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木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談 —通し上演—』
文:島貫泰介

2017.06.19
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島貫泰介

歌舞伎言葉と現代口語を混在させたり、劇伴にラップやEDMを採用したり、衣装が和装と洋装のチャンポンだったり。木ノ下歌舞伎は、猥雑さや雑多さを大いに好む。にもかかわらず、いつもある種の「透明さ」を作品から感じるのはなぜか?

今回再演された木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談 —通し上演—』でも、それは健在である。例えば舞台美術。

黒・柿・萌葱の三色の定式幕を褪色させ、床面に置き換えたような舞台を「八百屋」型に傾けて配置し、その背後にビニール製の透明幕を吊り下げ、劇場最奥の無骨な壁まで見通せるようにしている。三幕十二場の劇中、役者たちは上手や下手などさまざまな場所から出入りするが、特にラストの三幕前半では、ほぼ全キャストが舞台上に常駐し、ブザーをきっかけに入れ替わり、「深川三角屋敷の場」「小塩田隠れ家の場」を互い違いに演じる。一般的な歌舞伎の舞台が、客席左方の花道から舞台上手へと伸びる横長の空間を採用したことで、観客の視点が否応なく分割されるのに対し、木ノ下歌舞伎、とりわけ杉原邦生が演出と美術を担当する作品では、作中のあらゆる状況が観客から一望できるよう開示されている。2015年の『黒塚』そして、16年の『勧進帳』では、細長い舞台の両岸にそれぞれ客席が配置された、ファッションショーのランウェイ風であった(本作の美術は例外的に島次郎が担当しているが、八百屋舞台は杉原作品にしばしば登場する)。

 
空間設計に見られる透明性への固執は、上演以前/以降の設えからも感じられる。当日パンフの域をはるかに超えた、全幕あらすじ、設定解説、人物相関図を網羅した充実のレジュメ。終演後のお約束となっている主宰の木ノ下裕一&演出家による、ガチ歌舞伎講座のアフタートーク。さらに、上演が終わった後から制作される「木ノ下歌舞伎叢書」シリーズには、補綴台本、対談、裏設定や演出意図についてのコラム、レビューetc…が盛大に盛り込まれる。もちろん、これらを読むも触れぬも観客の自由意思だが、木ノ下歌舞伎は、作品創造を巡って彼らの内部で展開されたリサーチ・解析のプロセスを徹底的に透明化し、それが研究者や演劇関係者を含めた観客すべてに共有されることを強く欲望している。

現在に伝わる歌舞伎が、無数の演出家、戯作者による改作、観客受容の時代的変化を経た結果、悪く言えば「ご都合主義」的な筋になってしまったのは周知のとおりだが、入手可能な限りの初演(に近い)台本にまで遡り、同時にそれが参照しているさらに以前の故事や史実を踏まえれば、戯作者が作品に込めた意図、それぞれの時代状況におけるアクチュアリティーが浮かび上がってくるはずだ。木ノ下歌舞伎の、すべてをつまびらかにしたいという透明化へのオブセッションは、このような歴史認識と、その再考の重視に基づいたものなのだろう。

さて、この前提を踏まえて、今回の『東海道四谷怪談 —通し上演—』再演を振り返ってみたい。基本的な筋は、2013年のフェスティバル/トーキョーで初演されたものと変わらないが、「十万坪隠亡堀の場」におけるお堀の表現や、赤穂浪人・奥田庄三郎の一部シーンの追加など、演出のダイナミズム、人物描写の多面性のための改変が見て取れる。

しかし、もっと大きな変化は、上演約6時間に及ぶ作品全体のトーンだろう。東京公演で行われたアフタートークで「ケレン味ではなくドラマを見せたかった」という主旨の発言が木ノ下、杉原両名からあったそうだが、たしかに木ノ下歌舞伎版『東海道四谷怪談』では、戸板の裏表にお岩と小仏小平の死体が打ち付けられた「戸板返し」の猟奇性や、「蛇山庵室の場」での「提灯抜け」「仏壇返し」のお化け屋敷的趣向は意識的に抑制されている。お岩から伊右衛門への「復讐」ではなく、「赦し」を主題とする構成は初演時から意識されていたはずだが、ケレンをケレンとして見せるのではなく、大きな時間の流れのなかで起こったいくつもの事象のうちの一つとして等価に扱う姿勢は、作品全体の印象を滑らかなものにしている。

例えば、お岩が伊右衛門への怨讐を誓う「髪梳き」のシーンにおいて、突如として始まる男女4名によるラップ。鶴屋南北の初演台本にあった「流行歌ながれる」なる記述に基づいて、マッチョなギャングスタ風の後藤剛範と、天井桟敷出身の怪優・蘭妖子が、加藤ミリヤ×清水翔太風のラブソングを歌うという趣向自体がそもそもキャンプ趣味全開であったのだが、再演においてはそのキッチュさを露悪するような趣向をトーンダウンさせ、あくまでも哀切を彩る劇伴として位置づけていたのは、象徴的な改変だろう。つまり、初演時にあった演出の荒々しさや猥雑さを、その外枠は保持しつつも、質的に大きく変化させたことが、今回の再演のもっとも特筆すべき点である。特殊なケレンを際立たせるのではなく、限りなく透明で平坦なドラマを導入することを選びながら、この6時間を超える大作を成立させた杉原演出の堂々たる技量に、筆者は手放しで驚かされた。(とはいえ、男女の日本語ラップを採用するなら、今だったら例えば「ゆるふわギャング」風に寄せてほしかった感もあり。楽曲センスが全体的に前時代的なのは難ありだと思う)。

 
 
このようにきわめて技巧的に演出された『東海道四谷怪談 —通し上演—』全幕を見ることで、次第に、鶴屋南北の同作に込めたそもそもの意図も了解されていくだろう。

木ノ下歌舞伎公式webで関亜弓が解説しているように、文政8(1825)年の江戸中村座での初演時、同作は赤穂浪士の討ち入り事件を題材にした『仮名手本忠臣蔵』と交互に上演された。忠臣蔵のスピンオフ・ストーリーである『東海道四谷怪談』を、正史である『仮名手本忠臣蔵』と同時並行させることで、南北は、歴史の縦軸を作品に付与し、かつ、四十七士の忠義のドラマとしての忠臣蔵を批判的に読み替えようとしたのではないだろうか。すなわち、武家において遵守されるべき儒教的な忠義の倫理がその妥当性を失い、猥雑ながら活気と欲望に満ちた民衆が次の時代の主役になるのだと示唆すること。事実、天保の大飢饉(1833〜1839年)、大塩平八郎の武装蜂起(1837年)、ペリー来航(1853年)などを経て、江戸幕府が消滅する1867年は、もう目の前に迫っていた。『東海道四谷怪談』は、そんな時代の転換期に現れた作品だったのだ。

そして2017年。栄華と没落の狭間で揺れる武家が右往左往し、生き馬の目を抜くハードな日常をしたたかに生きる民衆が交錯する、あらゆる意味で透明な舞台を提示することで、木ノ下歌舞伎版『東海道四谷怪談』は観客に何を伝えようとしているのだろうか?

 
 
先の世界大戦での敗戦と、世界的な厭戦ムードによって、ある種の理想的な民主主義社会を与えられることになった日本は、戦後72年を経た今、いくばくかの主体的選択を伴って、新しい不寛容と排他の時代へと向かおうとしている。テロ等準備罪。一億総活躍社会。治安維持法にせよ、国家総動員法にせよ、長大な歴史のテーブルには、参照すべき事例はつまびらかに開示されているし、それらの連続が何を導いてきたかを知ることは圧倒的に容易い。歴史の透明性を前にして、目を逸らし、焦点をずらして盲いる現代について、筆者は本作を観ながらずっと考えていた。

理性的な判断も批判も、すべてが性急に押し流される現在。6時間という本作の上演時間は、熟考の機会として、まったく長くない。

 
しまぬき・たいすけ
美術ライター&編集者。1980年生まれ。京都&東京在住。『CINRA.net』『美術手帖』などでインタビュー記事、コラムなどを執筆するほか、編集も行う。

 

撮影:井上嘉和〈京都公演〉

 


木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談 —通し上演—』
〈京都公演〉2017年5月21日[日] 京都芸術劇場 春秋座
〈東京公演〉2017年5月26日[金]〜31日[水] あうるすぽっと
 作|鶴屋南北
 監修・補綴|木ノ下裕一
 演出|杉原邦生
 舞台美術|島次郎

(2017年6月29日公開)