2つの大学ギャラリーで
福永 信
2017.05.17
おれは知らなかったのだが浅田さんに「いい感じ」と教わってほんまかいなと思って地図を片手に初めて行ってみたらほんとだった。白隠の叔父が復興し、白隠自ら住職を務めた松蔭寺所蔵の作品でコンパクトにまとめた展覧会(38点の展示の内、9点は沼津地方伝来として松蔭寺以外から)。約30点の松蔭寺蔵の作品の内、墨跡が11点。墨跡、つまり(禅の高僧の)書であり文字なのであるが、これが面白い。「常念観世音菩薩」というのが軸になっているのだが、7文字だし、普通なら1行で書ける。
常
念
観
世
音
菩
薩
↑こんな具合に、だ。
↓しかし白隠は、こんなふうに書くのだ。
常
亅
亅
観 亅
世 亅
音 亅
菩 亅
薩 念
「常」の漢字の書き順の最後の棒(亅)がデフォルメされ異様に長く突き出て下へ降ろされて「念」を突き刺す。「念」の後はこれ以上書けぬがこれで終わるわけにはいかず、無念、改行となる。その「観世音菩薩」は画数を大胆に減らしにょろにょろっと書かれる。なんたるアンバランス。展示とは別バージョンだがこんなふうだ。「観音経に対する揺るぎない信念」とキャプションにはあるが、こういう「信念」ならおれは大好きだ(他にも朴訥な「南無阿弥陀仏」とか、「ただ書いただけ」風の「金比羅山大権現」とかも魅力的。むろん墨跡だけでなく禅画の数々も楽しい。旅の途上、草履を結ぶ西行を正面から見下ろした構図なんて達者だし、熊谷直実が西方に背を向けぬように後ろ向きに馬にまたがっているその馬なんてセンダックの絵本みたいだし、繊細な「楊柳観音図」は少女漫画タッチだし、時代が時代なら…)。そんなわけで無料でいい感じの展覧会なのだった。花園大学の正門から50歩くらいの学内の無聖館4階、花園大学博物館で6月10日までやっている「原の白隠さん 松蔭寺と静岡沼津伝来の禅画・墨跡」展の感想は以上である。
さて、せっかく目が墨の色で染まったのだから、花園大学最寄りの円町駅から1駅の二条駅で降りて、京都市立芸術大学 @KCUAの「京芸 transmit program 2017」展に行くといいだろう(21日までだが)。この2階で西太志が、「黒い部屋」と題した黒い部屋で巨大な黒い絵画を10点立てかけている。ゴヤが念頭にあるようだがむしろ白隠だ。文字どおり、(余)白は黒の陰に隠れ、黒を通してしか見られない、そんな連作群だ。とても面白い。その絵には、近づけば無視できぬ造形としての剥落があり、重力があるのだから剥がれそうなそれは視線を下方へ誘導し、
例の亅
亅
亅
亅
のように、絵の中の物語の意味を間延びさせる。具象/抽象を交互に並べているようにも見えるが、実際はその「抽象」もある場面を具体的に描いている。1枚の絵の裏表を同時に並べたようにも読める。1枚ずつの絵が、文字のように「読めて」しまうところが物語の挿絵への第一歩なのだが、ただ、作者の技量が、それを一時停止させている。どうかこれ以上うまくならないでいただきたい。
常
念
観
世
音
菩
薩
↑こんな具合に、だ。
↓しかし白隠は、こんなふうに書くのだ。
常
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観 亅
世 亅
音 亅
菩 亅
薩 念
「常」の漢字の書き順の最後の棒(亅)がデフォルメされ異様に長く突き出て下へ降ろされて「念」を突き刺す。「念」の後はこれ以上書けぬがこれで終わるわけにはいかず、無念、改行となる。その「観世音菩薩」は画数を大胆に減らしにょろにょろっと書かれる。なんたるアンバランス。展示とは別バージョンだがこんなふうだ。「観音経に対する揺るぎない信念」とキャプションにはあるが、こういう「信念」ならおれは大好きだ(他にも朴訥な「南無阿弥陀仏」とか、「ただ書いただけ」風の「金比羅山大権現」とかも魅力的。むろん墨跡だけでなく禅画の数々も楽しい。旅の途上、草履を結ぶ西行を正面から見下ろした構図なんて達者だし、熊谷直実が西方に背を向けぬように後ろ向きに馬にまたがっているその馬なんてセンダックの絵本みたいだし、繊細な「楊柳観音図」は少女漫画タッチだし、時代が時代なら…)。そんなわけで無料でいい感じの展覧会なのだった。花園大学の正門から50歩くらいの学内の無聖館4階、花園大学博物館で6月10日までやっている「原の白隠さん 松蔭寺と静岡沼津伝来の禅画・墨跡」展の感想は以上である。
さて、せっかく目が墨の色で染まったのだから、花園大学最寄りの円町駅から1駅の二条駅で降りて、京都市立芸術大学 @KCUAの「京芸 transmit program 2017」展に行くといいだろう(21日までだが)。この2階で西太志が、「黒い部屋」と題した黒い部屋で巨大な黒い絵画を10点立てかけている。ゴヤが念頭にあるようだがむしろ白隠だ。文字どおり、(余)白は黒の陰に隠れ、黒を通してしか見られない、そんな連作群だ。とても面白い。その絵には、近づけば無視できぬ造形としての剥落があり、重力があるのだから剥がれそうなそれは視線を下方へ誘導し、
例の亅
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のように、絵の中の物語の意味を間延びさせる。具象/抽象を交互に並べているようにも見えるが、実際はその「抽象」もある場面を具体的に描いている。1枚の絵の裏表を同時に並べたようにも読める。1枚ずつの絵が、文字のように「読めて」しまうところが物語の挿絵への第一歩なのだが、ただ、作者の技量が、それを一時停止させている。どうかこれ以上うまくならないでいただきたい。