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会田誠の『げいさい』
小崎 哲哉

2020.08.03
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会田誠の小説『げいさい』は、以下のような書き出しで始まる。

「美術家として僕のキャリアなんてまだまだ大したことないのだが、それでも時々雑誌なんかからインタビューを受けることはある。そのつど、どういう経緯で美術家になったか、通りいっぺんのことは答えている。波乱万丈の面白い話も取りたててできないが、美術家というだけで世間からすれば珍しい存在なのか、そういう話にもそれなりの需要はあるようだ。ただし本人としては、毎回悔いのような、フラストレーションのような、微妙な感覚が残る。(中略)『よし、ここは一つ、小説のようなスタイルで書いてみようじゃないか』と思い立った。」



つまり『げいさい』は、フィクションを装ったノンフィクションを装ったフィクションである。変種のメタフィクションと呼んでもいいだろうが、ともあれこの小説は、そのスタイルによって成功している。美術予備校に通う語り手の二朗は、作者の分身(のひとり)として思ったことを自由に口に出来る。しかも、若いばかりでなく「どこの馬の骨ともわからない田舎者」という設定ゆえに、素朴な質問を発することが不自然に映らない。

1986年の東京、芸術大学(多摩美術大学)の学園祭という舞台設定も巧妙だ。この年には旧ソ連のチェルノブイリで原発事故が起こり、国内ではオウム真理教など宗教セクトの芽が胚胎されていたが、バブル直前の日本社会は、表面的には軽佻浮薄な躁状態にあった。「スリラー」「ライク・ア・ヴァージン」「ミス・ブランニュー・デイ」「『夕やけニャンニャン』のエンディング・テーマ」などのヒット曲が時代の雰囲気を伝える一方、『美術手帖』『ユリイカ』『WAVE』などのカルチャー雑誌、『AKIRA』『流星課長』などの漫画や『ノスタルジア』などの映画、ローリー・アンダーソンやヨーゼフ・ボイスといったアーティストの名前がごく自然に出てくる。

82年にアルバム『ビッグ・サイエンス』を発表したローリーは、84年にナム・ジュン・パイクが行った衛星放送プロジェクト『Good Morning, Mr. Orwell』に参加し、日本でも知名度が高まっていた。「社会彫刻」を提唱したボイスは、84年に西武美術館で開催した個展のために来日したが、2年後のこの年に他界している。資本主義に批判的な前衛アーティストが、資本主義社会の象徴とも言える企業(西武)に招聘されて来日する。その矛盾と思える行動がアート界で論議の的となっていた(来日時に東京藝大で開催された対話集会では、「自己矛盾だ」と詰問する学生を、ボイスは「芸大は中央集権的に組織された国家の大学だ。芸大と西武は同じ状況内にいる」という奇怪な理屈で煙に巻いた。その模様は、若き日の今野裕一や畠山直哉らが撮影したドキュメンタリー映像に残されている。真っ先に手を挙げ、真っ先に論破されたのは、これも若き日の宮島達男。『げいさい』では、ある登場人物が「質問した芸大生がことごとく国辱級のバカでさ」と腐している)。



『げいさい』は、帯に「明るくも切ない青春群像劇」と記されている通り、よく出来た青春小説である。特に男性読者は、年齢を問わず甘酸っぱさや苦さが胸にグッとこみ上げてくるのを感じることだろう。芸術大学や美術予備校の実態、絵画の道具や技法など、門外漢にも楽しいトリビアがちりばめられてもいる。あえて類型化された登場人物の、あるときはユーモラス、あるときはシリアスな会話も面白い。読むべきはしかし、それらだけではない。一見単純に織られた物語には、実は多くの複雑な主題が編み込まれている。

夜の学園祭の模擬店では、下品な噂話から高尚な芸術論までが交わされるが、ボイスについての議論を酔った教授と学生の間で戦わせることによって、現代アートに疎い読者にも事情が容易に呑み込める。酒席の会話であるだけに、大仰な台詞が、これも不自然に感じられない。他方、東京藝大の因習的な受験問題や、それに対応するための美術予備校の「受験テクニック」の話、さらには日本の美術界の閉鎖性や美術教育の遅れについての話題も出る。例えば、「日本の美大の何がおかしいんでしょうか?」という二朗の問いへの、滞欧経験がある30歳過ぎの「多摩美の助手長」の答えはこうだ。

「ここにいた馬場ってヤツが言ってた通り、日本の美大は入りにくすぎる。予備校で疲弊して燃え尽きる人が多いっていうのも、アイツの言う通り。そしてそんなに苦労して入る東京芸大が、それに見合う中身を持っているかというと、はなはだ疑わしい。芸大なんて国際的にはまったく知られていない。ただ国内で知名度が一人歩きしているに過ぎない」

「(外国の美術大学は)いずれにせよ、日本みたいな気ちがいじみた受験戦争はないよ。美大に限らずあっちの大学は、入りやすいけれど出にくいが常識だからね。あと、どこもアートヒストリー……美術史をがっちり勉強させる傾向もあったな」

「(日本は)遅れているといえば遅れている。でもそれは仕方ない。やっぱりシビアにいえば、日本は世界の中心から地理的に遠いからね。それより一番の問題は、歴史認識とか歴史感覚の欠如なんだと思う。そういうきちんとした軸がなく、ただ表面的に、場当たり的に新しいものを取りこもうとするから、日本は何事もうまくいかない」

ここで語られているのは、いうまでもなく「日本の美大」のことだけではない。美大にことよせて、日本というシステム全体が俎上に載せられている。教育、政治、メディア……。絵画などのアート作品に見られる会田の批判精神が、この小説でも十全に発揮されている。

甘酸っぱさや苦さがこみ上げてくるのは、二朗が青春期のさなかにいることだけが理由ではないだろう。社会に向き合ったときに誰もが感じる息苦しさが、酸欠気味の模擬店の会話から感じ取られる。「六浪して美大に行けなかった、しがない絵描き」の馬場は、泥酔してこう叫ぶ。「何が世界だ! 何が普遍だ! きれいごと言ってんじゃねえ! オレたちはこの日本という、どーしようもねえ肥溜めの蛆虫同士じゃねえか!!」



画家が書いた小説だけに、視覚的なモチーフが印象的だ。特に重要なのは「火」と「泥(土)」。前者は「地獄草紙」や速水御舟の「炎舞」などが、後者は岸田劉生の「道路と土手と塀(切通之写生)」や藤田嗣治の「アッツ島玉砕」などが、それぞれ発想の源になったのではないか。まったく的外れかもしれないが、そんなことを考えながら読むのも楽しい。アートファンにとっては気になるであろう、登場人物のモデル探しよりもはるかに。

これも当然だが、本書には黒田清輝からマルセル・デュシャンまで、多数のアーティストの名が出てくる。中でもフィンセント・ファン・ゴッホは、語り手の二朗にとって特別な存在として扱われている。会田もインタビューなどでゴッホへの敬愛の念を語っているから、二朗のゴッホ観は、会田のそれとかなりの程度重なっていると見ていいだろう。「フィクションを装ったノンフィクションを装ったフィクション」であるのだから、この見方が絶対に正しいとは言い切れないけれど。

会田は「画家」を自称することを好むが、作品を観る限り、完全に世界標準のアーティストである(ここで「世界標準」とはデュシャン以降の——ジョセフ・コスースが述べる意味での——コンセプチュアルアーティストであることを指す)。ほとんどの作品は、考え抜かれたコンセプトが、視覚的・感覚的なインパクトと、幾層ものレイヤーを伴って提示される。メディウムも絵画に限らず、立体や映像なども用いられる。

ゴッホ好きの二朗は、デュシャンを知って、「素朴で粗野な描き手としての僕」と対極にあると感じつつ、デュシャン以降の現代美術にも「一定の理解を示せるようになった」。二朗が著者の正確に近い分身だとすれば、現在の会田誠は「画家を装った現代アーティストを装った画家」なのかもしれない。実際、『げいさい』の最後の一文はその見方が正しいことを暗示している。だが、その一文がフィクショナルなものでないという保証はない。会田誠は「画家を装った現代アーティストを装った画家」と「現代アーティストを装った画家を装った現代アーティスト」のどちらなのだろう。

どうでもよいことのように聞こえるかもしれない。だが「現代アートとは何か」に続いて「絵画とは何か」に思いをめぐらせている僕にとっては、この問いは個人的にかなり重要な問いである。会田の活動を、これからも見続けていこうと思う。