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AiR Report
すべてのものは移ろいゆくーその忘却の中でー
文: 戸田樹

2024.07.29
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ゴールデントライアングル 画像奥がミャンマー、右がラオス / 撮影 : 戸田樹

タイ・ラーチャブリー県ノンポー地区に位置する「Baan Noorg Collaborative Arts & Culture」(以下Baan Noorg)は、2011年に2人組アーティスト・ユニットjiandyinによって設立された非営利のアーティスト・イニシアティブである。

彼らの活動は多岐に渡り、教育プログラムやワークショップを通じて、地域社会におけるコミュニティの持続可能性を構成することを目的としている。

ドクメンタ15において彼らは、誰でも自由に遊ぶことのできるスケートボードのハーフパイプ《Churning Milk: the Rituals of Things》(2022)をカッセルに出現させた。本作では、1968年米の価格の下落により、主な収入源を稲作から酪農へと転換を余儀なくされたノンポーの歴史的背景と、タイの伝統的な影絵芝居「ナンヤイ」、カッセルの若者文化が複雑に絡み合う。本作は日本でも数多くのメディアに取り上げられ、彼らの作品を目にした方も多いのではないだろうか。

Baan Noorgにはレジデンススペースとスタジオが併設されており、世界中からアーティストを受け入れている。招聘作家は3週間から3ヶ月の間、ノンポーの地域社会に触れながら、作品制作やワークショップを行うことができる。

Baan Noorg Collaborative Arts & Culture / 撮影: 戸田樹

バンコクより車で約1時間半、初海外に戸惑う僕を迎えてくれたのは、Baan Noogのメンバーに加えて、キュラトリアル・インターンとして国立高等美術学校ヴィラ・アルソン(ニース、フランス)からやってきたHolly、先にAiRプログラムに参加している韓国人アーティストHeejungとInsaneだった。

僕の滞在は少しイレギュラーで、通常であれば異なるアーティストの滞在期間が被ることはない。メンバーは4月7日から始まるHeejungとInsaneの展示準備に大忙しだった。4月14日までレジデンススペースは彼らが使用しており、僕は共有スペースの2階に布団を敷いて寝なければならなかった。最初こそ待遇に不満を感じていたものの、彼らと過ごす時間はかけがえのないものとなり、彼らの帰国が近づくにつれて、名残惜しく思うようになった。

HeejungとInsaneの滞在が終わるとともに、タイの名門シラパコーン大学からインターンのTaoとYowが加わり、僕のプログラムについてのミーティングが定期的に行われた。ミーティングは全員でフルーツを食べたり、ビールを飲みながら行われ、議論が白熱すれば優に4時間を超える長丁場になることもしばしばだった。僕の作品は基本的に与えられた展示空間の建築的特徴に依存するため、展示場所を決定してから作品の構想を始める。しかし、コミュニティベースのアウトプットを期待する彼らにとって、制作の主軸とすべきは作品が置かれる状況(シチュエーション)ではなく、その土地の歴史であり、そこに暮らす人々との協働(コラボレーション)である。作品のほぼ全ての要素は、緻密なまでのリサーチを経て必然的に決定される。だから、彼らには受動的とも取れる僕のプロセスは理解し難いものであっただろうし、そのことで生じる不和は言語的な障壁と相まって僕に重くのしかかった。

僕が会場に選んだのはTai Yuan culture centerと呼ばれる小さな資料館で、今から約200年以上前、この地に定住したタイ・ユアン族に関する歴史資料が展示されている。以前この施設は医療センターや飼料庫として使用されており、いたるところに当時の様子が伺える物品が残る。初めて下見に訪れた際、施設の壁に残された無数の落書きやテープの痕跡、日焼け跡などが僕の目に留まった。滞在中にいくつか博物館を訪れた僕は、その土地の歴史を伝える文献や遺物が十分に現存しているように感じ、それらが残されていく過程の中で、失われてしまったものとその痕跡に思いを馳せた。僕は印刷物に用いられるCMYKカラーモデルのうち、紫外線の影響を強く受けるマゼンタとイエローのみで印刷された2枚のプリントを、窓と向かい合わせに展示した。作品は日光にさらされることで次第に劣化し、いずれは完全に色褪せてしまう。単色で構成された色面からは、抽象表現主義に代表される対象物や主題から距離を取った表現を想起させると同時に、褪色を経て画面に地と図が生まれることで、観客はそこに現れる表象に何らかの意味を見出すだろう。これと併せて、Baan Noorg周辺の民家や売店を歩いて回り、「捨てようと思っているもの、身近にあるが気に留めないもの」を条件とし、住民からさまざまな物品を譲り受けた。不在によって逆説的にその存在を際立たせようとしたプリント作品とは対照的に、住民たちの認識から不在になっていた存在に再びスポットライトを当てることを目的とした。物品に関するエピソードはあえて記載せず、その一部は隣接する病院などに寄付される予定だ。オープニング・レセプションでは、「タイランド・ビエンナーレ チェンライ 2023」の芸術監督クリッティヤー・カーウィーウォン(Gridthiya Gaweewong)らが会場を訪れ、有益な意見交換の場となった。

アーティスト・イン・レジデンス成果発表展 / 撮影: 戸田樹

滞在も終盤に差し掛かった4月26日、Baan Noorgが出展している「タイランド・ビエンナーレ チェンライ 2023」のクロージング・セレモニーへの参加と作品の撤収作業へと向かうメンバーに同行し、僕はチェンライの地に降り立った。

2018年より2年ごとに開催されている「タイランド・ビエンナーレ」は、今回で3回目を迎える。この芸術祭がユニークなのは毎回開催地が変わるという点で、1回目はクラビ県、2回目はコラート県、そして3回目はチェンライ県での開催となった。ビエンナーレの詳細なレポートは、Tokyo Art Beatをはじめとする日本国内のメディアから記事が公開されているため、そちらを参照されたい。[*1]

ビエンナーレは、大きくチェンライ市内エリアとチェンセーンエリアの2会場に分かれる。

チェンライ市内エリアのメイン会場となるのは、本展に合わせて新設された「チェンライ国際美術館(Chiang Rai International Art Museum、CIAM)」だ。ここにはピエール・ユイグやヤン・ヘギュなど国際的に高い評価を受けているアーティストたちの作品が並ぶ。美術館の屋上からは広大な田園風景を見渡せ、目下にはクロージング・セレモニーのための巨大なLEDサイネージや無数の客席、さまざまな屋台が設置され、会場全体に祝祭ムードが漂っていた。

[*1]「タイランド・ビエンナーレ チェンライ 2023」に関する日本語で書かれたレポートをいくつか紹介する。

チェンライ国際美術館(Chiang Rai International Art Museum、CIAM)/ 撮影: 戸田樹

チェンライ市内からさらに北上し向かったチェンセーンには、タイ、ミャンマー、ラオスの国境があり、通称「黄金の三角地帯(ゴールデントライアングル)」と呼ばれる。この土地は、かつてはケシの栽培が盛んで、世界最大の麻薬密造地帯であった。チェンセーン会場では、許家維(シュウ・ジャウェイ)とホー・ツーニェンが東南アジアにおけるアヘン売買の歴史に焦点を当てた新作を出展している。Baan Noorgは古代遺跡にバルーン製のストゥーパを展示した。19世紀ビルマとシャムの連合軍によって破壊されたストゥーパを模したバルーンは、内部に空気を送るブロワーが時折停止するように設定されている。膨張と収縮を繰り返す様は、チェンセーンを追い出され、ノンポー地区へ強制移住させられたタイ・ユアン族の移住と復興を物語る。

人類史は常に「移動」と共にあった。新型コロナウイルスに伴う緊急事態宣言下、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンの発言を受けて國分功一郎が「移動の自由があらゆる自由の根源にある」[*2]と述べたように、新型コロナウイルスによる移動の自由の制限は、私たちに逃れようのない閉塞感を与えた。また、日本では2023年に入管法(出入国管理及び難民認定法)が改正され、国民の移民・難民問題への関心は高まりつつある。急進的なテクノロジーの発達により、私たちは手軽にどこへでも行けるようになりつつある。その一方で、望んでもどこへも行くことのできない者、望まない移動を強いられた者の存在に目を向けなければならない。多民族国家タイのルーツに触れ、そのように強く感じた。

[*2]國分功一郎『コロナ禍と世界の哲学者たち──ジョルジオ・アガンベンの問いかけ』学術の動向/26巻 (2021) 12号


戸田樹(とだ・いつき)
アーティスト。1999年大阪生まれ。京都芸術大学美術工芸学科総合造形コース卒業。