2017年1月、チリにて
神里 雄大
2017.01.15
いまはチリのサンティアゴに来ている。毎年1月に開かれるサンティアゴ・ア・ミルという大きな舞台芸術祭の作品群を見るためである。
チリは南米の先進国とも言うべきところで、治安も南米ではかなりいいと言われていて、実際に首都のサンティアゴでそう感じる。街にはスペイン語と合わせて英語表記を頻繁に見かけ、地下鉄も機能的でそこまで揺れない。
そんなところで安心して演劇を見ているのだけれども、不思議なことにブエノスアイレスが恋しいという気分になっている。
特になにがあるわけではない。演劇のレベルは計りようがないが、夜道には不安を感じるし、スーパーのツナ缶は高くて手が出ないし、3ヶ月弱の滞在でなにか特別なことがあったようにも思っていない。単純に住めば都というのを実感している。
ぼくのブエノスでの生活は……とるにたらないものである。つまりごく普通の生活を送っている。
起きて料理をし、たりない食材があれば近所の中華系のスーパーに買いに行き、クレジットカードが使えないと言われ不機嫌になり(ATMの現金引出手数料は信じられないほどに高い)、夜に劇場に行って演劇やダンスを見て、関係者と知り合いになって飲んで、24時間運行のバスに乗って帰ってくる、というのがノーマルなぼくの生活だ。
そろそろグーグルマップを見る頻度も下がってきて、なんとなく出歩く。終日演劇のこと、それからこの滞在のことについて考えるわけもない。だってぼくは生活をしているのだ。
それより最近ぼくが会ったひとのことを書こうと思う。彼はブエノスアイレスで俳優をやっている唯一無二と言っていい日本人で、このまえ知り合って一緒に飲んだのだった。ぼくの視点がたぶんに入っていることを承知のうえで彼の言ったことを書こう。
やっぱりここで俳優をやるということは、つねに需要について考えさせられるんですよね。といっても日本で俳優をやっていたわけではないので、日本の俳優のことはあまりよくわからないんだけど。ぼくは主に映画とかテレビとか、映像関係の仕事が多いんだけれども、振られる役というのは彼らが求める日本人像なわけです。ヤクザとか。監督や脚本家が書いたスペイン語のセリフを自分で日本語にして、それを演じるわけなんだけど、自分の知ってる日本人像と彼らが求める日本人像にはとうぜん差があって、それにいつも悩んでる。ぼくが、こういう日本人は日常にはいないよ、と言って、もっとぼくの考える日本人像によせようとすると、それを彼らは望んでいないわけです。だからそのことを無視して自分の主張を押し通してしまうと彼らの需要を満たすことにならない。つまり仕事がなくなってしまう。かといって、ある意味ぼくのやっていることは日本人代表とも言っていいと思うのだけど、このような(彼らにとっての)ステレオタイプな日本人を演ずることに倫理的な問題を感じずにはいられない。本当はもっといろんなタイプの役をやってみたいし、ヤクザだけじゃなくて。でもいまのところ、ここでは日本人というかアジア人が物語のメインキャラクターになるような人種のるつぼな社会では(まだ)ないから、仕事を得るためにはそういうサブキャラクターに甘んじなければいけない。
日本で俳優をやる気はないですよ。ここで俳優として食べていくのはたいへんなことだけど、仕事をくれるような関係や蓄積はつくってきたし、こうやってこの地で日本人俳優としてやっていく、ということは意味があることだと思っているから。あと、たとえばここで知り合う特にお年寄りの話っておもしろい話がたくさんあって、本当にそんなことあったのかよ、っていうエピソードとかたくさん聞くんです。誰に聞いてもそういう話がいくつか出てくる。そういう話を誰かが次の世代に残していかないと消えていくのみだなって思っていて。もしかしたら俳優という職業はそういうことを伝えていく、残していくということができるのかもしれないと思っています。もちろん俳優というのはいつでも受け身で、というのは、けっきょく誰かが書いたこと、作った役をもらうしかないわけだから。こういうことやりたい!っていうのがあっても、そういうことが監督や脚本家によって操作されなければ存在できないですよね。だからいずれは自分でスペイン語で脚本を書くっていうこともやっていきたいと思っているんです。