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写真の終わり
——杉本博司「時間の終わり」展の余白に
文:浅田 彰

2020.03.22
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『杉本博司 瑠璃の浄土』展が、2020年5月26日(予定)から10月4日まで、京都市京セラ美術館で開催される。これを機に、2005年、森美術館における『杉本博司 時間の終わり』展の開催に合わせて書かれた一文を、著者並びに初出雑誌(『文學界』2005年11月号)の版元、株式会社文藝春秋の許諾を得て転載・公開する。(編集部)

Hiroshi Sugimoto, OPTICKS 008, 2018, Type C-print
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi





浅田 彰
 

歴史の終わり——「ジオラマ」「肖像写真」

写真とは出来事の、つまりは歴史の断層のドキュメントである。「それがあった(Ça-a-été)」ということの光化学的なインデックスである写真は、歴史の断層の痕跡——撮影者も対象も意識しない部分、ロラン・バルトが「プンクトゥム」と呼んだ部分まで含めた痕跡なのだ。ロバート・キャパが倒れこみながら辛うじて撮った「ちょっとピンボケ」の写真は、戦争という出来事のすぐれたドキュメントである。アンリ・カルティエ=ブレッソンにとって、「決定的瞬間」(写真集の英語タイトル)が「逃げ去るイマージュ」(同書の仏語タイトル)でもあったことも、同様に理解されるだろう。そこでは、シャッターを押す瞬間の偶然の揺らぎ、そのために思わず写ってしまうものこそが、その写真に歴史的な出来事の証拠という資格を与えていたのである。

しかるに、出来事が生起するのをやめ、歴史が終わったのだとしたらどうだろう。かつてあったことのすべてが、博物館のジオラマとして、あるいは蝋人形館の人形として、すみずみまで注意を払って(つまりは無意識を排除して)模造され展示されるばかりだとしたら。とすると、写真もまた終わったということになるだろう。後に残されているのは、模造の写真——つまり模造の模造、言いかえれば写真の写真を、これまた細心の注意を払って(したがってやはり無意識を排除して)本物よりも本物らしく捏造してみせることでしかない……。

まさしくニューヨーク自然史博物館のジオラマの写真(一九七五年〜)から出発し、その後も、歴史の後、したがって写真の後の写真を撮り続けてきた杉本博司の仕事が、「時間の終わり」という大規模な回顧展にまとめられた。森美術館でオープンし、後にアメリカを巡回する予定のこの展覧会は、作品の精度はもちろん、会場構成、照明、音響、いずれをとってもほとんど一分の隙もなく、森美術館で開催された展覧会の中で群を抜いているのみならず、世界的にも最高水準の展覧会だと言ってよい。それは、写真史が終焉を迎えたという出来事(出来事が到来するのをやめ、写真がそれを記録するのをやめたという出来事)を告知するものとして、世界的な出来事(出来事の終焉という出来事)となるだろう。そもそも、杉本博司がこのように写真の終わりにあって写真の写真を撮り続けている写真家、いわば写真史のヘーゲルなのだとすれば、彼と比較すべきは、同時代の凡百の写真家などではなく、むしろニエップスやダゲール、そしてタルボットといった写真の発明者なのかもしれない。あるいは、絵画の終わりにあって絵画の絵画をこれまた徹底した技術的精度をもって制作し展示し続けているゲルハルト・リヒターのような画家。そのような意味でも、杉本博司展は写真というジャンルを超えて広い領域で語られねばならぬ決定的な(反)出来事なのである。

Hiroshi Sugimoto, Polar Bear, 1976, gelatin silver print
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi


Hiroshi Sugimoto, Hyena – Jackal – Vulture, 1976, gelatin silver print
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi


Hiroshi Sugimoto, Earliest Human Relatives, 1994, gelatin silver print
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi


 

露出・漂白・還元——「劇場」

この杉本博司の方法がもっとも見事に現れているのは「劇場」シリーズ(一九七五年〜)である。アメリカの古い映画館や、野外のドライヴイン・シアターにカメラを据え、おおむね取るに足らぬ映画が上映されているあいだ、シャッターを開放したままにしておく。すると、スクリーンに投影されては消えてゆく猥雑なイメージの群れは、長時間露出の結果、光り輝く純白の平面へと漂白・還元されるのである。

これは、大衆文化の紋切型の映像を還元して純白な平面を取り戻そうとするモダニズムの試み——マレーヴィチに代表されるような試みを、大衆文化の映像の飽和と自己還元という逆説的な手法でリテラルにヽヽヽヽヽ 実現してしまったものと言ってもよい。事実、「劇場」シリーズのスクリーンはみなマレーヴィチの白い四角のように、いや、それ以上に、白無垢の輝きを放っているのだ。それだけではない。杉本博司のカメラは、あるいは大時代的な劇場のような映画館内部の装飾を、あるいはドライヴイン・シアターのセッティングや周囲を飛んでゆく飛行物体の光跡を、精細にとらえずにはおかないだろう。そこでは、マレーヴィチの四角も美術館の壁にかけられなければ意味をなさないように、モダニズムの還元と自己純化も実はシアトリカルな制度や装置にとりまかれてこそ可能になっているのだということが、さりげなく示されている。こうして、モダニズムの果たしきれなかった自己純化という目的=終焉をリテラルにヽヽヽヽヽ 実現してしまったという意味で、またその目的=終焉がいわば不純な制度や装置に支えられていることまで露呈してしまったという意味で、「劇場」シリーズは徹底してポストモダンな作品であると言うべきだろう。ここで「ポストモダン」という言葉には少しもペジョラティヴな意味は込められていない。それは、デリダ的に言うなら、徹底してモダニスティックであることによってモダニズムの時代をdé-limiter(境界[脱]確定)する、おそるべき力業なのである。

「時間の終わり」展では、「劇場」シリーズの展示室の奥に暗室がつくられ、特殊印刷でつくられた「劇場」シリーズの本の表紙に塗られた蛍光塗料から微光の漏れる様子がミニマル・アート作品のように展示されている。一冊の本に閉じ込められた長大な映画が微かな光となって漏れ出してきたというところだろうか。

Hiroshi Sugimoto, U. A. Playhouse, New York, 1978, gelatin silver print
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi


Hiroshi Sugimoto, Tri-City Drive-In, San Bernardino, 1993, gelatin silver print
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi


 

零度のシンボリズム——「海景」

この「劇場」シリーズと並んで杉本博司の名声を決定的なものとしたのが「海景」シリーズ(一九八〇年〜)である。「海景」といっても、最初に一瞥しただけでは何が写っているのかわからないだろう。長方形のプリントを中央で上下に二分する線があって、その上と下はほとんど一様なグレーで覆われている。ミニマル・アートの平面作品といってもおかしくはない。しかし、それらはみな、特定の場所で特定の時間に撮影された海景なのであり、中央の水平線から下をよく見ると細かい波のひとつひとつまで精密に写し取られていることがわかる。そもそも水平線というのも本当は海と空の微妙な階調の変化から生まれる錯覚に過ぎない――「海景」を『No Line on the Horizon』のジャケット写真に使うことになるU2が喝破するように水平線に線はないのだから。そのようなリアリズムの極致がミニマリズムの極致と一致する——このアクロバットが杉本博司の「海景」の核心なのである。

一艘の船もいない空っぽの海景。それは、たしかに一九八〇年以降の特定の時間に撮影されたものでありながら、写真家の想像の中では、太古の海景と何ら変わらない。そもそも、自然史博物館のジオラマの延長上で、太古の海景を撮影できないかと考えた写真家が、地質学的・歴史的変動によって変貌してしまった大地を離れ、海に向かった結果が、これらの「海景」なのだ。そこでは、「いま」がそのまま「永遠」と一致するという文字通り歴史を超えたシンボリックな円環図式が、リテラルにヽヽヽヽヽ 実現される。もとより、そうしたシンボリックな図式を批判すること、写真というのはそういう予定調和からはみ出すズレを記録するアレゴリカルな媒体(ベンヤミンの意味で)だったはずだと指摘することは、理論的には容易かもしれない。だが、写真を突き詰めることで反写真にまで到達した杉本博司の「海景」の零度のシンボリズムは、森美術館の会場に流れる池田亮司のテクノミニマル・ミュージックとも似て、観る者を静かに圧倒し、沈黙を強いるだろう。ほとんど戦慄的と言って良いその体験を潜り抜けることなしに杉本博司を批判したつもりになったとしても、それは空しいお喋りにすぎない。

実のところ、自らの作品に対する最も厳しい鑑定者でもある杉本博司は、「海景」を過酷な試練に晒す試みを行ってもいる。直島コンテンポラリーミュージアムの、海に向かって開けたテラスの壁には、十数点の「海景」がかけられ、長年にわたって戸外の光や風雨に晒されてきているのだ。写真家は、その過程で写真が銀化し、映像が消失していくだろうと予想していた。その後に残る痕跡は、未来の人々に謎めいたアレゴリーと映るだろうか。だが、完璧なアクリル・ケースに密封された「海景」は、いまのところほとんど劣化することなく——わずかに穴があったため苔ならぬ黴のむすまで劣化してしまった1枚(カタログ冒頭にいわば負のエンブレムとして収録されている)を除いて——永遠の静止状態の内にあるかに見える。

Hiroshi Sugimoto, Caribbean Sea, Jamaica, 1980, gelatin silver print
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi


Hiroshi Sugimoto, Ligurian Sea, Saviore, 1993, gelatin silver print
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi


Hiroshi Sugimoto, Baltic Sea, Rugen, 1996, gelatin silver print
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi


 

ゴーストと影——「建築」「影の色」

杉本博司が試練にかけるのは自分の作品だけではない。「建築」シリーズ(一九九七年〜)は近代建築を特殊な写真の試練にかけて選別する試みである。旧型大判カメラで、無限遠より先、形式的にいえば無限遠の倍に焦点を合わせたとき、ぼけた映像の中でアクチュアルな建築は溶解し、逆に建築家が頭に描いていたヴァーチュアルな建築が浮かび上がってくるというわけだ。そのヴァーチュアルな建築が十分に強くないと、建築は完全に雲散霧消してしまう。実際、ル・コルビュジエのヴィラ・サヴォワやテラーニの戦没者記念碑などが茫漠としてなお強烈な存在感を放っているのに対し、フランク・ゲーリーのグッゲンハイム美術館ビルバオ分館などは真夏のアイスクリームのように溶け出しそうだ。そして、ミノル・ヤマサキのワールド・トレード・センター。だが、一九九七年に撮影された写真、最初からゴーストのように希薄な雰囲気を漂わせていたこの写真が、二〇〇一年のテロで実際の建築が崩落してしまったあと、かえって不思議なリアリティを帯びて見えるというのは、なんという皮肉だろう。

この「建築」シリーズの対極に位置づけてみることもできるのが、今回新しく発表された「影の色」シリーズ(二〇〇四年〜)である。たんに室内を撮影しているからではない。というか、写真家はここで室内ではなく影を撮影しようとしているのだ。壁を白漆喰で完璧に仕上げた一室に、さまざまな角度で光を導き入れ、そこに生ずる影を観察する。そこに色になる前の色の気配のようなものを感知した写真家は、きわめて例外的な試みとして、カラー写真でそれをとらえようとするのだ。私はこれこそ杉本博司の「陰翳礼讃」であると考えたい。一見とくに日本的には見えない白い壁の明るい写真の中に、驚くほど微妙な光と影の諧調がとらえられる。巨匠だけがなしうる究極の手遊てすさ びである。

Hiroshi Sugimoto, World Trade Center, 1997,
gelatin silver print
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi


Hiroshi Sugimoto, Color of Shadows, 1015, 2004,
pigment print
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi


 

日本——「仏の海」「護王神社」「松林図」

だが、日本はこのように微妙な形で回帰してくるだけではない。実際、森美術館の「海景」の展示室にはミニマルな形に還元された能舞台がしつらえてあるのだ。もとより、「海景」をはじめとする杉本博司の写真は、一分の隙もないミニマリズムゆえに、海外ではしばしば「日本的」といわれてきた。それを逆手に取るかのように、あれほど禁欲的だったアーティストが、近年、露骨に日本的なものを展覧会に持ち込んだり、主題として取り上げたりする。これは、世界市場向けのあざとい戦略なのか、あるいはもともとあった志向の素直な表れなのか。

実のところ、近著『苔のむすまで』(新潮社)で自ら明らかにしているとおり、一九七四年からニューヨークを拠点に制作を続けてきた杉本博司は、一時期、日本で買い付けた骨董を売ることで生活を支えてきたのであり、その必要がなくなってからも古美術を(さらには化石を)収集し続けているのだ。彼はそこに歴史を見ているのではない。時間を見ている。そして、長い時間を経てきた骨董の傍らに自分の作品を並べることで、それが時間の試練に耐えうるものかどうかを、厳しくチェックするのである。

そこには小林秀雄を思わせる態度がある。些細な歴史的研究などは暇な美術史家に任せておけばいい。大事なのは、ものとじっくり向き合い、そこに純粋な持続を感じ取ることだ……。そう、杉本博司にとって重要なのは、現実の歴史としての日本ではなく、いわば純粋な持続としての日本であり、「いま」を写した自らの写真をも日本という「永遠」の流れに参入せしめることなのである。

そうしたヴィジョンの上に立って杉本博司がはじめて明示的に日本を主題化したのは、「仏の海」(一九九五年)においてのことだった。京都の三十三間堂に立ち並ぶ千手観音群像が東山から上る朝日を受けて燦然と輝くさまが、絵巻物、いや経巻のような横長の画面にとらえられる。杉本博司は同じ千手観音像を一千一体も反復したところに十二世紀のミニマル・アートを見ているのか。あるいは本当にそこに「仏の海」を見ているのか。おそらくどちらも正しい。

Hiroshi Sugimoto, Sea of Buddha 001, 1995, gelatin silver print
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi


Hiroshi Sugimoto, Sea of Buddha, Central Figure, 1995, gelatin silver print
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi


さらにいえば、オリジナルなコピーヽヽヽヽヽヽヽヽヽとその反復を原理とするそのような日本(二〇年毎に建て替えられる伊勢神宮を範例とする)は、もともといわば写真的なものとしてある。現に、直島で護王神社の再建(二〇〇二年)に取り組んだ杉本博司は、神の訪れが繰り返される場としての巨石の下に、文字通りのカメラ・オブスクラ(暗室)をつくってみせた。折口信夫の『死者の書』を思わせずにはいないこの暗室には、地上の社から続く氷のように透明なガラスのきざはしを伝って光が射し込む。その光を浴びた後、暗室から出ようをする来訪者は、今度は狭いコンクリートの通路のフレームを通して古代と同じ海を見ることになるのである。実は折口信夫の『死者の書』もそうであるように、この神社は歴史的根拠を欠いたフェイクであると言ってよい。だが、杉本博司の日本においては、オリジナルがフェイクであり、フェイクがオリジナルなのだから、歴史的観点からの批判などはそもそも意味をもたないのだ。この神社の完成にあたって、杉本博司は直島にゆかりのある崇徳院との関係から能「屋島」を奉納した。複式夢幻能という形式も現在と過去を結ぶタイム・マシーンのようなものだからである。今回の展覧会でも能が演じられたのだが、終わり頃にかなり強い地震(隣にいたロバート・ライマンが驚いていた)がありエレヴェーターが点検のために止まるという一幕があった。高層ビルの53階まで届いたこの「地霊の応答」を杉本博司が大いに喜んだことは言うまでもない。

こうして、現代美術家であると同時に骨董の目利きでもある杉本博司は、歴史家とはまったく異なった視点から日本を再発見する。そして、大げさな議論(まさに私がここで展開しているような)を振りかざすアーティスト気取りの同時代人たちを超然と無視し、昔の日本の無名の職人たちをライヴァルとして、自らもまた寡黙な職人たらんとするのである。寡黙な? しかし、寡黙と見える職人も一歩裏に回ると落語家のように狷介で洒脱な論客であることが珍しくない。実際、あの能舞台の鏡板として、もともとは「海景」でなく長谷川等伯の「松林図」の写真版の制作を思い立った杉本博司は、日本中の松を見て回ったあげく、「パースペクティブ日本の消点『皇居』」にたどり着く。「そこには管理された自然、人工美の極致、期待される松像があった。私は、媚びるようにして腰をひねる松一本一本を精査したうえで、想像上の六曲一双、十二面の絵に組み立て直すことにした」——現存する等伯の「松林図」自体、オリジナルを適当に切り貼りして組み立て直されたものであるように。「この絵は写真なのだが、写された場所を探しに行っても無駄だ。そんな場所はどこにもない。すべては絵空事なのだ。」杉本博司の日本とは、このような屈折を孕んだ虚構、最高級の寿司屋にミニマリズムの極致と日本的美意識の極致を同時に見いだして感嘆するようなオリエンタリズムの視線では容易につかみきれない虚構なのである——おそらく三島由紀夫の日本がそうであったように。そこに私は、「今」と「永遠」を結ぶシンボリズムが典型的な形で提示されると同時にまんまと裏切られているのを見る。

Hiroshi Sugimoto, Pine Trees, 2001, gelatin silver print
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi


 

デュシャン/スギモト

ジャン・ヌーヴェルの設計したパリのフォンダシオン・カルティエは、正面の巨大なガラスを特徴とする建築である。二〇〇四年にここで展覧会を開くことになった杉本博司は、「大ガラスが与えられたとせよ」というタイトルを選び、デュシャンの大ガラスのレプリカ(東京大学ヴァージョン)を撮影した作品、そして、デュシャンが興味をもったであろう数学模型や機構模型(明治時代に東京大学が購入したもの)を撮影した作品を展示した。「時間の終わり」展の最初のセクションに展示された作品群である。

ドゥルーズは、出来事というのは過去(形)・現在(形)・未来(形)が並ぶ直線上に位置する点ではなく、むしろ不定法(不定詞)で表現されるようなもの、時間軸のアンフラマンス(超薄)な裂け目のようなものだと論じた。メモ群のひとつに『不定法で』というタイトルをつけたデュシャンほど、この規定にふさわしいアーティストはいないだろう。デュシャンは、準備段階を入れれば一九一二年から十年以上かけて制作した「大ガラス」を、一九二三年にdefinitely unfinished(決定的に未完)な状態のまま放置する。そして、輸送中にこの作品に無数のひびが入ったとき、その出来事を積極的に受け入れ、ひびを含めた形で作品を修復するのである。「大ガラス」には、杉本博司の撮影した東京大学ヴァージョンをはじめ、いくつかのレプリカがあるのだが、当然それらにはひびが入っておらず、ひびの入ったオリジナルに比べると不思議に空虚な印象を与える。そのレプリカのレプリカ、コピーのコピー、ネガのネガが、杉本博司によって分厚いガラスの中に封じ込められる。indefinitely finishedな(無際限に完成された)その作品は、「いま」であると同時に「永遠」であり、いかなる出来事からも絶縁されている。自身、美術史の終わりに立ち会っていたデュシャンが、そこに辛うじて開いたアンフラマンスな遊びの場、現代美術と呼ばれるものを可能にしてきた場を、杉本博司は再び閉ざす。スギモト、それはアンチ・デュシャンである。

私が「時間の終わり」展の余白に書き付けてきたこの「最後の写真家」の肖像は、杉本博司をいささかネガティヴに描きすぎているだろうか。たしかにそうだろう。だが、それは過大評価でこそあれ、決して過小評価ではない。むろん、ヘーゲル的な「歴史の終わり」論はつねに誤っているので、すべてが終わったと見えたときに必ず新しい出来事が生起する、それこそが唯物論のアルファにしてオメガである。だが、写真が終わるといい、杉本博司が「最後の写真家」だというのは、たんにヘーゲル的な観念論による抽象的規定ではない。現実問題として、映像のディジタル化の流れの中で、銀塩写真の材料——とくに杉本博司の使うような特殊な材料が、どんどん製造中止に追い込まれているのだ。「ということは、写真をやめるか、コダック社を買収するか、どっちかしかないということだな。」すでにずいぶん前、写真家は涼しい顔をして言ってのけたものだ。そう、かくも唯物論的なレヴェルにおいて、写真という媒体は事実上の終焉を迎えようとしている(むろんマージナルな形では生き延びるだろうけれど)。今さらそれを嘆いてみても始まるまい。ただ、写真史がまさにこの時点において杉本博司という最高の幕引き役を持ち得た、その出来すぎた偶然に感嘆するばかりである。






付記(2020年4月3日)

「時間の終わり」展は2005年9月17日から2006年1月9日まで東京六本木の森美術館で開催された。この大展覧会が写真家としての杉本博司のひとつの集大成だったとして、そのときすでに彼が写真を超える領域に大きく踏み込んでいた――正確に言えば、元々たんなる写真家ではなく、写真を媒体として用いるアーティストだったということが顕わになってきていたのも事実である。今回、京都市京セラ美術館で開催される「瑠璃の浄土」展では、そうした側面がさまざまな形で披露される。この機会に写真家としての杉本博司の仕事を振り返っておくのも意味のあることではないかと思い、ここに旧稿を再掲する次第である(わずかな加筆修正を除いて初出のまま)。

「瑠璃の浄土」展についてここで詳しく触れる余裕はないが、瑠璃という色彩をタイトルに掲げたこの展覧会で、「時間の終わり」展の「影の色」で初めて披露された色彩の実験の現時点での到達点が披露されていることは強調しておこう。ペストを避けて田舎で研究を続けたニュートンの『Opticks(光学)』初版本をエピグラフのように配したそのコーナーでは、プリズム柱を通した光が鏡で反射されて白壁に描く色と色の境目が撮影される。杉本博司が珍しくカラー写真で撮影するのはカラーそのものなのだ。実は、COVID-19パンデミックのため展覧会の初日は3月21日から5月26日(予定)に延期されたのだが(薬師如来の東方瑠璃浄土をテーマとする展覧会にふさわしいスタートと言うべきか)、3月20日の内覧会では田中泯が会場で踊る二幕があり、「アイザック・ニュートン式スペクトル観測装置」の生み出す虹を、いわば身体をフィルムとして捉えようとするシークエンスは、とくに印象的だった。「お水取り」ならぬ「お虹取り」というところか――色彩の実験という点では加納光納の「稲妻補り」も想起されるけれど。美しく晴れた日だったが、時に太陽が雲間に隠れ、光と色による救済の象徴とも見えた虹が嘘のように掻き消えたところでパフォーマンスが終わる。まさしく「色即是空」である。その他、「海景」を水球に閉じ込めた光学硝子五輪塔の列もあれば、崇徳院が讃岐に流されるとき立ち寄ったと伝えられる直島の護王神社(模型)の隧道の彼方に、隠岐に流された後鳥羽院が見たであろう「海景」を望むインスタレーションもある。そのコーナーの反対側には、本稿の末尾で触れたデュシャンの「大ガラス」のレプリカの写真を収める「ウッド・ボックス」(「トランクの箱[La Boîte-en-valise]」ならぬ「木の箱[La Boîte-en-bois]」)が配されているが、ヴェネツィアのムラーノ島で写真家が(村野藤吾ならぬ)村野藤六と号して手がけたガラス茶碗、とくに便器を「泉」と題したデュシャンのレディメード作品を原型にした「硝子茶碗 泉」も近くにあるので、見逃さないようにしたい。

もうひとつ、「瑠璃の浄土」展の図録には、磯崎新と私が杉本博司のつくりあげた江之浦測候所で冬至(正確にはその前日)の日の出を見たあとに行なった鼎談が収録されている。そこで私は江之浦測候所の形成過程に関して、「いま=永遠」というシンボリックな図式が、さまざまな時代の遺物を集積したアレゴリカルな廃墟へと埋没していく(むしろポジティヴな意味で)という見方を述べているのだが、詳しくはその鼎談を参照されたい。また、このとき私の撮ったスナップショットを核としてできあがった磯崎新と杉本博司の連歌もどき(?)は Realkyoto に掲載される。

なお、京都市京セラ美術館の「瑠璃の浄土」展と並んで、近くの細見美術館では「飄々表具――杉本博司の表具表現世界」展が開催されることを付け加えておく。

 

あさだ・あきら
批評家。京都芸術大学教授・ICA所長

(2020年3月27日公開)