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現代アートのグローバリゼーションとアーティスト・イン・レジデンス
第5回 未来をつくるアーティスト・イン・レジデンス
文:菅野幸子

2025.11.25
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Photos courtesy Rokkoku Kitchen.

(1)AIRは未来をつくれるか?

本シリーズの第1回では「アーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)の起源~ヴィラ・メディチとヴィラ九条山」と題して、AIRの起源とその意義を探ったが、その冒頭において、まず日本のアーティスト・イン・レジデンスの現在地を確認するため、日本のAIRのデータベースであるAIR_J[*1]をもとに作成した簡単なデータを提示したが[*2]、そこで見えてきたのは、2020年以降、コロナ禍という人の移動が制限されていた時期であったのにも関わらず、日本のAIRは減少するどころか、着実に増加しているということだった。AIR自体は、日本には1990年代以降定着するようになったものの、プロセス重視ということから当初はなかなか理解が得られず、また、評価しにくい事業と言われ、なかなか定着しなかった。ところが、現在、日本各地で100をはるかに超える多彩なAIRが盛んに展開されている。そこで、本シリーズの最後として、その背景を探りつつ、AIRの未来についても考察を巡らせてみたいと思う。

(2)ハマカルアートプロジェクトの挑戦

考察にあたって、現在、福島県の東日本大震災の被災地で展開されている「ハマカルアートプロジェクト」[*3]の事例を取り上げたい。福島県の被災地といえば、東日本大震災の発災直後、東京電力福島第一原子力発電所の事故により、浜通りの12市町村(田村市、南相馬市、川俣町、広野町、楢葉町、富岡町、川内町、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯館村)の住民たちは、生まれ育った故郷を離れ避難を余儀なくされた。長期にわたる避難指示の対象となり、多くの住民たちにとっては未だ帰宅が困難な土地となっている。

しかし、震災から約14年経過した現在、当該市町村では、地域再生に向けて様々な試行錯誤が展開されている極めて稀な地域となっていることは余り知られていない。原発の所管省である経済産業省は、当該地域の復興を目指して様々な事業を展開・支援しているが、その一環として、芸術・文化を通じた魅力あるまちづくりを推進しており、2023年6月、同省の若手の有志職員から構成される「福島芸術文化推進室」を設立し、新たなアートプロジェクトを立ち上げた。これがハマカルアートプロジェクト(以下プロジェクト)で、アーティストたちが当該地域に滞在しながら創作活動を展開するアーティスト・イン・レジデンス(以下AIR)を基盤として立ち上げられたパイロット・プログラムで、多彩なクリエーターが浜通りの12市町村に滞在し創造的な活動を展開しながら、当該地域への歴史や現状への理解を深め、地域の方々とコミュニケーションを交わし、他の地域ともつながりながら、当該地域への交流人口や関係人口を増やしていくことを目指して推進されている。ある意味、社会的な実証実験の取り組みとも言えようが、このプロジェクトの制度設計を担当した初代ディレクターの岡田智博[*4]は、「アートプロジェクトとは、社会や地域の中に入り込んで、共創する芸術活動で、芸術としての創作のみならず、社会や地域に新たな価値をプロジェクトが続く限り関係性とともに創出する取り組み」と定義し、その実現のため地域と共創しながら持続的なAIRを実施する担い手を支援するプログラムを設計したのだが[*5]、このプロジェクトの実践を通して当該地域にどのような新たな価値を生みだしていくのかが試されている。

福島の浜通り地方は、もとより、豊かな漁場と山海の産物に恵まれた東北の湘南とも呼べるほど温暖な地域である。しかし、震災以後、被災地に共通する人口流出が激しい地域となっており、古くからこの地に居住していた方々は、まだまだソフト、ハード両面においてインフラが十分に復旧していないこともあり、なかなか以前の暮らしに戻ることができない現状にある。他方、新たな可能性を求めて移住してくる若者たちも多く、様々なビジネス・チャンスを模索している試行錯誤の場ともなっている。こうした地域において芸術・文化が果たしうる役割とは何かを日々問いながら、この3年間、プロジェクトが展開されてきている。筆者は、初年度からアドバイザーとして関わり、現在は前述の岡田の後継としてプログラム・ディレクターを務めているが、このプロジェクトで最も重要なことは、それぞれのストーリーを抱えておられる地域の方々の営みを尊重しつつ、アートを通じて、共創し、未来に向けての新しい価値をいかに紡ぎだし、繋げていくかという挑戦に向き合っているということだと捉えている。

プロジェクトが始動する以前、すでに、浜通り地方では、復興予算をもとにいくつかのAIRがすでに展開されていた。例えば、富岡町を拠点としているNPO法人インビジブルは、2017年から「プロフェッショナル転校生(Professionals in School)」[*6]プロジェクトを始めており、富岡町内の小中学校に様々な分野の専門家が仕事場を設け、日常的に子どもたちと交流するアーティスト・イン・スクールを展開している。広野町では、2019年、民間の有志により、広野アートキャンプが始められ、その後、同町の総合計画に「アートによる地域復興」が組み込まれるようになり、2023年から町から委託を受けた団体が「広野町AIR」を運営している[*7]。アーティストたちは広野町に伝わる伝承や風習をテーマとして作品を制作している。南相馬市の小高地区では、「群青小高AIR」が2021年から開始されている[*8]。2022年には中之条ビエンナーレの関係者を中心としたメンバーによるKatsurao Collectiveが葛尾村からの委託事業として「アーティスト移住・定住促進事業」を受託し、「Katsurao AIR」が開始されている[*9]。このようには浜通り地方では、多彩なAIRが展開されていたこともあり、他の地域から移動する人々を受け入れ、交流するというプロジェクトが受け入られる土壌が醸成されつつある地域でもある。

さて、プロジェクトには、学生型と滞在事業型の2つのフォーマットがある。前者は、学生たちが当該地域の歴史や風土に接し、かつ当住民の方々とも交流しながら創造的活動を展開する活動を支援する事業であり、後者は、アーティスト(個人及びグループ)や運営業者を対象として、多彩なアーティストたちが当該地域に滞在しながら行う創造的活動を支援する事業である。これまで、映像、ビジュアル・アート、パフォーミング・アーツ、建築、写真など多岐の分野にわたるアーティストたちが滞在し、創作し、地域の方々と交流を継続してきている。新しい価値を生み出すと一言で言っても容易なことではないが、当該地域で育まれたストーリーを映像と書籍に記録しようとする試みを紹介する。

作家の川内有緒さんと映画監督の三好大輔さんのユニットによる「ロッコク・キッチン」プロジェクトは、浜通り地方を貫く国道6号線(通称「ロッコク」)沿いに生きる人々とその「食」「キッチン」「レシピ」を巡る営みを書籍とロードムービーとして表現し、記録しようとしている。『目の見えない白鳥さんとアートを見に行く』や『空をゆく巨人』の著者として知られるノンフィクション作家の川内さんだが、映画監督を目指して日本大学芸術学部で学んだ経験があり、現在、自らアートギャラリーも運営している。他方、三好さんは、市井の人々が記録した8mmフィルムによる「地域映画」づくりを実践している。その川内さんと三好さんがユニットを組んで、第1フェーズとして、2023年11月〜2025年2月にかけて滞在制作を行い取材・撮影を行った。ロッコクを北上しながら、その地に住む人々にインタビューをし営みを記録したロードムービー「みんななに食べて、どう生きているんだろ?」[*10]や、地域の方々から寄せられたエッセイを集めてエッセイ集「ロッコク・キッチン」を制作した。第2フェーズでは、浜通り地方の方々の家庭に眠っているビデオを集めて地域の過去を映した映像を制作したが、これらの映像も最終的にはドキュメンタリー映画「ロッコク・キッチン」にまとめられる予定となっている。いずれも、食を通して浜通りの「今」を生きる人々の営みが見事に描かれている映像やエッセイとなっており、他のメディアでは伝えられない眼差しで貫かれている。

この他、アーティストの三塚新司さんは、浜通り地方に滞在することで、自身の父が原子力研究に携わっていたこと、自身もまた未来のエネルギーとしての原子力に惹かれていたことを思い返しながら筆を取り、「unsent memories」と名付けられた作品群を生み出している[*11]。福島での体験を経て、自身の新境地を切り開いている。三塚さんの他にも、数多くのアーティストたちが当該地域に滞在し、その歴史と現実に向き合いながら、この地域でしか生まれえない作品群が生まれつつあるが、当該地域には、人を惹きつけ、新たな表現を生み出させる不思議な力が潜在しているように思えてならない。

 

(3)未来をつくるAIRの可能性

本シリーズでは、AIRの起源を探ることから始まり、未来の社会に向けたAIRの可能性についてまで見てきた。また、第2次世界大戦以後のAIRの発展は現代アートのグローバリゼーションとも重なることも見てきた。第2回目の原稿で、AIRの果たしうる役割とは分野を超えた創造や刺激を生み出す場であると述べたが、言い換えれば、AIRには、多様なステークホルダーによる協働、共創といったこれからの時代に必要となる要素が含まれており、さらにその試行錯誤の場、実験の場ともなりうるということを意味しているということだ。予測不可能な未来の社会に向けて、現代の私たちに必要なのは多様な分野のアーティストやクリエーターたちがそれぞれの境界や限界を越え、試行錯誤を許容する実験の場だと筆者は考えているが、AIRこそがその場なのではないかと考えている。

現在、世界では、紛争、災害、貧困の拡大などの課題が山積している。現在の日本は、地震・津波、洪水、土砂崩れが頻繁に起こり、災害大国として知られるようになっている。こうした災害や困難を乗り越え、人々の心や地域が本当に復興、再生する上で、改めて芸術・文化の力が問われているのではないかとプロジェクトを通じて痛感させられている。発災直後は、生きるのが精一杯で生活を再建することが最優先された。また、無力感を感じたアーティストたちの中には、災害ボランティアとして汗を流していた者も数多くいた。しかし、14年という年月を経て、今こそ芸術・文化の果たす役割や価値が問われるようになっているのだと改めて感じている。私たちが、再び、有言・無言のうちにそれぞれの心に中に秘めていたストーリーとアートが共鳴し、新たな表現を生み出し。それが人々や地域に新たな力と共感を生み出していくのだ。こうした時期だからこそ、浜通り地方各地で数多くのAIRが展開されるようになっているのは偶然ではないのだろう。

AIRというシステムは、アーティストやクリエーターが介在することにより地域の多様な担い手との間に協働、共創する機会が生まれ、新しい価値を地域に作り出すことを可能とする。ロッコク・キッチンプロジェクトの例にあるように映像や言葉を通じて、地域の方々と交流し、つながり、人々の思いや日常の営みを伝えることが可能なのだ。そこから、また、新たな歴史や物語を紡がれてゆく。時間はかかるが、それを観る人々の心に強く、深く浸透していく力が芸術・文化にはあるということだ。現代アートや日本という範疇にとどまらず、現代社会のさまざまな局面において、多彩なアーティストやクリエーターたちが移動し、短期滞在するAIRというシステムは、当該地域の人々とアイディア、知恵、技術、情報、交流を作りだす、さらに交流人口、関係人口を惹きつける上で大きな可能性を潜在しているのであり、未来をつくる一助となることが期待されているゆえんでもある。 


写真:ハマカル・アート・プロジェクトから

三塚新司《unsent memories 》(2024)

三塚新司《unsent memories 》(2024)


[*1]AIR_J:日本全国のアーティスト・イン・レジデンス総合サイト
[*2]菅野幸子「現代アートのグローバリゼーションとアーティスト・イン・レジデンス 第1回 アーティスト・イン・レジデンスの起源~ヴィラ・メディチとヴィラ九条山」, ICA Kyoto
[*3]Hamacul Art Project 2025 official site [*4]岡田智博氏に関して
[*5]浜松文化拠点第1期アーカイブ資料
[*6]PinS Project introduction — inVisible official site [*7]TORIGOYA Project (Artist in Residence, Hirono Town official site)
[*8]Artist in Residence “群青小高 (Gunjo Odaka)” Official site, Minamisoma
[*9]Katsurao Artist in Residence Collective Official site [*10]ロッコク・キッチン Official sitge
[*11]Shinji Mitsuzuka Official Site “Works” page
※上記URLはすべて2025年11月24日閲覧

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執筆者プロフィール

菅野幸子(かんの・さちこ)
AIR Labアーツ・プランナー/リサーチャー。ブリティッシュ・カウンシル東京、国際交流基金を経て現職。グラスゴー大学美術学部装飾芸術コースディプロマ課程修了。東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究(文化経営学専攻)後期博士課程満期退学。博士(文学)。専門領域はアーティスト・イン・レジデンス、英国の文化政策、国際文化交流。主な著作として、「現代アートとグローバリゼーションーアーティスト・イン・レジデンスをめぐってー」(『グローバル化する文化政策』佐々木雅幸・川崎賢一・河島伸子編著、勁草書房、2009年)他、共同編集として『アーティスト・イン・レジデンス:まち・人・アートをつなぐポテンシャル』(菅野幸子・日沼禎子編、美学出版、2023年)。