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『バードマン』の音楽
浅田 彰

2015.03.23
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『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』が2015年の第87回アカデミー賞で作品賞をはじめ4冠に輝いた。

バードマンというヒーローの映画で鳴らしたもののそろそろ落ち目になってきた映画俳優(ティム・バートン監督の『バットマン』シリーズに主演したマイケル・キートンが演ずる)がブロードウェイの舞台で一旗揚げようとする映画だから俳優陣が頑張り過ぎといっていいくらい頑張っているのは当然として、監督のアレハンドロ・G・イニャリトゥ、撮影のエマニュエル・ルベツキ、音楽のアントニオ・サンチェスというメキシコ人トリオもあり余る才能を思いっきり発揮している。

2014 Twentieth Century Fox


やはりメキシコ人であるアルフォンソ・キュアロン監督の『ゼロ・グラヴィティ』(重力を描いた『Gravity』という映画が日本でだけなぜこんな邦題になっているのか)は、ほとんど撮影だけでもっているような映画。その撮影で誰もが舌を巻く手腕を見せたルベツキが、ここでも流れるような長回し撮影で(宣伝資料のやや大げさな記述を引用すれば)全篇1カットかと見紛う映像を生み出している。とはいえ、実際はもちろんたくさんのカットをつないでいるわけで、そうやってうまくつなげるということはものすごく正確な演技をしているということだ。この高いハードルを乗り超えてみせた監督と俳優の意気込みと努力は驚嘆に値するだろう。ただ、逆に言うと、全体に張り切り過ぎという感じもしなくはないのだ。

その点で重要な役割を果たしているのが音楽である。アカデミー賞候補が発表されたとき、アカデミー会員でもある坂本龍一がニューズレターで「ドラム・スコアだからといってアントニオ・サンチェスを外すとはなんて頭が古いんだ」という主旨のことを書いていたが、まったくその通りだ。最初、ドラムスだけで始まるところから、マイルス・デイヴィスがラッシュを見ながら一発録りで音をつけたという伝説のあるルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』を思い出す。この即興的な音楽が映画にダイナミックでしかも軽やかなリズムを与えているのだ。最近は和音を連打して力ずくで熱く盛り上げていく鈍重な映画音楽(ハンス・ジマーのそれを典型とするような)が多いので、このリズムだけでも新鮮な驚きと言えるだろう。

だが、それだけではない。ところどころに流れるクラシック音楽の引用がまたうまいのだ。たとえば、ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』はありふれているとしても、ピアノ三重奏曲第3楽章の主題を使う——しかもあの古雅なメロディを粗野な男の野太い声の嘆き節のように響かせるのだから、見事な手並みではないか。あるいは、マーラーの第9交響曲の気息奄々という感じの冒頭(ベートーヴェンと同じくこれが生涯最後の交響曲になるのではないかと怯えながら書かれた…)、そしてリュッケルト歌曲集から「私はこの世に捨てられて」。はたまたジョン・アダムズのオペラ『クリングホッファーの死』から「流浪のパレスチナ人たちの合唱」、そして『ハーモニウム』の第3楽章、エミリー・ディキンソンの詩による「Wild Nights」から”Ah – the Sea!”の入りのところ、等々。
これでわかったのは、サンチェスのみならず、イニャリトゥが音楽を本当によく知っていて趣味がいいということだ。だから『バベル』でも坂本龍一の「美貌の青空」を使ったのだろう。あの映画で音楽担当のグスターボ・サンタオラヤがアカデミー作曲賞をとったが、それには「美貌の青空」が陰でずいぶん貢献(?)したのではないか。イニャリトゥやガエル・ガルシア・ベルナルは後でサンタオラヤと仲違いしたようだけれど、たんなるファンとして勝手な妄想を言えば、いつかイニャリトゥとサカモトの本格的なコラボレーションを見て/聴いてみたいものだ。

アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督
2014 Twentieth Century Fox


それはさておいて繰り返せば、『バードマン』のアントニオ・サンチェスはアカデミー賞をとらなかったのが不思議なくらいフレッシュな音楽でこの映画に大きく貢献している。率直に言って、『バードマン』は大賞よりは努力賞にふさわしい映画だろう。しかし、それは、いま脂の乗り切ったメキシコ人たち——イニャリトゥ、ルベツキ、そしてサンチェスのパワーとセンスを満喫できる問題作なのだ。

 
(付記)
クリストファー・ノーラン監督『インターステラー』の評でハンス・ジマーの音楽に批判的な見解を述べたところ、「では、どういう音楽がいいのか」という質問を受けた。「たとえば『バードマン』の音楽は?」というのがさしあたっての答えだ。

ついでにディスクの紹介をひとつ。ラヴェル(1875-1937)のピアノ三重奏曲(1914)は素晴らしい作品だが、演奏が難しい。時に『ラ・ヴァルス』なみのヴィルトゥオジテを要求するにもかかわらず、ちょっと力を入れ過ぎると精妙なバランスを崩してしまうのだ。『バードマン』を見た後、近年の録音をいくつか聴いてみたところ、ジョルジュ・サンドから名前をとったフランスの女性トリオの演奏はかなり満足すべきものと思われた。軽やかに揺れる第1楽章。そしてあの第3楽章の悲歌。もちろん、女性音楽家だからいいというのではない。このディスクにはメル・ボニス(1858-1937)という女性作曲家の『夕暮れ-朝』(1907)という小品が含まれている。さしずめレイナルド・アーンを思わせる佳曲だが、ラヴェルの後に置くと古色蒼然として見える。そして、続くフォーレ(1845-1924)のピアノ三重奏曲(1923)は、弟子のラヴェルのそれと比べて古風で簡素であるにもかかわらず(最晩年の師は弟子の華麗な音楽を知悉しながら意識的にそういうスタイルを選んでいる)、始まったとたん彼のものでしかありえない高雅な響きで聴く者を次元の違う高みへと誘うのだ。空気は希薄になるが、老いた作曲家は高みを目指してゆっくりと歩み続ける。柄にもなくフィナーレを盛り上げようとして失敗するのがフォーレの問題だが、ここではその欠陥もさほど目立たないし、気になるなら終楽章は聴かなくてよい。ボニスではなく、フォーレの、そしてラヴェルの音楽を再発見するための、これは歓迎すべきディスクである。
“RAVEL/FAURE/BONIS/Trios avec piano/Trio George Sand”(ZZT120101)