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「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である」か?!
文:浅田 彰

2015.04.12
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浅田彰

台湾のヤゲオ財団のコレクションを展示する「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展」が京都国立近代美術館で始まった。現代美術に興味があるなら、興味深い作品がいくつか見られるので、見に行く価値はあるだろう。しかし、これは国公立美術館で麗々しく展覧会を開くに値するコレクションではなく、そもそも展覧会の企画は愚劣の一語に尽きる。それが今回の結論だ。

私はこの展覧会を2014年6月に東京国立近代美術館で見たのだが(その後、名古屋と広島を経て京都に巡回してきた)、そもそもこの珍妙なタイトルの意味がまったくわからなかった(後に述べる理由で図録のエッセーなどは読んでいない)。ただ、入館者に渡される「展覧会を別の角度から楽しんでいたたくためのガイド」を見ると、「今からあなたに50億円をお渡しします」と書かれている。キャプションに「collector challenge」マークのついた作品から気に入ったものを数点(上限5点)選んで、推定市場価格の総計が50億円を超えなければOK、というゲームであるらしい。「現代美術のマーケットではこれほど巨額のマネーが飛び交うんですよ、すごいでしょう?」と言えば「無知な大衆」が驚くとでも思っているのだろうか。アート・マーケットが世界中の成金の投機ゲームの場に成り果て、そこで異様なバブルが発生しているということは、少なくとも四半世紀ほど前から誰もが知っている常識だ(ミシェル・ウエルベックのゴンクール賞小説『地図と領土』にも「ダミアン・ハーストとジェフ・クーンズ、アート市場を分けあう」という虚構の作品が登場するくらいなのだから)。日本にも生き馬の目を抜くその修羅場で成功を収めてきた杉本博司(今回の展覧会にも作品が含まれている)や村上隆のようなアーティストがいる。そこへ、いまさら現代美術をめぐる投機の「華々しさ」を「啓蒙」しようというのなら、「大衆」にもアーティストにもあまりに失礼な話ではないか。逆にシニシズムに徹して、この一連の展覧会でハクをつける事実上の代償としてヤゲオ財団から50億円の寄付を獲得したとでもいうのなら悪趣味とはいえ辣腕と認めていいかもしれないけれど、日本の国公立美術館で展示したからといってハクがつくわけもなくもともと無理な話、実際には成金に招かれて舞い上がった田舎書生が成金にいいようにあしらわれているとしか見えない。仮にも国公立美術館での展覧会なのだから、少なくとも、アート・ワールドがアート・マーケットに引きずられている現状に対する冷静な認識と、美術館の立場からの批判的な態度表明があってしかるべきところなのだが、展覧会場をざっと見るかぎり、そのような情報やメッセージを読み取ることはできなかった。
とはいえ、大半の観客は(そして私も)展覧会の企画意図などどうでもいいので、いかに愚劣な企画であろうと良い作品が見られればそれでいい。その点、この展覧会では、ウォーホルやベーコン、リヒターやキーファー(ただ京都会場ではツェランの「死のフーガ」による《君の金色の髪マルガレーテ》は展示されていない)、そのほか多種多様なアーティストの作品を見ることができ、現代美術に関心のある観客は一応見に行く価値があるだろう。デイヴィッド・ホックニーが卒業論文を書くのを拒否してかわりに提出した《学位のための人物画》(彼はこれで無事に卒業した)は名作でも何でもない未完作品だが、アート・スクールの学生が見ると面白いかもしれない。ただ、こうして個々の作品を見ていても気になるのは、キャプションの作品解説がいかにもずさんなことだ。

たとえばポール・チアン(江賢二)の《秋》。黒い画面に般若心経の英訳が書き込まれているが、そんなことくらい「無知な大衆」でもわかるだろうということか、日本語では解説されていない。それより問題なのはサブタイトルだ。《姿を変えられた夜》とあるが、英訳サブタイトル《Transfigured Night》は、デーメルの詩をもとにシェーンベルクが作曲した《Verklärte Nacht》(日本語では『浄夜』ないし『浄められた夜』と訳される)の英訳なのではないか。そう思って担当キュレーターの保坂健二朗(注1)に問い合わせたところ、確かに作品の裏側には台湾人の画家の手で《浄夜》と書いてあったという。教養の崩壊はいまに始まったことではないとはいえ、国立近代美術館の主任学芸員が《浄夜》というタイトルを見てもシェーンベルクの記念碑的作品を連想せず、「無知な大衆」にもわかりやすいよう《浄夜》という難しい漢語を《姿を変えられた夜》というやさしく夢のある日本語に変えてしまうというのは、やはり驚きだった(京都会場で見たところ《浄められた夜)に修正されていた)。(ちなみに、そのときのメールで、保坂健二朗は、アートと経済の関係について図録にエッセーを書いたので送ろうと思ったが、考えてみれば経済について付け焼刃で書いたテクストを私に送るほど愚かなこともないので送るのは控えておく、と書いていた。私にはとても読ませられないということであるらしい。私に読ませられないものを、図録を買った公衆に読ませるというのは、一体どういうことかとは思うが、彼の意志を尊重していまに至るまでそのエッセーを含む図録のテクストは読んでいない。したがって、ここで述べている不満が図録ですでに答えられているとすれば、ただちに謝罪して撤回する用意がある。念のために確認しておけば、保坂健二朗と私は敵対しているわけでも何でもなく、彼はそのメールで、この展覧会が京都に巡回するとき私にトークでもしてもらえれば、とも書いていた。京都国立近代美術館からはコンタクトがなかったが、それは京都のキュレーターの判断だろうし、私は現代美術の専門家ではないのでその判断は少しもおかしくない。)

あるいはマーク・タンジーの《サント・ヴィクトワール山》。この絵の遠景には確かにセザンヌの最大のテーマだったプロヴァンスの山の特徴的な形が描き込まれている。しかし、前景はセザンヌが水浴する人々を描いたいくつかの作品を引用源としており、裸になって水浴する兵士たちが描かれているのだが、水鏡にはみな女性になって映っている。その男たちの中に、左端近くに座ったジャン・ボードリヤール(彼と左端の兵士だけが水鏡に映っていない)、横座りのロラン・バルト、その右に立ってトレンチ・コートをはだけたジャック・デリダが描かれているのだ。これまた「無知な大衆」でもわかるだろうという判断に基づいて解説を省いたのかもしれないが、タンジーは崖で死闘を演ずるホームズとモリアティよろしくデリダとド・マンを描いた絵などで知られる画家なので、絵解きのための最低限の情報は提供しておくべきだろう。(私個人は、タンジーの絵を洗練されたジョーク以上のものとは考えないのだが、美術館で展示する以上、それにふさわしい扱いが必要であるはずだ。キュレーターが必要な情報を明示してくれていれば、批評家としては安心して内輪のパロディ・ゲームの限界を指摘しておけばすむのだが。)

こうした指摘に対し、保坂健二朗は、この展覧会が巡回していく途中で必要な解説は付け加えていきたい、とメールに書いていたが、少なくとも京都で見るかぎり、キャプションや解説は前とほぼ同じで、追加された情報は無いように思う。

繰り返して言えば、こうした不満はあるにせよ、この展覧会にも見るべき作品はいろいろある。とくに、台湾のコレクションだけあって、中国の近現代美術が焦点のひとつとなっており、まとめて見るといろいろな発見があるだろう。たとえば、日本ではもっぱらフランスのアンフォルメル運動との関連で理解されているザオ・ウーキー(趙無極)を中国の近現代美術史に置き直すとどうなるか。最近の作品で印象深かったのは、ツェ・スーメイの《名人(川端康成に捧ぐ)》だ。川端康成が『名人』で描いた1938年の21世本因坊秀哉の引退碁のいくつかの局面を再現したものだが、碁盤を純白にしてしまうことで静かな緊張感だけを抽象して作品化することに成功している。だが、ここでも作者や作品の紹介の仕方にひっかかりを感ずる例が無くはない。たとえばチェン・チェンボー(陳澄波;注2)が1947年の2.28事件(中国本土で共産党に負けて台湾にやって来た国民党政権が、台湾人の抵抗を武力で弾圧し、2万8千人もの犠牲者を出したと言われる事件)の犠牲になったことを記したあと、「近年では再評価の機運が高ま」ってきた証拠として、展示されている《淡水》が2006年のサザビーズ(香港)のオークションで3484万香港ドル(5億2260万円)/2007年のクリスティーズ(香港)のオークションで5072万7500香港ドル――なぜかキャプション/カタログの記述が異なる――で落札されたことが記される。反共政権に処刑された画家がアート・マーケットによって救済されたというのか。あるいは反共政権の犠牲者さえ投機のネタにしてしまうアート・マーケットの残酷さを強調しようというのか。それは観客が考えることだから事実だけを記すというのがキュレーターの逃げ口上かもしれないけれど、例の50億円の collector challenge ゲームなど展覧会全体の文脈の中で見ると、「オークションで作品が高額で売れたのはすごい」というメッセージだけが残ってしまうので、ここはやはりもう一歩立ち入った態度表明が必要だろう。
そう、現在のアート・ワールドが過熱したアート・マーケットに引きずられていることは事実で、その状況をシャープに分析・評価し提示することには意味があるだろうが、この展覧会の問題は、現状認識も、現状に対する評価も、きわめて曖昧でしかないところにある(この問題に関して中立的であることが許されるとしての話だが、中立的であることと曖昧であることはまったく違う)。これほどずさんな生煮えの企画がそのままの形で実現され、4館もの国公立美術館(東京国立近代美術館・名古屋市美術館・広島市現代美術館・京都国立近代美術館)で麗々しく公開されてしまう――あえて言えば「国辱的」なこの惨状を見ると、日本の美術館も落ちるところまで落ちたと言うほかはない。

ところで、この展覧会には、マーク・クインによる醜悪と言うも愚かな作品――ヨガであられもないポースをとったケイト・モスの金ピカの彫像が含まれており(これに比べると村上隆のフィギュアのいかに洗練されていたことか!)、それが浅薄と言うも愚かなポスターやフライヤーにフィーチャーされている。さすがにこれはアート・マーケットに引きずられたアート・ワールドに対する皮肉あるいは自嘲なのだろう。この作品の大型ヴァージョン《神話(スフィンクス)》が東京では美術館の前庭に麗々しく飾られていたのだが、京都では見当たらない。キッチュとしか見えない平安神宮の朱色の大鳥居の下にあれば面白い見ものだったかもしれないのに。いや、向かいの京都市美術館の前庭に止められたやなぎみわの舞台トレーラーの中にこの彫像を置き、毎日ご開帳に及ぶのがよかったかもしれない。ともあれ、京都市美術館はパラソフィアの主な会場であり、パラソフィア参加者の作品が京都国立近代美術館でもいくつか展示されているので、せっかくだから見ておくといいだろう。たとえばヤゲオ財団コレクションに含まれる、蔡國強が火薬と墨で描いた《葉公好龍》(ちなみに、このアーティストは自作が10億円近い価格で落札されたときも、「いやあ、明日には10円になるかもしれないよ」とクールに笑っていた)。常設展にも、この美術館で2009年に開催されたウィリアム・ケントリッジ展(翌年に東京と広島に巡回)で見たアナモルフィック・アニメーション《やがて来たるもの(それはすでに来た)》(形式面における光学装置への関心と内容面における歴史への関心を組み合わせたもので、ショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲第2番からエリトリアやエチオピアの音楽まで含む音楽の選択を見ても、近年のケントリッジの仕事を圧縮して示す作品と言ってよい)をはじめ、やなぎみわの映像作品や写真作品、森村泰昌によるレンブラントやフェルメールのパロディ、笠原恵実子の立体作品、アナ・トーフの写真作品など、見落とせない作品が展示されている。ヤゲオ財団コレクション展の嫌な後味を忘れるためにも、ぜひ。

マーク・クイン《ミニチュアのヴィーナス》
2008年 ヤゲオ財団蔵 ©Marc Quinn


展覧会フライヤー(表面)


 


注1:やさしさの時代の草食系キュレーターについて
保坂健二朗と会ったのは彼が中心となって企画した2013年のフランシス・ベーコン展のときだった。

日本では1983年にブリティッシュ・カウンシルのイニシアティヴにより東京国立近代美術館・京都国立近代美術館・愛知県文化会館美術館でベーコン展が開催され、44点(三幅対などは1点と数える)の作品が展示された。この年には東京都庭園美術館(最近リノヴェーションを終えて再開された)の開館記念展としてグッゲンハイム美術館展が開催され、《磔刑のための三つの習作》も展示されたので、それとあわせればベーコンの重要な作品のかなりの部分を日本で見られたことになる。『ヘルメスの音楽』(筑摩書房、1985年→筑摩学芸文庫、1992年)のベーコン論もその機会に書いたものだ。(ちなみに、庭園美術館から出たところで小崎哲哉と如月小春に出会ったのは彼のブログ[2013年03月13日「杉本博司、I・ギュンター、F・ベーコン」]の記述の通りだが、正確に言うとそこで開催されていたのはベーコン展そのものではなかった。)

対して、2013年に東京国立近代美術館と豊田市美術館で開催されたベーコン展は、作品数も33点と少なく、重要な作品はあまり含まれていなかった。とはいえ、バルチュス展評でも書いた通りベーコンの人気が異常に過熱し作品価格も高騰している現在、限られた予算でベーコン展を実現するだけでも大変なことは想像に難くないから、保坂健二朗の健闘を高く評価し、微力ながら協力は惜しまなかった。展覧会の特設ウェッブサイトにメッセージを寄せたし、NHK日曜美術館「恐ろしいのに美しい フランシス・ベーコン」(2013年5月5日放送)でも話をした(私はNHKのディレクターに「大江健三郎のモノローグで十分だろう」と強く言ったのだが、ホスト役の井浦新とのダイアローグも必要だったらしい。普通、ホストはゲストが話しやすいように気を遣うものだが、このときはホストがうまく話せるようにゲストの私が気を遣わねばならず、自分ではほとんど何も話せなかった記憶がある。大江健三郎がベーコンの叫びから反原発デモの話に移って「静かな叫びもあるのだ」という主旨のことを言った、あそこだけでも再放送の価値はあると思うのだが、どうだろうか)。他方、京都造形芸術大学と東北芸術工科大学が共同で運営する東京藝術学舎では保坂健二朗を中心とする連続講座を開催してもらい、私もその枠でいちど彼と対談したことがある。

そういうわけで、批判をする資格は十分あると思うから言うのだが、この展覧会にもいくつか問題があった。まず、東京展の作品配置は悪くないものの、とにかく照明が暗すぎる。ベーコンは若い頃インテリア・デザイナーだったことがあり、人体の背後にはモダンな室内空間が描かれていることが多いのだが、たとえばソファらしきものがどうなっているのか、展覧会場では暗くて見えず、NHKのクルーが撮影のために照明を当てて初めてはっきりわかるというありさまだった。他方、豊田市美術館では最初から背景もくっきり見え、追加撮影に来たNHKのクルーも「東京での苦労は何だったんだ」と言っていたくらいだ。こちらが標準だとすると、東京展の観客は暗い照明のせいで見えるはずのものも十分に見られなかったことになる。これはキュレーターとして見過ごせない問題ではないのだろうか。

もうひとつ、1983年の展覧会のカタログには市川政憲と Lawrence Gowing (ローレンス・ガウィング;当時の表記はゴーイング)のエッセーが掲載され、基本的な情報と論点がきちんとまとめられていた記憶がある。他方、今回のカタログの保坂健二朗らのエッセーにもいろいろ興味深い事実や論点が含まれてはいるのだが、総じて、既成のベーコン論を既知の前提とした上で、いろいろと修正を提案するにとどまっている印象であり、新しい総合的なベーコン像が提示されているとは言い難い――細部にも穴が多いことは措くとしても。またその修正の軸がいわば肉食系から草食系への転換なのだとしたら? たとえば、保坂健二朗はベーコン展より前のゴッホ展でもゴッホが色とりどりの毛糸の玉を使って色彩の実験をしたりしていたことを強調していた。同様に、ベーコンのアトリエがおそるべき混沌状態にある半面、キッチンはわりあいきれいに片付いており、編集室の壁のように自作の写真がいくつかかけてあったりする、というわけだ。しかし、そもそもマッチョな画家が理屈ぬきで力まかせに絵の具を画面に叩きつけるなどという神話が、ゴッホやベーコンについてまだ生きているのだろうか。ゴッホが新印象派の影響下で点描を試みたことは教科書にも書いてあるし、ベーコンが画家になる前にデザイナーとして働いていたこともよく知られている。保坂健二朗は「暴力」という言葉抜きでベーコンを語りたいと言う。だが、『ヘルメスの音楽』のベーコン論の引用を繰り返せば、なぜ友人たちばかりモデルにするのか聞かれたベーコンは「友だち以外のだれをバラバラに引き裂いたりできるだろうか」と答えている(もちろん私のこのレヴューもベーコンの精神で書かれている)。肉食系の画家ベーコンの愛=暴力とはそのようなものなのだ。やさしさの時代の草食系キュレーターはベーコンをも草食化したいのかもしれないけれど、それは「自分が傷つきたくないから他者を傷つけないようにする」というやさしさと称するナルシシズムへの退行でしかないだろう。少なくとも私にとって、そのように去勢され草食化されたベーコンはベーコンではない。

もちろん、保坂健二朗が個人としてそのようなベーコン像を提示したいのなら、それは完全に自由である。むしろ、私が問題だと思うのは、マッチョな権威主義者でありたくないという願望ゆえに、国立近代美術館の展覧会の解説やカタログでも今後の研究や批評の土台となりうるがっちりした言説を展開できずにいるのではないか、ということだ。国立近代美術館の主任学芸員ともなれば、authoritarian ではなくとも authoritative であってしかるべきだろう。公衆の期待に応えるとはそういうことであって、こどもにもわかると称するやさしくあたりさわりのないエッセーもどきでお茶を濁すことではない(もちろん本当はこどもはいちばんこわい相手であって、大人がちょっとでも迎合しようものならすぐ見抜かれてしまうのだが)。日本人が全体に幼稚化したため『NHK週刊こどもニュース』の「お父さん」だった池上彰がいたるところに解説者として顔を出す時代なのだから、保坂健二朗も週刊こども美術ニュースの「お兄さん」になれば人気が出るかもしれない。だが、いま本当に(とりわけとめどない大衆化・幼稚化に対する最低限の歯止めの機能を期待される国公立美術館において)必要なのはauthoritative な展覧会を企画するキュレーターであり、そのauthority を真っ向から徹底的に批判する批評家なのである。
さらに付け加えるなら、個人としてソフトなベーコン像を提示するのは自由だと言った、実はそこにも問題はある。展覧会とあわせて保坂健二朗を中心に編集された『芸術新潮』2013年4月号のベーコン特集は、わずかなテクストを除き、対談・座談会が主だった。 茂木健一郎・鈴木理策・中原昌也・佐々木中との対談も問題だらけだったがそれはさて措き、都築響一との対談では事情通ぶってゲイの世界での裏話が語られる――ただし「われわれにはわからないけれど」という留保によって自分たちを安全地帯に置きながら。先進国でこんな記事が出たら非難が殺到していただろう。(安藤モモ子・金沢百枝・原田マハ・松井冬子の「ベーコン女子会」でもゲイの問題が取り上げられるが、そこまでひどくはない。しかし「ベーコン女子会」とは……)

2年も前のベーコン展について長々と批判を連ねてしまったが、それというのも、問題はその後もひどくなる一方だと思うからだ。ヤゲオ財団コレクション展はその最悪の例である。実はそれだけではない。2014年12月2日-2015年3月1日に東京国立近代美術館で保坂健二郎を中心に「高松次郎ミステリーズ」という何とも安っぽいタイトルの展覧会が開かれた。しかし、そもそも作品数が少なく、「一見謎めいた(高松)の作品をわかりやすくていねいに読み解きます」と称する解説もちらっと見た限りでは焦点が合っていないものがほとんど。会場の一画に託児コーナーのようなものがあると思ったら、会場全体を一望しながら(クロノロジーに沿ったリニアな構成でないことを見てほしいということか)資料を読むスペースなのだという。こんな下らない思いつきのために空間と予算を割くくらいなら、少しでもたくさんの作品をしかるべき条件で展示し厳密な情報を提示するのが、美術館の当然の責務ではないか。「よいこのためのたかまつじろうミステリーワールド」とも言うべきこの展覧会を見たアーティストの同時代人たちが憤激をあらわにしていたのも無理のないことだと思う。

対して、大阪の国立国際美術館で始まった「高松次郎 制作の軌跡」展(2015年4月7日-7月5日)は、全館を使った充実した展示で、奇を衒うことなく作家の足跡をクロノロジカルにきちんと追ってゆく。美術館としてごく当たり前のことをしているだけなのだが、東京の展覧会があまりにいいかげんだったので、「ああ、これこそ国立美術館のやるべき展覧会だ」と感心してしまったくらいだ。東京の展覧会を見た人もぜひ大阪の展覧会を見直して高松次郎を再認識したほうがよく、ハイレッドセンター(高松次郎・赤瀬川原平・中西夏之)に関する資料は広島市現代美術館で5月31日まで開催されている「赤瀬川原平の芸術原論」展に集積されているのでぜひあわせて見ておくのがよい。私は東京人ではないのでとくに問題はないのだが、いくら何でも首都の主要な美術館がここまで使いものにならないようでは困るのではないか。

先に触れたメールで、保坂健二朗は、一から出直したい気分だ、と書いていた。ぜひそうしてもらいたい。なに、簡単なことだ。アートと公衆をナメてはいけない。このことさえ意識していれば、ヤゲオ財団コレクション展のような恥ずべき愚行を繰り返すことは絶対にないだろう。

 
注2:大東亜共栄圏の美術について
チェン・チェンボー(陳澄波;1895-1947)の作品は2014年に福岡アジア美術館・府中市美術館から兵庫県立美術館に巡回した「東京・ソウル・台北・長春――官展に見る近代美術」展でも見ることができた。戦争画などの問題はかなり広く論じられるようになってきたが、それに先立つ時期、日本がアジアに進出する過程で美術に何が起こったかを、政府主導の官展を通じて跡付けようとする試みだ。タイトルの通り各論の集積で、全体的なヴィジョンをはっきり打ち出せていない憾みがあるし、そもそもこの四都市がサンプルとして十分かどうか、それらのバランスは適切かといった点については大いに議論の余地がある(ちなみに神戸でのオープニングには台湾の関係者しか来ていなかった)。とはいえ、これこそ公立美術館のやるべき地味ながら貴重な試みであり、カタログが日韓中三か国語を併用していることも含め、今後の展開のための重要な礎石となるだろう。また、これはたんに学術的な展覧会ではなく、タイトルから期待するよりはるかにすぐれた作品が多かったことも強調しておきたい。

ここで重要なのは、近代文化の一環として近代美術を西洋から受容した日本がそれをアジア各国に広めていっただけではなく、とくに1930年代から1940年代半ばにかけて日本美術がアジア各国の影響も受けつつまさしく「大東亜共栄圏の美術」として再編成されていったことだ。端的な例をあげるなら、日本の近代絵画を代表する存在であるらしい梅原龍三郎(1888-1986)は、フランスでルノワールに学んだ明るい色彩が日本の風土に合わずに悩んでいたところ、1933年に台湾を訪れて新しい境地を開き、さらに、1939年に初めて北京に立ち寄ってから、太平洋戦争の本格化する1940年代に何度も北京に滞在して、《紫禁城》(1940)や《北京秋天》(1942)といった代表作を描くことになるのだ。それをもって梅原様式の確立と言うなら、また梅原作品をもって日本近代絵画の代表と言うなら、それは台湾と中国で確立されたものだということになるだろう。(小林秀雄は、敗戦の半年あまり前の1945年1月に、画家の『北京作品集』(1944)を見て、ルノワールがヴェルレーヌなら梅原龍三郎はランボーだとすら言いたげな「梅原龍三郎」というエッセーを書いているが、私個人は伝説的な対談「伝統と反逆」(1948)で小林秀雄に食ってかかった坂口安吾と同じく梅原龍三郎は無理やり過大評価されていると思う。)

ちなみに、「東京・ソウル・台北・長春」展カタログの志賀秀孝のエッセーでは、石川欽一郎(1871-1945)が台湾で多くの近代画家を育成した、その中のチェン・チェンボー(陳澄波)らの作品が梅原龍三郎に影響を与えたのではないか、という仮説が提示されている。私にはその当否を判断する能力はないものの、そこに共通のパラダイムがあることははっきり見てとることができる。ヤゲオ財団コレクション展に含まれるグォ・ボーチュアン(郭柏川:1901-1974)の《紫禁城》(1946)などを見ると、残念ながら(?)梅原作品が突出して見えてしまうのだが……(これはそれらの相対価格に直結する問題でもある)。

また、人物画について興味深いのは、藤島武二(1867-1943:1933年に台湾で梅原龍三郎と落ち合っている)がチャイナドレスを着た女性を描き出して流行になり、そのひとつの頂点として安井曽太郎 (1888-1955)の《金蓉》(1934)が描かれる、つまり、日本近代絵画の女性像はチャイナドレスを着た姿で完成される、ということだ。この点については同じころブリジストン美術館で開催された「描かれたチャイナドレス――藤島武二から梅原龍三郎まで」展が詳しく跡付けていたが、「東京・ソウル・台北・長春」展でも、台湾のヤン・サンラン(楊三郎:1908-1995)がチャイナドレス姿の女性を描いた《扇持夫人像》(1934:安井曽太郎の《金蓉》と同年)や、チェン・ジン(陳進:1907-1998)がやはりチャイナドレス姿で音楽に興じる女性を描いた《アコーデオン》(1935:彼女はまた先住民サンティモン社の女性や子どもも描いている)などが出品されており、同時代の日本の作品と比較すると興味が尽きない。また、そのような文脈で見ると、朝鮮でチマチョゴリ姿の二人の妓生を白く平面的な画面にとらえた土田麦僊(1887-1936)の《平牀》(1933)が逆に際立って見えてくる――マネの《オランピア》を裏返した東アジアからの応答として読んでもいいのではないかと思えるくらいに。日本近代美術史はこういう広い視野から全面的に見直される必要があるだろう。

ちなみに、「東京・ソウル・台北・長春」展の神戸でのオープニングで、兵庫県立美術館の蓑豊館長(金沢21世紀美術館を館長として金沢の名所に押し上げ、サザビーズ北米本社副会長も務めた)は「このタイトルで人が来るかなあ、すごくいい展覧会なんだけどなあ」と言いながら、会場を走り回り、熱っぽく作品を解説してやまなかった。毀誉褒貶はともかく、本気で仕事をするというのはああいうことなのだと思う。

(2015年3月31日)



「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展 ヤゲオ財団コレクションより」
2015年3月31日〜5月31日 京都国立近代美術館

 

(記事公開日/2015年4月15日)