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Tadika Kura-Kura 2—Kindergarten of Slow Curating (邦題:カメのための幼稚園2—ゆっくりとしたキュレーション)への 参加とその覚え書きレポート(後編)
文:堤拓也

2025.10.05
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Muar Houseに集まっている様子。SAMによるイントロダクションもこの空間で実施された。
前回に引き続き、ICA京都プログラムディレクターの堤による、「Tadika Kura-Kura 2—Kindergarten of Slow Curating」の体験レポートをお送りする。(編集担当)


2025年2月23日 ムアール

2日目は近くのファーマーズマーケットで買い出しをして、それらをMuar Houseに持ち寄って食べるところからプログラムは始まる。着いた日からずっと食べてばかりだということを自覚しつつ、また食べ、お腹に入りきらなかった分はMAIX側がうまくパッキングして持たせてくれた。テーブルを片付けたあと、荷物をまとめてそれぞれ自動車に分乗する。ムアールを後にして、一路はクアラルンプールを目指す。

たまたまシュシの車に乗ることになった私は、日本から同行したバルトとともにいろんなプロジェクトの苦労等について話を聞く。中でも特に印象に残っているのは、「Tadika Kura-Kura」というコンセプトの起源についてのエピソードだった。彼女は、かつて香港のアートフェアに参加したときの体験を語り始め、同じくコミュニティに根ざしたアートの実践を行う親しいアーティスト(Muhammad ‘Ucup’ YusufとArin Rungjang)とともに、「 SEA (Social Engagement Artists / South East Asia and beyond)」というパブリック・トークに参加していたことを語る。その3名だけではなく、いわゆるアートフェア向きのアーティストも数名参加しているパブリックプログラムの中で、自分とその友人たちだけがまるで酔っ払いのように振る舞っていることを知り、衝撃を受けたという。また彼女と同じような方向性であるアーティストもそのように支離滅裂なことを話しているように見えたとのこと。要は、そのタイミングが、自分たちのフィールドではない切り離された環境下で、コミュニティベースドな仕事や活動を語ることは本質的に理解してもらうことが難しいと自覚する機会だったのだ。当然、オブジェクトベースの作家はそのトークでうまく話せていたようで、それもそのはず、彼らのベストな状況とは、ホワイトキューブやギャラリー空間なのだから。それを経て、今度は自分たちのフィールドに来てもらい、普段から仕事している各コミュニティや馴染みある空間内で思う存分、プロジェクトの話をするような試みをしたかったという。「それだと私の領域だから、酔っ払いじゃないように振る舞える」と。

2025年2月23–24日 クアラルンプール

かつて稼働していた「12 Gallery」の前で

ムアールから3時間程度かけてクアラルンプールに辿り着いたわれわれは、SAMのフェローシップが始まったとともに借り始めた倉庫・事務所・拠点である「No. 70 Jalan Sentosa」に向かった。かなり大きな建物の所狭しにシュシの作品や他のアーティストの作品が保管してあり、滞在もできるという。

どういった経緯でこれほどの作品を管理しているのだろうかという疑問がまず浮かぶ。自分の作品だけならまだしも、別のアーティストの作品もたくさんある。それはこの建物の裏手に位置しており、現在は「12 Public Creative」と呼ばれているスペースから運んできたという。聞くところによると、その場所はかつて「12 Gallery」という名前でギャラリーとして運営されており、2006年から2015年の間、マレーシアの若手アーティストを支援するギャラリーとして機能していたという。シュシおよび彼女のパートナーであるファティナと2人で運営し、数々の展覧会やプロジェクトを実施していたそう。個別の展示情報まで聞き出せなかったものの、アーティストであるシュシがこの空間を通して「エキシビションメーカー」となり、マレーシアのアートシーンに貢献していたというのは非常に興味深い。やはり彼女が単にプロジェクトベースの作品をつくるわけではなく、キュレトリアルな部分やマネジメント部分も同時に担えるのは、こういった前提や経験があるからだろうと推測した。ちなみに、12 Public Creativeは現在は使える状態になく、湿気とシロアリによって人も歩けないような状態になっていたが、最終的に物件を購入することができたとのこと。このスペースはリノベーションを済ませたあと、またパブリックスペースとして社会や公共に向けて何かできるような施設に生まれ変わる予定。

その後は各自のホテルにチェックインし、東アジアからやってきたキュレーターたちと中華を食べる。空港から直接ムアールに入ったのでわからなかったが、少なくともクアラルンプールは中華系とインド系のレストラン等が店構えから完全に認識できるようになっており、実際に働いている人々もその分類に側しているような感じがある。一人の参加者は注文時に中国語を話していたから、おそらく言語的にも店構えと一致しているのだろうとぼんやり考える。それと同時に、少なくともムアールとクアラルンプールに拠点があって、さらに1年のうち数ヶ月は尾道にもコミットしていて、いったいどのようにプロジェクトを回せるのか脳内でシミュレーションしてみたが、少なくとも自分には回せないだろうと確認した。翌日は朝から電車に乗ってペラまで移動する。

2025年2月24–25日 クアラ・カンサー

クアラ・カンサーにあるMAIXのスペース・MAIX Sauk House。
ここでも滞在できるようになっている。

明朝10時台クアラルンプール発の電車に乗って、KLとペナンの間くらいに位置するクアラカンサー駅に降り立つ。そこから車で移動してきたホスト側と合流して、別の拠点であるMAIX Sauk Houseに到着。ここにもスペースを持っているのかと、さらに驚愕する。

ちなみにMalaysian Artist Intention Experimentとは、「アーティストになりたい」若手たち4名とシュシが2014年にKLに創設した拠点としてはじまる。当初、それこそ12 Public Creativeの前身である12 Galleryでの協働などがメインのプロジェクトだったが、MAIX自体でプラットフォームをつくろうとする動きが始まったと語る。一時はクアラルンプール中心部であるロロン・ケカブに拠点を構えており、当時は主に視覚芸術家、音楽家、パフォーマーなど約30人の若手アーティストが所属していたという。とはいえ、シュシがペラ州クアラ・カンサーで一部のメンバーと共同で購入した土地 [森](MAIX Reserved Forest)での方針の違い巡り、他の若手メンバーたちは2019年あたりにMAIXを去ることになってしまったそう。彼らの主張としては、森との関わりと、将来的にアーティストになることは一致しないということだった。その後、シュシはMAIXを終わらせようと考えたものの、その枠組をつかって修士論文を書いているメンバーがいたり、ペラの伝統産業(ラブサヨ)とコラボレーションしているメンバーもいるということで、そのコレクティブの活動継続することに。とはいえ、シュシはアドバイザーのようなポジションからは降り、MAIX自体はフラットかつ、マレーシア人だけに限定するわけでもなく、プロやアマチュアが分け隔てなく利用できるような水平的なプラットフォームとなっている。ふと壁に飾られているポスターを見ると、過去には荒木悠氏や彦坂敏昭氏、稲川豊氏などのアーティストがプロジェクトに参加していたことがわかった。

説明が長くなってしまったが、ここでは主にMAIXで実施したプロジェクトのアーカイブ映像や、ちょうどコロナ直前にここMAIX Sauk Houseに滞在し、最近亡くなってしまった映像作家・Katharina Copony(カタリーナ・コポニー)が森の中で撮影したフィルムなどを視聴する。

マレーシアの山岳地帯に暮らす先住民「オラン・アスリ」の村・Kampung Takongでの記念写真

「Tadika Kura-kura 2」の最終日。僕は先に寝床についたのだが、昨晩はシュシとほかの参加者たちが夜遅くまで話していたそう。みんなで2Fで雑魚寝し始めたタイミングで、開けっぱなしの窓からコウモリが入ってきて空間内を旋回していたというエピソードを朝ごはんを食べている最中に聞く。寝ている最中に誰かが叫んでいるような気はしたが、まさかそんなことがあったなんて知る由もなかった。おそらくみんな3時間くらいしか眠れてないし、メンバーの一人は虫刺されから全身の発疹に広がり、それぞれの環境の変化からかやや疲れが見えてくる。ちなみに朝浴びたシャワーは、お湯が出ないというかそもそも給湯器が設置されていなかった。

まずは前日に観た映像のトピックであり、本コレクティブのターニングポイントともなったMAIX Reserved Forestに向かう。インドネシアからやってきて10年以上もこの地に住んでいる森の管理者兼案内人・エディも同行する。予定では森の奥深くまで行くつもりだったが、時間の制約から入口だけに止まる。どういった植物が育っているのか観察したり、かつて野生の虎をここで見た経験等を共有してもらう。確かにアーティスト志望の若手たちにとって、森で活動している自らを説得できなかったという理由もわからなくもない。ちなみにこの地も購入しており、一体どのようにマネジメントしているのかますます驚愕する。

森から抜け出し、一路は陶芸家であり、シュシの協働者でもあるアーティスト・Mak Nah(マク・ナ)のスタジオに向かう。彼女はこの地で有名な伝統産業であるLabu Sayong(ラブサヨ)をろくろを用いて成形する唯一の人物であり、前日に観たドキュメンタリーにもたびたび映っている。さらに2021年に小山登美夫ギャラリーで実施されたシュシの個展「赤道の伝承」【*1】にも出品しており、100点のLabu Sayongは完売。その売上の一部はこのスタジオ新設の一部にもなっているということで、シュシやMAIXが作り出すエコシステムにまた驚く。

最終日はマレーシアの山岳地帯に暮らす先住民「オラン・アスリ」の村・Kampung Takongを目指し、、山道を駆け上がる。これまでマレーシアで見た建築とは異なり、高床式の簡素な住居が並ぶ。ここでもMAIXはかつて拠点を持っていて、こどもたちに教育を行っていたとのこと。ただ、30体にも及ぶ野生の象の進撃により、最近、その建物は潰れてしまったようだ。一体、どの尺度で自らの安全性を考えたら良いのか頭が混乱したが、その象の群れたちはどこかで人間に攻撃されたがゆえの復讐だったと村人たちは認識している。

その後、この地の構成とともに、懇意にしているファミリーを紹介してもらい、MAIXの旧メンバーである建築家が関わる伝統的な手法と鉄材をミックスした住居を見学する。彼からは、文化的なコンテクストを完璧には理解しておらず、他の建物たちに比べて棟高が高くなりすぎた反省点が述べられたが、耐久性や拡張性は保証できるとのこと。最後には、この地でとれた新鮮なタピオカを油で揚げたおやつを振る舞ってもらい、その村を後にする。部分的に陥没しているような山道を再び通過し、1時間以上かけてクアラ・カンサー駅まで戻る。

到着後、一同がそれぞれ別れの挨拶をして、これにて長いようで短かった「Tadika Kura-Kura 2」がようやく終了。ここからマレーシア社会はラマダーンに突入することが説明され、なぜかお小遣いのようなものを貰う(これが一般的らしい)。基本的にはシュシが活動している拠点や場所をメインに訪問し、人と会い、ローカルなものを食べ、プロジェクトやそれ以外について話すことが中心のの5日間だったが、おそらくこれが展示空間になるとただのダイアグラムを使ったプレゼンテーションで終わる可能性が高い。それゆえに、ツアー形式、あるいはワークショップ形式を準用した新しい展覧会形式に参加した意義は十分あったのではないか。また、富井玲子による論文「日本のコレクティビズム再考―DIY精神のDNAを〈オペレーション〉に探る」や、著書『オペレーションの思想――戦後日本美術史における見えない手』での概念の展開に対して、私はむしろこの「オペレーション性」に少なくともアジアにおける特異性———つまりは、西洋諸国のような制度が構築されていない状況化でのユニークな実践の「工夫性」と「美学性」があるのではないかと見ている。

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【*1】シュシ・スライマン「赤道の伝承」小山登美夫ギャラリー(2021年10月22日〜11月20日)
(2025年10月5日最終確認)


執筆者プロフィール

堤 拓也(つつみ・たくや)
キュレーター
ICA京都プログラムディレクター/京都芸術大学准教授
2019年アダム・ミツキエヴィチ大学大学院カルチュラル・スタディーズ専攻修了。展示空間の構成だけに限らず、パフォーマンスを含む1回的な体験機会を生み出す一方で、アジアを中心とした非制度的な実践に関心がある。展覧会という限定された空間の立ち上げや印刷物の発行を目的としつつも、アーティストとの関わり方に制約を設けず、自身の役割の変容も含めた有機的な実践を行う。2018年より滋賀県にあるシェアスタジオ・山中suplexの共同プログラムディレクター。