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移動の自由とAiRプログラム
文: 石井潤一郎

2021.07.12
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Photo by Ishii Jun'ichiro

大学の起源と移動の自由

東京大学の吉見俊哉教授が、2020年11月20日インターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』で語ったところによると、大学の起源は人々の移動と密接に関わっているという。
10世紀から11世紀にかけてのヨーロッパでは、都市間のネットワークが活発となり、商人・職人・聖職者など、様々な人が都市から都市を渡り歩くような社会が成立していった。大学とはそうした移動する人々の中にあって、学識豊かな人々が集まり、学びの場を形成していったところにその起源を求めることができるという。

つまり大学(ユニバーシティ)の発展やその知的創造性の根底には、トランス・ローカルなネットワーク、ある種のグローバリゼーション、そして異文化の交点に生まれる「パブリック(公)」の概念や「ユニバーサル(普遍的)」な知見の交換、そして大前提として、それらを可能とする「移動の自由」が横たわっているのである。

多様性が担保されるところにパブリックな、あるいはユニバーサルな知が養われるのであるとすれば、知性豊かで多様な社会とは、単純なゾーニング(棲み分け)が行き届いた社会ではなく、メルティング・ポットのような、ある種のカオティックな状態を支持することができる社会である。同番組において社会学者の宮台真司は、例えば知の交換のために開催されるオンラインの集会などでは、スクリーン越しにその混沌を生成することができるのかどうかが、判断のひとつの基準になるのではないかと語る。

さて、今わたしたちはこの「知的創造」という観点から、大学の起源にレジデンス・プログラムのあり方を投影することはできないだろうか。

Microresidence と Y-AiR

数週間から数ヶ月間の現地滞在を通して、アーティストの活動を支援するアーティスト・イン・レジデンス(AiR)は、世界各地に点在し、様々な規模・形態により運営されている。またこのネットワークは、1997年にアムステルダムで組織されたトランザーティスツ(TransArtists)や、1992 年に発案され2003年からオランダの財団として登録されているレザルティス(Res Artis)などの活動によっても支えられている。

トランザーティスツがアーティストに向けて、データベース・プラットフォームとして機能する一方、レザルティスはアーティストを受け入れる側、つまりアート・センターやレジデンシー・プログラム同士のネットワークを支援する。そしてこのレザルティスが2012年に開催した東京総会で注目を集めたのが、遊工房アートスペースが提唱する「マイクロレジデンス(Microresidence)」構想である。

比較的小規模の施設や予算で運営されるマイクロレジデンスは、事業規模は小さくとも小回りの効く柔軟な対応で、今日ますます多岐に渡るアーティストの活動を支援する。

AiRに参加することが国を挙げての事業であった時代は過ぎ、今日では誰もが異文化の中で、自由に創造の可能性を広げることができるようになった。小規模ではあるが(であるがゆえに)マイクロレジデンスはより多様なアーティストに対応し、より広い層の市民に働きかけ、より開かれたコミュニティを形成する可能性を秘めている。

2013年、遊工房アートスペース代表の村田達彦は、AiRの役割のひとつを「生活者・社会人・国際人として積極的に活動を切り開くための体験・修練の場」として位置付け、さらに若いアーティストを対象とした「Y-AiR(AiR for Young)」構想を打ち立てた。以降、今日に至るまで、大学卒業後間もない若手を支援するAiRプログラムが少しずつ整備され、アーティストとしての国際的キャリアやネットワークの構築に大きな貢献を果たしている。

遊工房アートスペースが発行した2020年のY-AiR活動報告書において村田は「AiRでの滞在制作・発表の活動を、より若い時点に体験することに注目している。アーティストを目指す人が、若い時にこそすべき貴重な体験であり、多様な社会の現実を理解し、表現活動を通して意思を示す力を培い、また、違いを受け入れられる思考の素地がつくられると確信する」と語った。
また同報告書において、女子美術大学の日沼禎子教授は「社会に出る一歩手前の、人間形成を支援する教育の場、とりわけ芸術・美術大学ができることは、いわゆる「成功」するアーティスト、アーツマネージャーを育てることだけではない」とした上で、「プロフェッショナル」とは職業的な意味におけるそれだけを目指すものではなく、その「術」を持って、人生を切り開いてゆこうとする人々のことを言うのではないか、との見解を述べた。

コロナ禍でのレジデンス・プログラム

2020年3月11日に、WHOのテドロス・アダノム・ゲブレイェソス事務局長が「COVID-19(新型コロナウイルス感染症)はパンデミックに相当する」との声明を発表してから、すでに1年以上が経過した。世界中のクリエイティブ・セクターは依然として大きな苦戦を強いられている。

2021年3月、世界中のAiRネットワークを支援する団体、Res ArtisとUCL(ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)は、COVID-19が国際的なAiRプログラムに与えた影響を調査したレポートを発表した。昨年の5月から6月に行われ、9月に報告書としてまとめられた第1回目に続く今回の調査には、52カ国441人のアーティスト、そして45カ国170件の芸術団体から、計611件の回答が寄せられた。

2020年11月24日から2021年1月25日の間に実施された調査は、回答したアーティストのうち、65%がアート以外の仕事を余儀なくされ、12.2%がアートから完全に離れることを検討、68%のアーティストと61%のレジデンシー・オペレーターが、緊急資金を利用することができなかったということを伝えた。
またアーティスト回答者の88%が、パンデミックはメンタル・ヘルスに影響を与えているとし、57%が新しい作品を制作する意欲が低下していることを訴えた。

アートにおける多くの分野がヴァーチャルやリモート・ワークに移行する一方、アーティストとレジデンシー・プロバイダーの両方が、AiR が、仮想・遠隔の世界に簡単に適応できるものではないということを報告した。回答者の6%が、自宅やワーク・スペースに安定して信頼できるインターネット環境がない、との声を寄せたということも注目するべきかもしれない。

「他のアーティストと同じ空間にいるという仲間意識を持つことが、AiRへ参加しに行く一番の理由である。 エネルギーはインターネット上を移動しない。ラップトップを閉じると霧散する。オンラインでは自発的な会話は起こりそうになく、食事で新しい人と出会うことなど間違いなく起こらない」

「わたしはすでに1日12時間をZoomまたはオンラインで過ごしている – 教育、管理者会議、本の発売、読書、社交、執筆セッション、トレーニング、映画鑑賞会…」

「わたし自身の創作や健康のためには、スクリーン・タイムを減らし、対面でのやり取りを増やす必要がある」

移動の自由とパンデミック

14世紀に欧州で猛威を振るったペストでは、当時の世界人口4億5000万人の、22%にあたる1億人が死亡した。黒死病とも呼ばれ恐れられたこのパンデミックの背景には、モンゴル帝国のユーラシア大陸統一、中国から東ヨーロッパにまたがる巨大な流通圏の成立があった。つまり疫病の歴史も、人々のグローバルな移動と密接に関係している。

ヨーロッパでも当時の総人口の約3分の1にあたる、2500万人から3000万人もの死者が出た。急激な人口の激減は、産業構造にも大きな影響を及ぼす。それまで労働力集約型で行われていた写本産業も労働力が不足し、これを解決しようとしたのがグーテンベルグによる活版印刷の発明、すなわち写本技術の機械化であると言われている。
冒頭に挙げた『ビデオニュース・ドットコム』は、「書物の大量生産が可能になったことで、書物さえ入手できればわざわざ学識者の下に集まらないでも学べる時代となり、移動の自由に支えられながら学識者の下に集うというそれまでの大学の前提にも大きな影響を与えていくことになった」とした。

さて、知見の交換、知的創造を旨とした移動の自由の最前線にあり、その意味ではむしろ大学の起源を正しく踏襲しているとさえ言えるかもしれない世界的ネットワーク、AiRは、わたしたちが直面するこの21世紀のパンデミックを経て、はたしてその構造の重心を、大きく電脳の世界へと移して行くことになるのだろうか。