Out of Kyoto
003 チームラボはなぜ「アート」にこだわるのか
文:小崎哲哉

チームラボ《変容する連続体》2025-, Installation, Sound: Hideaki Takahashi
© teamLab, courtesy Pace Gallery
批評家ハー・トゥ・フォンは、チームラボの展覧会を「アートの遊園地か遊び場」と呼び、来場者は「甘いものを食べたときの興奮」に一時的に捉えられるだけだと主張する。「自撮りをした後は、みんなどこかに走り去る。作品への感情的・批評的関係は長続きせず、もう一度戻ってくる理由はない」【*4】と。批評家ベン・デイヴィスは、《追われるカラス、追うカラスも追われるカラス》(2013- )【*5】について「大袈裟なまでに英雄的なビデオゲーム風の音楽と、魔法の鳥が花に変身するまばゆいばかりの映像に浸るこの作品は、壮観ではあるが深みがあるとは言いがたい。だからチームラボ・スタイルのアートは、最も大人向きのものでさえ、派手な特殊効果と雑なテーマのスーパー・ヒーロー大作にこだわる映画など、現代の他の文化現象と同列に捉えられかねない」【*6】と指摘する。

チームラボ《追われるカラス、追うカラスも追われるカラス》2025, from the series Crows are Chased and the Chasing Crows are Destined to be Chased as Well, 2013-, Interactive Installation, Sound: Hideaki Takahashi
© teamLab, courtesy Pace Gallery
チームラボ代表の猪子寿之は「アートであるかないか論争」について問われ、「人類がこれ[チームラボ作品]がアートだとしたとしようよ。それはそれでありがたいね。[中略]もしそれがそうでないとしたら、[中略]それはもう、チームラボとしか言いようがないね。そしたらそれはそれで、もっといいね」【*7】と語っている。だが上述したとおり、自分たちはアーティストと名乗っている。TBKはミュージアムであり、遊具はアート作品だとしている。
なるほど、マルセル・デュシャンは「ある種の絵画唯名論」という文言を遺している【*8】。ドナルド・ジャッドが述べたように「もしも誰かが自分の作品はアートだと言えば、それはアートである」【*9】。とはいえこれらは、アートを非アートと弁別することが困難であるがゆえの消去法的な定義だろう。
キュレーターの南條史生【*10】はチームラボの特徴を6点挙げている。1)常にデジタルテクノロジーを縦横に駆使している。2)しばしばイマーシブでインタラクティブ性を持っている。3)しばしば自然と人間がテーマになっている。4)ボーダレスという概念が内容にも制作方法にも適用されている。5)常に変化し発展していく。6)「生と死」の問題が作品の根底に潜んでいる。【*11】2については、猪子との対話で「観客没入型。[中略]じゃあそれを日本で誰がやったかというと、チームラボの作品だよね」【*12】と称賛している。
ふたりは「観客没入型」作品についてピエール・ユイグやグレゴール・シュナイダーの名を挙げている。クルト・シュヴィッタースのメルツバウやイリヤ・カバコフのトータル・インスタレーションとの混同があるように思えるが、それは措くとして、上記の1はメディア・アートの定義にほぼ等しい。2の「インタラクティブ性」もメディア・アートによく見られる特性で、「イマーシブ」は日本では藤幡正樹や三上晴子らの先行例がある。3〜6は現代の芸術表現全般において珍しいことではない。
他方、チームラボには盗用疑惑がささやかれてきた。Kimchi and Chips、草間彌生、名和晃平らの先行作品との類似である。光源と鏡を組み合わせたものや、シリコーン・オイルを素材としたものは確かによく似ている。だが、パクリか否かという論争は概ね不毛な結果に終わるから【*13】、《質量も形もない彫刻》(2020- )【*14】を例に取って違う分析を試みよう。

チームラボ《質量も形もない彫刻》2020-, Installation, Sound: Hideaki Takahashi
© teamLab, courtesy Pace Gallery
天井の高い空間に雲のような泡の塊が浮遊している。来場者は、ガラス越しに塊の動きを見るだけでも、泡の付着を防ぐ服とゴーグルに身を包んで空間内を歩くのでもいい。泡は「構造的には細胞膜と同じ」で、「生物の構成単位である細胞」に見立てられているらしい。【*15】
この作品は、名和晃平の《FOAM》(2013- )【*16】に酷似している。どちらも水と空気と石鹸(界面活性剤)が素材である。間断なく発生する《FOAM》の泡はしかし、空中に浮遊するのではなく床面に溶岩のように広がり、膨らんで、展示空間に起伏をもたらす。

名和晃平《FOAM》 2018
Installation view at “FUKAMI ‒ une plongée dans l’esthetique japonaise,” Hôtel Salomon de Rothschild, Paris, 2018.
Photo: Omote Nobutada, courtesy of Hôtel Salomon de Rothschild
《FOAM》は、東日本大震災の2年後に「揺れる大地」を主題として開催されたあいちトリエンナーレ2013で発表された。「溶岩のように」と形容したが、この泡は止むことのないマグマ活動の暗喩である。付言すれば、名和は作家活動の初期から「セル(細胞)」を重要な創作概念としている。災害の記憶と同時に、途切れることのない生命活動をも想起させる作品だ。
同様の泡は、2作に先立って、振付家マチルド・モニエと造形作家ドミニク・フィガレラの協働作品《ソープオペラ》(2009- )【*17】と《ソープオペラ、インスタレーション》(2014- )【*18】でも用いられている。ここで泡は、終始舞台上にあって重要な装置として機能する。ダンスにおける根源的な前提条件である重力を、演者とともに可視化する役割を担っているのだ。

Mathilde Monnier & Dominique Figarella, Soapéra, 2009-

Mathilde Monnier & Dominique Figarella, Soapéra, an installation, 2009-
《花と人、コントロールできないけれども共に生きる》(2014- )【*19】についての「こういう作品をうまく設計すると、同じ空間にいる『自分と他者』の関係をポジティブに思える気がする」【*20】という猪子の発言や、「近年のチームラボの作品は、鑑賞者と作品、鑑賞者と鑑賞者の間にインタラクションが起きて境界を破壊していくものが増えている」【*21】という批評家・宇野常寛の認識からは、リレーショナル・アートが思い浮かばなくもない。しかしチームラボの作品にはおよそコンセプトが存在せず、レイヤーも非常に薄い。カーステン・ヘラーの巨大すべり台やリクリット・ティラヴァニのライブ・ステージなどに比べるべくもない。

チームラボ《花と人、コントロールできないけれども共に生きる》2014-, Interactive Installation, Endless, Sound: Hideaki Takahashi © teamLab, courtesy Pace Gallery
チームラボは、デュシャンやアンディ・ウォーホルではなく、観覧車(フェリス・ホイール)に名を残すジョージ・ワシントン・ゲイル・フェリス・ジュニア、ユニバーサル・スタジオ・テーマパークスの礎を築いたカール・レムリ、ディズニー・ランドを創設したウォルト・ディズニーらの系譜に連なり、彼らを超えることを目指すべきだと思う【*22】。遊園地よりもアートのほうが高尚だと考えているのだとすれば、それは遊具制作者への蔑視であり、職業差別である。まさか表現行為に序列があるという、時代錯誤的な勘違いをしているわけではないだろうね。
【*1】 teamLab, “teamLab: Kyoto.”
【*2】 teamLab “変容する連続体 / Morphing Continuum.”
【*3】「Art works」を参照
【*4】 Thu-Huong Ha quoted in Zachary Small, “TeamLab, Art’s Greatest Sugar Rush, Is Building an Empire,” New York Times, December 7, 2024
【*5】 正確には、同シリーズの《追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして分割された視点》(2014)
【*6】 Ben Davis, “How teamLab’s Post-Art Installations Cracked the Silicon Valley Code,” Artnet News, May 26, 2016
猪子寿之は、このレビューを「超大御所の批評家が[中略]長い批評を書いてくれただけで光栄なんだけど、内容としても概ね絶賛!」と評価している(猪子寿之×宇野常寛『人類を前に進めたい チームラボと境界のない世界』PLANETS/第二次惑星開発委員会, 2019, p.56)
【*7】 YouTube「猪子寿之×成田悠輔 世界に誇る2人の天才はチームラボボーダレスをどう解釈する?」(2024年2月19日付『夜明け前のPLAYERS』10’19″~)
【*8】 Marcel Duchamp, “À l’Infinitif,” in Salt Seller: The Essential Writings of Marcel Duchamp, ed. Michel Sanouillet and Paul Matisse (Oxford University Press, 1973), 78.
【*9】 “Statement” (1966), in Donald Judd Complete Writings 1959–1975 (The Press of the Nova Scotia College of Art and Design, co-published by New York University Press, 1975/2005), 190.
【*10】 南條は森美術館館長時代に企画した「宇宙と芸術」展(2016-2017)にチームラボを招き、書寫山圓教寺での「チームラボ 圓教寺 認知上の存在」(2023)および姫路市立美術館での「チームラボ 無限の連続の中の存在」展(2023-2024)で展覧会アドバイザーを務めた。詩人で批評家の建畠晢は南條を「チームラボの最大の理解者」と呼んでいる(「INTERVIEW 現代美術・美術館論の領域からチームラボを読む」。南條史生(編)『チームラボ 永遠の今の中で』青幻舎, 2019, p.106)
【*11】 南條史生「チームラボの発展と未来」。姫路市立美術館『チームラボ 無限の連続の中の存在』金木犀舎, 2024, pp.094-095
【*12】 「TALK 猪子寿之×南條史生」。『チームラボ 永遠の今の中で』p.026
【*13】 他の表現者の盗用疑惑については小崎哲哉「リオ五輪閉会式『引き継ぎ式』への疑問」(2016年9月29日付『REALKYOTO』)を参照
【*14】 teamLab “質量も形もない彫刻 / Massless Amorphous Sculpture.”
【*15】 同
【*16】 Kohei Nawa FOAM.
【*17】 Mathilde Monnier, Soapéra
【*18】 Mathilde Monnier, Soapéra — Une Installation
【*19】 teamLab “花と人、コントロールできないけれど共に生きる / Flowers and People, Cannot be Controlled but Live Together”
【*20】 『人類を前に進めたい チームラボと境界のない世界』p.10
【*21】 同 p.106
【*22】 日本にも「飛行塔」の創始者の土井万蔵、コインで遊べる「自動機械」を創案した遠藤嘉一らがいる。橋爪伸也『日本の遊園地』講談社, 2000 に詳しい
※上記URLはすべて2025年12月21日閲覧
本連載について
「Out of Kyoto」では、著述家/アーツ・プロデューサーの小崎哲哉氏が芸術や文化の話題を取り上げていく。歴史を参照しつつ、現代における表現のあり方を探る連載となる。
執筆者プロフィール
小崎 哲哉(おざき・てつや)
著述家/アーツ・プロデューサー。2000年にカルチャー・ウェブマガジン『REALTOKYO』を、2003年に現代アート雑誌『ART iT』を創刊し、あいちトリエンナーレ2013ではパフォーミングアーツ統括プロデューサーを担当。2012年9月から2020年12月まではカルチャー・ウェブマガジン『REALKYOTO』の発行人兼編集長を、2021年2月から2025年3月までは同『REALKYOTO FORUM』の編集長を務めた。編著書に20世紀に人類が犯した愚行をまとめた写真集『百年の愚行』『続・百年の愚行』、著書に『現代アートとは何か』『現代アートを殺さないために』などがある。2019年にフランス共和国芸術文化勲章シュヴァリエを受章。