2017年フランス大統領選挙の後で
浅田 彰
2017.05.08
下記は、毎日新聞4月13日夕刊に掲載されたフランス大統領選挙についての特集記事(藤原章生記者)のための書面インタヴュー(紙面ではごく一部が使われたに過ぎない)に、その後の経過を踏まえて加筆修正を施したものである。紙面と比較すればわかるとおり、基本的な論旨は変わっていない。
フランスでは2002年、極右のジャン=マリー・ル・ペン国民戦線党首が左派のリオネル・ジョスパン首相らを抑えて、再選をめざす右派のジャック・シラク大統領と決選投票で対決するという大番狂わせがあり、やむなく左派もすべてシラクに投票して極右政権の出現を阻止しました。その娘のマリーヌ・ル・ペンは、あまりに過激だった父のイメージ(日本ならさしずめ赤尾敏のような)を払拭し、移民を脅威と感ずる庶民の生活保守主義に訴えて、国民戦線を「普通の政党」に近づけてきた。資本主義のグローバル化によって格差が拡大し国民経済が不安定化する中、大量の移民流入に直面したヨーロッパでは、各国で極右勢力が伸びており、今度こそ彼女が仏大統領選挙に勝利してもおかしくない状況でした。
問題はむしろ中道左派にあります。新自由主義のもと資本主義のグローバル化が進む中で、左派は押される一方だった。そこでトニー・ブレア英元首相(労働党)やビル・クリントン米元大統領(民主党)らは、旧来の左右の対立を超えると称する「第三の道」(アンソニー・ギデンス)を取った。たとえば資本の要請に応えて労働市場の流動性を高める、つまり規制緩和によって労働者を解雇しやすくすると同時に、失業保険や職業教育などの安全網を拡充する、といった方向です。また同時に経済的な「再分配(redistribution)」のみならず社会文化的(socio-cultural)な「承認(recognition)」を重視した。マイノリティをもまともな市民として認め、たとえばアフリカ系(黒人)でも女性でもリーダーになれる社会にする、というわけです。後者の成功は多文化主義社会を生み出し、バラク・オバマ(民主党)を米大統領に押し上げた。しかし、そうしたレインボー・コアリション(ピンクのフェミニスト、グリーンのエコロジストら、多種多様なマイノリティの、虹のような連携)のカラフルな見かけの背後で、かつてマジョリティだった白人労働者たちは不満と不安を募らせていた。そして、去年の大統領選挙で、本来民主党支持層だった彼らの多くが、女性ではあるもののウォール街べったりのヒラリー・クリントンではなく、大富豪でありながら「サイレント・マジョリティ」の復権を約束するドナルド・トランプ(注1)に賭けたのです。
実は、こうした経済情勢の中で、ジェレミー・コービン英労働党党首やバーニー・サンダース米上院議員のような古典的左翼が復活してきていました。たとえば、アメリカでも、事前の世論調査を見ると、対トランプではクリントンよりサンダースの方が有利だという結果が多かった。それにもかかわらず、党内で圧倒的な力を誇るクリントン・マシーンに屈してヒラリーを候補に選ばざるを得なかったのが、民主党の敗因でした。(この意味で、経済的再分配の問題をもっと重視すべきだったとは言えますが、それならば、法人や高所得者への減税と、オバマケアなどの弱者救済策の撤廃を訴えるトランプが敗北したはずで、問題はもっと複雑です。白人男性を中心とする[しかし必ずしもそれだけではない]「サイレント・マジョリティ」の「承認」欲求[過剰な「承認」を受けているかに見えるマイノリティへの嫉妬と憎悪]が異様に亢進しており、FOXやBreitbartのような極右メディアのエコー・チェンバーの中で主流派マス・メディアへの憎悪とともに増幅されていったことが、トランプを勝利へ導いた決定的要因でした。基本的に唯物論の立場に立つ私は、「サンダースではなくクリントンを候補に立てたのは致命的な誤りであり、トランプが勝っても驚くにはあたらない」と公言しつつも、トランプが大統領になれば経済危機も起こり得るので、まさかアメリカの有権者が自分たちの生活の危機を招きかねないトランプに賭けるとは本当には信じていなかった。イギリスのEU離脱[Brexit]同様、トランプの勝利は私にとって驚きだったことを認めておかねばなりません。)
フランスの状況も似たようなものでした。社会党でも、新自由主義と妥協したフランソワ・オランド前大統領の首相だったマニュエル・ヴァルスを抑えて、ベーシック・インカムの導入を目指す党内左派のブノワ・アモン前教育相が予備選挙に勝利、しかし、そのアモンもオランド社会党の悪評を引き継いで失速、本選挙では社会党よりも左のジャン=リュック・メランションが予想外に票を伸ばしてベスト4に入った。とはいえ、この経緯を見てもわかるように、分裂を重ねた左派が本選挙に勝てる見込みはほとんどありませんでした。むしろ、社会党から離れて中道路線をとったエマニュエル・マクロン前経済相が、マリーヌ・ル・ペンとともに決選投票に残り、大統領に選出されたわけです。
1977年生まれ、39歳のマクロンは、学歴社会フランスの超エリートで、同じキリスト教系の哲学者ポール・リクールの助手を務めた(リクール晩年の著作『記憶、歴史、忘却』[邦訳・新曜社]の完成を助け、この本について『Esprit』誌にエッセーも寄せている)かと思うと、パリ政治学院・国立行政学院に転じ、財務省勤務のあと、ロチルド(ロスチャイルド)家の投資銀行で企業合併などに辣腕をふるって巨額の報酬を得、36歳の若さでオランド政権の経済相に抜擢されて規制緩和を推進した。アミアンの高校で教師だった24歳年上の女性と結婚し今も連れ添っているというエピソードに象徴されるような、若々しくソフトなイメージで広く支持されているものの、ヒラリー・クリントン以上にグローバル資本主義を体現する人物で、普通なら勝利は危うかったでしょう。暴言王トランプと比べても国民戦線が依然としてあまりに右翼的なイメージだったこと、そして、Brexitやトランプ米大統領選出の後の大混乱の印象が強く、「文明国フランスは英米のような野蛮な過ちは犯さない」というナショナリズムゆえのコスモポリタニズムが働いたことで、ル・ペンが敗北し、結果的にマクロンが勝利し得たというのが実情ではないでしょうか。(右派について付け加えておけば、シラク政権の首相だったアラン・ジュペならシラクと同じくル・ペンに対して国民戦線以外の全党派の支持を受けることができたかもしれないけれど、予備選挙でニコラ・サルコジ政権の首相だったフランソワ・フィヨンに敗れ、そのフィヨンは下院議員時代にスタッフとしての勤務実態のない妻や子供に議員報酬から給与を払っていた公金横領疑惑で失速した。保守党vs.国民戦線となった2002年の決選投票に続き、今回の決選投票には保守党[共和党]も社会党も残らなかったわけで、第五共和制の中軸が問われる結果となりました。)
ミシェル・ウエルベックの2015年のベストセラー小説『服従』は、2017年にル・ペンが単独では一位になるものの決選投票でオランドに敗れ、2022年にはいよいよ大統領になるかと思いきやムスリム同胞団の候補に敗れる、という未來を描いていましたが、もはやオランドがはるか過去の人になってしまった現状を見れば、現実はウエルベックのあざとい物語さえ超える速度で動いているのかもしれません。
ここで視野を広げてヨーロッパ全体について見ておけば、昨年の Brexit とトランプ勝利の反動というべきか、オーストリアやオランダの選挙で右翼ポピュリズムにブレーキがかけられており(といっても際どい結果ではある)、フランスもそれに続いたと一応は言えるでしょう。9月のドイツ総選挙でもアンゲラ・メルケル首相(右派)の率いる与党の勝利が有力視されています。
たしかに、ドイツでも極右ポピュリズムが伸びてきているなか、メルケル首相が難民の受け入れを続ける政策を堅持している(事実上、トルコに資金援助の見返りとして難民の流出を止めさせるといった剛腕も見せながら)ことは評価に値するでしょう。ただ、2010年からのギリシア経済危機に際して、ドイツの主導するEUがギリシアに緊縮財政と債務返済を強要し(国際通貨基金[IMF]さえ、持続可能な救済策を立案するには債務の部分的減免や返済期限の延長が必要だと指摘したにもかかわらず)、ギリシアのアレクシス・ツィプラス首相やヤニス・ヴァルファキス前財務相を極左ポピュリストとして相手にしなかった(ドイツのヴォルフガング・ショイブレ財務相のこうした強硬姿勢をメルケル首相も追認した)ことは、EUが、かつての中道路線から、新自由主義的な金融資本の手先(いわば金貸しに仕える借金取り立て人)に成り下がったという印象を決定的なものとし、EU危機を深める結果となってしまった。この重大な責任は忘れることができません。実のところ、「借りた金は返す」というのも「難民は受け入れる」というのも同じプロテスタンティズムの倫理から来るのかもしれませんが(メルケル首相の父は牧師です)、かつてジョン・メイナード・ケインズが示唆したように、そのような倫理は個人レヴェルならともかく社会レヴェルでは経済的に有害な場合があり、ギリシア経済危機はまさにその典型でした(注2)。いや、ヨーロッパのみならず世界全体で2008年の金融危機以来の経済の回復がこれほど遅れたのは反ケインズ主義的な緊縮財政派の責任だというのは、ポール・クルーグマンらもつとに主張してきた通りです。
実は、ギリシア危機に関するヨーロッパ議会の討議のTV中継を聞きながら仕事をしていたとき、オランダ選出の議員がキリギリスを非難するアリのように「無責任で不道徳」なギリシアを非難する小心にして残酷な演説をしたあと、フランス選出の女性議員が立って激烈な反批判を展開し、グローバルな金融資本の支配と戦うギリシア国民の主権を雄弁に弁護し始めたので、「なかなかやるな、誰だろう?」と思ってTV画面を見たら、なんとマリーヌ・ル・ペンだったという記憶があります。つまり、メルケルを中心とし、オランドらも加わった、経済的に右傾化したEUの緊縮財政路線こそが、経済停滞を招き、EUの危機を、ひいては極右ポピュリズムの伸長を招いたのだと言うべきでしょう。
2016年のBrexit も、イギリスのナショナリズム(先ほどの議論でいえばイギリス人の「承認」欲求)の結果ではあるにせよ、EUがここまで悪役視されるようになっていなければ、国民投票で可決されることはなかったでしょう。ちなみに、Brexitの旗を振ったイギリス独立党のナイジェル・ファラージ党首は、国民投票に勝利したとたん、党首を辞任した。後は大変なことになるだけだとわかっていたからで、悪賢いポピュリストと言うほかありません。他方、不用意にも国民投票を約束したあげくBrexit派に敗れたデイヴィッド・キャメロン(保守党)が首相を辞任したあと、やはり公式にはEU残留派だったテリーザ・メイ(保守党)が首相に就任し、Brexitの交渉を担うことになるわけですが(保守党内でBrexitの旗を振ったボリス・ジョンソンは、外相になったものの、実権のない道化役といったところ、ヘア・スタイルではトランプと競っていますが、ファラージよりは役者が下です)、困難な交渉に向けて足場を固めるという名目で、前言を翻し6月に総選挙に打って出ることを決めた。先ほど述べたように、コービン労働党党首は、ブレア元党首らの「第三の道」路線を左寄りに再修正することを目指しており、当然EUの緊縮財政路線にも批判的だったにもかかわらず、極右ポピュリズムがBrexitを主張する中ではEU残留を主張するほかなかった。それがコービン労働党の人気を失墜させ、選挙では労働党の大敗北とコービンの退陣につながるだろうというのが、自身もともとEU残留派だったメイのシニカルな計算でしょうし、残念ながらその戦術はまんまと成功するでしょう。(ジョージ・W・ブッシュ米元大統領と共謀してイラン戦争に突き進んだ責任を問われて事実上政界を引退していたブレア元首相が、久々に政治の舞台に戻り、Brexitの賛否を問い直す再度の国民投票を求めている。正しい戦略ではありますが、事ここにいたってはもはや戦術的に不可能でしょう。)
フランス大統領選挙の話題に戻って言えば、マクロン新大統領は旧来の左右の対立を超える中道路線を標榜しており、悪く言うと政策は玉虫色でどちらに向かうかはっきりしない。しかし、少なくとも経済政策に関する限り、グローバル資本主義のトップ・エリートとして規制緩和を進めてきた人物であり、メルケルにブレーキをかけてEUを中道に引き戻すことは期待できそうにありません。つまり、EUの危機と極右ポピュリズムの台頭を招いた構造的問題が解決されることは当分ないだろうということです。21世紀初頭の複合的危機は構造的なものであり、一回の選挙で解決されるようなものではない。これからも激動する世界の動きからは目が離せません。
最後に付け加えれば、いままで周縁に置かれていた極右勢力が政治の表舞台に上ってきた、これはフランスだけの現象ではありません。日本でも、森友学園問題は、「戦後レジームからの脱却」を唱え、2020年には改正憲法の施行を目指すという安倍晋三首相が、いかに極右と近い存在であるかを思い出させてくれた。かつては自由民主党内でも最右翼の少数派だったそういう存在が、気がついたら主流になっていたわけです。
その補完勢力である「日本維新の会」(この党名は明治維新よりも昭和維新を想起させる)はいまのところ失速気味ですが、まだまだ安心はできません。それだけではない。たとえば、スメラ学塾(「皇(すめら)」はシュメールに通ずるというトンデモ学説を基礎として、京都学派の哲学者・小島威彦らが1940年に設立した極右団体で、建築家・坂倉準三やレストラン・キャンティをつくって幅広い人脈の拠点とした川添紫郎[浩史]らも、1930年代にパリで小島と出会って以来、戦後も深い関係にあった)の流れを汲む小池勇二郎(石原慎太郎の勧めで1969年に衆議院議員総選挙に出て敗れたときは鴻池祥肇と浜渦武生が手伝っていたという)は、その思想ゆえに娘をカイロ大学に留学させたのかもしれませんが、その娘、小池百合子(注3)はいまや東京都知事となり、旧来の左右の対立を超えると称して大衆の支持を集めているわけです。石原 vs. 小池の対立というのも、元をただせば同じ右翼陣営内の対立と見るべきでしょう。総じて、欧米に比べ極右の姿がはっきり見えにくい分、危険な状況と言うべきかもしれません。
実のところ、森友学園問題をきっかけに、安倍政権に対する不安感が潜在的な広がりを見せているのは確かでしょう。それでも安倍内閣の支持率が高水準を維持しているのは、中国、そしてとくに北朝鮮の「脅威」のおかげであり、野党・民進党(旧・民主党)の自殺的とも言うべき無為無策のおかげです(菅直人元首相が浜岡原発の停止を要請した頃から「原発村」を中心に政財界で起こった菅おろしの大波に乗って後継首相となった野田佳彦は、脱原発を望む国民の期待を裏切ったばかりか、かつて不人気のなか惨憺たる形で退陣した安倍晋三の誰も予想だにしなかった復権を可能にした露払い役であり、いま幹事長となった彼がかつぐ蓮舫代表は、多文化主義というリベラルな仮面をかぶった新自由主義という点で、ヒラリー・クリントンの超劣化版というべき存在です)。このような有力な野党の不在、そこからくる政党政治の行き詰まりがまた、ファシズムを準備する。もちろん、ただちに日本でファシズムが復活するとは思いませんが、はっきりしたファシズム化が見られないということは、警戒すべきことでこそあれ、安心すべきことではない。世界の情勢と並んで、いやそれ以上に、注意深く観察し警戒していく必要があるでしょう。
(注1)
ドナルド・トランプについて、日本では企業家の大富豪という紹介がされているけれど、たとえばビル・ゲイツやマイケル・ブルームバーグのようなまともな企業家とはまったく違う。父の代から不動産で荒稼ぎを続け、地上げやカジノ経営などをめぐってマフィアとも浅からぬ関係があると言われる。そういう裏街道での相談相手だった悪名高い弁護士ロイ・コーン(ジョセフ・マッカーシー上院議員の「赤狩り」の尖兵であり、彼をマッカーシーに推薦してくれたFBIの創設者ジョン・エドガー・フーヴァーと同じく隠れゲイでありながらマイノリティの弾圧に加担したことでも有名、AIDSで死んでゆくその末期の姿はトニー・クシュナーの『Angels in America』に描かれている)こそ、トランプの最大のメンター(師匠)と言っていいでしょう。TVで名を売ったイタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ元首相のようなポピュリスト? いや、トランプはたんにそれだけの存在ではありません。
(注2)
こうしたギリシア経済危機の重要性を考えれば、一度の例外を除いてドイツのカッセルのみで開催されてきた芸術祭ドクメンタを、今年はギリシアのアテネとカッセルの二か所で開催するという決断は、たんなる政治的ジェスチャーを超えた意義をもつと言えるでしょう。
(注3)
映画『シン・ゴジラ』で、小池百合子をモデルにしたと思しき女性の防衛大臣が極端なタカ派として描かれているのは、その点では先見の明があると言うべきかもしれません。ただ、政治的アレゴリーを主軸とする映画にするなら、アーロン・ソーキンのレヴェルは無理としても、もう少しまともな脚本を用意し、一応それらしく演技のできる俳優を選ぶべきなので、防衛大臣役のみならず、いずれは大統領を目指すというアメリカ人エリート女性を演ずる石原さとみなどはヤンキーが駅前留学でバイリンギャルになったつもりにしか見えない、これではまともな映画としては通用しません。
放射能怪獣ゴジラは、暴走した原子力発電所のアレゴリーであり、福島第一原子力発電所では注水による冷温停止に失敗して大事後を起こしたのに対し、映画では冷却剤注入によるゴジラの冷温停止に成功する。ただ、動かなくなったゴジラは、東京駅の廃墟の傍らに立ち尽くしたままであり、日本はこの問題に直面し続けなければならない…。このストーリーは単純ながら効果的と言っていいでしょう。ただ、左右の政治的対立による停滞を超えたプラグマティックなテクノクラート集団が、例外的事態に際して非常識とも思える大胆な決断を行い、事態の収拾に成功するという政治的ファンタジーこそは、ファシズムなどを生み出した「維新」のイデオロギーであるということを、忘れるわけにはいきません。
訂正と追記(6月10日)
このエントリーで、ポール・リクールをカトリック系と書いたのはケアレス・ミステイクで、彼はもちろんプロテスタント系である。遅まきながら修正しておいた。
なお、6月8日のイギリス下院総選挙がテリーザ・メイ首相の率いる与党・保守党の地滑り的勝利に終わるだろうというマス・メディアの当初の予測に私も同調していたが、この予測は完全に外れ、下院650議席のうち330議席を占めていた保守党は315議席となって過半数を割る一方、ジェレミー・コービンの率いる労働党が230から262へと議席を増やした。ただし、保守党が第一党、労働党が第二党であることは変わらず、単独過半数に達する党がないという不安定な状況で、保守党は北アイルランドのプロテスタント系政党・民主統一党と連立政権を組むことにになる。いずれにせよ、福祉の切り詰めをはじめとする保守党の政策が選挙民の反発を招いたことは明白で、1992年のビル・クリントン・キャンペーンの悪名高いスローガン「It’s the economy, stupid !(経済だよ、バカ!)」をあらためて痛感させられる結果と言えよう。足場を強化してハード・ブレグジットの交渉を強力に推進しようとしたメイ政権の目論見は、これによって完全にはずれることになり、ただでさえ困難な離脱交渉はますます先の読めないものとなった。
フランスでは2002年、極右のジャン=マリー・ル・ペン国民戦線党首が左派のリオネル・ジョスパン首相らを抑えて、再選をめざす右派のジャック・シラク大統領と決選投票で対決するという大番狂わせがあり、やむなく左派もすべてシラクに投票して極右政権の出現を阻止しました。その娘のマリーヌ・ル・ペンは、あまりに過激だった父のイメージ(日本ならさしずめ赤尾敏のような)を払拭し、移民を脅威と感ずる庶民の生活保守主義に訴えて、国民戦線を「普通の政党」に近づけてきた。資本主義のグローバル化によって格差が拡大し国民経済が不安定化する中、大量の移民流入に直面したヨーロッパでは、各国で極右勢力が伸びており、今度こそ彼女が仏大統領選挙に勝利してもおかしくない状況でした。
問題はむしろ中道左派にあります。新自由主義のもと資本主義のグローバル化が進む中で、左派は押される一方だった。そこでトニー・ブレア英元首相(労働党)やビル・クリントン米元大統領(民主党)らは、旧来の左右の対立を超えると称する「第三の道」(アンソニー・ギデンス)を取った。たとえば資本の要請に応えて労働市場の流動性を高める、つまり規制緩和によって労働者を解雇しやすくすると同時に、失業保険や職業教育などの安全網を拡充する、といった方向です。また同時に経済的な「再分配(redistribution)」のみならず社会文化的(socio-cultural)な「承認(recognition)」を重視した。マイノリティをもまともな市民として認め、たとえばアフリカ系(黒人)でも女性でもリーダーになれる社会にする、というわけです。後者の成功は多文化主義社会を生み出し、バラク・オバマ(民主党)を米大統領に押し上げた。しかし、そうしたレインボー・コアリション(ピンクのフェミニスト、グリーンのエコロジストら、多種多様なマイノリティの、虹のような連携)のカラフルな見かけの背後で、かつてマジョリティだった白人労働者たちは不満と不安を募らせていた。そして、去年の大統領選挙で、本来民主党支持層だった彼らの多くが、女性ではあるもののウォール街べったりのヒラリー・クリントンではなく、大富豪でありながら「サイレント・マジョリティ」の復権を約束するドナルド・トランプ(注1)に賭けたのです。
実は、こうした経済情勢の中で、ジェレミー・コービン英労働党党首やバーニー・サンダース米上院議員のような古典的左翼が復活してきていました。たとえば、アメリカでも、事前の世論調査を見ると、対トランプではクリントンよりサンダースの方が有利だという結果が多かった。それにもかかわらず、党内で圧倒的な力を誇るクリントン・マシーンに屈してヒラリーを候補に選ばざるを得なかったのが、民主党の敗因でした。(この意味で、経済的再分配の問題をもっと重視すべきだったとは言えますが、それならば、法人や高所得者への減税と、オバマケアなどの弱者救済策の撤廃を訴えるトランプが敗北したはずで、問題はもっと複雑です。白人男性を中心とする[しかし必ずしもそれだけではない]「サイレント・マジョリティ」の「承認」欲求[過剰な「承認」を受けているかに見えるマイノリティへの嫉妬と憎悪]が異様に亢進しており、FOXやBreitbartのような極右メディアのエコー・チェンバーの中で主流派マス・メディアへの憎悪とともに増幅されていったことが、トランプを勝利へ導いた決定的要因でした。基本的に唯物論の立場に立つ私は、「サンダースではなくクリントンを候補に立てたのは致命的な誤りであり、トランプが勝っても驚くにはあたらない」と公言しつつも、トランプが大統領になれば経済危機も起こり得るので、まさかアメリカの有権者が自分たちの生活の危機を招きかねないトランプに賭けるとは本当には信じていなかった。イギリスのEU離脱[Brexit]同様、トランプの勝利は私にとって驚きだったことを認めておかねばなりません。)
フランスの状況も似たようなものでした。社会党でも、新自由主義と妥協したフランソワ・オランド前大統領の首相だったマニュエル・ヴァルスを抑えて、ベーシック・インカムの導入を目指す党内左派のブノワ・アモン前教育相が予備選挙に勝利、しかし、そのアモンもオランド社会党の悪評を引き継いで失速、本選挙では社会党よりも左のジャン=リュック・メランションが予想外に票を伸ばしてベスト4に入った。とはいえ、この経緯を見てもわかるように、分裂を重ねた左派が本選挙に勝てる見込みはほとんどありませんでした。むしろ、社会党から離れて中道路線をとったエマニュエル・マクロン前経済相が、マリーヌ・ル・ペンとともに決選投票に残り、大統領に選出されたわけです。
1977年生まれ、39歳のマクロンは、学歴社会フランスの超エリートで、同じキリスト教系の哲学者ポール・リクールの助手を務めた(リクール晩年の著作『記憶、歴史、忘却』[邦訳・新曜社]の完成を助け、この本について『Esprit』誌にエッセーも寄せている)かと思うと、パリ政治学院・国立行政学院に転じ、財務省勤務のあと、ロチルド(ロスチャイルド)家の投資銀行で企業合併などに辣腕をふるって巨額の報酬を得、36歳の若さでオランド政権の経済相に抜擢されて規制緩和を推進した。アミアンの高校で教師だった24歳年上の女性と結婚し今も連れ添っているというエピソードに象徴されるような、若々しくソフトなイメージで広く支持されているものの、ヒラリー・クリントン以上にグローバル資本主義を体現する人物で、普通なら勝利は危うかったでしょう。暴言王トランプと比べても国民戦線が依然としてあまりに右翼的なイメージだったこと、そして、Brexitやトランプ米大統領選出の後の大混乱の印象が強く、「文明国フランスは英米のような野蛮な過ちは犯さない」というナショナリズムゆえのコスモポリタニズムが働いたことで、ル・ペンが敗北し、結果的にマクロンが勝利し得たというのが実情ではないでしょうか。(右派について付け加えておけば、シラク政権の首相だったアラン・ジュペならシラクと同じくル・ペンに対して国民戦線以外の全党派の支持を受けることができたかもしれないけれど、予備選挙でニコラ・サルコジ政権の首相だったフランソワ・フィヨンに敗れ、そのフィヨンは下院議員時代にスタッフとしての勤務実態のない妻や子供に議員報酬から給与を払っていた公金横領疑惑で失速した。保守党vs.国民戦線となった2002年の決選投票に続き、今回の決選投票には保守党[共和党]も社会党も残らなかったわけで、第五共和制の中軸が問われる結果となりました。)
ミシェル・ウエルベックの2015年のベストセラー小説『服従』は、2017年にル・ペンが単独では一位になるものの決選投票でオランドに敗れ、2022年にはいよいよ大統領になるかと思いきやムスリム同胞団の候補に敗れる、という未來を描いていましたが、もはやオランドがはるか過去の人になってしまった現状を見れば、現実はウエルベックのあざとい物語さえ超える速度で動いているのかもしれません。
ここで視野を広げてヨーロッパ全体について見ておけば、昨年の Brexit とトランプ勝利の反動というべきか、オーストリアやオランダの選挙で右翼ポピュリズムにブレーキがかけられており(といっても際どい結果ではある)、フランスもそれに続いたと一応は言えるでしょう。9月のドイツ総選挙でもアンゲラ・メルケル首相(右派)の率いる与党の勝利が有力視されています。
たしかに、ドイツでも極右ポピュリズムが伸びてきているなか、メルケル首相が難民の受け入れを続ける政策を堅持している(事実上、トルコに資金援助の見返りとして難民の流出を止めさせるといった剛腕も見せながら)ことは評価に値するでしょう。ただ、2010年からのギリシア経済危機に際して、ドイツの主導するEUがギリシアに緊縮財政と債務返済を強要し(国際通貨基金[IMF]さえ、持続可能な救済策を立案するには債務の部分的減免や返済期限の延長が必要だと指摘したにもかかわらず)、ギリシアのアレクシス・ツィプラス首相やヤニス・ヴァルファキス前財務相を極左ポピュリストとして相手にしなかった(ドイツのヴォルフガング・ショイブレ財務相のこうした強硬姿勢をメルケル首相も追認した)ことは、EUが、かつての中道路線から、新自由主義的な金融資本の手先(いわば金貸しに仕える借金取り立て人)に成り下がったという印象を決定的なものとし、EU危機を深める結果となってしまった。この重大な責任は忘れることができません。実のところ、「借りた金は返す」というのも「難民は受け入れる」というのも同じプロテスタンティズムの倫理から来るのかもしれませんが(メルケル首相の父は牧師です)、かつてジョン・メイナード・ケインズが示唆したように、そのような倫理は個人レヴェルならともかく社会レヴェルでは経済的に有害な場合があり、ギリシア経済危機はまさにその典型でした(注2)。いや、ヨーロッパのみならず世界全体で2008年の金融危機以来の経済の回復がこれほど遅れたのは反ケインズ主義的な緊縮財政派の責任だというのは、ポール・クルーグマンらもつとに主張してきた通りです。
実は、ギリシア危機に関するヨーロッパ議会の討議のTV中継を聞きながら仕事をしていたとき、オランダ選出の議員がキリギリスを非難するアリのように「無責任で不道徳」なギリシアを非難する小心にして残酷な演説をしたあと、フランス選出の女性議員が立って激烈な反批判を展開し、グローバルな金融資本の支配と戦うギリシア国民の主権を雄弁に弁護し始めたので、「なかなかやるな、誰だろう?」と思ってTV画面を見たら、なんとマリーヌ・ル・ペンだったという記憶があります。つまり、メルケルを中心とし、オランドらも加わった、経済的に右傾化したEUの緊縮財政路線こそが、経済停滞を招き、EUの危機を、ひいては極右ポピュリズムの伸長を招いたのだと言うべきでしょう。
2016年のBrexit も、イギリスのナショナリズム(先ほどの議論でいえばイギリス人の「承認」欲求)の結果ではあるにせよ、EUがここまで悪役視されるようになっていなければ、国民投票で可決されることはなかったでしょう。ちなみに、Brexitの旗を振ったイギリス独立党のナイジェル・ファラージ党首は、国民投票に勝利したとたん、党首を辞任した。後は大変なことになるだけだとわかっていたからで、悪賢いポピュリストと言うほかありません。他方、不用意にも国民投票を約束したあげくBrexit派に敗れたデイヴィッド・キャメロン(保守党)が首相を辞任したあと、やはり公式にはEU残留派だったテリーザ・メイ(保守党)が首相に就任し、Brexitの交渉を担うことになるわけですが(保守党内でBrexitの旗を振ったボリス・ジョンソンは、外相になったものの、実権のない道化役といったところ、ヘア・スタイルではトランプと競っていますが、ファラージよりは役者が下です)、困難な交渉に向けて足場を固めるという名目で、前言を翻し6月に総選挙に打って出ることを決めた。先ほど述べたように、コービン労働党党首は、ブレア元党首らの「第三の道」路線を左寄りに再修正することを目指しており、当然EUの緊縮財政路線にも批判的だったにもかかわらず、極右ポピュリズムがBrexitを主張する中ではEU残留を主張するほかなかった。それがコービン労働党の人気を失墜させ、選挙では労働党の大敗北とコービンの退陣につながるだろうというのが、自身もともとEU残留派だったメイのシニカルな計算でしょうし、残念ながらその戦術はまんまと成功するでしょう。(ジョージ・W・ブッシュ米元大統領と共謀してイラン戦争に突き進んだ責任を問われて事実上政界を引退していたブレア元首相が、久々に政治の舞台に戻り、Brexitの賛否を問い直す再度の国民投票を求めている。正しい戦略ではありますが、事ここにいたってはもはや戦術的に不可能でしょう。)
フランス大統領選挙の話題に戻って言えば、マクロン新大統領は旧来の左右の対立を超える中道路線を標榜しており、悪く言うと政策は玉虫色でどちらに向かうかはっきりしない。しかし、少なくとも経済政策に関する限り、グローバル資本主義のトップ・エリートとして規制緩和を進めてきた人物であり、メルケルにブレーキをかけてEUを中道に引き戻すことは期待できそうにありません。つまり、EUの危機と極右ポピュリズムの台頭を招いた構造的問題が解決されることは当分ないだろうということです。21世紀初頭の複合的危機は構造的なものであり、一回の選挙で解決されるようなものではない。これからも激動する世界の動きからは目が離せません。
最後に付け加えれば、いままで周縁に置かれていた極右勢力が政治の表舞台に上ってきた、これはフランスだけの現象ではありません。日本でも、森友学園問題は、「戦後レジームからの脱却」を唱え、2020年には改正憲法の施行を目指すという安倍晋三首相が、いかに極右と近い存在であるかを思い出させてくれた。かつては自由民主党内でも最右翼の少数派だったそういう存在が、気がついたら主流になっていたわけです。
その補完勢力である「日本維新の会」(この党名は明治維新よりも昭和維新を想起させる)はいまのところ失速気味ですが、まだまだ安心はできません。それだけではない。たとえば、スメラ学塾(「皇(すめら)」はシュメールに通ずるというトンデモ学説を基礎として、京都学派の哲学者・小島威彦らが1940年に設立した極右団体で、建築家・坂倉準三やレストラン・キャンティをつくって幅広い人脈の拠点とした川添紫郎[浩史]らも、1930年代にパリで小島と出会って以来、戦後も深い関係にあった)の流れを汲む小池勇二郎(石原慎太郎の勧めで1969年に衆議院議員総選挙に出て敗れたときは鴻池祥肇と浜渦武生が手伝っていたという)は、その思想ゆえに娘をカイロ大学に留学させたのかもしれませんが、その娘、小池百合子(注3)はいまや東京都知事となり、旧来の左右の対立を超えると称して大衆の支持を集めているわけです。石原 vs. 小池の対立というのも、元をただせば同じ右翼陣営内の対立と見るべきでしょう。総じて、欧米に比べ極右の姿がはっきり見えにくい分、危険な状況と言うべきかもしれません。
実のところ、森友学園問題をきっかけに、安倍政権に対する不安感が潜在的な広がりを見せているのは確かでしょう。それでも安倍内閣の支持率が高水準を維持しているのは、中国、そしてとくに北朝鮮の「脅威」のおかげであり、野党・民進党(旧・民主党)の自殺的とも言うべき無為無策のおかげです(菅直人元首相が浜岡原発の停止を要請した頃から「原発村」を中心に政財界で起こった菅おろしの大波に乗って後継首相となった野田佳彦は、脱原発を望む国民の期待を裏切ったばかりか、かつて不人気のなか惨憺たる形で退陣した安倍晋三の誰も予想だにしなかった復権を可能にした露払い役であり、いま幹事長となった彼がかつぐ蓮舫代表は、多文化主義というリベラルな仮面をかぶった新自由主義という点で、ヒラリー・クリントンの超劣化版というべき存在です)。このような有力な野党の不在、そこからくる政党政治の行き詰まりがまた、ファシズムを準備する。もちろん、ただちに日本でファシズムが復活するとは思いませんが、はっきりしたファシズム化が見られないということは、警戒すべきことでこそあれ、安心すべきことではない。世界の情勢と並んで、いやそれ以上に、注意深く観察し警戒していく必要があるでしょう。
(注1)
ドナルド・トランプについて、日本では企業家の大富豪という紹介がされているけれど、たとえばビル・ゲイツやマイケル・ブルームバーグのようなまともな企業家とはまったく違う。父の代から不動産で荒稼ぎを続け、地上げやカジノ経営などをめぐってマフィアとも浅からぬ関係があると言われる。そういう裏街道での相談相手だった悪名高い弁護士ロイ・コーン(ジョセフ・マッカーシー上院議員の「赤狩り」の尖兵であり、彼をマッカーシーに推薦してくれたFBIの創設者ジョン・エドガー・フーヴァーと同じく隠れゲイでありながらマイノリティの弾圧に加担したことでも有名、AIDSで死んでゆくその末期の姿はトニー・クシュナーの『Angels in America』に描かれている)こそ、トランプの最大のメンター(師匠)と言っていいでしょう。TVで名を売ったイタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ元首相のようなポピュリスト? いや、トランプはたんにそれだけの存在ではありません。
(注2)
こうしたギリシア経済危機の重要性を考えれば、一度の例外を除いてドイツのカッセルのみで開催されてきた芸術祭ドクメンタを、今年はギリシアのアテネとカッセルの二か所で開催するという決断は、たんなる政治的ジェスチャーを超えた意義をもつと言えるでしょう。
(注3)
映画『シン・ゴジラ』で、小池百合子をモデルにしたと思しき女性の防衛大臣が極端なタカ派として描かれているのは、その点では先見の明があると言うべきかもしれません。ただ、政治的アレゴリーを主軸とする映画にするなら、アーロン・ソーキンのレヴェルは無理としても、もう少しまともな脚本を用意し、一応それらしく演技のできる俳優を選ぶべきなので、防衛大臣役のみならず、いずれは大統領を目指すというアメリカ人エリート女性を演ずる石原さとみなどはヤンキーが駅前留学でバイリンギャルになったつもりにしか見えない、これではまともな映画としては通用しません。
放射能怪獣ゴジラは、暴走した原子力発電所のアレゴリーであり、福島第一原子力発電所では注水による冷温停止に失敗して大事後を起こしたのに対し、映画では冷却剤注入によるゴジラの冷温停止に成功する。ただ、動かなくなったゴジラは、東京駅の廃墟の傍らに立ち尽くしたままであり、日本はこの問題に直面し続けなければならない…。このストーリーは単純ながら効果的と言っていいでしょう。ただ、左右の政治的対立による停滞を超えたプラグマティックなテクノクラート集団が、例外的事態に際して非常識とも思える大胆な決断を行い、事態の収拾に成功するという政治的ファンタジーこそは、ファシズムなどを生み出した「維新」のイデオロギーであるということを、忘れるわけにはいきません。
訂正と追記(6月10日)
このエントリーで、ポール・リクールをカトリック系と書いたのはケアレス・ミステイクで、彼はもちろんプロテスタント系である。遅まきながら修正しておいた。
なお、6月8日のイギリス下院総選挙がテリーザ・メイ首相の率いる与党・保守党の地滑り的勝利に終わるだろうというマス・メディアの当初の予測に私も同調していたが、この予測は完全に外れ、下院650議席のうち330議席を占めていた保守党は315議席となって過半数を割る一方、ジェレミー・コービンの率いる労働党が230から262へと議席を増やした。ただし、保守党が第一党、労働党が第二党であることは変わらず、単独過半数に達する党がないという不安定な状況で、保守党は北アイルランドのプロテスタント系政党・民主統一党と連立政権を組むことにになる。いずれにせよ、福祉の切り詰めをはじめとする保守党の政策が選挙民の反発を招いたことは明白で、1992年のビル・クリントン・キャンペーンの悪名高いスローガン「It’s the economy, stupid !(経済だよ、バカ!)」をあらためて痛感させられる結果と言えよう。足場を強化してハード・ブレグジットの交渉を強力に推進しようとしたメイ政権の目論見は、これによって完全にはずれることになり、ただでさえ困難な離脱交渉はますます先の読めないものとなった。