文化時評32:十三代 三輪休雪 エル キャピタン@KOSAKU KANECHIKA
外観と出現
文:清水 穣
2025.01.16
京橋のTODA BUILDINGに新しいスペースをオープンした、ギャラリーKosaku Kanechikaの杮落としは、13代三輪休雪(1951-)による「エル キャピタン」シリーズの新作群であった。21世紀になって、世界で同時多発的に、最先端の現代美術の作家が人類最古の芸術とも言える「陶芸」の表現に手を染めるようになり、陶芸界と現代美術界は急速に融合し始めた。その流れが日本のモダン陶芸や伝統陶芸にも及んできて、これまで陶芸専門ギャラリーやデパートの美術画廊を主な発表場所としてきた日本の陶芸家が、一人また一人と、現代美術の世界で、つまり全く新しい眼差しと価値観のもとで、新たなデビューを果たしている。Kosaku Kanechikaはすでに桑田卓郎を国際的なスターダムに押し上げたが、次の陶芸作家として、前衛陶芸の作家(故人では八木一夫、鯉江良二…;現役では秋山陽、中島晴美…)ではなく、伝統ど真ん中、茶陶・萩焼の、御用窯の窯元の重鎮を選んだことは、大胆で野心的な決断である。それは、日本陶芸の歴史を根こそぎ、現代美術の野に移植するに等しいからである。
なるほど、三輪和彦(襲名前の名前)は1970年代半ばにアメリカ西海岸に遊学し、帰国後の1984年、山口県立美術館のグループ展(現代の陶芸II 「いま、大きなやきものになにが見えるか」展)において大胆なインスタレーション作品でデビューを飾った人であるから、現代美術と全く無縁というわけではない。しかし、先代(三輪龍作、現「龍氣生」)が、女やエロスを主題とするオブジェ陶で注目されたのとは異なり、 三輪和彦は伝統的な茶陶を追求してきたように見えるし、毛利家御用窯の名代を襲名したこともその証であろう。
とはいえ、日本陶芸界では「現代美術」的と見なされて来た12代休雪のオブジェは、実際にはオブジェとしてもジェンダー表現としても素朴に過ぎて、現代美術というよりはやはり伝統陶芸の変種と見なされるのとは対照的に、一見、伝統的な萩焼の茶陶に連なる三輪和彦の作品は、むしろその本質を変えぬままに現代美術に通じていると、以前から私は思ってきた。 1 21世紀になって、古文献と骨董の目利きに支えられてきた古陶磁の世界に、早くは1980年代末から蓄積されてきた、古窯跡の考古学的発掘の成果が、新風を吹き込み、中国、朝鮮、日本の古陶磁の理解が刷新されるようになった。それを踏まえて伝統陶芸の内から、陶芸だけに可能な現代的表現が現れている。それを陶芸の原理主義と呼んでおこう。原理主義とは、数百年前の古陶磁の原理(原材料と焼成方法)を探り、数百年程度では土壌分布に差は出ず、窯の中で生じる物理化学現象にも違いはないことを利用して、新たに、数百年前の古陶磁を制作することである。これがいわゆる「写し」と異なるのは、「写し」が数百年を経た外観を写す(見かけが写せれば材料、手段は問わない)、言い換えれば、最初から400歳の老人を生むのとは異なり、原理主義は400年前に遡って、新しい古陶磁(?)を焼くからである。また原理主義は、考古学的な再制作(中国の窯跡付近で焼かれる、例えば、汝窯の再現品)とも異なる。再制作は、文字通り「再」制作であるから、伝世せず発掘されてもいないものは、作られない。しかし原理主義は、古陶磁の原理に則った新しい制作であるから、そうした制限を受けないのである(もっともその原理が、結果としての表現をかなり拘束するとは言えるだろうが)。
しかし古備前の森陶岳(1937-)、黄瀬戸の原憲司(1947-)、古唐津の梶原靖元(1962-)、初期伊万里の豊増一雄(1963-)といった原理主義者の系譜に、三輪和彦は連ならない。先に述べたように、原理主義とは、これまで古文献と骨董の目利きが、それぞれ「古備前」「古唐津」「桃山陶」……と定義してきた見かけの美を、原理によって覆す新しい表現である。しかし萩焼の場合は、秀吉の朝鮮出兵の折に連行されてきた李勺光・李敬の兄弟の家系が「坂高麗左衛門」の御用窯としてそのまま現在まで続いている。それは三輪窯でも同じであって、最初からの原理が途切れていない萩焼に「原理主義」は要らないのだ。 2 それゆえ三輪和彦・13代休雪の作品の本質は、古陶磁の原理とは異なるところに見出されねばならない。それを、「〈外観 appearance〉ではなく〈出現 apparition〉に対する感性」と呼ぼう。外観と出現は、デュシャンの有名な対立概念である。デュシャンは、芸術家は外観、すなわち見かけの美しさではなく、出現、すなわちそのような美を出現させる原則を扱うべきであるとした。陶芸は、表面効果(美しい釉色、焼成された表面の質感、肌合い、絵付け、装飾、等々)に依存しがちである。しかし、富本憲吉がろくろにおける「線の戦い」という言葉で強調したように、陶芸の本質は、目に見えない抽象的な線(輪郭線)にある。線によって規定される形態があるから、美しい外観が出現するのだ。
例えば、三輪窯といえば、休雪白(10代が考案し11代が完成させた、粘度のある純白の釉薬)である。それは父祖伝来の万能釉薬であり、このシグニチャー的な釉薬の外観を愛でる人は多い。だがこの白が本当に活きてくるのは、それがなかったとしても成立する強い形態の支えがあってこそである。強靭な形態が、作品全体として、輝く休雪白の美を出現させるのであって、作者の感性は美しいコーティングではなく、あくまでも美の出現に向けられている。 新作の「エル キャピタン」では、土の塊をくり抜いた割高台の鬼萩茶碗を元型に、そこへ直方体の柱(?)を押し当てたり、その結果の凸部を削ぎ落としたりした、険しい断崖のような形態が出現している。メイン会場には巨大な作品、サイドルームには、茶碗サイズの作品が展示されていたが、そのダイナミズムに大小の差は感じられなかった。サイズと関係なく「エル キャピタン」の形態は、カールトン・ワトキンスの古写真でも有名なヨセミテの花崗岩塊の「外観」を写すことなく、その巨大な岩塊を「出現」させた地球の造山運動の、計り知れない生命力を感じさせることに成功している。雪山を連想させる休雪白の代わりに、ブロンズやシルバーの釉薬へと飛んでみせた、より抽象度の高い作品もあって、どれも「エル キャピタン」だが、ひとつとして同じものがない。
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(注)
1 こういう印象を与える伝統陶芸界の重鎮をもう一人挙げるとすれば、金重素山(金重陶陽の弟)である。彼らの作品からは、曖昧な言い方で申し訳ないが、「造形的センス」と呼ぶしかない才能が感じられる。 2 とはいえ、古萩と現在の萩焼のあいだには無視できない違いがあるだろう。先日、古陶磁のコレクターとして著名な茶人の茶会に参加したとき、素晴らしい古萩の粉引雨漏茶碗が出た。飛鳥仏や白鳳仏が異国の相貌を漂わせてエキゾチックであるのにも似て、その茶碗の造作は、萩で作られたにもかかわらず、まさに朝鮮のものであった。こういうことは、他の朝鮮由来の窯では例を見ないのではなかろうか。 ——————————–
しみず・みのる
批評家。同志社大学教授
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十三代 三輪休雪「エル キャピタン」展は、KOSAKU KANECHIKAで、2024年11月2日―12月14日まで開催された。
なるほど、三輪和彦(襲名前の名前)は1970年代半ばにアメリカ西海岸に遊学し、帰国後の1984年、山口県立美術館のグループ展(現代の陶芸II 「いま、大きなやきものになにが見えるか」展)において大胆なインスタレーション作品でデビューを飾った人であるから、現代美術と全く無縁というわけではない。しかし、先代(三輪龍作、現「龍氣生」)が、女やエロスを主題とするオブジェ陶で注目されたのとは異なり、 三輪和彦は伝統的な茶陶を追求してきたように見えるし、毛利家御用窯の名代を襲名したこともその証であろう。
とはいえ、日本陶芸界では「現代美術」的と見なされて来た12代休雪のオブジェは、実際にはオブジェとしてもジェンダー表現としても素朴に過ぎて、現代美術というよりはやはり伝統陶芸の変種と見なされるのとは対照的に、一見、伝統的な萩焼の茶陶に連なる三輪和彦の作品は、むしろその本質を変えぬままに現代美術に通じていると、以前から私は思ってきた。 1 21世紀になって、古文献と骨董の目利きに支えられてきた古陶磁の世界に、早くは1980年代末から蓄積されてきた、古窯跡の考古学的発掘の成果が、新風を吹き込み、中国、朝鮮、日本の古陶磁の理解が刷新されるようになった。それを踏まえて伝統陶芸の内から、陶芸だけに可能な現代的表現が現れている。それを陶芸の原理主義と呼んでおこう。原理主義とは、数百年前の古陶磁の原理(原材料と焼成方法)を探り、数百年程度では土壌分布に差は出ず、窯の中で生じる物理化学現象にも違いはないことを利用して、新たに、数百年前の古陶磁を制作することである。これがいわゆる「写し」と異なるのは、「写し」が数百年を経た外観を写す(見かけが写せれば材料、手段は問わない)、言い換えれば、最初から400歳の老人を生むのとは異なり、原理主義は400年前に遡って、新しい古陶磁(?)を焼くからである。また原理主義は、考古学的な再制作(中国の窯跡付近で焼かれる、例えば、汝窯の再現品)とも異なる。再制作は、文字通り「再」制作であるから、伝世せず発掘されてもいないものは、作られない。しかし原理主義は、古陶磁の原理に則った新しい制作であるから、そうした制限を受けないのである(もっともその原理が、結果としての表現をかなり拘束するとは言えるだろうが)。
しかし古備前の森陶岳(1937-)、黄瀬戸の原憲司(1947-)、古唐津の梶原靖元(1962-)、初期伊万里の豊増一雄(1963-)といった原理主義者の系譜に、三輪和彦は連ならない。先に述べたように、原理主義とは、これまで古文献と骨董の目利きが、それぞれ「古備前」「古唐津」「桃山陶」……と定義してきた見かけの美を、原理によって覆す新しい表現である。しかし萩焼の場合は、秀吉の朝鮮出兵の折に連行されてきた李勺光・李敬の兄弟の家系が「坂高麗左衛門」の御用窯としてそのまま現在まで続いている。それは三輪窯でも同じであって、最初からの原理が途切れていない萩焼に「原理主義」は要らないのだ。 2 それゆえ三輪和彦・13代休雪の作品の本質は、古陶磁の原理とは異なるところに見出されねばならない。それを、「〈外観 appearance〉ではなく〈出現 apparition〉に対する感性」と呼ぼう。外観と出現は、デュシャンの有名な対立概念である。デュシャンは、芸術家は外観、すなわち見かけの美しさではなく、出現、すなわちそのような美を出現させる原則を扱うべきであるとした。陶芸は、表面効果(美しい釉色、焼成された表面の質感、肌合い、絵付け、装飾、等々)に依存しがちである。しかし、富本憲吉がろくろにおける「線の戦い」という言葉で強調したように、陶芸の本質は、目に見えない抽象的な線(輪郭線)にある。線によって規定される形態があるから、美しい外観が出現するのだ。
例えば、三輪窯といえば、休雪白(10代が考案し11代が完成させた、粘度のある純白の釉薬)である。それは父祖伝来の万能釉薬であり、このシグニチャー的な釉薬の外観を愛でる人は多い。だがこの白が本当に活きてくるのは、それがなかったとしても成立する強い形態の支えがあってこそである。強靭な形態が、作品全体として、輝く休雪白の美を出現させるのであって、作者の感性は美しいコーティングではなく、あくまでも美の出現に向けられている。 新作の「エル キャピタン」では、土の塊をくり抜いた割高台の鬼萩茶碗を元型に、そこへ直方体の柱(?)を押し当てたり、その結果の凸部を削ぎ落としたりした、険しい断崖のような形態が出現している。メイン会場には巨大な作品、サイドルームには、茶碗サイズの作品が展示されていたが、そのダイナミズムに大小の差は感じられなかった。サイズと関係なく「エル キャピタン」の形態は、カールトン・ワトキンスの古写真でも有名なヨセミテの花崗岩塊の「外観」を写すことなく、その巨大な岩塊を「出現」させた地球の造山運動の、計り知れない生命力を感じさせることに成功している。雪山を連想させる休雪白の代わりに、ブロンズやシルバーの釉薬へと飛んでみせた、より抽象度の高い作品もあって、どれも「エル キャピタン」だが、ひとつとして同じものがない。
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(注)
1 こういう印象を与える伝統陶芸界の重鎮をもう一人挙げるとすれば、金重素山(金重陶陽の弟)である。彼らの作品からは、曖昧な言い方で申し訳ないが、「造形的センス」と呼ぶしかない才能が感じられる。 2 とはいえ、古萩と現在の萩焼のあいだには無視できない違いがあるだろう。先日、古陶磁のコレクターとして著名な茶人の茶会に参加したとき、素晴らしい古萩の粉引雨漏茶碗が出た。飛鳥仏や白鳳仏が異国の相貌を漂わせてエキゾチックであるのにも似て、その茶碗の造作は、萩で作られたにもかかわらず、まさに朝鮮のものであった。こういうことは、他の朝鮮由来の窯では例を見ないのではなかろうか。 ——————————–
しみず・みのる
批評家。同志社大学教授
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十三代 三輪休雪「エル キャピタン」展は、KOSAKU KANECHIKAで、2024年11月2日―12月14日まで開催された。