死の劇場 − カントルへのオマージュ
文:はがみちこ
2015.10.23
はが みちこ
2015年はユネスコにより「カントル年」が宣言されるなど、20世紀ポーランドを代表する演出家、タデウシュ・カントルの生誕百周年記念事業が各地で開催されている。彼が拠点としたクラクフでは、昨年秋にカントル作品のアーカイブ・センター「クリコテカ」の新館がオープンし、話題を呼んだ。そうした記念事業と連動して、日本では、昨年、京都と東京で「タデウシュ・カントル研究会」が発足し、継続して研究会を開催している。現在、その集大成として、京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA(アクア)で『死の劇場 − カントルへのオマージュ』展が開催中である(11/15まで)。
本展では、演劇と美術を越境したカントルの活動の回顧のみならず、彼の表現を継承する現代ポーランドと日本の作家が紹介されている。展示の中心となるのは映像で、とりわけ作家自身のパフォーマンスをとりいれた作品が目立つ。展覧会企画の中心となったキュレーター・加須屋明子(京都市立芸術大学教授)は、日本国内でポーランド現代美術を継続的に紹介しており、2005年には『転換期の作法 — ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーの現代美術』(国立国際美術館、広島市現代美術館、東京都現代美術館を巡回)共同キュレーターを務めた。『転換期の作法』展に出品したポーランド作家のミロスワフ・バウカ、パヴェウ・アルトハメル、アルトゥル・ジミェフスキについては、本展にも参加しており、作品を追うことができる。他に、ポーランドの作家としてヨアンナ・ライコフスカ、日本の作家として石橋義正、松井智惠、丹羽良徳、オル太が参加している。
会場構成は若手建築家の松島潤平が担当した。最初の展示室は劇場空間に見立てられ、格子窓で四方が囲まれ、後方に巨大な階段状の客席、真ん中に1脚の椅子、前方にスクリーンが設置されている。この象徴的なスクリーンには、ライコフスカの《父は決してこんな風に私を触らなかった》の映像が映され、傍らに作品の一部であるテキストが配置された。この劇場空間は、全体の上部を天井や壁などの素材そのままに、下部を黒く、塗り分けられている。カントル芸術における「現実」と「芸術」の昇降運動の関係――現実を芸術の仮象領域へ昇華することで人類史の暗黒部分にある傷を焙り出し、また他方では芸術的であることを否定して、貧しい現実への接近を試みた態度――を暗示するような空間だ。このインスタレーション自体を「死の劇場」と呼べるかもしれない。
ここに展示されているのは、主にポーランド作家の作品だ。上述のライコフスカの作品は、戦争体験者である父と作家本人との関係をモチーフに制作されており、またジミェフスキの《80064》は、強制収容所からの生還者の腕に残る、入れ墨の収容者番号にまつわる作品だ。大戦に翻弄された(作家自身も含めた)市井の人々の現実へ介入する彼らの手法が、鑑賞者に印象づけられる。アルトハメルのパフォーマンス作品などにも見られるように、直接的に政治主題を扱うのではなく、時代を生きる個人の生そのものから背景を喚起するこれらのアプローチは、カントルの作品に共通するものだといえよう。
「死の劇場」空間の出口には、松井が日々の中で継続する「今日の一枚さん」シリーズの即興的な素描より、カントルの誕生日にちなみ2015年4月の1ヶ月分と、本展のために描き下ろした油彩画が配置されている。松井自身の様々な感覚や記憶から生み出される形象は、文脈を越えてカントルから現代へ流れるポーランド美術の持つ傷みの感性に寄り添うように思われた。また《「ヒマラヤ」2003-2015》は、当時作品が発表された画廊の建物を舞台に、1階の外部(現実)から最上階の画廊(芸術)まで、這い上がりそして這い降りていくという、まさに昇降運動を行うパフォーマンスの映像だ。その苦しげな動作は、作家を演者というよりは労働者であるとさえ感じさせる。労働の果てに、「ヒマラヤ」というタイトルが示す精神的な高みに登り詰めた時、子鹿のシルエットが意味深く浮かび上がる。
本展では松井のこの作品が、「3.11」以後の世界を考察する、より若い世代の日本作家の展示へのゆるやかな導入となっている。丹羽の《首相官邸前から富士山頂上までデモ行進する》は、デモに参加したそのままの姿で、其処から富士山の山頂を目指すパフォーマンスのドキュメントだ。松井の作品においては比喩であった登山が、丹羽の作品では実際に行われており、神聖な山へ登ることが、他を断ち自己内省する行為としてリフレインする2作の併置は、興味深いといえよう。オル太は、アウシュヴィッツやチェルノブイリ等のリサーチを元に継続的に展開する《目覚め(GHOST OF MODERN)》のパフォーマンスを、本展のオープニング時に上演。松井作品でも象徴的に現れた子鹿というモチーフに多義性を込めて登場させた。その際の映像は、展示したインスタレーションに組みこまれている。
オル太のパフォーマンスに限らず、演劇を主たる表現媒体としたカントルへのオマージュだけあって、上演・上映プログラムが多種用意されているのも本展の特徴だ。カントル自身の演劇については、代表作『死の教室』や『ヴィエロポーレ、ヴィエロポーレ』を含め、多くの作品に上映会で触れることができる。また本展に関連して、石橋の新作舞台公演『ZERO ZONE 人工知能は陸橋で積み木をつむデスか』が京都芸術センターで行われた。カントルは人形を舞台に登場させ、人形を俳優のモデルとして捉えたともされるが、石橋もまたマネキンやアンドロイドなどの生を持たない身体と、生身の身体との交換のテーマに取り組んで来た。「死の演劇」というカントルのコンセプトは、政治的文脈を越えてなお波及力を持ちうることがここに示されている。現代のポーランドと日本の作家を迎えたこのオマージュ展は、カントルの切り開いた表現の普遍性を、今日の芸術に共鳴するものとして提起した点に意義があるといえる。
はが・みちこ
2011年京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程(創造行為論)修了。現在、東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)に勤務。
タデウシュ・カントル生誕100周年記念展「死の劇場—カントルへのオマージュ」
2015年10月10日〜11月15日 京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA
2015年はユネスコにより「カントル年」が宣言されるなど、20世紀ポーランドを代表する演出家、タデウシュ・カントルの生誕百周年記念事業が各地で開催されている。彼が拠点としたクラクフでは、昨年秋にカントル作品のアーカイブ・センター「クリコテカ」の新館がオープンし、話題を呼んだ。そうした記念事業と連動して、日本では、昨年、京都と東京で「タデウシュ・カントル研究会」が発足し、継続して研究会を開催している。現在、その集大成として、京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA(アクア)で『死の劇場 − カントルへのオマージュ』展が開催中である(11/15まで)。
本展では、演劇と美術を越境したカントルの活動の回顧のみならず、彼の表現を継承する現代ポーランドと日本の作家が紹介されている。展示の中心となるのは映像で、とりわけ作家自身のパフォーマンスをとりいれた作品が目立つ。展覧会企画の中心となったキュレーター・加須屋明子(京都市立芸術大学教授)は、日本国内でポーランド現代美術を継続的に紹介しており、2005年には『転換期の作法 — ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーの現代美術』(国立国際美術館、広島市現代美術館、東京都現代美術館を巡回)共同キュレーターを務めた。『転換期の作法』展に出品したポーランド作家のミロスワフ・バウカ、パヴェウ・アルトハメル、アルトゥル・ジミェフスキについては、本展にも参加しており、作品を追うことができる。他に、ポーランドの作家としてヨアンナ・ライコフスカ、日本の作家として石橋義正、松井智惠、丹羽良徳、オル太が参加している。
会場構成は若手建築家の松島潤平が担当した。最初の展示室は劇場空間に見立てられ、格子窓で四方が囲まれ、後方に巨大な階段状の客席、真ん中に1脚の椅子、前方にスクリーンが設置されている。この象徴的なスクリーンには、ライコフスカの《父は決してこんな風に私を触らなかった》の映像が映され、傍らに作品の一部であるテキストが配置された。この劇場空間は、全体の上部を天井や壁などの素材そのままに、下部を黒く、塗り分けられている。カントル芸術における「現実」と「芸術」の昇降運動の関係――現実を芸術の仮象領域へ昇華することで人類史の暗黒部分にある傷を焙り出し、また他方では芸術的であることを否定して、貧しい現実への接近を試みた態度――を暗示するような空間だ。このインスタレーション自体を「死の劇場」と呼べるかもしれない。
ここに展示されているのは、主にポーランド作家の作品だ。上述のライコフスカの作品は、戦争体験者である父と作家本人との関係をモチーフに制作されており、またジミェフスキの《80064》は、強制収容所からの生還者の腕に残る、入れ墨の収容者番号にまつわる作品だ。大戦に翻弄された(作家自身も含めた)市井の人々の現実へ介入する彼らの手法が、鑑賞者に印象づけられる。アルトハメルのパフォーマンス作品などにも見られるように、直接的に政治主題を扱うのではなく、時代を生きる個人の生そのものから背景を喚起するこれらのアプローチは、カントルの作品に共通するものだといえよう。
「死の劇場」空間の出口には、松井が日々の中で継続する「今日の一枚さん」シリーズの即興的な素描より、カントルの誕生日にちなみ2015年4月の1ヶ月分と、本展のために描き下ろした油彩画が配置されている。松井自身の様々な感覚や記憶から生み出される形象は、文脈を越えてカントルから現代へ流れるポーランド美術の持つ傷みの感性に寄り添うように思われた。また《「ヒマラヤ」2003-2015》は、当時作品が発表された画廊の建物を舞台に、1階の外部(現実)から最上階の画廊(芸術)まで、這い上がりそして這い降りていくという、まさに昇降運動を行うパフォーマンスの映像だ。その苦しげな動作は、作家を演者というよりは労働者であるとさえ感じさせる。労働の果てに、「ヒマラヤ」というタイトルが示す精神的な高みに登り詰めた時、子鹿のシルエットが意味深く浮かび上がる。
本展では松井のこの作品が、「3.11」以後の世界を考察する、より若い世代の日本作家の展示へのゆるやかな導入となっている。丹羽の《首相官邸前から富士山頂上までデモ行進する》は、デモに参加したそのままの姿で、其処から富士山の山頂を目指すパフォーマンスのドキュメントだ。松井の作品においては比喩であった登山が、丹羽の作品では実際に行われており、神聖な山へ登ることが、他を断ち自己内省する行為としてリフレインする2作の併置は、興味深いといえよう。オル太は、アウシュヴィッツやチェルノブイリ等のリサーチを元に継続的に展開する《目覚め(GHOST OF MODERN)》のパフォーマンスを、本展のオープニング時に上演。松井作品でも象徴的に現れた子鹿というモチーフに多義性を込めて登場させた。その際の映像は、展示したインスタレーションに組みこまれている。
オル太のパフォーマンスに限らず、演劇を主たる表現媒体としたカントルへのオマージュだけあって、上演・上映プログラムが多種用意されているのも本展の特徴だ。カントル自身の演劇については、代表作『死の教室』や『ヴィエロポーレ、ヴィエロポーレ』を含め、多くの作品に上映会で触れることができる。また本展に関連して、石橋の新作舞台公演『ZERO ZONE 人工知能は陸橋で積み木をつむデスか』が京都芸術センターで行われた。カントルは人形を舞台に登場させ、人形を俳優のモデルとして捉えたともされるが、石橋もまたマネキンやアンドロイドなどの生を持たない身体と、生身の身体との交換のテーマに取り組んで来た。「死の演劇」というカントルのコンセプトは、政治的文脈を越えてなお波及力を持ちうることがここに示されている。現代のポーランドと日本の作家を迎えたこのオマージュ展は、カントルの切り開いた表現の普遍性を、今日の芸術に共鳴するものとして提起した点に意義があるといえる。
はが・みちこ
2011年京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程(創造行為論)修了。現在、東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)に勤務。
(2015年10月24日公開)
写真提供:京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAタデウシュ・カントル生誕100周年記念展「死の劇場—カントルへのオマージュ」
2015年10月10日〜11月15日 京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA