『ガールズ&パンツァー最終章』第2話
文:北野貴裕
2019.09.03
北野貴裕
ここ数年、もしかしたら十数年で、TVシリーズのアニメーション作品が劇場公開されるケースは珍しくなくなった。『ガールズ&パンツァー(以下、ガルパン)』もそのひとつ。けれど本作ほど劇場向きの作品があっただろうか。隊列を成し、少女たちを載せて走行する戦車にテレビやパソコンの画面は狭すぎる。
『ガルパン』は2012年にTVシリーズとして放送された。2015年に公開された劇場版を経て、その続編として制作された「最終章」の第2話にあたるのが本作。物語は戦車道の大会に出場するところからはじまり、第2話終了時点で二回戦の途中までが描かれる。見どころはやはり試合パートだろう。戦車の重々しい走行音や勇ましい砲撃音、弾が車体に命中した際の甲高い金属音は、映画館の音響でより迫力を増す。TVシリーズでも見られた戦車主観のカメラワークも臨場感は桁違いだ。入り組んだ地形を走行する際、カメラは砲台の下あたりに置かれることが多い。観客はまるで自分が戦車に乗り込んでいるかのような、映画館のスクリーンと相俟ってライドアトラクションのような感覚を体験できる。また15年の劇場版の冒頭では、カメラが操縦席に座る対戦校の少女ふたりのウエストショットからズームアウト、砲台の穴を通り抜けそのまま対戦エリアをロングショットで収め、大洗女子学園率いる混合チームが攻め込んでいる戦況を捉えながら主人公・西住みほの背後まで下がる。こういったアグレッシブなカメラワークもスクリーン映えする。映画館こそ『ガルパン』の持つエンタメ性が最も発揮される環境といえる。
物語においても、試合の見せ方/描き方は特徴的だ。試合中の流れは概ね、序盤で大洗がピンチに追い込まれ、それを乗り越えた中盤に立て直し、終盤で反撃に出て勝利を収めるという構成になっている。一回戦の対戦校であるBC自由学園は、中等部から進学した内部生と受験で入学した外部生の仲が悪いと設定されている。試合に勝つため一時的な連携プレーで大洗を追い詰めるが、大洗のかく乱により試合中に仲違い、かえってチャンスを与えてしまう。この一戦において、戦況の変化を生み出すのはBC内での対立構図である。また二回戦の対戦校である知波単学園は、伝統として受け継がれてきた突撃作戦を武器としながらも、闇雲に突っ込むという一辺倒な作戦に限界を感じてもいる。自分たちの弱点を知られている大洗に対し、知波単は相手と距離を取りながら戦闘をしかける作戦で意表を突く。これもまた対戦校側の弱点が試合の鍵を握っている。
この二戦において、変化が見られるのは大洗側ではなく対戦校側だ。BCは敗戦後、対立していた二組がお互いへの信頼を獲得する。知波単は大洗に攻め込まれるなかで、突撃ではなく「一時撤退」という選択を取る。対戦校側が抱える問題点を軸に試合を展開させ、それを乗り越える姿を描くことにより、強豪校である大洗が持ち得ないドラマ性を生み出している。また大洗優勢の場面では、大洗サイドの描写が控えめになっていることもわかる。ときには隊長であるみほが通信機で指示を出すカットを、音声は乗せず口パクの状態で挿入し、観客に大洗がこれからどう動くのかわからせない演出もなされている。よって観客は対戦校と同じ立場に置かれ、いつのまにか物語のポイントへと視線を誘導されているのだ。
TVシリーズから一貫して、やはり試合パートの見せ方にはこだわりが見られる。しかし一方で、試合における勝ち負けの重要度は薄いように思える。たとえばスポーツ競技を題材とする作品の場合、到達目標としてライバルの存在が設定され、勝利を収めることで主人公の成長に繋がるというケースが多い。しかし『ガルパン』はそういった形式を取らない。
そもそも彼女たちが戦車道をはじめた理由といえば、学園の廃校危機を救うというものだった。「最終章」で大会に出場したのも、入れる大学のない河嶋桃を隊長とし優勝することで、AO入試で彼女を大学に進学させようという名目である。つまり勝つことそのものが目標として設定されているわけではなく、あくまで勝利はひとつの手段でしかないと言える。そのため本来必要であるライバルの存在も設定されない。15年の劇場版では、序盤に登場する「戦車道は人生の大切なすべてのことが詰まっている」というセリフが、そのまま物語のテーマとして扱われる。と同時に、このセリフは『ガルパン』そのものが持つテーマを指していたようにも思える。BCの隊長・マリーは試合終了後、大洗のメンバーにケーキをふるまう。劇場版ではかつての対戦校が助っ人として大洗の味方をする展開も見られた。完全な敵対関係というより友好的な関係を築いているようだ。『ガルパン』が掲げるテーマは、勝利への固執ではなく、試合のなかで得る成長や変化なのだろう。
とはいえ最終章と銘打つからには、このまま対戦校の成長ばかり描いていては主人公たちがないがしろにされてしまう。では大洗メンバーの持つドラマ性とはなんなのか。TVシリーズと劇場版では、学園を廃校から救うという、いわば自分たちの居場所を守ることが目標としてあった。しかしそうして守り抜いた学園からも、生徒であるかぎり卒業するときがくる。不可抗力として訪れる別れ/旅立ちと、進学や進級という形で訪れる変化/成長が、彼女たちに持ち得るドラマ性ではないか。守ってきた居場所から巣立つこと、そして新たな居場所を獲得すること。残り4話で『ガルパン』がどういったゴールを迎えるのか、注目せずにはいられない。
(2019年9月3日公開)
きたの・たかひろ
1994年 神戸市生まれ 神戸市在住。京都造形芸術大学 文芸表現学科 クリエイティブ・ライティングコース卒業。現在、映像編集アルバイト。
〈映画情報〉
『ガールズ&パンツァー最終章』第2話
監督:水島努、脚本:吉田玲子、キャラクター原案:島田フミカネ
2019年、54分、配給:ショウゲート
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