インタビュー:ダミアン・ジャレ(振付家・ダンサー)/名和晃平(彫刻家)「生と死のパフォーマンス《VESSEL》をめぐって」
聞き手・文:編集部
2016.08.21
聞き手・文:編集部
ポートレート撮影:田村尚子
(編集協力:斉藤雅子)
振付家でダンサーのダミアン・ジャレと彫刻家の名和晃平による新作パフォーマンス作品《VESSEL》が、この9月にロームシアター京都で世界初演される。岡崎エリアで開催される『京都岡崎音楽祭 OKAZAKI LOOPS』の目玉企画のひとつだ。最先端のダンスと彫刻の融合は何を生み出すのか? 上演直前に稽古場を訪ね、ふたりの話を聞いた。
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《VESSEL》は、ブリュッセルを拠点とする振付家兼ダンサーと、京都を拠点とする彫刻家ががっぷり四つに組んで制作するコラボレーション作品。コラボレーションがどのように成立したかは2015年夏に行われた対談の記録を読んでいただきたいが、ふたりにはまず、作品名の由来を尋ねてみた。「vessel」(ヴェッセル)は器、船、体内の管などを意味する言葉で、例えば「clay vessel」は土器、「cargo vessel」は貨物船、「blood vessel」は血管のことだ。何かを容れたり、載せたり、運んだりするものを指すわけだが、なぜタイトルにこの語を選んだのだろうか。ジャレは以下のように答えてくれた。「『vessel』と水は切っても切れない仲であり、水や血液など、何らかの液体と関係があります。地球上のあらゆる生命は海の中で発生し、胎児は羊水の中で育ち、人体の6割以上は水分だと言われています。つまり、水は生命になくてはならないものであり、進化の源でもある。タイトルの《VESSEL》にはその意味を担わせているんです」
「といっても、水は生命にのみ結びつけられているわけではありません。神話を読めばわかるように、死にも結びついています。生物の細胞も器と考えられますが、細胞の中にはDNAもあれば染色体もある。これらが我々生命体の進化を司る一方、我々の体内には自壊のためのプログラムも入っている。我々は毎日、再生と死を繰り返しているのです」
●循環する器、器としての身体
ジャレのコメントに、名和は以下のように言葉を足してくれた。
「僕自身が『cell』(セル/細胞)をテーマのひとつにしているので、ダミアンはそこも踏まえて、最初は『細胞』というテーマにしようと言ってくれたんです。僕は『細胞』だけだと面白くないので、そこにグラビティ(重力)を加えて考えたいと思いました。重力圏では、物質は基本的にすべて重力の方向に向かって引っ張られているので、地表は常に平らになろうとする。それが地面であり、植物や動物はそこから立ち上がろうとするものであり、重力に抗おうとする存在のすべてが生命のメタファーになるんじゃないか。そのときに、生命のもとになる水がキーマテリアルになるんじゃないかと思いました」
「水も平らになろうとして海になります。太陽の熱で蒸発して雲になって、雨となり地面に降る。そしてまた蒸発する。その上下のサイクルの中で、僕たちが生きるために水を飲むには、何かに淹れたり、貯めたりする必要があります。最初は手ですくって飲んでいたのかもしれません。そのとき、手が器なんですね。雨が降って出来る水たまりや池と同じです。普通はコップに注いで飲むんでしょうが、生き物が水を摂取して体の中に水分を貯めることも器と呼べるかもしれません。そうやって水は重力の影響を受けながら循環している。」
「身体のメタファーとしても『vessel』という言葉は面白いし、生まれて、生きて、死んで、土に戻り、また生まれて……という繰り返しを考えると、蒸発する水も含めて、物質的な循環のなかに偶然、生命活動がちらほらとあるだけのようにも見えます。だから、水を受け止める器と、器としての身体という意味を込めて、『vessel』をコンセプトにしました。『vessel』の上で身体が生成され、消えていく。力がほどけて、また地面に戻る。ダミアンがあいちトリエンナーレ2013で観てくれた《Foam》(フォーム)という作品にも通じています。生成と消滅の繰り返しが何千回も行われたとしたら、という仮定でステージの造形をしました(2015年夏の対談を参照)。それはマグマが噴出する火口や癒える前の傷口のようでもあります。内側から液状に溢れて広がり、外側で固まる時に自然に現れる形状です。」
《VESSEL》の主題は「生と死」「生成と消滅」「再生」「反復」などであると、とりあえずは言えるだろう。「エロスとタナトス」と言い換えてもよいかもしれないが、ふたりの表現者が、ジャンルを超えて抱く共通の関心である。
他方、作品にはほかにも重要な主題が含まれている。それは、ジャレと名和の表現ジャンルと、ほかならぬこのふたりがコラボレーションを行うという事実に深く関わっている。
●「動く彫刻」としてのパフォーマー
《VESSEL》は単なるパフォーマンスではない。舞台芸術であると同時に造形美術の作品でもあって、ダンスの舞台美術を現代アーティストが担当するのでも、現代アートのインスタレーションを背景にダンサーが踊るのでもない。「生と死」以外の主要なテーマは「身体と彫刻の融合」あるいは「彫刻としての身体」であり、実際にパフォーマーは「動く彫刻」であるかのようなフォルムを取る。ジャレ曰く——
「彫刻はダンスの対極にあるものです。ダンスは上演が終わると消えてしまう儚いものだけれど、不動の彫刻は永遠に残る。重要なのはどのように形(シェイプ)を統合し、彫刻に何を投影し、また彫刻が身体に何を投影するか。同じことは動き(ムーブメント)と身体の形(フォルム)にも応用できると思います」
抽象的な表現なので補足説明が必要だろう。《VESSEL》に登場するパフォーマーは、普通のコンテンポラリーダンスのように軽やかに踊るわけでは必ずしもない。昨年夏、大阪で関係者を対象に行われた短いプレゼンテーションでは、名和が作成した「生成する場でもあり、消滅する場でもある」象徴的な造形物が舞台に置かれていた。そこから現れては消えるパフォーマーたちは、ほとんど正面を向かず、向いたとしても顔は極端に前に傾けて観客に見えないようにし、自身が匿名的な「動く彫刻」であることを強調していた。単体で、場合によっては複数のパフォーマーが絡み合い、組み合わさって、異形の獣のような形をなす。哲学者ジョルジュ・バタイユが結成した「無頭人」(アセファル)という秘密結社があるが、まさに無頭の奇怪な生物に見えた。
「ダンスと彫刻の関係」は、振付家兼ダンサーとしてのジャレにとって、長年にわたる重要な主題である。2013年には、ルーヴル美術館で《Les Médusés》(メドゥーサたち)というプロジェクトを展開した。メドゥーサは、見た者をすべて石に変えてしまうというギリシャ神話に登場する怪物。ジャレ本人を含むダンサーたちは、ルーヴルのコレクションである石像などの彫刻を背景に踊ったが、「ダンスと彫刻の関係」とは、「運動エネルギーと(石化に象徴される)静止した時間との関係」と読み替えられるかもしれない。
「僕と晃平は、《VESSEL》のために科学的・解剖学的なリサーチも行いました。なぜ、我々人間はこんな体型をしているのか。もちろん、基本的には重力に由来するものですが、生存するために環境に適応する必要があったことも事実です」
身体と彫刻の関係を知るために、名和はダンサーの身体を3Dスキャンして、等身大の彫刻をつくりさえした。その結果、身体を彫刻として扱うことが「面白くなってきた」。さらには、振付にもアイディアを出しやすくなったという。
「大阪でプレゼンテーションをやったときには、僕は振付にはまったく口を出さなかったんです。上演の直前に、ダンサーを1人減らしてくれとだけは言ったんですが。でも、ダンサーの身体をスキャンして、それを彫刻にするようになってからは、彫刻的なコンポジションというか、形態についてのディスカッションは多くなっていますね」
ジャレも声を揃える。
「偉大なコラボレーションにおいては、自分が知っているものにとどまるのではなく、互いの領域を侵害してこそ出来上がるものがある。その意味で、我々ふたりはそれぞれの専門に深く敬意を払いつつも、ときに相手の領土に踏み込むことも重要だと考えました」
●「液体と固体のアンビバレンス」
「生と死」および「ダンスと彫刻の関係」という主題以外に、《VESSEL》の見どころはいくつもある。森山未來、エミリオス・アラポグルらパフォーマー陣の身体と身体表現、京都を拠点とする音楽家・原摩利彦による音楽、ジャレや名和の旧作との関連性、さらには、様々な文明の神話や伝説からの影響などなど。だが、特に注目したいのは、名和による新素材とセノグラフィー(舞台空間設計)だ。
「彫刻としての身体」を実現するために、ジャレは名和に、新しい素材の開発を要請した。キーワードは「リキッドとソリッド(液体と固体)」である。そして名和は、「身体にまとわりついても大丈夫で、トランスフォーム、メタモルフォーゼするような表現に使える素材」(昨年夏の対談より)の開発に挑戦。重力に従いながらも拮抗する、「生成と消滅」「エロスとタナトス」を表現するのに打ってつけの「液体と固体のアンビバレンス」(ジャレ)を具現化する素材を生み出した。
一方のセノグラフィーは、実は名和にとって初めての試みである。とはいえ、自ら運営するスタジオ「SANDWICH」では、アート作品の制作のみならず建築物の設計も行っている。3年に及ぶ建築設計の体験と、それ以上の長きにわたる作品展示の経験が、舞台空間の設計にも相当に役立っているという。
「舞台の設計はとても面白い。世界観がつくり込めるというのは同じですが、インスタレーションや彫刻を展示するときは、作品に近寄ってディテールまで見てもらう設定で設計します。でも、今回の《VESSEL》はロームシアターという劇場で見せるから、正面性があって、客席という一方向から見てもらうことになります。舞台の中心に置く造形物は、倉庫でも外でも、そこに置けば成立するようにつくっていますが、劇場は照明などが揃っていて、光もコントロールできる。しかもシーンがどんどん移り変わるから、いつもとやれることが違って、表現の幅が時間軸に対してかなりある。インスタレーションを何個もつくっているような感じで、これまでやれなかったことが色々できそうです」
「インスタレーションの場合は、見る人がそこに入って完成するという考え方でつくるんです。同じように、今回はダンサーが入って成立するという考え方をしています。主役はダンサーなので、ダンサーよりもステージが際立ってしまうとよくない。まずダンサーの体が美しく見えることが大事で、その次に、それを支える背景として美術があると考えています」
世界的に活躍するふたりの表現者が、壮大な主題に創意と技術と情熱をもって取り組む《VESSEL》。身体とは何か? 彫刻とは何か? 生とは? 死とは? 時間とは? いくつもの疑問符を提示する野心作の世界初演に期待したい。
(2016年8日4日取材/2016年8月24日公開)
Damien Jalet 世界的に活躍するインディペンデントの振付家兼ダンサー。これまでに、シディ・ラルビ・シェルカウイ(《バベル》《Aleko》《Sin》《ボレロ》を共同制作)、エルナ・オーマスドテル(イスラエル)、アクラム・カーン・カンパニー(イギリス)、サシャ・ヴァルツ&ゲスト(ドイツ)、チャンキー・ムーヴ(オーストラリア)、Aakash Odedraカンパニー(イギリス)、スコティッシュ・ダンス・シアター、パリオペラ座バレエ団など、数々の振付家やダンスカンパニーと共演、共作を行っている。
ダンス以外のジャンルでは、造形美術家のマリーナ・アブラモヴィッチ(『ボレロ』)、アントニー・ゴームリー(《バベル》)、ジム・ホッジズ、ガブリエラ・フリズリクスドッティール、演出家のアルチュール・ノジシエル、服飾デザイナーのフセイン・チャラヤン、リカルド・ティッシ、ベルンハルト・ウィルヘルム、ジャン=ポール・レスパナールや音楽家のフェネス、ウィンターファミリー、レディ&バードとのコラボレーションなど、その活動は多岐にわたる。
教育者として、ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団、インパルスタンツ(ウィーン)、アーキタンツ(東京)、メキシコ国立芸術センターなどで教える。2013年には、フランス政府より芸術文化勲章シュヴァリエ章を受章した。
なわ・こうへい 1975年大阪生まれ。彫刻家、京都造形芸術大学大学院芸術研究科教授。1998年京都市立芸術大学美術科彫刻専攻卒業。2000年同大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。2003年同大学大学院美術研究科博士(後期)課程彫刻専攻修了。2009年京都・伏見区に創作のためのプラットフォーム「SANDWICH」を立ち上げる。2011年、東京都現代美術館にて個展『名和晃平―シンセシス』を開催。独自の「PixCell = Pixel(画素)+Cell(細胞・器)」という概念を機軸に、様々な素材とテクノロジーを駆使し、彫刻の新たな可能性を拡げている。2013年には韓国のチョナン市に大型彫刻Manifoldを設置。同年『犬島「家プロジェクト」』、『あいちトリエンナーレ2013』に参加。京都を拠点に活動。
(公演情報)
《VESSEL》
日時:9月3日(土)19:30開演(19:00開場)
9月4日(日)15:00開演(14:30開場)
会場:ロームシアター京都サウスホール
出演:エミリオス・アラポグル 、森山未來、他
振付:ダミアン・ジャレ
舞台美術:名和晃平
音楽:原 摩利彦
料金:一般券 5,000円[当日5,500円] 全席指定
学生券 3,000円[当日座席指定 当日要学生証]
<京都岡崎音楽祭 OKAZAKI LOOPS> 会期:2016年9月3日(土)、4日(日)※9月2日(金)前夜祭開催
会場:ロームシアター京都、平安神宮、みやこめっせ、岡崎公園、京都国立近代
美術館、京都市美術館
お問い合わせ:
OKAZAKI LOOPS実行委員会事務局(公益財団法人京都市音楽芸術文化振興財団)
075-711-2980(10:00〜17:00)
http://okazaki-loops.com/