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【ARCHIVE:中原浩大】1990年『Art & Critique』15号より転載
〈INTERVIEW〉「中原浩大」構成:長谷川敬子

2014.02.12
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【ARCHIVE:中原浩大】CONTENTS ▶『Art & Critique 23』「アペルトより」文・中原浩大(1994年) ▶『Art & Critique 21』「アノーマリー少年」文・光田由里(1992年) ▶『Art & Critique 21』〈DIARY〉文・吉田裕子(1992年) ▶『Art & Critique 15』〈INTERVIEW〉構成・長谷川敬子(1990年)
 
INTERVIEW 中原浩大

構成・長谷川敬子

 
「お絵かき」と「宝物」  いい気持ちになるために…

何回か平面の展覧会に出しているんですけど、僕から「平面を出します」と言って出しているケースはないんですよ。物心ついた時からの「お絵かきの歴史」は長いし、絵をかくのがすごく好きだけれど、その時の方向性があって絵をかく作業をやっているわけじゃない。何が出せるかわからないし、真近にならないとどういう絵になるかもわからない。だから「素人の絵だったら出せるけれど、それでいいですか」ってOKを取ってから出す、そういうパターンですね。

きちんとしたタブローをかくということはほとんどないですけど、かいている枚数はけっこう多いかもしれない。かなり頻繁にかきますね。プライベートなこととして、精神的にダメージの大きい時にかいて気分を直すというような利用のしかたをしていたり、もやもやっとかいて、そこからなんとなく作品のプランに繋がっていくものは繋がっていく、ということもあるし。あと、大学に入ってからですけれど、友達と昔のアニメのキャラクターのかき合いをして心をなごませるとか。僕にとつてはこれは全部同じことなんですけどね。かき始めて、半日ぐらいうにゅうにゅしてて、結局マジンガーZをかいて、ああ今日はすっきりした、もうそれで終わり。そこから先、かいたものが作品として密度が濃いとか、いい仕上がりになっているとか、あんまり関係ないんですよね。その場でバッと発散して、自分が気分的にリラックスできたり、高揚したり、そういうことがあれば、もうそれでOK。

かくのは速いですよ。水彩紙にクレヨンでかくのは、かかっても五分もかからないぐらい。一瞬でかいちゃって、もう終わり。時間をかけるのはいやだしね。立体って作るのに時間がかかるでしょ。プランたてて、素材を探して、っていうのがすごい手間だし、それと同じ作業を、絵をかくということでやるのは苦痛だから。絵をかくほうは自分で気持ちの了解ができるところまでにして、しかもそこに到達するやり方をかなりすっとばしながらやって、とにかく早くいい気持ちになって早く終わりたい、それだけでやる感じ。だから、ごくプライベートなことの蓄積として絵がたまっていって、もし見せる機会があればそれを切売りして見せる、ぐらいのことしかできない。

“ノート90”(アートスペース虹、1990)は、ああいう機会だから出しましたけど、かいたものを人に見せるのはあまり好きじゃない。でも昔かいたものを引っ張り出して見ていることはよくあります。自分の名前をかいていると安心するのか、1ページ中、名前を練習して終わっているページというのがたくさんあるんです。それを「ああ、また自分の名前かいてるな」と思いながら見ていたりするのが好きですね。

“ノート90”には、色々と置物みたいなものも出していましたが、ああいうものに目がないんですよ。展覧会などで地方に行ったりすると、まずそういうお店や駄菓子屋さんに入ってしまったりする。友達に言わせると「顔色が違ってる」「目がランランと輝いてる」。

最近は「呼んでる」という感じがありますね、もののほうから。「私を買ってください」って言っている感じ。「じゃあ、しかたがないから買ってあげよう」と言って買う、という。

毎日眺めていないと、何か落ち着かないですね。ああいうのって、ほんとに絶妙な顔してるでしょ。「なんでこいつ眉毛があるんや」と思ってみたり。それが、でも、たまらないんですよ。時々、取り出してはニコッとしてしまう。

東尋坊のある店にイルカの耳の骨っていうのがあってね。非売品だったんだけれど、それがすごく欲しかった。ちょっと見ると、巻き貝が砂浜で砂に洗われて、表面がはげちゃったみたいなものでしたね。「これ欲しいんだけど」って言ったら「絶対売れない」って。もう4、5年前の話だけれど、いまだに覚えていて、欲しいですもん。ショーウィンドウまで思い出しますね、こんなショーウィンドウのあの位置にあった、とか。

イヌがオーラをだしながらウンコをする 紙にクレヨン 56×74cm〈1990〉
撮影:中川達彦(写真提供:ヒルサイド・ギャラリー)
(掲載誌面より)


3つのプラン/母 娘 ペットのイルカ 紙にアクリル絵具 各79×110cm〈1990〉
撮影:中川達彦(写真提供:ヒルサイド・ギャラリー)
(掲載誌面より)


 
ブランをうかべる  自分にとっておもしろいものがつくりたい

「中原浩大」というと、大きくて重たくていろんな素材を使っている、という言われ方をするんだけれども、自然にそういう状態になっているんですよ。桂の新校舎に移ってからの京芸の彫刻の連中っていうのは、みんなそうだと思うんです。あそこって鉄や木や石の部屋がそれぞれ1階にあって、2階にプランニングルームがあって、基本的には2階でプランをたてて、下のどこの部屋でもいいから降りていって作って、最後にガチャッと合わせる、そういう教え方だから。基礎では一応あらゆる素材をひと通りやって、後は放り出されるでしょ。そうすると、それがごく当然になる。僕らにしては何の不思議もない。スケールにしても、教室を渡り歩きながら作って最後にガバッと合わせるんだから、ああいうサイズになっちゃうんですよ。素材へのこだわりにしても「自分に合った素材をずっと」というよりも「いろんな素材の中にいるということのほうが大切だ」みたいな教え方をされているし。まあ、性格的に僕は特に飽きっぼいっていうか、おもしろくないと続けられないから、それもあるかもしれないけれど。本当に、会う人会う人に「あるスタイルとしてそうやって見せているんじゃない」って言い続けるけれど、駄目なんですよね。

やりたいものがうかんできて、やろうとして、やっている、その繰り返しだから。最初にこれはこの材料でやりたい、というのがくる場合もあるし、こんなプランが出てしまったけれど何で作ったらいいんだろう、という場合もある。それは、その時その時によって、色々ですね。

発想のもとですか? もうほんとに思いつきですよ。人よりボーッとしている時間が長いのかな。ただポッと思いつく。
そういう発想の出方で出てきたもののほうが、結局いいんですよ。七転八倒すればするほど、やっぱり、なんて言うのかな、やりとげたっていう到達感みたいなものはあるかもしれないけれど、おもしろさということになると、もう一つなんですね。それは「おもしろい」とはまた違うもののような気がする。

やっぱりおもしろいものが作りたいですね。僕にとっておもしろいものが作りたい。色気もあるから見た人に喜んで欲しいとか、そういうふうにも思うけれども、でも、人が喜ぶから作ろうとは絶対思わないんですよね。やっぱり自分が楽しいもの、おもしろいもの、っていうのが大前提にあるから。すごく高飛車な言い方ですけど「まあ、しかたがないから見せてやるよ」という感じもあるし。「いやなら見なくていいよ」って。その半面「でも見て欲しいな」と思うこともあって……その辺は割り切れない。

前に、ある美術館でパネルディスカッションがあって「現代美術の、特にあなたみたいな作品は、人に理解されるということに対してすごく不親切だけれど、その辺についてどう思っているのか」という質問があってね。僕その時「すみません」って謝ってしまったんです。「わかりづらいんです」って。でも、だからどうしようとはあまり思わないで「でも見たいでしょ」って言いたいっていうか。

「あ、うかんだ」って思えるようなプランをうかべた瞬間っていうのが…‥「これかな」っていうのがうかんだ瞬間ってありますよね。今までの経験から言うと、それが一番楽しいですね。まあ、それは一瞬にして消えることが多いんですけど。ギャグが頭にうかんだ時に書きとめる芸人さんと一緒で、とにかく忘れないように何かに書くんですが、次の日の朝起きると、その熱が冷めているっていうこともよくあるんです。「なーんや、こんなんやったんか」って。

作品が完成した時が至福だと言う人もいるけれど、僕はやっばりうかんだ時が至福の瞬間ですね。そこから実際に作っていく段階は、けっこう苦痛だったりすることがあります。僕にとっては、頭の中にうかんだ、それでいい訳ですから。まあ、何とかしなくちゃいけないからな、と思って作るんですが。

大学に、卒業後もいるでしょ。そうすると技術的な面で優れた人たちがすぐ周りにいるんですよ。よくあるパターンとしては、僕は「こんなの思いついたけど、どうやったらいいかな」とそういう人たちに言う、そうするとそいつらは考えて「こうしたらできますよ」って。はては段取りがうまい奴がいて「まず石膏溶いて、ああしてこうして……」って。僕は言われるままにやっていって「ああ、そうか、こうやればできたんやな」って、そういうのが多いんですよ。毛糸の作品(〈ビリジアン・アダプター〉、1989)の時も、編み物したいと思っても、僕は全部編める訳じゃないから「こんなプランで、こんなすごい作品だから手伝おうよ」って女の子に言って、手伝ってもらう、とかね。そういう意味では、プランをうかべた後、人に助けてもらって完成までもっていくというのが多いですからね。

けっこう依存して生きてるから、今、こういう周りの人たちがいなくなったら、どうしていいかわからないですね。きっと、クレヨン画に専念してしまうんじゃないかな。

うかんだものを、ストレートに見て欲しいとやっぱり思います。それを作っていく間にいろんな弊害が出てきたりするけれど、できるだけすり抜けたい。そこで格闘していいものにもって行きたい、という感じじゃないですね。そこはなるたけすり抜けて、もっともっといいことしたい。

大理石、ウレタンペイント〈1989〉(ユーロパリア89)
(画像提供:シュウゴアーツ)


コウダイノモルフォ ベニヤ、油彩 φ120cm〈1988〉
撮影:石原友明(画像提供:シュウゴアーツ)


ビリジアンアダプター+コウダイノモルフォⅡ 毛糸、ベニヤ、油彩 サイズ可変〈1988〉
撮影:山本糾(画像提供:シュウゴアーツ)


 
レゴとトランポリン  お客さんはレゴ・エイジだけ、イメージのわき方の回路

変な言い方だけど、誰かが僕の作品について雑誌なんかに書いてくれる時は、その人の見方で眺められてますよね。その記事からの類推で「こういう展覧会をするけど出さないか」という話が来たりして、その読みが間違っているっていう気がした時は、僕は出せないですね。そういう見方がわかりやすい見方として存在するとして、そういうのの上に自分を乗せられるかっていうと、やっぱり乗せられない。

レゴの作品で、あれが「分子構造」みたいなものとか「裏と表の関係から来ているんじゃないか」っていう見方をされても、あの展覧会自体の意図は全く逢うところにあった。「レゴ・エイジ」に向けて「お客さんはレゴ・エイジだけ」と制限した展覧会がやりたくてやったんです。作品自体がどうと言うよりも。例えばキーンホルツの作品を僕が見に行ったとして、果たしてあの作品は、僕をお客さんとして受け入れるか。きっと「お前はお客と違う」ってあの作品は言うと思うんです。そういう展覧会がやりたくて、レゴを使えばできるんじゃないか、と思ったから。そこに出てきたものが「デジタルに組み上げられたものだ」とか、どんな意図があったか、というのは、どうでもいいことなんです。

みんなに受けが良かった一番大きい作品は、実際にやってみると作る側はもう苦痛なだけで、全然おもしろくないんですよ。で、けっこう見捨てられていた小さなレゴ・カーあれが一番楽しいんです。友達が僕の下宿に遊びに来ていて、僕があの車を作っているのを見て、それじゃかっこ悪いっていうんですよ。で、僕は一生懸命工夫してかっこよくして、僕好みの車にした。そうすると僕が風呂に入っている間にそいつが勝手に改造して、自分の好みにする。そいつが風呂に入っている間にまた僕が僕好みに戻す。そういうことをやっていて「かっこいい車を作るっていうのはこんなに楽しいことか」ってその時初めてわかった。こういうことはおもしろかったけれど、大きいのを組み上げていくのは、ただの単純作業だからおもしろくなかったですね。でも「これはいい」「これはおもしろくない」という評価は、それとはまたずれてきているしね。

 
あのトランポリン(モーリギャラリー、1989)が、例えば森村(泰昌)さんがよく使っていた言葉で「レディメイドのハンドメイド」みたいな見方で見られて、シミュレーション的な作られ方の作品だっていう言い方をされたら、やっぱり「それは違うんだ」と思います。

トランポリンの作品は、眺めていたってしょうがないですね。乗って、ボヨンポヨン挑んでいると、絶対わかってくると思うんだけど。僕が伝えたかったのは、トランポリンそのものではもちろんなくて、ポヨンポヨンしている時に頭の中にうかんでくることだった。

光をテーマにした展覧会をしよう、という話があって、僕はそれにトランポリンを出したいって言ったんですよ。「中原の光っていうのはトランポリンで跳んでいる時に出てくること」という気持ちがあって。跳んでいて頭にうかぶもの、わいてくるものは、見ていることだと思う。実際に外光があたって、その反射が目に飛び込んできて、っていう見ること以外に、感情が混じってきて心理的にものを見ている状態や、肉体的にものを見ている状態がいっぱいあると思うんですよ。いわば、それを誘発するための、イメージのわき方の回路のようなものが作りたいと思っていて、それがトランポリンと結びついた。あれでボヨンポヨン跳んでいて、いろんなことがうかんでくるというのがすごく大切なこと。レディメイドとは全然関係ないんですよ。

まあ逆に言ってしまえば、光という言葉の中には何でもつっこんでいけて、利用しやすいから使っているのかもしれない。

友達がね、昔のカテドラルのステンドグラスは、昔の人にとっては今のテレビみたいなすごく特殊な光だっただろうっていうことを言っていて、僕はやっばりそこにプラスα、「テレビ番組」も入れて欲しいって言ったことがあるんですよ。ステンドグラスを光として捉えるだけじゃ足りない。ステンドグラスにはテレビ番組のような娯楽性も含まれているから。テレビ番組が持っている強さってあるでしょ。ただホワイトノイズも綺麗だけれど、番組がそこで進行しているというのはすごく強いですよね。何かそういうものが欲しいなっていう感じが、最近はしています。

昔の石の作品のタイトルに「光」という言葉をつけて、その時はそれを「肥満している蛍光燈」って自分では言っていたんですが、ポヨンとした蛍光燈ね、それだけじゃ最近は足りない。そこにやっぱりテレビ番組が欲しい。そういう意味で〈光のミミズ〉から〈トランポリン〉へと変わってきているのかもしれない。
リモコンで動くほうも、あいつが走り回りながら生み落としているイメージの量ってすごいと思うんですよ。レーシングサーキットにリモコンカーを走らせるおもちゃがあるでしょ、あれを最近もらったんですが、ああいうものが瞬時瞬時に生み落としているイメージの多さっていうのはすごくおもしろいと思うんですよ。思わず、ずっと動かし続けながら眺め続けてしまう。

リモコン レゴブロック、ラジオコントロールカー 25×56×33cm〈1990〉披影:成田弘
(画像提供:シュウゴアーツ)


レゴ レゴブロック 280×320×210cm〈1990〉披影:成田弘
(画像提供:シュウゴアーツ)


トランポリン 鉄、スプリング、皮 277×277×88cm〈1989〉
リコモン[吊梁;可動;持ち物]発泡スチロール、リモコンカーキット
(画像提供:シュウゴアーツ)


 
何でもあり  親子兄弟、他人の関係、感情の質にヒエラルキーはない

わかりやすい言い方をすれば、ある以前までは、僕の作品っていうのはやっばり「親子」とか「兄弟」という感じだったと思うんです。ある作品があって、これの親にあたる作品はこれ、兄弟はこれ、っていうふうに。そこにある時、他人という関係が入ってきた。これとこれは赤の他人の関係っていう作品が出てきたわけです。オレンジと黒の作品(〈コウダイノモルフオ〉、1989)が出てきたあたりから。あれは、ほんとうにポッとうかんだ。で、“ノート90”にも出していたけれどトーキングヘッズの赤と黒のレコードジャケットがあって、その色がその時気になっていたから、それをそのまま流用して玉にオレンジと黒の塗り分けをやったんです。

その頃から、この作品とあの作品は関係なくても、それは「関係ないっていう関係」なんだな、と思うようになった。これって、例外をうまく自分に位置づけるすごくいい方法ですよね。こいつとあいつは関係ないっていう関係、というふうに言ってしまうと、何がうかんできても肯定的になれる。だからそれから後は「僕はこんなものまで思いつけたのか」っていうふうに、前の作品とそんなに関係あるとは思えないものでも作り始めることができるようになったんです。

逆に、平たい言い方で言えば、こいつとあいつを仲良くさせてやろうと思ってみたりとか、そういう展開のしかたもできてくるし。例えば、オレンジと黒の玉と〈ビリジアン・アダプター〉をくっつけたことがあるんです。あの玉が田んぼのスズメよけに似ているって言われてね。あれってそういう目玉みたいなイメージがあるでしょ。そう言われるとなんだか、いつもあれがあると「見られてる」という気がしてきて。で、毛糸のほうは触感が伸びていく感じがありますよね。全く違う時に違うものとして発想していたけれども、あの先に何かちょっと五感にさわってくるような異物がつけたいと思って、あの玉をくっつけたっていう感じです。強引にくっつけちやつて「まあ仲良くしてくれよ」ってね。

 
“アートナウ90”では1階の常設展のスペースで、〈ビリジアン・アダプター〉をそこにある彫刻とからませながら置いたんですが、最高におもしろかったですね。アシスタントをしてくれた後輩の子と、もうウキウキしながら仕事をしていた。ジャコメッティの作品に毛糸をかぶせる瞬間って、ドキドキしちゃって。あれは、別の触感のかたまりへ僕の触感のかたまりが少しだけ触れる、という感じ。それも、偉い偉い人たちの触感のかたまりに触れられるっていう。
でも、よくOKしてくれたと思いますよ。ああいうことが許されるのって、いいですね。

単純に比べることがいいことなのかどうかわからないけれど、例えば、止まっている彫刻と時速300㎞のランボルギーニを比べて「どちらを選ぶか」って、あえて比較しなきゃいけないんじゃないか。彫刻の課題があるのと芸大祭があるのと「どちらか」というのをやっぱり比べて、彫刻の作品を作るより芸祭で遊んでいるほうがおもしろいんなら、その事実を正確に受けとめなくちゃ、と思うんですよ。「今日は作品を作らないで、1日テレビを見ていたい」と思うということにしても、そうだと思う。300㎞の車と止まっている彫刻と、どちらかって言われたら、やっぱり300㎞の車を僕は選ぶと思うし。そういうことも含めて「何か」「どれか」という感じで見ていかなきゃいけない、という気がするんです。そうしていって、本当に「何でもあり」で、おもしろいものが見たいとか作りたいと思いますね。

かなり前から、うかんでいるものを正確に、みたいな気持ちはありましたね。でも、それをどう作品化するかという時に、やっぱり安全なほうを選んでいた。偶然そうだ、と言いつつも、作品として見えやすいものを選んでいたと思うんですよ。例えば「作品はたまたま今回は動かないよ」っていう言い方をしていたけれども、後で眺めてみると結局動かないものばかり作っていた。やっぱり、動くもののほうには手を出さなかった。そっちに、とにかく手を出さなきや駄目なんですよね。

気持ちの上では「作品」と「作品じゃないもの」の境界はなくなって欲しいと思います。ただ、それがもよおさせる感情の質にはいろんなものがあって、この質が芸術的な感動で、これはそうじゃない、っていう感じではないです。

ルーブルでミケランジェロのデッサン展をみたんですが、全然色褪せていない感じがしたんですよ。物は、もうくすんでいるけれど、やっぱりミケランジェロはまだ存在する、たまたまあの人はあの時代に生まれたにすぎないっていうふうに思ってしまった。そういうのもすごいなと思う。そういう感動のしかたと300㎞の車に乗りたいと思うことと、全然違うことだとは思えないんですよ。人間だからいろんな種類の感情があって、その中にこれとこれが存在しているに過ぎないっていう感じですね。それらにはヒエラルキーがないっていうか。

 

左奥 :「葉」のプラン 右 :「頭」のプラン 手前 :「静物」のプラン〈1990〉(作法の遊戯)
披影:成田弘(画像提供:シュウゴアーツ)


5歳児 油土、FRP 240×450×300cm〈1990〉(現代彫刻の歩み Ⅲ)
披影:成田弘(画像提供:シュウゴアーツ)


 
枠からはみ出す  やりたいことをやりたいようにやる

僕ね、最近になって、やっぱりやるんならやりたいことやって死んでやるって思うんですよ、すごく単純なことだけど。

ベルギーの“ユーロパリア’89〈日本現代彫刻展〉”という屋外彫刻のグループ展に出したんですが、その会場を見回した時に、すごくつまんなかったんです。「なんだ、みんな彫刻じゃないか」っていう感じで。いろんなものを使っているけれど、結局、一集団に見えちゃって、お行儀いいんだなって思った。その後で、ボンピドゥで“Magicien de la Terre”という展覧会を見たんです。それは民族美術とか現代美術とかをごっちゃに放り込んだ展覧会だった。これには、僕も出したいと思いましたね。自分が出していた彫刻展に比べたら、断然おもしろそうで。その後、ゲントというベルギーの町で、“Open Mind”っていう、気狂いの人と正常な人と、両方の作品を並べた展覧会を見たんですよ。これも、僕が出してた彫刻展よりずっとおもしろかった。
どちらも、ほんとにやりたいことをやっているし「やりたいことをやっていて、面白いものと面白くないものがあるんだ」という感じ。民族美術が素晴らしいんじゃなくて、民族美術の中にも面白いものと全くつまんないのがあるし、いくらエキセントリックな人間がかいていても、すごく心惹かれるものと全然惹かれないものがある。なんて言うのかな、あるやり方をやっているからいい、っていうことはなくて、面白さは別にある、というか。やるんならやりたいようにやらなきゃ損なんだっていう感じがして、帰ってきてからかなり変わりましたね。

今までの自分の作品を見ても、何だかんだ言いながら、やっぱり彫刻彫刻していたりする。そこで交わすやりとりとは、美術品と美術鑑賞者という枠を全然出ていなかった。で、なんかすごいつまんなくなってしまって、やっぱりやりたいことをやりたいだけやって終わらないと、これは損だな、あいつらは何であんな楽しいことしてるんや、って思ってしまって。
ヨーロッパに行く前あたりから、やっぱりちょっとおもしろくないなという感じはあったんです。で、行って、実際にそういう感じで感想を持ってしまって、もうこれは決定的に変えよう、と思いましたね。今、それに探りを入れている状態というか、とにかく思いついたらやってみよう、と。それが自分の作品のすごく重要なものになるか、捨て置かれるものになるかは別として、とにかく出してしまう、出した後でちょっと考えてみようや、そういう感じですね。いろんなことを、とにかく自分のものとしてキャパシティの内に留めておきたい。

 
例えば「これは光を伝えてくれる作品だ」っていうのと、実際に光を伝えてきているのは違うと思うんです。で、やりたいことをやっているっていうことが伝わってくる作品と、実際にやりたいことがやりたいこととして成立しているっていうことも、やっぱり違うような気がするんです。前者は、あるフィールドの中でやりたいことをやっている。作品と僕のやりとりはそういうフィールドの中で成立しているものだ、という了解があってやりとりしている。例えば、殺人的な作品というのがあって、それを眺めながら「これは殺人的な作品だ」って言っているのと、実際に作品が殺人を犯して僕が死んでしまうっていうことは逢いますものね。今は、実際に僕を殺す作品のほうが作りたいって思う。

 
この春から一年ぐらいは、できるだけ展覧会をやらないで、時間をかけて自分の作品や情況を眺めてみるような状態を作りたいな、と思っているんです。

本当のことを言うと「作家像」みたいなところから洗い直したいとは思うんです。ギャラリーで展覧会したり、美術館で展覧会したり、そのうち海外へ出ていって海外でも名前が出るような作家になる、とかね、そういう経路というか順序ってありますよね。それが本当にいいこと、僕にとって正しいことかどうかという問題は、保留されてきたんですよ。でも、やっぱり考え直さなきゃいけないなって、ちょっと切実に思ってきている。何か有名な展覧会に選ばれたら嬉しいか、正直に自分に聞いてみると、嬉しくないっていう感じがあるんです。そんなことよりも、もうちょっと、自分の中で埋まっていない部分があるんじゃないかな、という感じがしたりとか。展覧会を少なくして、そういうことも含めて少し考えてみようかなって。「作家像」なんて、そう簡単には出ないとは思うけれど。

欧米はギャラリーに抱えられて、という活動のしかたをしている作家が多いですよね。彼らの作品を見ていて、そういう意味で心底震え上がるような印象ってないような気がするんです。やっぱり「枠の中」の関係だと思う。もしできることなら、そこからはみ出したいな、と。「あいつはほんとに変な奴だ」っていう感じが得られると、すごくいいですね。

(1990年12月19日)

 
〈作家略歴(1990年掲載時)〉
86 京都市立芸術大学大学院修了
□個展
83 ギャラリー白
84.86.87 シティギャラリー
85 アートスペース虹
88 佐谷画廊
89 〈ヒリジアン・アダプター〉村松画廊
モーリギャラリー
90 〈オマージュ―レゴ・エイジ〉ハイネケンビレッジ
□グループ展
アート・ナウ(兵庫県立近代美術館/85.86.90)、第6回ハラ・アニュアル(原美術館/86)、今日の立体展(山口県立美術館/87)、第6回平行芸術展〈彫刻の夢と現実〉(小原流会館/87)、〈絵画1977-1987〉(国立国際美術館/87)、田中信太郎・中原浩大展(ヒルサイドギャラリー/88)、ユーロパリア’89〈日本現代彫刻展〉(ミデルハイム野外彫刻美術館、アントワープ/89)、第13回現代日本彫刻展(常盤公園/89)、〈作法の遊戯―90年春・美術の現在vol.Ⅰ〉(水戸芸術館/90)、〈絵画/日本―断層からの出現〉(東高現代美術館/90)、ファルマコン90(幕張メッセ)、ノー卜’90(アートスペース虹/90) 他多数
 

『A & C : Art & Critique』No.15
(1990年2月25日 京都芸術短期大学芸術文化研究所[編])
より再掲

 
この記事は、京都芸術短期大学(現・京都造形芸術大学)が刊行していた『A & C : Art & Critique』誌15号(1990年)に掲載されたものです。転載を許諾して下さった中原浩大氏、長谷川敬子氏、『A & C : Art & Critique』誌元編集担当の原久子氏、京都造形芸術大学、そして画像を提供して下さったシュウゴアーツのご厚意に感謝申し上げます。(REALKYOTO編集部)

 


なかはら・こうだい
1961年 岡山県生まれ。86年 京都市立芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。96-97年 文化庁派遣芸術家在外研修員としてニューヨークに滞在。現在 京都市立芸術大学彫刻科教授、美術作家。

はせがわ・けいこ
兵庫県生まれ。1989年より京都芸術短期大学(現・京都造形芸術大学)に勤務、現在に至る。同大学が発行していた『A & C : Art & Critique』の編集を、89年から91年まで担当。

〈注〉
“ノート90” アートスペース虹で開催された展覧会シリーズ「ノート」。1990年は中原浩大、狩野忠正、井上明彦の3人展が行われた。制作プロセスのメモから日常で気に掛けた物品まで展示され、作家のプライベートな手にうちと心の深みを垣間見れる企画であった。

アートスペース虹 1981年に開廊した京都のギャラリー。現代美術を中心に実験精神に富む作家を紹介しつづけ、ベテランから若手まで多彩なジャンルの展覧会を開催している。<http://www.art-space-niji.com>
“アートナウ’90” “アートナウ”は兵庫県立近代美術館(現・兵庫県立美術館)にて、1974年から2000年に開催された現代美術展。90年は“アートナウ’90:関西の80年代”と題して行われた。

“ユーロパリア’89〈日本現代彫刻展〉” 1989年に、ベルギーのアントワープで開催された『第20回ミデルハイム・ビエンナーレ 日本彫刻展ユーロパリアジャパン’89』展。中原のほか、李禹煥、三木富雄、関根伸夫、菅木志雄、小清水漸、彦坂尚嘉、戸谷成雄、遠藤利克、土屋公雄、青木野枝らが出展。企画は峯村敏明。

“Open Mind” 1989年に、ベルギーのゲント現代美術館で開催された『オープン・マインド(クローズド・サーキット)』展。フィンセント・ファン・ゴッホ、マルク・シャガールからフランシス・ベーコン、ヤン・ファーブルに至る近現代の巨匠に加え、アドルフ・ヴェルフリら、いわゆるアウトサイダーアーティストの作品を多数展示した展覧会。企画はヤン・フート。

 

(2014年2月12日公開)