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「パフォーマンス」と「パフォーマンスでない」ものの境界線
インタビュー:ピチェ・クランチェン 聞き手・構成:橋本裕介

2014.10.08
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インタビュー:ピチェ・クランチェン(ダンサー・振付家)
聞き手・構成:橋本裕介(KYOTO EXPERIMENTプログラムディレクター)
(通訳・翻訳:高杉美和)

 
タイの古典仮面舞踊「コーン」の名手であり、「コーン」を土台に新しい表現を模索し続けているダンサー・振付家は、地元タイで自身の設立したアーティストインレジデンスを拠点に創作を続け、日本各地を含む海外で幅広い活躍を見せている。これまでにタイ内外で屋内版が上演されてきた『Tam Kai』が、大分県国東(くにさき)半島で開催中の「国東半島芸術祭」のため、特別に野外公演 <国東半島ヴァージョン>として制作・発表される。これまでの活動を振り返ってもらいながら、スカイプで今回の作品への意気込みを訊いた。

 
「観客がいつでも私の作品を観に来られるように、私に会いに来られるようにと思って自分のスタジオを作りました」

——2012年のTPAM(国際舞台芸術ミーティング in 横浜)の併設事業としてアーティストインレジデンスに関するシンポジウムがあって、そのときにピチェさんは自分のスタジオのことを、すごく夢を持って語ってくれました。いま、どこの地域のアーティストにとっても、どうやって作品を作り続けていくかということはたいへんな課題だと思うんですが、そのスタジオを構えるに至った経緯をお話しいただけたらと思います。
作品を作るために毎回場所を変えるのはすごく時間の無駄で、しかも観客が私の作品を観るためにどこへ行ったらよいかわからないのは問題だと思っていました。ならばスタジオを1ヶ所にどっしりと構えて、観客がいつでも私の作品を観に来られるように、私に会いに来られるようにと思って作ったんです。
 そもそもタイには、このようなダンスアーティストのスタジオがありません。あのとき、自分自身がアーティストであるという立場を考え、自問自答しながら話したんです。どういったレジデンスの仕組みを作ればストレスなく作品が制作できるか? そして一方では、滞在期間内に必ずしも作品を完成させなくていいのではないか? そういったことを考えて話しました。

——時間の制限を気にしないということですか。
通常のアーティストインレジデンスでは、例えば1ヶ月といった滞在期間内に作品を完成させなくてはいけませんが、私のスタジオで行うアーティストインレジデンスではその必要がありません。ただ、寝ているだけでもいい。作品を作らなくてもかまわないのです。橋本さんならわかっていただけると思いますが、アーティストやアートに関わる人たちは、実は休息できる時間が非常に少ないんです。常に働き続けています。でも本当は、じっとしていたり、ゆっくり考えたりする時間がほしいし、短期間で作品を完成させる必要はないはずです。例えば本当の成果は3ヶ月後だったり1年後だったり、あるいは5年後に現れるかもしれません。
 また私のスタジオは、非常にタイ・ローカルなコミュニティの中にあります。だから私のスタジオを訪れた人は、タイ人らしい生き方、考え方に触れることができます。バンコクは必ずしもタイの中心ではありません。
 そして私のレジデンススタジオは未完成ですが、その未完成であることも魅力のひとつです。作品制作をしながらその未完成な部分を補完していくことも、アーティスト活動の一環だと思っています。

——完成していないと噂では聞いていたので、どういうことなのか訊いてみたかったんです。
だって完成してしまったら、ただのホテルと一緒ですから。

 
「私たちのカンパニーが新世紀を迎えたのです」

——スタジオを構えてからピチェさんの作り方は変わってきましたか。
作品を作る姿勢は変わりませんが、完成した作品の質が高まりました。そしてダンサーと一緒に踊る時間が増えました。
 ただ、ある問題が生まれてきました。私たちがここで働き始めてから6、7年目になりますが、現在使っているスタジオが狭過ぎるようになったのです。狭いスペースにいると、ダンサーたちにも影響が出てきます。別に作品の質が落ちるという意味ではありませんが、もっと内容が濃い作品を作りたいときとか、多人数のダンサーを使う作品のときに、人が入りきらなくなってきたんです。
 そこで去年、土地を買い足してスタジオを拡大しました。でも、元からあるスタジオと同じで相変わらず未完成です。そこは屋外に柱が立っているだけで、アウトドアパフォーマンスを行っています。
 実は昨晩も、そこでアウトドアパフォーマンスを行いました。観客には事前に、傘とレインコートを持参するように伝えました。実際に雨が降りましたが、観客は途中で帰らずに最後まで鑑賞してくれました。

——すごい! スタジオを始めて6年目ぐらいということは、2010年に京都で発表した『About Khon』(2007年世界初演)は別として、『Nijinsky Siam』(2010)とか、Black and White』(2011)はそのスタジオで作った作品ですか。
作品はこのスタジオで完成させましたが、パフォーマンス自体は海外で行いました。

——僕もヨーロッパでその2つの作品を観たんですけど、それ以前の作品と比べると少し印象が違ったような気がしました。何か心境の変化とかあったんですか。
『About Khon』『Nijinsky Siam』『Black and White』の3作品では自問自答し、私が作品を制作する際の創造性とは何かがわかるような基本的な知識を観客とシェアしようとしました。『Black and White』がいちばん最後の作品になりますが、テクニック面、観客に知識を与えるという観点でもこの3作品には繋がりがあります。
 これらの作品のコンセプトには3つの大きな柱があります。『About Khon』では、タイの伝統芸能である「コーン(仮面劇)」というパフォーマンスとは何かを示しています。2本目の『Nijinsky Siam』では、異なる文化圏の観客に対し、タイ舞踊とコーンが100年も前から上演されているということを伝えています。ニジンスキーがタイ舞踊であるコーンの影響を受けて、作品を作ったこともあります。だからヨーロッパの観客は『Nijinsky Siam』を観て、作品を身近に感じることができます。3本目が『Black and White』ですが、この作品は伝統芸能を発展させて、インターナショナルでモダンな形式にしたものです。新しい考え方、新しい演じ方を私がどのように取り入れたかを見せています。
 これまでの3作品を作り上げるのに10年の歳月をかけました。私たちの観客に鑑賞の素養を育んでもらうためであり、また私たちのカンパニーの演じ方を模索するためでもありました。いわば最初の10年間です。こうして『Black and White』の次に『Tam Kai』という作品を作りました。『Tam Kai』ではタイ舞踊をほとんど取り入れていません。私たちのカンパニーが新世紀を迎えたのです。

 
「最初のきっかけは、私が自分の肉体に飽きたことです」

——その『Tam Kai』を今度の国東半島芸術祭で上演するわけですね。
そうです。

——なるほど。『Tam Kai』はタイの有名な恋愛悲劇をモチーフにしていると紹介されていますが、その悲劇についてピチェさんはどういったアプローチをしているのですか。
元々は恋愛の話ですが、私たちは恋愛の視点では演じません。『Tam Kai』のあるシーンを通じて、考え方、動きに関して“自由”の視点で演じます。このシーンでは主人公であるPaloが、鶏の形に姿を変えた精霊に騙され、連れ去られ、最後には殺されてしまいます。このシーンで私が興味のある点は、Paloと鶏のどちらが先に動きを仕掛けたかということです。でも結局Paloがどこかに行って何かをすることができたのは、鶏が段取りをつけてくれたからなのです。
 だからこの作品は半ば即興です。ただ即興のように見えるということであって、実際は即興ではありません。私の問いかけは、「パフォーマンス」と「パフォーマンスでない」ものの境界線です。

——その物語を活かすことで、何が人を動かすのかを問いかけるということでしょうか。
それもひとつの要素です。この作品は6つのシーンで構成されています。
 1シーン目は「ダンサーと肉体」。2シーン目は「ダンサーと音楽」。3シーン目は「後列のダンサーが前列のダンサーから受ける影響とは」。4シーン目は「スペース」。5シーン目は「シチュエーション」。最後の6シーン目で初めて Paloと鶏が登場します。それまでの5シーンには両方とも登場しません。
 この作品全編を通じて問いかけているのは「パフォーマンスとは何か」です。それを問うために具体的に考えているのは、次の3つです。パフォーマンスが教えてくれるものは何か? パフォーマンスで大切なものとは何か? そして自分がパフォーマーとしていくつのタイプになれるのか? 演じ方にはサッカーチームの形式を取り入れています。

——2つ目の「パフォーマンスで大切なものとは何か?」についてもう少し詳しく伺わせて下さい。
まず第1に、ダンサーに、肉体面と思考面で自由になってほしい。2つ目に、私はこれまでの古い動きのスタイル、つまりダンスを壊して捨てたいんです。

——つまり過去10年間ピチェさんが自問自答していた作品のあり方から、今回はいままでにないまったく別のスタイルの作品を目指されたということですね。そのきっかけを聞かせていただければ。
最初のきっかけは、私が自分の肉体に飽きたことです。自分の古い動きに飽きたんです。それで新しい動きを模索しました。2つ目に自分が次のムーブメント(動き)を知っているということに飽きました。3つ目に、どんな人でも参加できるダンスプロダクションにしてみたいと思ったんです。異なる文化を持つ人も、異なるダンステクニックを持つ人も、違う外見、職業を持つ人でも参加できるようにしたい。『Tam Kai』をベースにしたワークショップをシンガポール、イタリア、ドイツ、日本で行いました。

 
 
「“形式のない振付”でもあり、言ってみればサッカーと同じです」

——日本では今年の3月に京都でやってくれたんですよね。さて、今回の国東半島芸術祭で演じるに当たって実際に上演する場所ですが、どういったインスピレーションを感じていますか。
今回演じるシーンと非常にリンクしている場所だと思いました。というのも、Paloと鶏が森の中で追いかけ合う設定だからです。もうひとつ興味深い点は、国東という場所が仏教と神道にゆかりのある場所だということです。これまでもお寺などで、シャーマンのパフォーマンスが数多く行われています。霊が鶏の体を借りているという内容なので、その点でも、内容と場所が非常にリンクしていると思いました。

——今回、国東バージョンとして、世界的に活躍するタイ伝統音楽演奏集団Fong Naamのメンバー、ブルース・ガストンが参加すると紹介されています。これはピチェさんが一緒にやりたいと誘ったんですか。
そうなんです。今年の3月にブルースさんと別のパフォーマンスで共演する機会がありました。今回演じる際に「グラオナイ」という曲を使うのですが、この曲を演奏しているのが、実は既に亡くなっているブルースさんの師匠なんです。ブルースさんは西洋人ですがタイ人の師匠に就いたので、この曲のことをよくご存じなのです。
 ブルースさんの興味深い点は、西洋人でありながらタイ音楽に非常に魅せられて、とても愛しているというところです。ブルースさんのタイ音楽を見る視点は、タイ人の視点とはまったく違う。私自身も、タイ舞踊やタイ音楽に対する視点が一般のタイ人とはまったく違います。そこで私たちは、一緒に働けると思いました。

 
——では最後に、今回の『Tam Kai』の見どころを聞かせて下さい。
観客とパフォーマーが同時にストーリーを創っていき、そのシチュエーションを同時に知っていくという点です。ストーリーと振付を同時に知っていくのです。私自身でさえ、上演の当日に観客と一緒に知ることになります。だから観客は、『Tam Kai』のストーリーを事前に知っておく必要がありません。
 これを私は、“現在時”と呼びます。また今回の作品は“形式のない振付”でもあり、言ってみればサッカーと同じです。サッカーにも試合の形式やテクニックがありますが、試合の現場にならないと実際にどうなるかは誰にもわかりません。
 パフォーマンスはその日のシチュエーション、ダンサー、その他によって変わります。1日として同じ日はありません。しかしこれは即興ではありません。即興と即興でないものの真ん中にあります。YesとNoの真ん中にあるんです。

(2014年9月7日取材/10月9日公開)

 
Pichet Klunchun
ダンサー・振付家。タイ古典仮面舞踊劇(コーン)の研鑽を積み、伝統舞踊の精神と現代の感性を横断した活動を展開。1998年アジア競技大会開会式・閉会式の演出、2005年ブリュッセルのクンステンフェスティバルデザール参加など、ヨーロッパ、中東、北アメリカなどで国際的に活躍する。06年タイ文化省よりSilpathorn Award、08年ヨーロッパ文化財団よりPrincess Margriet Award for Cultural Diversity、13年ACC(アジアン・カルチュラル・カウンシル)によるJohn D. Rockefeller 3rd Award、14年6月フランス文化勲章シュヴァリエ章受章と受賞歴多数。
 
はしもと・ゆうすけ
京都大学在学中の1997年より演劇活動を開始。現代演劇、コンテンポラリー・ダンスのカンパニー制作業務や、京都芸術センター事業「演劇計画」などの企画・制作を手がける。 2010年よりKYOTO EXPERIMENTプログラムディレクターを務める。



「国東半島芸術祭」パフォーマンス・プロジェクト
ピチェ・クランチェン『Tam Kai〈Following the Chicken〉国東半島ヴァージョン』 2014年10月18日・19日 国見町千燈山中