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文化時評10:松江泰治の『gazetteerCC』と濱谷浩の『日本列島』
「風景」ではなく(中編)
文:清水 穣

2023.03.18
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濱谷浩『日本列島』(1964)より「摩周湖・カルデラ湖」
1つは、「闘争」のなかに「ありのままのリアル」を見る立場で、60年安保闘争、羽田闘争といった反政府運動のドキュメントである(濱谷浩の『怒りと悲しみの記録』(1960年)、北井一夫の『抵抗』(1965年)、そして小川紳介のドキュメンタリー映画(『圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録』『現認報告書 羽田闘争の記録』、ともに1967年))。そこに見られる激しい荒れ・ブレ・ボケは、ウィリアム・クライン『New York』(1956年)の影響というよりも、暴力的な撮影状況と、証拠写真を回収しようとする公安に怯えつつ仮の暗室で現像せざるを得ないような事情から自然に発生し定着したものであろうが、日本において政治的抵抗を象徴するスタイルとなった。

2つ目は、メディ社会の到来に無自覚なまま相変わらず「ありのままのリアル」を暴露しようとする小川らの古典的ドキュメンタリーの無力を批判して登場したリアリズムで、これは70年代にかけて「風景論Landscape theory」という言説を形成した。「風景映画」と呼ばれた足立正生(ほか)の『略称連続射殺魔A.K.A. Serial Killer』(1975年)、同映画の製作にも携わった松田政男の『風景の死滅』(1971年)、両者と交友関係のあった中平卓馬にも風景論がある(「風景への叛乱―見続ける涯に火が…」1970年)。これらは、資本や国家のシステムがまさにその「外部」を駆動力として取り込み自己展開するようになった時代の理論であり、そのようなシステムの構成する社会のファサードが「風景」と呼ばれた。国家=資本によって日本各地のあらゆる風景は「一様にのっぺりと塗り込められて」1 いった、と。「風景とは国家権力のテクスト」にほかならない、風景=国家=資本を撃て、風景を批判せよ、と。それは、風景によって閉ざされた「外」へいかに出るか、政治権力に操作される以前の「ありのままの現実」をいかに見出すべきかという、抵抗の思想である。日本の風景論は、ネイサン・ライオンズの画期的な展覧会『同時代の写真家たち―ある社会的風景に向かって』(1966年)と同時代性を見せるものであるが、「ありのまま」の回復と、日米戦後レジームへの闘争を志向する点が、後者と大きく異なる。

さて、濱谷浩(1915-1999)は、「雪国」「裏日本」のシリーズで有名な、日本を代表する写真家であり、「長いトンネルを抜け」さえすれば、まだ「ありのまま」の伝統的日本が残っていると信じられた世代(敗戦時30歳)に属する。その濱谷が、60年安保闘争に深く関わり、『怒りと悲しみの記録』(1960年)を遺していることは、この時期の日本写真の研究者なら知っているだろう。植民地日本(ありのままの不在)の存続に反対する初めての全国民的な抗議活動に参加するような写真家が、のちに「ディスカバー・ジャパン」(1970年)として商品化されるに至る、美しい「投影」に自足できたはずはない。60年安保闘争は、周知のように、与党自民党による強行採決で安保条約が延長され、岸内閣は総辞職して総選挙が行われ、その結果は、自民党の単独過半数獲得という大勝利に終わった。日本人は被植民地の仮構を生きる方を選んだのだ。濱谷はそんな日本人に絶望し、日本人のいない「日本」、つまり地学的自然としての、絶対的にありのままの日本列島へ向かう。「私が、人間嫌いになったのではないか、と妻は心配した。事実、私には人間に対する不信感、断絶感があった。私にとってはじめての経験である。[…] 私は人間臭いもの一切を避けた。意識して自然以外のものを分離するようにした。人間を拒絶することからはじまったといってもいい。」2こうして、4年間かけて日本を撮影した結果が『日本列島LANDSCAPES OF JAPAN』(平凡社、1964年)である。

「風蓮湖・三角州」

「小沼・ワタスゲ」

「秋吉台長者ヶ森・ドリーネ」

「地蔵山・山頂樹氷群」
(写真はすべて『日本列島』より。あえて、松江写真のフォーマット―上からの眺め、順光、正対、横位置、地平線水平線のカット―にだいたい合っている作品を選んだ。古い写真集からのスキャンなので、東京都写真美術館の回顧展図録(1997年)に見られる作品写真3 に比べると、やや退色している)

濱谷はモダニストの信仰を捨てるどころか、それをいわば「絶対」化したのである。「絶対」とは人間を必要としないという意味である。「ありのままの外部」は、人間的時間(歴史)と隔絶した、宇宙的時間における自然に設定された。この写真集は日本語版と英語版で出版されている。空撮を行った濱谷は、当然、横田空域、岩国空域、嘉手納空域(当時)というかたちで、戦後日本の空の大部分が米軍にキープされていることを意識しただろう。こうして、仮構された時空間を選んだ日本人と、その時空間を支配するアメリカ人の両方が消去された。

「足摺岬・照葉樹林」

「摩周岳・火口底針広混交林」

「藻琴山・林園」

「大雪山・東斜面・針葉樹粗林」

残されたのは、誰の目にも触れない、純粋な地球表面としての日本のはずである。しかし、写真家の結論は違っている。「いま『日本列島』の編集を終わって思うことは、人間のことである。これは私だけの感じ方であろうが、『日本列島』の写真の一枚一枚に人間を感じる。自然をみつめることによって得た、新しい私の人間観が生まれた。」

(続く)

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(注)
1 中平卓馬「風景への叛乱―見続ける涯に火が…」。『見続ける涯に火が… 批評集成1965−1977』(OSIRIS、2007年)128頁。
2 『日本列島』あとがきより抜粋。『濱谷浩―写真の世紀 [写真体験66年]』東京都写真美術館、1997年(展覧会図録)134頁。
3 『濱谷浩―写真の世紀 [写真体験66年]』東京都写真美術館、1997年(展覧会図録)136-146頁。

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しみず・みのる
批評家。同志社大学教授

松江泰治『gazetteerCC』は赤々舎より発売中。