は短くしたかったのですが、本来単純な問題でありながらそのまわりを誤解の渦が十重二十重に取り巻いているので、最小限のことを言うだけも長くなってしまいました。要は、震災なり自殺なりの第一撃を受けて制作された作品のひとつひとつが、「人間的な、あまりに人間的な」反動的症状としての宗教・擬似宗教に回帰しているか、あるいは「超人」的なサヴァイヴァルへと突き抜けているか、それを仔細に見極めていくことでしょう。先に触れた3つの作品に関するかぎり、擬似宗教的な「救い」と「癒し」への傾斜が目立ち、ぼくが総じてネガティヴな印象を受けたことは否定できません。しかし、その中にはいま述べた意味で「超人」的な要素もそこここに散見された。そのことを踏まえて、審査員として一定の評価を与えた次第です。

本当は、こうした事件とはまったく無縁で、しかもそれらを超える力をもった作品があれば良かったのですが、残念ながらその希望は叶えられませんでした。ただ、原発震災後に登山ガイドの地図から名前の消えた福島県の七つの山を、いわば山のネガである水の渦によって表し、その下に現地で採取した花崗岩(古く白亜紀に由来するもので、海側の新しい堆積層との断層を示唆する)を配した鈴木薫さんの《七つ森》は、きれいに割り切れすぎているところがアート作品としては逆に物足りなく感じられもするにせよ、アーティスティックな側面とジャーナリスティックな側面をうまく融合させた作品であるとは言えるので、個人的にはいちばん高い評価を与えることにしました。また、五反田アトリエ会場の作品では、古代より日本の境界に位置してきた五島列島をテーマとする永尾雄大さんのインスタレーション《Transposing a place》に興味を惹かれましたが、せっかく興味深い場所を取り上げながらまだリサーチが十分ではなく、作品としても磨き上げられていないので、今後に期待すると言うにとどめることとします。ただ、福島にせよ五島列島にせよ、場所の記憶を掘り起こして作品につなげるというとき、井戸の底にユングの言う集合的無意識のような閉じた何かが発見されると考えるべきではなく、むしろ、そこに発見されるべきは意識を超えた広がりをもつ地下水脈のネットワークなのだと考えたほうがよい――そんなことを考えさせてくれる点で、たんに「場所」ではなくその「転位(transposition)」を主題化したこの作品には大きな意味があったと思います。そう言えば、この作品では明示的に示されていませんが、五島列島には、キリスト教弾圧を逃れて潜伏し、明治になって禁教令が解かれてからもキリスト教と合流することなく固有の信仰を守り続けた「カクレキリシタン」もいる。彼らは「オラショ」と称する浄土宗の御詠歌のようなものを意味もわからずに口承で伝えてきたのだけれど、「オラショ」とはポルトガル語のoraçãoからラテン語の oratio に遡るもので、音楽史家・皆川達夫の調査によれば、生月島の「オラショ」のうちの3つの部分は、イベリア半島で16世紀に歌われていた聖歌(楽譜だけが古文書の中に残っている)に由来するというのです。彼の地では忘れ去られて久しい聖歌が、五島列島で歌詞の意味がわからなくなってからも(たとえば「gloriosa[栄光の]」が「ぐるりよざ」になってからも)永く歌い継がれてきた。これこそ transposition (またそれに伴う translation )を通じて生き延びる art of survival の一例ではないでしょうか。

鈴木薫《七つ森》(撮影:河野有実)


永尾雄大《Transposing a place》(撮影:ゲンロン)


最後に触れておけば、良かれ悪しかれ擬似共同体的な雰囲気に包みこまれたゲンロンカフェ会場から逃れ、トラックの荷台の中に独立した展示空間をつくってみせたY戊个堂(あぼかどう)さんの《GPの咆哮》も、逃走と彷徨という一点においては特筆すべき試みだったと思います。ただ、「GP」とは「Y戊个堂が6年間ネット配信を通じて発してきたメッセージに呼応して集まった者たち」のことであるらしく、展示を見ても擬似共同体から逃走したところにいっそうエクセントリックな擬似共同体(個人崇拝セクト?)ができてしまっているかに見える。それをソーシャル・ネットワーク時代の擬似共同体のパロディを通じた批判だとまで評価するのは過剰解釈でしょう。

Y戊个堂《GPの咆哮》(撮影:ゲンロン)


このように、個々の作品についてはいろいろと批判がある半面、少なくとも批判するに足る力作が多かったという点では、新芸術校の第一期成果展「先制第一撃」はぼくにとっても興味深いものでした。この擬似共同体が散開し、個々の受講者が未来に向かってバラバラな「逃走の線」を引いていくように、また予告されている第二期の成果展が第一期とはまた違った驚きをもたらしてくれるように、強く期待します。

それにしても、受講生の家族の自殺にこだわりすぎてはいけないと言いながら、ぼく自身がそのことについて長々と語ってしまった、それはここに来る前に電車の中でローリー・アンダーソンの《HEART OF A DOG》(Nonesuch)を聴いていたせいかもしれません。実のところ、これは映画のサウンド・トラックとしてリリースされたアルバムですが、そこではストーリーが彼女ならではのクールな英語で語られるので、ぼくとしては映画を観なくともそれだけで十分と感じられる――こう言うと彼女に怒られるかもしれませんが。9.11同時多発テロ以後の監視社会の中で犬と暮らし死別するまでをSF的な寓話として語るこのストーリーには、夫ルー・リードと死別してからのローリー・アンダーソンの思考や感情が素直に盛り込まれています。たとえばゴードン・マッタ=クラークに関するエピソード(→注2)。家を真っ二つに切断するゴードンの作品について、批評家たちは難解な解釈を披露するけれど、ゴードンの両親が離婚したこと、そして双子の兄弟がゴードンの部屋の窓から飛び降りて自殺したことについては語らない…… このローリーの言葉は、ぼくには逆にアートを個人の生に引き付けすぎたものと思われますが、彼女が彼の親しい友人だったことを思えばごく自然な言葉であるとも思われます。そこから話は彼の早すぎた死へと移ります。病いを得た彼は、多くの友人たちと語り合いながら死ぬ道を選んだ。死の床の両側に立ったチベット仏教のラマ僧は、彼が息を引き取ったとき、「ゴードン、君は死んだ、君は死んだ」と大声で言い聞かせ続けた――魂が間違って現世に戻ろうとしてはいけないから。それにもかかわらず、ローリーは少し後にゴードンの幽霊を見る。そして、「『ラヴ・ストーリーはみなゴースト・ストーリーだ』とデイヴィッド・フォスター・ウォレスは言った」という言葉でこのエピソードが締めくくられます。繰り返せば、一般的に言うといささかスノビッシュに響くかもしれない、しかし、ローリーが語れば友人たちのことをごく素直に語っているとも感じられるパッセージです。いまこの講評会で語ったことからすれば、ぼくはローリーの作品にも批判的であるべきで、ローリーならではのクールな語り口の魅力をベースとするエンターテインメントとしての完成度だけを理由にそれを許容するのは甘すぎるかもしれない。そんなことを自らに問いながら、いまいちど《HEART OF A DOG》を聴きつつ帰路につきたいと思います。

作品審査の様子(撮影:ゲンロン)


 
 
注1 国際政治の水準で見ても、「先制第一撃」というのは現在の北朝鮮のような国家が壊滅覚悟で敢行する最後の「蜂の一刺し」でしかありません(むろん北朝鮮も本気でそんなことをするつもりはなく、ブラフに過ぎないのは明らかですが)。むしろ重要なのは反撃です。敵の第一撃をサヴァイヴした残存戦力による反撃によってなお敵に耐え難い損害を与え得る――このことが相互に成り立つ状況が核抑止の核心である「相互確証破壊[Mutual Assured Destruction、略してMAD]であり、それを現実的に担保する重要な柱が、互いに防御を断念するABM条約(Anti-Ballistic Missile=弾道弾迎撃ミサイルを制限する条約)でした。ABMは完璧な傘ではなく破れ傘でしかありえない。破れ傘は、敵のフル・スケールの先制第一撃は防ぎきれないものの、こちらの先制第一撃をサヴァイヴした敵の反撃ならかなりよく防げるだろうから、破れ傘を持つと先制第一撃へのインセンティヴが生じ、敵もそれを察知するから敵にも先制第一撃へのインセンティヴが生ずる。結果としてお互いの破滅の危険性を高めるだけだから、破れ傘を持つのはやめ、お互いの喉元に槍を突きつけ合った状態でいるほうが安定的だ。これが文字通りMADなその論理です。ここまで見れば、自己防衛と世界平和というポジティヴな目的を断念し、敵味方双方の壊滅というネガティヴな目的を目前にしながら絶えず繰り延べていくことで安定性を保つという核抑止の論理が、恐慌というネガティヴな目的を絶えず繰り延べていくことで自転車操業を続ける近代資本主義の論理と相即的であることがわかるでしょう。実のところ、こうしたモダンな冷戦の論理を掘り崩し始めたのは、ABMをさらに全面化したSDI(Strategic Defense Initiative=戦略防衛構想;俗に「スター・ウォーズ」構想とも言われた)によって「核兵器を時代遅れにする」ことを目指したアメリカのレーガン政権であり、それが結果としてもたらしたポストモダンなポスト冷戦世界がむしろ戦略的にきわめて不安定なものになったのも不思議ではありません。そこでも超大国間の対称的関係においては核抑止の論理が一応維持されている半面、本当は戦争とは言いがたい「対テロ戦争」などの「非対称戦争」においては、「予防的先制反撃(preemptive counterstrike)」というおそるべき婉曲語法(それは「先制攻撃」以外の何ものでもない)のもとで、一方的に「テロリスト」と認定した「敵」を宣戦布告も司法手続きもなしに他国の領土でドローンなどによって殺害するといった無法行為が横行している。モダンな冷戦の時代に凍結されていた「先制第一撃」が、ポストモダンな装いのもとに復活してきたのだとも言えるでしょう。隠喩としてではあれ「先制第一撃」を語るのであれば、そのような世界の状況を踏まえておく必要があるだろうと思います。
 
注2 ローリー・アンダーソンやゴードン・マッタ=クラークらの属していたアート・シーンのサーヴェイとして、さしあたり Lydia Yee et al.,”Laurie Anderson, Trisha Brown, Gordon Matta-Clark: Pioneers of the Downtown Scene, New York 1970s” (Prestel, 2011)を挙げておきます。