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文化時評11:松江泰治の『gazetteerCC』と濱谷浩の『日本列島』
「風景」ではなく(後編)
文:清水 穣

2023.04.20
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松江泰治『TRANSIT』より(1987)
『gazetteerCC』に収められた数多の大自然の写真は、『日本列島』に含まれる写真と共鳴している。その共鳴は、形式的には「地平線・水平線を入れない」「上からの眺め」であることに由来するが、その本質はさらに深いところにあるように思える。それは、濱谷浩が絶対的風景、つまり無・人間的な風景を通して再発見した「人間」と関わっている。

さて、戦後日本写真に影響を与えたもう1つの写真展、1975年の『ニュートポグラフィクス:人間に変えられた風景の写真 New Topographics : Photographs of a Man-altered Landscape』もまた、「風景」を主題としていた。この写真展の影響とは、多くの日本の写真家たち ―渡辺兼人、柴田敏雄、長船恒利…等々― に「無人風景」というスタイルを教えたことである。そしてここに、3つ目のリアリズムを見ることができる。戦後日本に「ありのまま」が不在であるというのなら、その不在を表現しようというリアリズムである。これは、戦後日本写真の齟齬そのもの、つまり「ありのまま」が「二重の仮構」であるという矛盾を、1つの方法論として洗練させ、モダニズムの両極(人為と自然)を相殺することによって、写真の中身をプラス・マイナス・0にするものである。タイプ2の「風景論」が、戦後日米レジームのファサードにほかならない「風景」を否定するならば、タイプ3の「無人風景」は、そこから政治性 ―矛盾を解消しようとする意識― を引いて、空っぽの「風景」を凝視するのだと言えるだろう。写真は写真であり、それ以上でも以下でもない;写真は何も肯定せず、何も否定しない、ただの=ありのままの写真である、と。そしてそれを強調するかのように、作品には美しいプリント仕上げが施される。

奪われた「ありのまま」を求めて止まない衝動を、リアリズムの呪いと呼ぶならば、この第3のリアリズムは、呪われた写真家たちに一種の安らぎを与える効果があった。無人風景は、その表層を引き剥がしたところで、何も隠していない=無を隠している。「ありのまま」を「無」「空虚」で置き換えたこのリアリズムは、見る側の主体を解きほぐし、零度の世界へ没入させる一種の情緒に満ちている、二重の仮構を生きる者の倒錯した情緒にほかならないが。

松江泰治 『Involution (Andalusia)』より(1988)

松江泰治(1963-)は、森山大道の『光と影』(1982年)に衝撃を受けて現代写真に開眼し、森山のもとを訪れては批評を仰ぎつつ数年間を過ごし、1987年にツァイト・フォト・サロンでデビューした。上掲の『TAIJI MATSUE』には1989年作品から収録されているので、デビュー作『TRANSIT(経緯儀)』から、現在の松江スタイルへの移行まで2〜3年かかっていることになる1。『CC』を標準とするそのスタイルの特徴を列挙すれば、上(地上の高所)からの眺め、水平線と地平線のカット、順光、正対、絶対ピントとなろう。このうち、最初期の松江作品にも見られる特徴は「順光」と「正対」で、被写体が反射する光に真っ向から向かい合う姿勢が一貫している。さらに「水平線と地平線のカット」により画面全体が前面化し、見る者の視線は風景の「奥」や「彼方」へ誘われることなく、そこに詰め込まれた情報の深みへと導かれる。「絶対ピント」とはレンズの本性に合わせたピント、すなわち無限遠からの光線がレンズの自然な焦点で像を結ぶことで、ポイントは、すべてを無差別均等に写し込むこと、そして肉眼を前提としていないことである。他方で、「詰め込まれた情報」の多くは都市風景の細部、すなわち人々の日々の生活が堆積して出来た歴史にほかならない。『CC』とは、人間を捨象したピント(絶対ピント)によって、人間の歴史を撮影するシリーズなのだ。

冒頭で述べたように、この『CC』からは様々なシリーズが枝分かれしている。『cell』は、撮影された都市風景の細部に偶然写り込んでいた人物を、『CC』の最小単位=細胞として抽出した作品だが、当然ながらそれは意図せざる2盗撮でもあり、「上からの」監視社会を連想させる。「上から眺める者」という、『CC』が内包するこの政治性は、『マキエタ』3で明確に作品化される。昔も今も、都市模型とは、つねにその都市への支配(独裁、占領、独占)の象徴であるからだ。さらに日本各地をヘリコプターから空撮するシリーズ『JP-』が、自動的に、戦後レジームの日本の空の不自由を「撮影禁止区域」として逆照するだろう。とりわけ「JP-34広島」は、原爆投下後の荒廃した広島のマキエタと、現在の広島市を同じアングルで撮影することによって、日本の空の主体が相変わらずエノラ・ゲイ、つまり米軍であることを示唆する。

『TRANSIT』は都市の片隅の光景であるから、見かけは無人風景である。モノの表面の質感に還元された即物的な画面は、数多の情緒的な無人風景と一線を画しているが、黒白プリントの美しさによって繋がっているとも言える。無人風景の情緒とは、見る主体が零度の世界へ没入することであり、黒白プリントの美はこの没入のための重要な条件であった。しかし松江作品では、「順光」すなわち反射光と正対するアングル、そして『TRANSIT』というタイトルがその没入を禁じている。「経緯儀」とは、対象と測量者(=撮影者)の位置関係を正確に決定するものであるからだ。さらに『CC』が顕在的に(どこから撮った写真かを常に意識させる)そして潜在的に(それは監視者・支配者の眼差しである)合わせもつ政治性は、「誰が」「何を」見ているのかという写真の2つの「Subject主題=主体」を手放さない。主題としてありのままの日本を持ち得ず、日本を空から眺める主体でもない日本人には、この2つの主体が欠けている。この欠落にたいする意識が二人の写真をつなぐだろう。濱谷浩は「人間」を、二重の仮構を選択した日本人を批判して、『日本列島』を撮った。松江泰治は「無人」を、二重の仮構をすでに仮構と感じなくなった日本人を批判して、現在のスタイルに到達したのである。

濱谷浩「9月25日朝小雨、東京」(1988年)

最後に、あの「人間」とは? 『日本列島』で「怒りと悲しみ」を昇華させた濱谷浩は、被写体が地球規模に広げられたほかは、その後1999年に亡くなるまで特に新しい試みをしていない。昭和天皇が死に向かっていた1988年の作品に、残り火のような遠い感傷が疼いているくらいである。濱谷は「新しい人間観」を作品化しなかった。『CC』は、絶対ピントの下に人間の歴史を撮るという矛盾を肯定して生まれた。この肯定において、松江はモダニストの信仰を共有しない。彼の「外部」は、現存のシステムでない事はもちろん、絶対的=人新世以前の「ありのまま」の自然でもない。松江の「ありのまま」はそのまま「歴史」なのである。「外部」とは、システム内部からの投影であった。システムAはAの外部を、システムBはBの外部を投影し、両者が一致しないとき、AとBに両属する者には人間の外部と人間の歴史が重なって見える。地球を巡る旅行者として『CC』を展開しながら、作家はいつしかこのような両属性4を獲得したのだろう。

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(注)
1 1988年に『Involution』のシリーズがあり、このシリーズの中にはすでに『CC』を予見させるアングルが見られる。『TRANSIT』と『CC』をつなぐ重要な作品群。
2 とはいえ撮影時に作者はたいていその細部 ―それぞれの人々の動き― に気づいているという。静止画像の細部に、動くものを知覚するというこの感覚から動画 ―「moving photographs 動く写真」― が展開したのだろう。
3 「makieta」は模型を意味するポーランド語。
4 これは文化相対主義とは似て非なるものである。AとBのあいだの中立的な立場Cから両者を相対化するのが文化相対主義。両属性はCという第3の場所を持たない。

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しみず・みのる
批評家。同志社大学教授

松江泰治『gazetteerCC』は赤々舎より発売中。