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REALKYOTO LIVE アート&デザインとメディアをめぐる会話 PART 2
浅田 彰・片岡真実・椿昇・宮永愛子(司会:小崎哲哉)

2013.04.21
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浅田 彰(批評家/京都造形芸術大学大学院大学院長)
片岡真実(森美術館チーフ・キュレーター)
椿 昇(アーティスト/京都造形芸術大学美術工芸学科長)
宮永愛子(アーティスト/京都造形芸術大学大学院客員教授)
司会:小崎哲哉(『REALKYOTO』編集長)
(※肩書きはいずれも当時):

2013年2月23日(土)から3月3日(日)にかけて、京都造形芸術大学の卒業・修了制作展が行われた。その最終日に、アートとメディア、それぞれの分野の第一線で活動する5人によるトークライブが開催された。言説がアートシーンやデザインシーンに及ぼす影響とは? そして、欧米起源の現代アートやデザインを日本で制作・発表することの意味とは?

(構成:編集部/写真:小泉 創)

PART 1はこちら

 
PART 2

●グローバル化と国際化
小崎 片岡さんはチーフ・キュレーターとして森美術館で展覧会を企画するかたわら、ロンドンのヘイワード・ギャラリーやサンフランシスコのアジア美術館などでアジアのアートを紹介したり、『光州ビエンナーレ』などでアジア各国のキュレーターと共同キュレーションしたりしています。アジアのキュレーター同士、あるいはアーティストと話していて、批評やメディア、あるいは互いのコミュニケーション不足が話題になることはあるんでしょうか。

photo by 小泉 創


片岡 アジアでは、国によって国家の成り立ちや民主化・近代化のプロセスがまったく違っています。日本は100年以上前に近代化が始まって、欧米列強と肩を並べてきたわけですが、地理的にはアジアの一部にある。その意味で非常に特異な位置にあると思います。例えば『光州ビエンナーレ』のとき、インドのキュレーターは、長いことポストコロニアリズムのセオリーに基づいてキュレーションをしてきたので、それについて語りたいと言う。でも、中国のキュレーターは「中国にはポストコロニアリズムはない」と言って、まったく話が噛み合わないし、日本もその意識は高くない。一方で光州では、1980年の光州事件で当時の軍事政権下で軍部が市民に銃を向け、500人以上が死亡・負傷しているんですね。その民主化のために戦った人たちのための聖地として光州があり、それを記念するために光州ビエンナーレが始まっているので、韓国人のキュレーターとしては国や民主化の問題にも、市民社会の問題にも触れないわけにはいかない。というようなことで、アジア各国の社会的・政治的な状況は非常に様々なんですけれども、おそらくこうしたアジアの近・現代史は多くの日本人の頭には入っていない。日本以外の国の人は、日本が戦前戦中に何をしたかというのを「抗日教育」という形で受けていますが、日本では、私の世代も含め、なかなかそのことを共有していないんです。だから、そういう話題が出たときに、日本のアーティストは心の準備も知識的な準備もできていなくて、どういう風にレスポンドしたらいいか困ってしまう。今後、日本が広く様々なレベルでコラボレーションしていくとしたら、アジアの一員として、基本的な歴史認識を共有する必要があると思います。

浅田 アーティスト以上に、キュレーターについても、日本は世界から取り残されている感じがしますね。例えば、片岡さんは光州ビエンナーレの企画に関わっておられた。もうすぐ始まるシャルジャ・ビエンナーレは、今年は長谷川祐子さんがキュレーターで、彼女は前にイスタンブール・ビエンナーレの総合コミッショナーも務めた。翻って見るに、日本のビエンナーレやトリエンナーレで外国人女性がディレクターを務めるなんていう例は皆無でしょう。日本の主要な美術館の館長も、森美術館でデイヴィッド・エリオットが外国人として初めて初代館長を務めたくらいで、あとは全員日本人。国公立の美術館では、学芸員も在日韓国人・朝鮮人を除いてすべて日本人。絶望的に国際化が遅れているわけです。それを改善するには、まず外国人が活躍できる、そのためには英語でもやれるというのが前提になるでしょう。ただ、それだけではさっき言ったような下手な英語によるグローバル化でしかない。第一レベルでは英語によるグローバル化に対応すべきであるとして、第二レベルではマルチリンガルな国際化・民際化まで行けるといいな、と思いますね。

photo by 小泉 創


小崎 日本の現代アートが海外から注目されるきっかけとなった展覧会が歴史上いくつかあります。そのひとつ、1989年に全米を巡回した『アゲインスト・ネイチャー 80年代の日本美術』展は、タイトルからして日本についてのステレオタイプな理解を覆したものでした。「国際化」という意味でも重要な事件だったと思いますが、椿さんはこの展覧会に参加されていますね。

椿 『アゲインスト・ネイチャー』というタイトルは僕が付けたんですよ。日本は侘び寂びの国だと思っていたアメリカのキュレーターたちの誤解を解こうとした。「アゲインスト」というのは自然を破壊するっていう意味じゃなくて、「日本イコール自然」という既存のステレオタイプなイメージに対してアゲインストなんです。この展覧会には、当時は無名だった10組の日本人作家が選ばれました。僕と舟越桂と森村泰昌と宮島達男と大竹伸朗とダムタイプ……。10組の内、半数以上がいまでも生き残っているわけですから、欧米のキュレーターの調査能力の高さには驚きます。実は僕は、当時は見せられる作品がなかったんですが、ビジョンだけはあってその話をしました。俺を選べって(笑)。

photo by 小泉 創


浅田 でも、そのビジョンが、そして「アゲインスト・ネイチャー」という言葉が重要だったわけでしょう。当時もいまも、ある種のオリエンタリズム(東洋趣味)というか、ジャポネズリー(日本趣味)というのがあって、日本は「侘び寂び」の国だと思われている。しかし、それは単純なものではない。利休なんて「アゲインスト・ネイチャー」もいいところで、満開の朝顔を楽しみに秀吉が茶会に来たら、花は全部摘み取られていて、一輪だけ床の間に活けてあったという、この強烈な否定性が「侘び寂び」なんです。その意味では、『アゲインスト・ネイチャー』展は、こぎれいなジャポネズリーの幻想を打ち破ることで、本当の日本を再発見する道を開いたとも言えるでしょう。

 実は同じようなことは宮永さんの場合にも言える。例えばナフタレンで型取った小さなオブジェがだんだん気化して消えていく、それをジャポネズリー的に捉えると、いかにも日本的な無常観、女性的な繊細さと儚さ、というふうな紋切型になってしまうでしょう。でも、本当は違う。気化したものはアクリルのケースの表面に析出してくっついている。もちろん繊細で儚い美しさはあるんだけれど、それを超えて、質量保存の法則に則った物質のメタモルフォーゼが表現されているとも言えるんですね。宮永さん自身がそのことを明確に語っているので、批評家がそれをちゃんと受け取って補助線を引いていけば、安易な日本趣味に逆らうという意味で「アゲインスト・ネイチャー」であると同時に、それこそが「ネイチャー」の本質だということにもなる、そんなビジョンが見えてくるでしょう。そういう意味でも、やっぱり言葉はとても大事なんです。

宮永 本当にそうだな、と思って聞いていたんですけど、表層ではそうやって取られがちなので、それは違うなというのが根底にあって。国立国際美術館の展示では明確にそのことを伝える、自分の作品は「消滅するアート」ではないと言うのがいちばんのテーマでした。私は世界を観察するのが好きで、すごく微妙なところを観察・観測して作品を考えています。自分の目指している作品世界はありますが、作家である私は、批評家の人がする文脈化は自分自身で道筋を決めていないですね。もし決めてしまったらそれ以上は生まれない気がするから。作品の文脈化は、文脈をつくる人たちの話を聞いてみたいなと思います。

photo by 小泉 創


 
●個人史から宇宙史へ
小崎 宮永さんは、作品づくりのリサーチなどで、何度も海外へ行っていますよね。椿さんや片岡さんももちろんですが。

片岡 学生の内に一度は海外に行ってみたほうがいいと思います。あるアーティストが「キリマンジャロやタージマハルのようなところでも、いまではネットで写真や情報が得られるので、何となく行ったような気になる」と言っていました。でも、実際に訪れたら全然違う。体験というものは、気温や湿度、人ごみや汚さ、そういったものをみんな含めて、体感として蓄積されていくものです。おすすめは一人旅で、それは「日本ってどうなの?」と聞かれて、日本人である自分や日本の文化に自覚的にならざるを得なくなるから。杉本博司さんがあれだけ日本文化に詳しいのも、アメリカに行っていろいろ聞かれることによって勉強せざるを得なくなったからだと言っていました。自分が誰なのかを理解するためには、いまいる場所をいったん出て、立ち止まって考えることが必要でしょう。

宮永 私は高校を卒業して東京藝大の院に行くまで、大阪も遠いと思うほどで、ほとんど京都しか知りませんでした。それがその後、海外の初めてのアーティストインレジデンスが決まって長期滞在。アメリカでした。ひとりぼっちでどうしようと思ったんですけど、日本から海を渡ったところにいる自分の足元の地面は、日本までずっと続いていると思えた瞬間、世界が近くなりました。私もぜひ一人旅を経験してみたらいいと思います。

小崎 杉本博司さんを例に挙げられましたが、片岡さん自身も『ネイチャー・センス展』や会田誠展などを通して「日本とは何か」ということを問い続けています。

片岡 日本のアートシーンの中から他のアジア諸国の隆盛を見てきて、日本がこれからどこへ行くのか危機感を感じているんです。と同時に、アジアの中でヒエラルキーを生むのではなく、これまで優位に立っていた西洋という巨大な文化的な文脈に対して、何千年の歴史のある東洋の理論やフィロゾフィーが新しい文脈をつくることができるんじゃないかと考えるようになりました。現在、これだけ多様な価値観がある中で、アジアの多神教的な考え方、相反する力が共存することによって宇宙のバランスが保たれているという一元論的な思想は、これからとても有効になっていくのではないでしょうか。例えばフランス人の批評家によって「関係性の美学」が一斉を風靡しましたが、それを仏教的な縁起という考え方、物事は独立して存在しているわけではなくて、周囲との関係性によって存在しているといった東洋的な考えに基づいて読み替えてみると、実はまったく違う読み方ができるのではないか。そのあたりを試みてみたいと考えています。

photo by 小泉 創


浅田 100年以上前に岡倉天心が「日本美術」という概念をつくったとき、まさにそういうことを考えていたと思うんですね。「日本美術」というのは昔からあったのではない、外から来たフェノロサとともに岡倉天心が再発見し再編集してつくったもので、彼らのおかげでその「日本美術」の最高水準のコレクションがボストン美術館に収められることにもなった。その岡倉天心の『東洋の理想』の「アジアはひとつ」という言葉は、かつて「大東亜共栄圏」のキーワードとして悪用されたこともあるけれど、よく読めば、アジアといっても国ごと、あるいは国の中でも地域ごとにまったく違う、違っていてひとつだ、という不二一元論(advaitism)が貫かれている。しかも、岡倉天心はそれを英語で書いて発表した。そこから学ぶべきことは、いまもまだあるはずです。

椿 僕はこれから美術工芸学科の教科書として、宇宙の誕生から現在のエネルギー問題までを様々なテーマで語っていく『137億年の物語』という本を指定しようと思っています。学生は美術史というような短いスパンではなく、137億年という宇宙の歴史を学びなさいと。これを読むと地球に暮らしているという感覚があらためて生まれてくるんです。最大の疑問は、我々ホモサピエンスとは何か、今後はどうなっていくのかということ。その昔、インドネシアで火山の大爆発があって、人類がたった千人にまでなって、その後70数億人にまで増えた。大型哺乳類をすべて食い尽くして、ここまで単一種で繁殖してしまうというというのは、僕にとってはショックなんですよ。あと、この本には日本語版だけ、最後に福島原発の事故についての加筆があります。著者が実際に福島を訪れて「これは人類史上に残る事件だ」と書いている。日本人はこれが世界の見方だと捉える必要があると思います。

浅田 美術史家のゴンブリッチは、有名な『美術の物語』のほかに『若い読者のための世界史』という本も書いていて、若い人は一度読んでおいてもいいでしょう。その上でそれを突き抜ける137億年のスパンで考えることが大切だと思います。宮永さんの作品も、宮永さん個人の経験と感覚をもとにしていながら、塩を使った作品などはある意味137億年につながっていく歴史を秘めているんですね。アートというものはそういうとんでもないスパンを持ったものだという認識から、21世紀のアートが始まるのかもしれません。

宮永 私は、いま自分はどんなところにいるのか俯瞰してみることが、作り手としていちばん重要だと思っています。俯瞰してみることで世界がどういうふうに成り立っているかわかるから。一方では安定し、また一方では常に揺れ動いている世界を身近なところから見ている。だから、椿さんの話はもっともだなと思いました。

片岡 いまの日本では、ここ150年くらいの中で明治維新と太平洋戦争後に続く3番目の大きな波が来ている気がしています。震災もあり、福島もあり、自然の脅威を感じながら、科学や経済優先の社会の限界を目の当たりにして、いったいどうすればいいのか。それをアートを通じて、もしくは新しいシステムを作っていくことを通じて、真剣に考えることが、いま我々に共通に課せられた課題でしょう。年を取っている人も若い人もそれぞれの立場で、宮永さんが言っていたように宇宙全体を上から眺めるような視点も持ちながら、一緒に考えていけるといいのかなと思います。

小崎 作品を言語化することから宇宙の歴史まで、短い時間の中で様々な話題が取り上げられたことをうれしく思います。こうした話には終わりはなく、作品制作と同様にずっと続いてゆくものです。今日の話をヒントに、若い皆さんにいろいろ考えてもらえれば幸いです。ありがとうございました。

photo by 小泉 創


 
浅田 彰(あさだ・あきら)
1957年、神戸市生まれ。京都造形芸術大学大学院長を経て、2013年4月より同大大学院学術研究センター所長。同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。著書に『構造と力』『逃走論』『ヘルメスの音楽』『映画の世紀末』、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』『20世紀文化の臨界』など。『REALKYOTO』のブログでも様々な領域の表現行為を取り上げている。

片岡真実(かたおか・まみ)
森美術館チーフ・キュレーター。民間シンクタンクで官民の文化芸術プロジェクトに関する調査研究を行った後、東京オペラシティアートギャラリー・チーフキュレーターを経て、2003年より森美術館勤務。『六本木クロッシング2004』『小沢剛展』『アイ・ウェイウェイ展』『ネイチャー・センス展』『会田誠展』などを手がける。ヘイワード・ギャラリーでの勤務や光州ビエンナーレ2012の共同芸術監督など、国際的な経験も豊富。

椿 昇(つばき・のぼる)
1953年、京都市生まれ。アーティスト/京都造形芸術大学美術工芸学科長。89年に『アゲインスト・ネイチャー ―80年代の日本美術』展に、93年にヴェネツィア・ビエンナーレ・アペルト部門に出展。2001年には横浜トリエンナーレで、情報哲学者の室井尚とともに巨大なバッタのバルーンを展示して話題となる。03年に水戸芸術館で、09年に京都国立近代美術館で、12年に霧島アートの森で、それぞれ大規模個展を開催。

宮永愛子(みやなが・あいこ)
1974年、京都市生まれ。アーティスト/京都造形芸術大学大学院客員教授。2009年に第3回shiseido art egg賞を受賞し、資生堂ギャラリーで個展『地中からはなつ島』を開催。11年、五島記念文化賞美術新人賞を受賞。12年には国立国際美術館で大規模個展『なかそら-空中空-』を行い、それを機に作品集『空中空(なかそら)』も刊行した。釜山ビエンナーレ2008やパリ日本文化会館での二人展など、国際的にも活躍する。

小崎哲哉(おざき・てつや)
1955年、東京生まれ。ウェブマガジン『REALTOKYO』『REALKYOTO』発行人兼編集長。カルチャー雑誌『03 TOKYO Calling』、CD-ROMブック『マルチメディア歌舞伎』、写真集『百年の愚行』などを企画編集し、アジア太平洋地域をカバーする現代アート雑誌『ART iT』を創刊した。京都造形芸術大学客員研究員、同大大学院講師。同志社大学講師。あいちトリエンナーレ2013の舞台芸術統括プロデューサーも務める。
 

(2013年4月21日公開)