文化時評9:松江泰治の『gazetteerCC』と濱谷浩の『日本列島』
「風景」ではなく(前編)
文:清水 穣
2023.02.26
2000年から2017年にわたって、松江泰治がアナログのカラーフィルムで世界各地の自然や都市を撮影した、大部の作品集『gazetteerCC』が赤々舎より出版された。初期の白黒作品集『TAIJI MATSUE』(うげやん、2003年)の対となる作品集であり、また後の「cell」「LIM」「makieta」「JP-」といった展開の母胎となった作品群である。その作品やレイアウト構成については所収のエッセイ1 を参照していただくとして、ここではこの本を、そして松江泰治を、日本の戦後写真史のなかに位置づけてみたい。
この標準的なリアリズムの言説を戦後日本に適用すると、齟齬が生じる。暴露されるべき「ありのまま」の日本とは、オキュパイド・ジャパンという人工的な仮構に他ならなかったからである。ドイツに対する措置とは大きく異なって、米軍による日本占領は、まず開国以来の近代日本を全否定した。しかし前近代的=伝統の日本とは、近代化とともに後ろ向きに作られたフィクションに他ならず、皇室の西洋化に象徴されるように、日本人自身がすでに一度捨てたものである。では新生日本はどうかというと、占領政策は早くも40年代末にいわゆる「逆コース」に転じ、しかも占領を終わらせる条件は、サンフランシスコ講和条約に安全保障条約を抱き合わせることであった。それは、東アジアで地政学的に重要な軍事戦略拠点として、「新生日本」がアメリカの支配下で冷戦体制に(つまり二重の仮構に)組み込まれることを意味した。 標準的な「二元論的システム」versus「ありのままの外部」の言説において、「外部」は、あくまでも「システムの」外部、つまりはシステムの内から外への投影である。戦後日本では、この「システム」(伝統日本、近代日本、新生日本)がことごとく破壊されたため、「外部」への投影はありえない。つまりそこに「ありのまま」の「裸」の「真実」は存在しない。植民地化されたとは、「ありのまま」を奪われたということなのだ。そうであるからこそ日本の写真家たちは、未知で不在の「ありのまま」 ―そこには、あるべき来たるべき「日本」が重ねられている― を熱望し、与えられた仮構 ―安保体制― を否認し続ける。それは「外部」を知らぬ、否定的リアリズムであった。 他方で1960年代は、情報メディア社会の到来によって、冒頭に述べたモダニズムの信仰が衰えていく時期である。それは「外部」の極、すなわち「リアル」で「ありのまま」の「裸」の「真実」が、最も欲望を掻き立てる商品として資本の流動に取り込まれていく時代であった。モダニズムの写真家たちが追い求めてきたありのままの世界が、つねにすでに、メディアによって実現されているような世界 ―「社会的風景」― が到来したとき、「同時代の写真家」は、あの信仰を捨てて、写真というものを根本から再考する必要に迫られた。 戦後日本写真の特殊性とは、モダニズム写真の信仰をなし崩しにするメディア社会の到来を自覚していながら、日米戦後レジームがもたらした「ありのまま」の不在という状況に強いられる形で写真のモダニズムが延命し、様々なリアリズムを展開したことである。言い換えれば、「ありのまま」を奪われているがゆえに、それを捨てられない=信仰を捨てられない写真家が多かった。
(注)
1 清水穣「写真の過剰 Excess of Photography」、松江泰治『gazetteerCC』(赤々舎2023年)所収。
2 John Szarkowski, Photographer’s Eye (New York: MoMA, 1966) Section “The thing itself”. しみず・みのる
批評家。同志社大学教授
※松江泰治『gazetteerCC』は赤々舎より発売中。
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モダニズム写真は次のような信仰に支えられている:「1枚の写真の真実が信じられるのは、われわれが、レンズは偏らず、対象をありのままに、良く見せも悪く見せもせず、描き出すと信じるからである。」 2 リアリズムの言説は、対立概念のどちらにも偏らない(neither~ nor~)中立性としての「ありのままas it is」を目指し、その中立的世界が、対立概念で形成された世界の「外部」をなす。リアリズム写真の核心は、美醜、善悪、優劣、貴賤…の二元的対立を超えた、三番目の「ありのまま」の真実の世界でありモノ自体だ、と。 1910年代にストレート・フォトグラフィーとともに生じたこの言説は、さらに20年代から30年代にかけてシュールリアリズムによって解りやすく定式化された。現実は、通常の現実とシュールな(=ありのままの、真実の)現実というように二重化し、前者の背後に後者が隠れていて、芸術家の人為=創作による露顕を待っている、と。シュールリアリズムは、「ありのまま」の言説を、「暴露」ないし「裸」の言説へと変奏することで、写真に付随する人為的操作(撮影・現像・選別)と、結果として要請される無為自然の「ありのまま」とのあいだの矛盾を解決し、そこから多彩な「ドキュメンタリー」が展開していった。この標準的なリアリズムの言説を戦後日本に適用すると、齟齬が生じる。暴露されるべき「ありのまま」の日本とは、オキュパイド・ジャパンという人工的な仮構に他ならなかったからである。ドイツに対する措置とは大きく異なって、米軍による日本占領は、まず開国以来の近代日本を全否定した。しかし前近代的=伝統の日本とは、近代化とともに後ろ向きに作られたフィクションに他ならず、皇室の西洋化に象徴されるように、日本人自身がすでに一度捨てたものである。では新生日本はどうかというと、占領政策は早くも40年代末にいわゆる「逆コース」に転じ、しかも占領を終わらせる条件は、サンフランシスコ講和条約に安全保障条約を抱き合わせることであった。それは、東アジアで地政学的に重要な軍事戦略拠点として、「新生日本」がアメリカの支配下で冷戦体制に(つまり二重の仮構に)組み込まれることを意味した。 標準的な「二元論的システム」versus「ありのままの外部」の言説において、「外部」は、あくまでも「システムの」外部、つまりはシステムの内から外への投影である。戦後日本では、この「システム」(伝統日本、近代日本、新生日本)がことごとく破壊されたため、「外部」への投影はありえない。つまりそこに「ありのまま」の「裸」の「真実」は存在しない。植民地化されたとは、「ありのまま」を奪われたということなのだ。そうであるからこそ日本の写真家たちは、未知で不在の「ありのまま」 ―そこには、あるべき来たるべき「日本」が重ねられている― を熱望し、与えられた仮構 ―安保体制― を否認し続ける。それは「外部」を知らぬ、否定的リアリズムであった。 他方で1960年代は、情報メディア社会の到来によって、冒頭に述べたモダニズムの信仰が衰えていく時期である。それは「外部」の極、すなわち「リアル」で「ありのまま」の「裸」の「真実」が、最も欲望を掻き立てる商品として資本の流動に取り込まれていく時代であった。モダニズムの写真家たちが追い求めてきたありのままの世界が、つねにすでに、メディアによって実現されているような世界 ―「社会的風景」― が到来したとき、「同時代の写真家」は、あの信仰を捨てて、写真というものを根本から再考する必要に迫られた。 戦後日本写真の特殊性とは、モダニズム写真の信仰をなし崩しにするメディア社会の到来を自覚していながら、日米戦後レジームがもたらした「ありのまま」の不在という状況に強いられる形で写真のモダニズムが延命し、様々なリアリズムを展開したことである。言い換えれば、「ありのまま」を奪われているがゆえに、それを捨てられない=信仰を捨てられない写真家が多かった。
(続く)
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1 清水穣「写真の過剰 Excess of Photography」、松江泰治『gazetteerCC』(赤々舎2023年)所収。
2 John Szarkowski, Photographer’s Eye (New York: MoMA, 1966) Section “The thing itself”. しみず・みのる
批評家。同志社大学教授
※松江泰治『gazetteerCC』は赤々舎より発売中。