中原浩大・村上隆・ヤノベケンジ
浅田 彰
2012.09.22
中原浩大・村上隆・ヤノベケンジ
秋の始まりが目にもさやかに感じられた9月22日、伊丹市立美術館に駆けつけて「コーちゃんは、ゴギガ?——中原浩大Drawings 1986-2012」展(11月4日まで)を見た。爽やかな風が吹き抜けるかのような会場に、アーティストが長年描きためてきた無数のドローイングが、繊細な配慮をもって、しかしそうと感じさせないほどさり気なく展示されている。そのなんと自由で軽やかなことだろう!
少し前に『美術手帖』の村上隆関連の記事を集大成した大冊が刊行されたが、その中には1992年3月号に掲載された中原浩大・村上隆・ヤノベケンジの鼎談も含まれている。実際、この展覧会のドローイングにも、村上やヤノベと共通するマンガ的なイメージ(家族を守って敵と戦うロボット、etc.)を見つけることができるだろう。しかし、中原は、そういう場所から出発しつつも、具象的イメージやそこにこびりついた幼児的欲望のようなものをフォーム(形態)の論理によって振り切ってジャンプする(たとえば、クマの顔が三つの円に還元され、三輪車に接続される…)——といっても、フォーマリスティックな抽象に「昇華」するというより、子どもの絵のもっている面白さを失うことなくレゴ彫刻やビーズ絵画を典型とするようなゲーム的次元へと横に跳ぶ、そのジャンプ力が素晴らしいのだ。そこには、たんに「子どもであること」(さらに正確にいえば「大人の想定するような子どもであること」)ではなく、「子どもがフォームになること」と「フォームが子どもになること」の同時進行がある。それが観る者を重苦しい解釈の磁場から引き剥がして自由にするのである。
急いで付け加えておくと、こう言ったからといって、私は中原を褒めて村上やヤノベを貶しているわけではない(そもそも批評とは○×式評価ではない)。幼児化する社会の中で、マンガに見られるような幼児的欲望を徹底して追っていくという戦略も、ひとつの選択として理解できるからだ。
たとえば、金沢21世紀美術館で「ソンエリュミエール、そして叡智」展(コレクションを軸にした「SON ET LUMIERE」展の第2部で、先行して始まっていた第1部とあわせて観られる)(9月15日-2013年3月17日)の一環として久しぶりに展示された村上隆の「シーブリーズ」(1992年)は、観る者にあらためて衝撃を与える作品であり、ゴヤからChim↑Pomに至る多彩な作品群の中でも突出していると言ってよい。「シーブリーズ」が最初に発表された頃、TVではこの日焼け止めローションのCMがよく流れていた(千葉雅也はそこで赤西仁を見初めたという)。そこから連想すると、定期的に強烈な光を放つ6台のライトは、日焼けサロンのライトのようでもある。だが、それが照らし出す壁には、核爆発のキノコ雲や骸骨の図像——あまりにリテラルな図像が、洗練されたデザイン感覚によって「ベタ」から「ネタ」へと変換され、重い意味を担わされたまま、しかしどこまでも軽くカラフルな「死の舞踏」を繰り広げているのだ。率直に言って、私は「五百羅漢図」に至る最近の村上隆の展開を評価できずにいるのだが、「シーブリーズ」はフクシマ後に見ても最初のインパクトをいささかも失っていないと断言しておきたい。
さらにヤノベケンジになると、2010年に富山県の発電所美術館で開催された「MYTHOS」シリーズで、津波とも似た大洪水から再生への神話をリテラルに描いてみせた、その想像力は東北大震災後に振り返ると予言的に過ぎると思われるほどだ。実際、彼がかつてチェルノブイリの廃墟化した幼稚園でみつけた人形が巨大化したものとも言える「ジャイアント・トらやん」は、福島第一原子力発電所の門前に巨大な木偶の坊のように突っ立っていてもおかしくはない。問題があるとすれば、それらがアーティスティックなメタファーの域を突き抜けて、あまりに生々しく見えてしまうことだろう。そのせいか、原発震災後のアーティストは、満身創痍でなお未来に明るい視線を向ける「サン・チャイルド」を、意図してとことん「ベタ」な破局と再生の象徴として提示してみせた。あまりにも「イタい」その幼児的な笑顔は、ほとんど正視に耐えない。それは、しかし、この像がアーティスティックな価値をもたないことではなく、徹底した生々しさゆえに異様なアクチュアリティをもつことの証左なのだ。
中原浩大のドローイングにそうしたリテラルな生々しさはない。それらは、村上やヤノベの図像と遠くないところから出発しつつ、どこかでフォーマルなゲームへとずれていく。繰り返すが、それは抽象への「昇華」ではなく、「ベタ」を「ネタ」に変換するパロディでもない。むしろ、中原こそ、ある意味でアクティヴィストとなった村上やヤノベ以上に、子どもであり続けているとも言えよう。だが、そこにあるのは、大人が大人の想定する子どもを演じ続けるという戦略ではない。社会的常識からずれている限りにおいて、子どもは大人以上に哲学者であり芸術家である。「コーちゃん」は大人になったいまも、そのような意味で「子どもになること」——つまりは「芸術家になること」をやめない。その作品は、社会的現実の中で格闘するアクティヴィズムと無縁ではないにもかかわらず、そこから微妙にずれた次元の抽象的な創造——つまりは芸術として、観る者を自由にするのだ。
秋の始まりが目にもさやかに感じられた9月22日、伊丹市立美術館に駆けつけて「コーちゃんは、ゴギガ?——中原浩大Drawings 1986-2012」展(11月4日まで)を見た。爽やかな風が吹き抜けるかのような会場に、アーティストが長年描きためてきた無数のドローイングが、繊細な配慮をもって、しかしそうと感じさせないほどさり気なく展示されている。そのなんと自由で軽やかなことだろう!
少し前に『美術手帖』の村上隆関連の記事を集大成した大冊が刊行されたが、その中には1992年3月号に掲載された中原浩大・村上隆・ヤノベケンジの鼎談も含まれている。実際、この展覧会のドローイングにも、村上やヤノベと共通するマンガ的なイメージ(家族を守って敵と戦うロボット、etc.)を見つけることができるだろう。しかし、中原は、そういう場所から出発しつつも、具象的イメージやそこにこびりついた幼児的欲望のようなものをフォーム(形態)の論理によって振り切ってジャンプする(たとえば、クマの顔が三つの円に還元され、三輪車に接続される…)——といっても、フォーマリスティックな抽象に「昇華」するというより、子どもの絵のもっている面白さを失うことなくレゴ彫刻やビーズ絵画を典型とするようなゲーム的次元へと横に跳ぶ、そのジャンプ力が素晴らしいのだ。そこには、たんに「子どもであること」(さらに正確にいえば「大人の想定するような子どもであること」)ではなく、「子どもがフォームになること」と「フォームが子どもになること」の同時進行がある。それが観る者を重苦しい解釈の磁場から引き剥がして自由にするのである。
急いで付け加えておくと、こう言ったからといって、私は中原を褒めて村上やヤノベを貶しているわけではない(そもそも批評とは○×式評価ではない)。幼児化する社会の中で、マンガに見られるような幼児的欲望を徹底して追っていくという戦略も、ひとつの選択として理解できるからだ。
たとえば、金沢21世紀美術館で「ソンエリュミエール、そして叡智」展(コレクションを軸にした「SON ET LUMIERE」展の第2部で、先行して始まっていた第1部とあわせて観られる)(9月15日-2013年3月17日)の一環として久しぶりに展示された村上隆の「シーブリーズ」(1992年)は、観る者にあらためて衝撃を与える作品であり、ゴヤからChim↑Pomに至る多彩な作品群の中でも突出していると言ってよい。「シーブリーズ」が最初に発表された頃、TVではこの日焼け止めローションのCMがよく流れていた(千葉雅也はそこで赤西仁を見初めたという)。そこから連想すると、定期的に強烈な光を放つ6台のライトは、日焼けサロンのライトのようでもある。だが、それが照らし出す壁には、核爆発のキノコ雲や骸骨の図像——あまりにリテラルな図像が、洗練されたデザイン感覚によって「ベタ」から「ネタ」へと変換され、重い意味を担わされたまま、しかしどこまでも軽くカラフルな「死の舞踏」を繰り広げているのだ。率直に言って、私は「五百羅漢図」に至る最近の村上隆の展開を評価できずにいるのだが、「シーブリーズ」はフクシマ後に見ても最初のインパクトをいささかも失っていないと断言しておきたい。
さらにヤノベケンジになると、2010年に富山県の発電所美術館で開催された「MYTHOS」シリーズで、津波とも似た大洪水から再生への神話をリテラルに描いてみせた、その想像力は東北大震災後に振り返ると予言的に過ぎると思われるほどだ。実際、彼がかつてチェルノブイリの廃墟化した幼稚園でみつけた人形が巨大化したものとも言える「ジャイアント・トらやん」は、福島第一原子力発電所の門前に巨大な木偶の坊のように突っ立っていてもおかしくはない。問題があるとすれば、それらがアーティスティックなメタファーの域を突き抜けて、あまりに生々しく見えてしまうことだろう。そのせいか、原発震災後のアーティストは、満身創痍でなお未来に明るい視線を向ける「サン・チャイルド」を、意図してとことん「ベタ」な破局と再生の象徴として提示してみせた。あまりにも「イタい」その幼児的な笑顔は、ほとんど正視に耐えない。それは、しかし、この像がアーティスティックな価値をもたないことではなく、徹底した生々しさゆえに異様なアクチュアリティをもつことの証左なのだ。
中原浩大のドローイングにそうしたリテラルな生々しさはない。それらは、村上やヤノベの図像と遠くないところから出発しつつ、どこかでフォーマルなゲームへとずれていく。繰り返すが、それは抽象への「昇華」ではなく、「ベタ」を「ネタ」に変換するパロディでもない。むしろ、中原こそ、ある意味でアクティヴィストとなった村上やヤノベ以上に、子どもであり続けているとも言えよう。だが、そこにあるのは、大人が大人の想定する子どもを演じ続けるという戦略ではない。社会的常識からずれている限りにおいて、子どもは大人以上に哲学者であり芸術家である。「コーちゃん」は大人になったいまも、そのような意味で「子どもになること」——つまりは「芸術家になること」をやめない。その作品は、社会的現実の中で格闘するアクティヴィズムと無縁ではないにもかかわらず、そこから微妙にずれた次元の抽象的な創造——つまりは芸術として、観る者を自由にするのだ。