イスラエルの内藤礼
小崎 哲哉
2017.12.15
駐日イスラエル大使館とイスラエル外務省のご厚意で、1週間ほど彼の国を「発見」する旅に招待していただいた。オリーヴ山、嘆きの壁や聖墳墓教会などを含むエルサレム旧市街、死海文書を収蔵するイスラエル博物館、歴史的な遺跡マサダ、死海、ホロコースト記念館、市場などに案内され、現代アートのギャラリーや芸術大学をいくつか訪ねた。多彩な食材、多様な調理法に恵まれた、とても美味しい食事(とワイン)も満喫した。
歴史家によるレクチャーもあった。最初に説明されたのは、ユダヤ教の聖典タルムードについて。歴史家氏によれば、タルムードは正解を求めない。相異なる意見を知ることこそが重要で、この点で対話によって正しい結論を導こうとするギリシャ哲学とは異なる。
シオニズムについての解説もあった。見事なまでの自国中心史観であり、見事なまでのアシュケナジム中心史観だった。シオニズムは、聖地エルサレムのあるパレスチナにユダヤ人民族国家を樹立しようという運動であり、いわばイスラエルの国是である。アシュケナジムは、ドイツ語圏や東欧諸国に定住したユダヤ系ディアスポラとその子孫を指し、イスラエルでは全人口の4分の3を占めるユダヤ系の半数に近く、政権中枢や大企業経営者をはじめとするエリート層を構成する白人集団だ。自国中心史観とアシュケナジム中心史観は、だから当然のことであるわけだが、それでも違和感を覚えた。
南欧諸国系のセファルディムや、主にアラブ世界出身のミズラヒムとの格差への言及がない。およそ2割を占めるムスリムへの差別や迫害についても語られない。強調されるのは、ホロコーストのトラウマと、パレスチナおよび周辺アラブ諸国の脅威ばかり。ナチスの蛮行は間違いなく20世紀最悪の悲劇であり、ユダヤ人はその最大の犠牲者である。だが後者に関してはどうか。パレスチナとの対立は英国の三枚舌外交によって引き起こされたものだとはいえ、この地に後から入っていったのはユダヤ人移民である。建国の経緯がどうであれ、イスラエルだけが一方的に被害者であるというのは、ユダヤ選民思想による強弁だと言われても仕方がないのではないか。
パレスチナやイスラーム過激派との諍いについての説明もあった。「我々は最大限譲歩したが彼らは譲歩しない。クルアーン(コーラン)には『敵を殺せ』と書いてある。原理主義者は再解釈を許さないから、これを子供たちにもそのまま教えている」
これは正しい受け止め方ではない。確かにクルアーンには「殺せ」「殺戮するに至るまで首を打ち(切り)」などといった戦闘的・攻撃的な文言が記されている。しかしそれは「不信仰者」や「多神教徒」らを相手取ったもので、「ユダヤ人を殺せ」と特定したくだりは存在しない。ユダヤ教徒を責めたり貶めたりしている箇所はあるにはある(第5章82節、第58章8節など)。とはいえ、大筋では同じ「啓典の民」として、ユダヤ教徒はキリスト教徒とともに、尊敬はされないまでも共感をもって描かれている。
イスラーム原理主義は、歴史家氏が言うように譲歩しない。アルカイダ、ボコ・ハラム、ISなどの過激派テロ集団は明らかに「法を越えて」いる。だが、パレスチナ国(パレスチナ自治政府)は彼らとは異なる。イスラエルはもとより米英仏や日本などは認めていないが、国連加盟国193ヶ国中136ヶ国が承認した国家である。しかし、現在のイスラエル政権はその言い分をほとんど聞かない。そして、軍事力の圧倒的な差は明らかだ。イスラエルの人権団体ベツェレムとイスラエル外務省によれば、イスラエル=パレスチナ紛争における死者の数は、前者が1503名、後者が7978名(1987〜2011年)。殺すのは、相手が「譲歩しない」と見ているからだろう。「相異なる意見を知ることこそが重要」だというタルムードの教えは、ここでは完全に無視されている。
自称ムスリムの中に、とんでもなく強欲で利己主義的な者がいることは、アラブ諸国の為政者たちを見ればわかる。欧米亜の石油消費国と結託し、人口の大半を占める外国人労働者を搾取する。不労所得で贅沢三昧に耽り、貴金属やブランド品や数十億、数百億円の美術品を買い漁る。こうした浪費と蓄財に走る様は、シャリーア(イスラーム法)的に完全にアウトではないか。国民の不満を募らせ、原理主義を覚醒させたのは彼ら湾岸の王族たちにほかならない。腐敗臭が漂う汚物の中から、無差別に人を刺す毒虫が生まれたのだ。ただし、汚物を生んだのは、欧米がもたらした資本主義である……。
そんなことを考えながら日本に戻ってきたら、米国の大統領による「エルサレム首都認定発言」が飛び出した。発言の動機についての憶測は様々になされているが、確実に言えるのは、中東の情勢が不安定になれば米国の武器がいまよりもさらに売れることだ。ビジネスマン出身の大統領は、東アジアでも同様の商法を日韓相手に繰り広げた。北朝鮮とは違って、中東から発射されるいかなるミサイルも米国には届かない。中東で戦争が起こったとしても、米国民は安全でいられる。イスラーム圏からの入国を制限する大統領令も、この日のために発令されていたのかもしれない。
ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の聖典・正典・啓典であるトーラー(旧約聖書冒頭のモーセ五書)には、神の言葉として以下のような一節が記されている。「あなたは寄留の他国人を苦しめてはならない。また、これをしえたげてはならない。あなたがたも、かつてエジプトの国で、寄留の他国人であったからである」(「出エジプト記」第22章21節。日本聖書教会訳)。この言葉はいま、どれだけの人に読まれているのだろう。
同館は、1932年に開館した中東でも最大級の現代美術館。以来、増築を重ね、2002年に完成した新館が内藤作品の舞台だ。プレストン・スコット・コーエンが設計した5階建ての建物は三角形と四角形が基本モチーフで、インスタレーションは展示室、エスカレーター、通路に囲まれた三角形の吹き抜けに設えられていた。空間の天井高は27メートル。床面積は学校の教室3つ分くらいだろうか。
例によって極めてシンプルかつミニマルな作品である。遠目にはほとんど何も見えないが、近づくと高い天井から細いテグスが垂れ下がっている。全部で16本。8本ずつ、両手を広げたくらいの直径の円、いや、正八角形をふたつ成している。小さなガラスのビーズがいくつも付けられていて、天窓から入る自然光や周囲の照明を受けてほのかに煌めく。
三和土のような床には、内藤ファンにはお馴染みのコップかビーカーのような小さなガラスの器がふたつ。水が半ばまで入れられている。うっかりすると誰かが蹴飛ばしそうだが、近くに監視スタッフが座っていて、未然に事故を防いでいる。
壁には、目の高さのあたりに人形(ひとがた)が設置されていた。東日本大震災後に作家が作り始めた数センチの、円空仏を想わせる小さな木彫作品「ひと」だ。これもふたつ。器から7〜8メートル離れたところに、対称形に置かれている。対称、相似、相対することが主題のひとつかもしれない。作家はそれを「鏡対称」という言葉で表現する。
「これまでは『ひとり』『ひとつ』に関心があって作品を作ってきました。スザンヌさん(テルアヴィヴ美術館のスザンヌ・ランダウ館長)との出会いがあって、それから『ふたり』について考えるようになったんです。この展示は鏡対称で、目に見えない鏡がまん中にある。私とあなた。あなたから見た私。私から見たあなた」
「これまではまるみややわらかさを表現してきたので、鋭角の空間で展示を行うのは初めてかもしれません。でもこれが、イスラエルの印象でもあります。『ふたり』や『他者との関係』が、制作中いつも念頭にありました」
内藤は2013年に、平和をテーマとした『ピース・ミーツ・アート!』展(広島県立美術館)に「ひと」などを出展している。それ以外に直接的に政治的な主題の作品を公にしたことはあまりない。今回の作品タイトルは「Two Lives」(ふたつの生)。隣にある展示室では、官能的な作品を並べたルイーズ・ブルジョワの小個展が開催されていた。『Twosome』(ふたり)という、そのタイトルとの対照の妙が印象的だった。
太陽の光はどんなに小さなどんなに低いところまでもたどり着き
尽きることがなかった
無数のわたしたちひとりひとりはその光をひとしく受けとった
わたしたちひとりひとりは立つ場所がすこし離れているというだけで
たったひとりで固有の光を受けとった
せいいっぱい受けとった
明るい地上には あなたの姿が見える
鏡のようにわたしたちは見つめあってもいいのだ
わたしの見ているあなたは あなたの見ているわたしにひとしいか
そこに見つけたものを何と呼ぼう
この空のもと 草花とともに
内藤礼
10.9.2017
パレスチナ難民の帰還について「譲歩」とも受け取りうる発言をしているパレスチナのマフムード・アッバース大統領はさておき、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相に、ハマースのイスマーイール・ハニーヤ党首に、米国のドナルド・トランプ大統領に、腐敗した為政者やテロリストたちに、この言葉をぜひ読ませたい。テルアヴィヴ美術館からパレスチナ(イスラエルに言わせればパレスチナ暫定自治区)までは、直線距離にしてわずか十数キロメートルである。「目に見えない鏡」を挟み、人々は同じ空のもとで、同様の草花を愛でながら(そして暴力の連鎖に怯えながら)暮らしている。
※Rei Naito: Two Livesは、テルアヴィヴ美術館にて、2018年4月28日まで展示される
歴史家によるレクチャーもあった。最初に説明されたのは、ユダヤ教の聖典タルムードについて。歴史家氏によれば、タルムードは正解を求めない。相異なる意見を知ることこそが重要で、この点で対話によって正しい結論を導こうとするギリシャ哲学とは異なる。
シオニズムについての解説もあった。見事なまでの自国中心史観であり、見事なまでのアシュケナジム中心史観だった。シオニズムは、聖地エルサレムのあるパレスチナにユダヤ人民族国家を樹立しようという運動であり、いわばイスラエルの国是である。アシュケナジムは、ドイツ語圏や東欧諸国に定住したユダヤ系ディアスポラとその子孫を指し、イスラエルでは全人口の4分の3を占めるユダヤ系の半数に近く、政権中枢や大企業経営者をはじめとするエリート層を構成する白人集団だ。自国中心史観とアシュケナジム中心史観は、だから当然のことであるわけだが、それでも違和感を覚えた。
南欧諸国系のセファルディムや、主にアラブ世界出身のミズラヒムとの格差への言及がない。およそ2割を占めるムスリムへの差別や迫害についても語られない。強調されるのは、ホロコーストのトラウマと、パレスチナおよび周辺アラブ諸国の脅威ばかり。ナチスの蛮行は間違いなく20世紀最悪の悲劇であり、ユダヤ人はその最大の犠牲者である。だが後者に関してはどうか。パレスチナとの対立は英国の三枚舌外交によって引き起こされたものだとはいえ、この地に後から入っていったのはユダヤ人移民である。建国の経緯がどうであれ、イスラエルだけが一方的に被害者であるというのは、ユダヤ選民思想による強弁だと言われても仕方がないのではないか。
パレスチナやイスラーム過激派との諍いについての説明もあった。「我々は最大限譲歩したが彼らは譲歩しない。クルアーン(コーラン)には『敵を殺せ』と書いてある。原理主義者は再解釈を許さないから、これを子供たちにもそのまま教えている」
これは正しい受け止め方ではない。確かにクルアーンには「殺せ」「殺戮するに至るまで首を打ち(切り)」などといった戦闘的・攻撃的な文言が記されている。しかしそれは「不信仰者」や「多神教徒」らを相手取ったもので、「ユダヤ人を殺せ」と特定したくだりは存在しない。ユダヤ教徒を責めたり貶めたりしている箇所はあるにはある(第5章82節、第58章8節など)。とはいえ、大筋では同じ「啓典の民」として、ユダヤ教徒はキリスト教徒とともに、尊敬はされないまでも共感をもって描かれている。
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ムスリムは穏やかで優しい人々であるという。それが事実であるかどうかは知らない。非ムスリムと同じく、そういう人もそうでない人もいるのではないかと想像する。とはいえ、クルアーンに基づいて判断するなら、少なくともムスリムは(本来は)先制攻撃を禁じられている。第2章190節に「アッラーの道において、おまえたちと戦う者と戦え。だが、法(のり)を越えてはならない」と記されているのだ。イスラーム学者によれば、法を越えることとは「最初に戦いをしかける」「非戦闘員と戦う」ことである(中田考監修『日亜対訳クルアーン』脚注。この稿のクルアーンの日本語訳はすべて同書による)。イスラーム原理主義は、歴史家氏が言うように譲歩しない。アルカイダ、ボコ・ハラム、ISなどの過激派テロ集団は明らかに「法を越えて」いる。だが、パレスチナ国(パレスチナ自治政府)は彼らとは異なる。イスラエルはもとより米英仏や日本などは認めていないが、国連加盟国193ヶ国中136ヶ国が承認した国家である。しかし、現在のイスラエル政権はその言い分をほとんど聞かない。そして、軍事力の圧倒的な差は明らかだ。イスラエルの人権団体ベツェレムとイスラエル外務省によれば、イスラエル=パレスチナ紛争における死者の数は、前者が1503名、後者が7978名(1987〜2011年)。殺すのは、相手が「譲歩しない」と見ているからだろう。「相異なる意見を知ることこそが重要」だというタルムードの教えは、ここでは完全に無視されている。
自称ムスリムの中に、とんでもなく強欲で利己主義的な者がいることは、アラブ諸国の為政者たちを見ればわかる。欧米亜の石油消費国と結託し、人口の大半を占める外国人労働者を搾取する。不労所得で贅沢三昧に耽り、貴金属やブランド品や数十億、数百億円の美術品を買い漁る。こうした浪費と蓄財に走る様は、シャリーア(イスラーム法)的に完全にアウトではないか。国民の不満を募らせ、原理主義を覚醒させたのは彼ら湾岸の王族たちにほかならない。腐敗臭が漂う汚物の中から、無差別に人を刺す毒虫が生まれたのだ。ただし、汚物を生んだのは、欧米がもたらした資本主義である……。
そんなことを考えながら日本に戻ってきたら、米国の大統領による「エルサレム首都認定発言」が飛び出した。発言の動機についての憶測は様々になされているが、確実に言えるのは、中東の情勢が不安定になれば米国の武器がいまよりもさらに売れることだ。ビジネスマン出身の大統領は、東アジアでも同様の商法を日韓相手に繰り広げた。北朝鮮とは違って、中東から発射されるいかなるミサイルも米国には届かない。中東で戦争が起こったとしても、米国民は安全でいられる。イスラーム圏からの入国を制限する大統領令も、この日のために発令されていたのかもしれない。
ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の聖典・正典・啓典であるトーラー(旧約聖書冒頭のモーセ五書)には、神の言葉として以下のような一節が記されている。「あなたは寄留の他国人を苦しめてはならない。また、これをしえたげてはならない。あなたがたも、かつてエジプトの国で、寄留の他国人であったからである」(「出エジプト記」第22章21節。日本聖書教会訳)。この言葉はいま、どれだけの人に読まれているのだろう。
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話を帰国前に戻そう。旅の最後の日に内藤礼のインスタレーションを観に行った。テルアヴィヴ美術館に委嘱されて作った新作である。同館は、1932年に開館した中東でも最大級の現代美術館。以来、増築を重ね、2002年に完成した新館が内藤作品の舞台だ。プレストン・スコット・コーエンが設計した5階建ての建物は三角形と四角形が基本モチーフで、インスタレーションは展示室、エスカレーター、通路に囲まれた三角形の吹き抜けに設えられていた。空間の天井高は27メートル。床面積は学校の教室3つ分くらいだろうか。
例によって極めてシンプルかつミニマルな作品である。遠目にはほとんど何も見えないが、近づくと高い天井から細いテグスが垂れ下がっている。全部で16本。8本ずつ、両手を広げたくらいの直径の円、いや、正八角形をふたつ成している。小さなガラスのビーズがいくつも付けられていて、天窓から入る自然光や周囲の照明を受けてほのかに煌めく。
三和土のような床には、内藤ファンにはお馴染みのコップかビーカーのような小さなガラスの器がふたつ。水が半ばまで入れられている。うっかりすると誰かが蹴飛ばしそうだが、近くに監視スタッフが座っていて、未然に事故を防いでいる。
壁には、目の高さのあたりに人形(ひとがた)が設置されていた。東日本大震災後に作家が作り始めた数センチの、円空仏を想わせる小さな木彫作品「ひと」だ。これもふたつ。器から7〜8メートル離れたところに、対称形に置かれている。対称、相似、相対することが主題のひとつかもしれない。作家はそれを「鏡対称」という言葉で表現する。
「これまでは『ひとり』『ひとつ』に関心があって作品を作ってきました。スザンヌさん(テルアヴィヴ美術館のスザンヌ・ランダウ館長)との出会いがあって、それから『ふたり』について考えるようになったんです。この展示は鏡対称で、目に見えない鏡がまん中にある。私とあなた。あなたから見た私。私から見たあなた」
「これまではまるみややわらかさを表現してきたので、鋭角の空間で展示を行うのは初めてかもしれません。でもこれが、イスラエルの印象でもあります。『ふたり』や『他者との関係』が、制作中いつも念頭にありました」
内藤は2013年に、平和をテーマとした『ピース・ミーツ・アート!』展(広島県立美術館)に「ひと」などを出展している。それ以外に直接的に政治的な主題の作品を公にしたことはあまりない。今回の作品タイトルは「Two Lives」(ふたつの生)。隣にある展示室では、官能的な作品を並べたルイーズ・ブルジョワの小個展が開催されていた。『Twosome』(ふたり)という、そのタイトルとの対照の妙が印象的だった。
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以下に、会場に掲示されていたアーティストステートメントを引き写す。太陽の光はどんなに小さなどんなに低いところまでもたどり着き
尽きることがなかった
無数のわたしたちひとりひとりはその光をひとしく受けとった
わたしたちひとりひとりは立つ場所がすこし離れているというだけで
たったひとりで固有の光を受けとった
せいいっぱい受けとった
明るい地上には あなたの姿が見える
鏡のようにわたしたちは見つめあってもいいのだ
わたしの見ているあなたは あなたの見ているわたしにひとしいか
そこに見つけたものを何と呼ぼう
この空のもと 草花とともに
内藤礼
10.9.2017
パレスチナ難民の帰還について「譲歩」とも受け取りうる発言をしているパレスチナのマフムード・アッバース大統領はさておき、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相に、ハマースのイスマーイール・ハニーヤ党首に、米国のドナルド・トランプ大統領に、腐敗した為政者やテロリストたちに、この言葉をぜひ読ませたい。テルアヴィヴ美術館からパレスチナ(イスラエルに言わせればパレスチナ暫定自治区)までは、直線距離にしてわずか十数キロメートルである。「目に見えない鏡」を挟み、人々は同じ空のもとで、同様の草花を愛でながら(そして暴力の連鎖に怯えながら)暮らしている。
※Rei Naito: Two Livesは、テルアヴィヴ美術館にて、2018年4月28日まで展示される