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COVID-19後の世界2
危機以前のシステムを遮断する振る舞いを想像する
ブルーノ・ラトゥール

2020.05.10
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翻訳:飛幡祐規

 

新型コロナウイルスによる感染症COVID-19は、世界に大きな危機をもたらしている。現在の危機はいつかは去り、私たちの生活は旧に復するのかもしれない。だが、旧に復するだけでいいのだろうか? 内外の知識人による論考を掲載する。第2回は、哲学者で社会学者のブルーノ・ラトゥール。

 



よく言われるように医療スタッフが「前線で戦い」、何百万人もが職を失い、近親の死を悲しむ多数の家族が死者を葬ることもできないときに、危機の後に思いを馳せるのは、どこか不謹慎なことかもしれない。だが、今こそ闘わなくてはならない。危機が去った後の経済再開が、これまで私たちが空しくも闘いに努めてきた、旧態依然たる同じ気候体制を蘇らせないために。

事実、健康危機は危機ではなく——それは常に一時的なものだ——、恒久的で不可逆的な生態環境(エコロジー)の変動の中に埋め込まれている。健康危機から「脱する」ことができたとしても、エコロジー変動から「脱する」確率はゼロである。このふたつの状況は同じ規模ではないが、一方を他方に関連づけると非常にわかりやすくなる。いずれにせよ、エコロジー変動の中に入るための行き当たりばったりではない方法を見出すために、この健康危機を利用しないのはもったいない。

コロナウイルスの第一の教訓は同時に、最も驚くべき教訓である。数週間の内に、世界中の至るところで同時に、減速や方向転換は不可能だと言われてきた経済システムを停止するのが可能だと、実際に証明できたのだ。私たちの生活様式の修正を主張するエコロジストの議論はこれまですべて、「発展の列車」の不可逆的な力という論拠によって常に反駁されてきた。「グローバリゼーションのせいで」何ものもそれを脱線させることはできないのだと。ところが、まさにそのグローバル化という特徴こそが、かくも見事な発展をこれほどまでに脆弱にしている。逆にブレーキをかけて、突然止まることもできるのである。

事実、地球をグローバル化するのは多国籍企業、貿易協定、インターネットやツアーオペレーターだけではない。同じ地球のそれぞれの実体が、ある時点で、集団を構成する他の要素と連結する独自のやり方を持っている。空気を通した拡散によって大気全体を温めるCO2や、新型のインフルエンザを運ぶ渡り鳥と同じである。私たちは今、痛みを持ってそれを学び直しているわけだが、無害に見える私たちの唾や痰などを介して「全人類」をつなぐ能力を有するコロナスウイルスも同じなのである。グローバリゼーションの担い手として、上には上がいたというわけだ。何十億もの人間を新たに社会化するに当たっては、微生物もちょっとしたものである!

 

グローバル化された生産システムのこの突然の休息を、自分たちの着陸計画を前進させる絶好の機会と見ているのはエコロジストだけではない

そこで、信じられないことが発見された。誰の目にも隠されていたが、世界経済システムの中には硬化鋼の大きなハンドルが付いた鮮やかな赤色の警報機があって、国家元首はそれぞれ自分の番になったら、それを一気に引き、激しいブレーキの軋み音を響かせて「発展の列車」を停めることができたのである。地上に着陸するために90度方向転換せよという要請が、今年の1月にはまだ甘い幻想に見えていたとしても、それは今や、はるかに現実的なものになった。車を運転する者なら誰でも知っていることだが、道路脇に突っ込まずに大きくハンドルを切って危険を回避するには、まず減速しなければならない……。

あいにく、グローバル化された生産システムにおけるこの突然の休息を、自分たちの着陸計画を進める絶好の機会だと見ているのはエコロジストだけではない。20世紀半ば以来、地球的な制約を免れるというアイデアを発明したグローバリゼーションの担い手たちも、世界の外へ逃走するのに、いまだに残っている障害をいっそう過激に断ち切るまたとない機会だと見ている。彼らにとっては、福祉国家の残骸、最も貧しい者たちのセーフティーネット、まだ残っている公害防止規制から解放され、そしてさらに臆面もないことに、地球上に溢れる員数外の人々を始末するのに、この上なく素晴らしいチャンスなのである[註1]

実際、次の仮説を忘れてはならない。彼らグローバリゼーションの担い手たちはエコロジー変動を認識しているが、50年来、気候変動の重大さを否認すると同時に、特権に固められた防塞を組織し、その影響・被害から免れることに全力を尽くしてきた。その砦は、置き去りにされるべき人々は誰ひとりとして近寄れるものであってはならない。彼らは、「発展の果実」を万民が分かち合うという近代の偉大な夢を信じるほどナイーブではない。それどころか、昨今では、そんな幻想さえ抱かないことがわかるほど身も蓋もないのだ[註2]。毎日FOXニュースで意見を述べるのも、モスクワからブラジリア、ニューデリーからロンドンを経由してワシントンに至る、地球温暖化懐疑論を信じるすべての政権を掌握しているのも、まさにこうした連中なのである。

 

すべてが止まったのなら、すべてを見直すことができる

現在の状況をひどく危険にしているのは、日々増え続け累積される死者の存在だけでなく、地球的世界の外への逃亡をさらに進めようと願う者たちにとって、経済システムの全体的な中断が「すべてを見直す」目ざましい好機を与えることである。グローバリゼーションの担い手たちは、自分たちが敗北したのを当然ながら理解しており、それが彼らをこれほど危険にしているということを忘れてはならない。彼らは、気候変動の否認を際限なく続けることはできず、最終的に経済を組み込まなくてはならなくなる地球のさまざまな構成要素と彼らの「発展」を和解させられるチャンスは、もはや存在しないことを知っている。それゆえ彼らは、もうしばらく持ちこたえて、自分たちとその子供たちが安全な場所に避難するための条件を引き出すために、これが最後だと何でもやってみる覚悟なのだ。「世界の停止」、このブレーキ、想定外のこの休止は、これまで自分たちが思い描いていたよりずっと速く、ずっと遠くに逃亡する機会を彼らに与える[註3]。革命家は今のところ、彼らである。

この状況だからこそ、私たちは行動しなくてはならない。彼らに好機が訪れたのなら、私たちにとってもそれは同じだ。すべてが止まったのなら、すべてを見直し、転換し、選択し、分類し、本気で止める、あるいは逆に加速することができる。年末の棚卸しを今こそ行うべきなのだ。常識に従った「できるだけ迅速に生産を再起させよう」という要請に対して、「とんでもない!」という叫びで答えなくてはならない。以前やってきたことをそのまま再開させることこそ、してはならない最悪のことだろう。

例えば先日、テレビでオランダの花卉栽培者が紹介されていた。世界中に航空機で出荷する寸前の何トンものチューリップを、買い手がいないので廃棄しなくてはならず、目に涙を浮かべていた。むろん、同情せざるをえないし、彼が賠償を受けるのは当然である。しかし、それからテレビカメラはズームアウトして、大地ではなく人工照明で温室栽培されるチューリップを映し出した。このあとスキポール空港に配達され、ケロシン系燃料まみれの貨物専用機に積み込まれるのだ。そこで疑念が浮かぶ。「このタイプの花の、こうしたやり方による生産・販売を続けることは、はたして適切なのだろうか?」

 

グローバリゼーションを停止する効果的なスイッチになる

私たちの生産システムのすべての側面について、各自がこうした問いかけを少しずつし始めれば、私たちはグローバリゼーションを停止する効果的なスイッチになる——何百万人もいるのだから、独自のやり方でこの惑星をグローバル化した、かのコロナウイルスと同じくらい効果的に。ウイルスは、取るに足らない唾や痰の飛沫が口から口へと伝わることによって世界経済の中断を手に入れる。私たちも、些細で他愛ない振る舞いを同じようにつなぎ合わせることによって想像し始めるのだ。すなわち、生産システムの中断を。こうした類の問いかけを自分に対して提起することによって、私たちはそれぞれ、遮断する振る舞いを想像し始めるが、それはウイルスの遮断だけではない。私たちがもはや再開を望まない生産様式の一つひとつの遮断である。

もはやひとつの生産システムを再開するとか転換するとかが問題なのではなく、生産を世界との関係における唯一の原則にすることから脱するべきなのだ[註4]。革命ではなく、構成する最小要素をピクセルごとに溶解させるのである。ピエール・シャルボニエが示したように[註5]、経済の恩恵の再分配のみに限定された100年来の社会主義のあと、今や生産自体に異議を唱える社会主義を発明する時期にあるのではないだろうか。というのも、不公平は発展の果実の再分配のみに限った話ではなく、地球に収穫・利益を生じせしめるやり方自体が不当なのだ。反成長や霞を食って生きればいいという意味ではない。不可逆的とみなされたこのシステムの切片をひとつずつ選択することを学び、必須と言われた切片どうしの連結をそれぞれ問いただすことによって、何が本当に望ましいことなのか、望ましくなくなったのは何かを徐々に感じていくプロセスである。

したがって、この強制された閉じこもりの時間をまず各自が自分のために、それからグループ全員で、私たちが何につながれ愛着を持っているのかを詳述することが最重要課題となる。解放されてもいいと思うつながりは何か、再構築するつもりの絆は何か、私たち自身の行動によって断ち切ろうと思う絆は何か。グローバリゼーションの担い手たちのほうは、再開後に再生したいものについて、とても明確な考えを持っているようだ。同じものをさらに悪化させるのである。石油産業に、巨大クルーズ船をおまけに付けて。私たちは、それとは反対の目録を彼らに突きつけなくてはならない。1〜2ヶ月の間に何十億もの人間が号令に従い、新たな「社会的距離」を学習し、連帯を強めるために物理的に遠ざかり、病院を満杯にしないために自宅に留まることができるのなら、以前と同じままの、いや、もっとひどい再開や、地球の引力から本気で逃れようとする者たちの新たな猛攻に対して、これらの新しい遮断する振る舞いがもたらす変化が力強いものになると想像できるのである。

 

判断を助ける道具として

理論は常に実習に結びつけるほうがよいから、このささやかな目録をつくる試みを読者に提案しよう。自分が直接に体験した個人的な経験についての作業だけに、大いに役に立つだろう。頭に浮かぶ意見を述べるにとどまらず、状況を詳しく述べ、ちょっとした調査でその状況を拡げてみるのもいいかもしれない。回答を組み合わせ、状況説明が重なり合ってつくられるパノラマを組み立てる作業に力を尽くした後に初めて、具象化された、具体的な政治的表現に到達するだろう——それを行う前にではなく。

 

注意!:この実習はアンケートではなく、世論調査でもない。「自己叙述[註6]」を助けるプロセスである。

 

これは現在の危機によって奪われ、自分の暮らしに必要不可欠な条件が侵害されているとあなたが感じる活動のリストをつくる作業です。それぞれの活動について、それが(以前のように)まったく同じ形で再開されるのを望むか、よりよい形で再開されるのを望むか、あるいはまったく再開を望まないかを示してください。

 

質問1:現在中断されている活動の中で、再開を望まないものは何ですか?

 

質問2:以下について述べてください。a) なぜその活動はあなたにとって 有害な/不要な/危険な/一貫性がない ものに見えるのですか? b) その活動が なくなる/中断されたままになる/ほかのものに代わる ことによって、あなたが促進したいほかの活動はどのように より容易になる/より一貫性を持つ のでしょうか?
(質問1のリストの回答一つひとつについて、段落を変えて答えてください)

 

質問3:あなたが取り止めにしたい活動で働き続けることができなくなる 労動者/従業員/従事者/企業家 がほかの活動に移りやすくなるために、あなたはどんな措置を奨励しますか?

 

質問4:現在中断されている活動の中で、さらなる発展/再開 をあなたが望む、あるいは代わりに創設されるべきだと思うものは何ですか?

 

質問5:以下について述べてください。a) なぜその活動がポジティブに見えるのですか?
b) その活動はあなたが促進したいほかの活動をどのように、より 容易にする/調和的にする/一貫性を高める のでしょうか? そして c) あなたがよくないと考える活動に対して、どのように闘えるのでしょうか?
(質問4のリストの回答一つひとつについて、段落を変えて答えてください)

 

質問6:その活動の 再開/発展/創設 のために、労働者/従業員/従事者/企業家が 能力/資金/収入/手段 を入手する助けになる、どのような措置を奨励しますか?

 

(次に、ほかの参加者による叙述とあなたの叙述を比べる方法を探しなさい。回答を集成し、重ね合わせる作業から少しずつ、衝突、結合、論争、対立の線から成るパノラマが浮き上がってくるでしょう)

 


註1:マット・ストーラー「注意しないと、コロナウイルス救済法案は企業クーデターに変わるかもしれない」。2020年3月22日付『ガーディアン』。抑制が利かなくなったアメリカ合衆国のロビイストについての記事/Matt Stoller, “The coronavirus relief bill could turn into a corporate coup if we aren’t careful”, The Guardian , 22-3-20.

註2:ブルーノ・ラトゥール「私たちは同じ惑星に住んではいない」2019年12月18日付『AOC』/Bruno Latour, “Nous ne vivons pas sur la même planète”, AOC 18-12-2019

註3:デボラ・ダノウスキ&エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ「世界の停止」(エミリ・アッシュ編集『閉じた宇宙から無限の世界へ』所収)/Deborah Danowski and Eduardo Viveiros de Castro, “L’arrêt de monde” in De l’univers clos au monde infini (textes réunis et présentés). Ed. Hache, Emilie. Paris: Editions Dehors, 2014. 221-339

註4:ドゥーシャン・カジッチの博士論文「生きている植物——生産から植物との関係へ」/Dusan Kazic “Plantes animées- de la production aux relations avec les plantes”, thèse Agroparitech, 2019

註5:ピエール・シャルボニエ『豊穣と自由。政治思想の環境学史』 Pierre Charbonnier, “Abondance et liberté. Une histoire environnementale des idées politiques”, Paris: La Découverte, 2020

註6:「自己叙述」はブルーノ・ラトゥール著『地球に降り立つ 新気候体制を生き抜くための政治』の中の、新たな「陳情書」のプロセスを引き継ぎ、以後アーティストと研究者が発展させたもの。Bruno Latour, “Où atterrir? Comment s’orienter en politique”, Paris: La Découverte, 2017



初出:2020年3月30日付『AOC』

 


Bruno Latour
1947年、ボーヌ生まれの哲学者、人類学者、社会学者。自然や社会に存在するものをすべて同等の存在(アクター)として扱い、関係性のネットワークを前提に社会を記述する「アクターネットワーク理論」を用いてさまざまな事象を分析する。主著『Nous n’avons jamais été modernes(我々が近代的であったためしなどない)』(邦訳は『虚構の「近代」―科学人類学は警告する』)では、近現代の科学は自然と文化、主体と客体という二分法を強調してきたが、現実世界における事象は単純に分けられないという観点から、政治、哲学、人類学から環境問題までを論じている。著書はほかに『科学がつくられているとき――人類学的考察』『地球に降り立つ 新気候体制を生き抜くための政治』(いずれも川村久美子訳)など。昨今はカールスルーエ・アート・アンド・メディア・センター(ZKM)や台北ビエンナーレ2020などでキュレーションを行うこともある。パリ政治学院メディアラボ名誉教授。なお、「Bruno」のフランス語原音は「ブリュノ」である。

 
たかはた・ゆうき
ジャーナリスト、エッセイスト、翻訳家。1956年東京生まれ、パリ在住。1974年に渡仏し、パリ第5大学にて文化人類学を、パリ第3大学にてタイ語・東南アジア文明を専攻。著書に『それでも住みたいフランス』『ふだん着のパリ案内』『時間という贈りもの フランスの子育て』ほか。訳書にシャンタル・トマ『王妃に別れをつげて』、ヤニック・エネル『ユダヤ人大虐殺の証人ヤン・カルスキ』、フランソワ・リュファン『裏切りの大統領マクロンへ』ほか。ウェブサイト『レイバーネット』に連載中のコラム「パリの窓から」では、2020年3月19日付の第59回から「監禁日誌」を綴っている。


(2020年5月18日公開)