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『劇場版 ハイスクール・フリート』
文:北野貴裕

2020.01.30
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(c) AAS/新海上安全整備局


 
北野貴裕

『ハイスクール・フリート』(以下、はいふり)は2016年にTVシリーズとして放送された。OVAを経て、今作はその続編にあたる作品である。原案は『ガールズ&パンツァー』(以下、ガルパン)と同じく鈴木貴昭。彼はナタリーのインタビューで「『ガルパン』以上にキャラクター寄りで、『ガルパン』以上に女の子同士の学園ものという路線を強く出そうとしていました」と語っている。たしかに、TVシリーズではくり返し「家族」というフレーズが出てきた。『劇場版ハイスクール・フリート』(以下、劇場版)のストーリーも、艦長の岬明乃(cv夏川椎菜)と副長の宗谷ましろ(cv Lynn)の関係性を掘っていくようなものだった。部活ものである『ガルパン』に対し、日本の国土の大半が海に沈んでいるという背景や、舞台が海上の保安・防衛を担う「ブルーマーメイド」の養成校であること、TVシリーズのキーとなる「RATtウィルス」など、枠組みが社会と絡んでいるのも『はいふり』の特徴だろう。同じ艦隊ものの『艦隊これくしょん-艦これ-』や『アズールレーン』などといった戦艦の擬人化とも一線を画す。

『劇場版』では鈴木の言うように、「女の子同士の学園もの」であることがよく出ている。物語のスタートは「競闘遊戯会」前日の歓迎祭。前半パートは彼女たちの和気藹々としたムードに徹している。出店や自主制作映画、コントライブ、同人誌販売、TVシリーズで沈没した初代晴風のボイラーを使った銭湯など、出し物はバラエティに富んでいる。晴風クラスだけで31人という大所帯の作品だからこそ見せられる面白さだ。明乃とましろはそれらひとつひとつを視察してまわる。けれどもそのまなざしはどこか、父兄参観に訪れた親のように温かい。明乃がこれまで何度も口にしてきた「海の仲間は家族」ということばが、彼女たちのあいだにしっかりと根を張っているのが見て取れる。

そんなお祭りムードのなか、ましろにほかの船での艦長就任が打診される。この展開は予告編の時点ですでに明かされてはいるが、夕日のオレンジ色に染め上げられた部屋はそれまでの流れから一気にムードを変え、重要な展開が待ち受けているとひと目でわからせるいい画づくりだ。答えを出せないましろの迷いが、そのまま今作の軸となる。

 

『はいふり』の見所といえばやはり戦闘シーン。競闘遊戯会の最中、海賊が海上プラントを占拠し職員を人質に取っていることが発覚する。連中はプラントを海上要塞と合流させ、海賊行為の拠点にしようとしているらしい。それを阻止すべく、明乃たち学生を含めブルーマーメイドが動き出す。後半パートは打って変わって戦闘一色だ。

なんといっても、全長約260メートルを誇る大和型艦4隻がならぶ画は圧巻である。カメラはローアングル、あるいは正面から船を捉える。こちらに向かってくるような、水飛沫すら跳ねてきそうな臨場感は劇場版の特権だ。勇ましい砲撃音、激しく上がる水柱、それを煽る重々しい劇伴——、戦闘シーンの熱の入り具合が窺える。
戦艦同士の砲撃戦だけでなく、対人戦のアクションにも力が入っている。プラントに突入したブルーマーメイドたちの、人質救出から海賊制圧までの対応が軽やかで気持ちがいい。無言のまま手合図で連携を取り、拳銃で敵を撃ち、並外れた身体能力で手こずることなく片付けてしまう。明乃たちが主人公である手前、本職である彼女たちの活躍はこれまで十分に描かれてこなかった。そういう点も劇場版では補われている。

とはいえそれは大人の仕事。明乃率いる晴風一行は無人の要塞内部へ侵入、動力源の破壊を試みる。ここでは舞台が、だだっ広い海上から要塞内という狭い閉鎖空間へと移る。中は薄暗く、情報量も遮断され、自由に砲撃することもできない。可動範囲が限られているぶん戦況の緊迫感が増す。けれども明乃たちの武器は、ブルーマーメイドのような身体能力でも拳銃でもない。チームワークとアイデア、そして晴風だ。それぞれの力を結集させて乗り越えていく姿にはカタルシスがある。

一方でましろは、艦長就任の打診を受けてからどこか上の空だった。要塞のコアを破壊し、脱出を試みる一行。しかし爆破の影響で出口が塞がってしまっている。そこで動いたのがましろである。彼女は単身スキッパー(水上スキー)に乗り込み、激突させ爆発させることで出口を切り開く。デッキを離れスキッパーで船外へ出るという行為は、TVシリーズでの明乃の常套手段だった。ましろはこれまで、そんな明乃のやり方を非難してきた。しかし今作ではましろ自ら船外へ飛び出す。彼女は明乃に言う。「“Always on the deck”の意味がわかった気がします」。船内に引きこもらず、常にみんなの先頭に立って動くこと。ましろは明乃に艦長としてのあるべき姿を見る。そして、艦長には晴風でもっと経験を積んでからなると告げる。夜が明け、射し込む朝日が新たなはじまりを予感させる。

(c) AAS/新海上安全整備局


 

忘れてはいけないのが今作の新キャラクター、“スーちゃん”ことスーザン(cv大空直美)だ。まだ幼い彼女は、海賊から作戦に協力すれば日本のどこかにいる父親をさがしてやるという口車に乗せられ、作戦の詳細も知らぬまま海賊に手を貸してしまう。スーの父親さがしは物語前半から示されているのだが、本編ではそれが果たされぬまま、ラストでもとくにふれられることなく、なかば放ったらかしで終わる。もちろん物語を転がすことに十分貢献したと言えるし、次回作以降で回収される可能性もあるのだが、今作におけるスーの役割とはなんだったのか。

それは明乃とましろにとっての“子”という存在だったように思う。艦長就任の件でゆれ動くましろは、武蔵の艦長知名もえか(cv雨宮天)から「ミケちゃん(明乃)は船のみんなのお父さんになりたいと言っていた」と聞く。そして物語のラスト、スーは明乃とましろを父と母のようだと形容する。そう思えば、前半の歓迎祭からそれは示されていた。

スーと出会った歓迎祭の夜、ふたりは彼女の野宿に付き合う。テントのなか、スーを真ん中に川の字で眠るようすは、まるで父と母と子のようだった。眠りにつくスーが母国にいる母を思い、ましろの腕を取る行為はラストシーンと地続きだ。

今作はましろが、艦長という本来の夢を取るか、晴風のみんなとの日々を取るかを決断する話だ。言い換えれば、ましろが晴風のみんなの母親になる話とも言える。彼女の成長は『はいふり』の持つ「家族」というテーマをより強固にするものだが、それには年の離れた子どもの存在が不可欠だったのではないか。そしてそれはほかのどの晴風クルーでも担えなかった。メタファーとしてではなく、疑似家族的な関係性を一時でも築いたことで、「家族」という繋がりがより明瞭な輪郭を得たように思う。

 

『はいふり』はキャラクター寄りの作品になるべくしてなったのだろう。部活ものである『ガルパン』に対し、『はいふり』は戦艦に乗っている今が未来(将来)に通じている。敵との砲撃戦は死と隣り合わせだ。ブルーマーメイドになれば今回のようなことはいくらでもあるだろう。だからこそクルー全員が手を取り合い、まさに「家族」のような絆で結ばれる必要がある。

「守るべき艦(いえ)、進むべき航路(みらい)」。劇場版のキャッチコピーを改めて見ると、彼女たちが挑んでいるのが青春ではなく人生であることがよくわかる。

(2020年1月31日公開)

 
きたの・たかひろ
1994年 神戸市生まれ 神戸市在住。京都造形芸術大学 文芸表現学科 クリエイティブ・ライティングコース卒業。現在、映像編集アルバイト。
 


〈映画情報〉
『劇場版 ハイスクール・フリート』
総監督:信田ユウ、監督:中川淳、原案:鈴木貴昭
2020年製作、105分、配給:アニプレックス
公式サイト