GAT 044 ウンジー・ジュー
キュラトリアル・プラクティスの瞬間
構成:山際 美優
学生、あるいはアーリーキャリアにいるアーティストの皆さんは今、アーティストもしくはキュレーターになろうという道のりにいらっしゃるとお感じかもしれませんが、どのような状態であっても、誰もが常に実践のさなかにいます。そして、それ自体が常に最終地点でもあるということをまずお伝えします。
参加型スペース「6ヶ月間:クレンショー」
ある時、私はロサンゼルスのカリフォルニア芸術大学でビジティング・アーティストとして教える機会に恵まれました。誘いを受けた時、この給料があれば、自分たちでスペースを借りてプロジェクトができるんじゃないかと思いつきました。そしてニューヨークのアーティストやキュレーター、ライターの皆さんと一緒に資金を集め、6ヶ月間ロサンゼルスでスペースを借りることにしました。
6ヶ月というと、大体、学校でいう1学期間のスパンになります。私たちは、インフォーマルなものからフォーマルなものまで、様々な催しを設けました。アーティストたちは作品を持ち寄り、小規模で非公開のクリティーク(講評)を行いました。また、参加者の中には公開展示を企画する人もいました。
アーティストは展示の設営・撤去、壁の塗装、来場者の対応まで、すべてを自分たちで行いました。参加型のスペースとして、私たちは自分たち自身も観客でもありました。ローカルメディアがこのスペースについて掲載を希望してきたこともありましたが(ソーシャルメディア以前の時代です)、私たちはそれを断りました。また、コレクターやパトロンといった正式な観客を受け入れることも避けました。誰もが観客や支援者としてではなく、創造的な交流における対等な参加者として歓迎をしていたのです。
「ミュージアム・ アズ・ハブ」
ロサンゼルスには5年ほどいました。そして2007年にニューヨークのニューミュージアムのエデュケーション部門とパブリックプログラム部門のディレクターに招聘されました。
そこで私が最初に取り組んだプロジェクトは、アントン・ヴィドクル(Anton Vidokle)による月例の集まり「ナイトスクール(Nightschool)」を立ち上げることでした。これは、彼がベルリンで展開していたディスカッシブ・プロジェクト「unitednationsplaza」を基盤としたものです。当時、多くの現代美術家が、作品制作に加えてディスカッシブなプラットフォームにも強い関心を寄せていました。ナイトスクールでは、約15名のコア参加者を受け入れ、1年以上にわたって毎月1名の特別ゲストを招きました。4日間の集中プログラムの中で、3日間はレクチャー、上映、パフォーマンスといったイベントを一般公開し、最終日はコアメンバーのみを対象としたクローズド・セッションが行われました。
ナイトスクールは教育部門の一環であり、私にとっては「ミュージアム・アズ・ハブ(Museum as Hub)」への貢献でもありました。これは、ソウルのINSA Art Space(IAS)、メキシコシティのムセオ・タマヨ、アイントホーフェンのファン・アッベ美術館、カイロのタウンハウス・ギャラリー、そしてニューヨークのニュー・ミュージアムという、5つの国際的な美術機関が参加した協働的・国際的なイニシアティブです。
このプロジェクトは、規模や運営体制の異なる美術機関同士のグローバルな交流を促進するものであり、非常に刺激的な試みでした。重要な要素のひとつが、パートナー機関との隔週ミーティングを維持しようとした点です。その結果、年間のある時期には、メキシコでは朝8時である一方、ソウルでは夜11時という時間帯での会議が必要となり、通常の業務時間を大きく超えた参加を求めることになりました。
この経験は、私自身が特定のローカルな文脈の中に位置していることへの自覚を強めるものでした。ローカルな状況、期待、コミュニケーションの方法が関係性に与える影響を認識できたことは、非常に重要な学びでした。それは現代美術の現場で働くうえでも大きな教訓となりました。私たちは皆、それぞれ固有の時間と場所の中に存在していますが、互いの境界や制約、可能性を尊重しようと意識的に努めたからこそ、知識やアイデアを効果的に共有することができたのです
ニューミュージアム・ジェネレーショナル・トリエンナーレ2012「統治不能なもの」
こうした関係性を通じて、私はトリエンナーレ「The Ungovernables」を実現することができました。「アンガバナブル(ungovernable)」という言葉は、もともと南アフリカの白人アパルトヘイト政権が、国家による暴力的かつ差別的な扱いに抵抗する黒人南アフリカ人を指すために用いた表現でした。とりわけ1976年のソウェト蜂起に参加した学生たちは、「アンガヴァナブル」と呼ばれていました。その後、アフリカ民族会議(ANC)はこの言葉を再獲得し、「この国を統治不能にしてやる(We will make this country ungovernable!)」というスローガンに見られるように、抵抗の意思を表す言葉として用いるようになりました。
第1回のジェネレーショナル・トリエンナーレは2009年に開催され、当時33歳未満であった特定の世代のアーティストたちが集まりました。第2回トリエンナーレの構想を始めた際、私は1974年から1984年の間に生まれたアーティストに焦点を当てました。この世代は、アパルトヘイト体制、国家通貨の切り下げ、苛烈な軍事独裁政権、内戦といった重要な歴史的局面を経験してきた世代であると感じたからです。私は、こうした文脈が、この世代のアーティストたちの視点や、作品における内容や形式へのアプローチを形づくっていると考えました。
参加アーティストの一人であるアントニオ・ベガ・マコテラ(Antonio Vega Macotela)は、テキーラの蒸留所をもとに、自作の石油精製装置を制作しました。彼の母国メキシコには豊富な石油資源がありますが、国内に十分な精製施設がないため、その富の多くがアメリカ合衆国へと流出しています。この作品は、伝統的な知識や技術こそが、資源と未来を取り戻す鍵になり得ることを示唆しています。
もうひとつの作品、ライアン・タベット(Rayyane Tabet)による《1989》は、壁の高い位置に埋め込まれた扉と、垂れ下がるキャンバス製の「壁」によって窓枠とつながれた構造を特徴としています。実は、これらの建築的要素は、作家が幼少期を過ごした実家の寝室にあったものです。
カタログに収録されている同名の短編小説では、夜中にトイレから戻ってきた少年が、自分の部屋が消えてしまっていることに気づく物語が語られます。少年はその消失を理解しようと街をさまよい歩きます。
この彫刻作品は、オルデンバーグやモリスのソフト・スカルプチャーを想起させると同時に、重苦しい不確かさ、方向感覚を失わせる蜃気楼、そして戦争によってもたらされる把握しがたい喪失を示唆しています。

The Ungovernables installation view: Cinthia Marcelle (L) and Rayyane Tabet ®
第12回シャルジャ・ビエンナーレ「過去、現在、可能なもの」
こちらは2013年から関わり、15年に手がけた芸術祭です。私は仕事をやめて、アラブ首長国連邦のシャルジャに移住しました。私がこのビエンナーレのために提案した内容には、2年間現地に滞在し、年1回の「マーチ・ミーティング」(2014年および2015年)を2度実施すること、アーティストのためのグループ・リサーチ・トリップを企画すること、そして主にシャルジャで制作される36点の新作コミッションを立ち上げることが含まれていました。
私たちは複数の会場や空間にまたがって51名のアーティストの作品を招き、36点の新作コミッションを実現しました。私にとって非常に興味深かったのは、アーティストたちがリサーチを通じて、そこで見聞きしたものに応答し始めていく過程でした。
特に重要だったのは、2014年のマーチ・ミーティングの前後1週間に、約10〜12名のアーティストが集中的なリサーチに参加し、すべての会場に加えて、考古学遺跡、アート関連機関、職人、大学、砂漠、港などを訪れたことです。そしてマーチ・ミーティング期間中、彼らは互いに、また一般公開の場において自身の実践を発表しました。これにより、アーティスト同士、さらにはリサーチや新作が展開される場所との間に、これまでとは異なるレベルの対話が生まれました。
さらに、アーティストが過去作品を共有することで、来場者はビエンナーレのために制作されている作品を理解するための文脈を得ることができました。
最終的にそれらは、シャルジャ・クリーク(シャルジャ市の中心部とアラビア湾を結ぶ、全長約3.5kmの水路)に面して、多くのダウ船や小型船が停泊している建物のバルコニーから吊り下げられました。

Mark Bradford, Untitled (Buoy), 2015. Iinstallation view, Bait al Shamsi, Sharjah Biennial 12, 2015.
シャルジャは、若者たちにとってクリケットが非常に重要な意味を持つ場所です。父親がナショナルチームでプレーしていたアーティスト、ゲイリー・シモンズは、C.L.R. ジェイムズの言葉「クリケットしか知らない者に、クリケットの何がわかるというのか?」に基づき、《Across the Chalkline》(2015)という作品を制作しました(*記事のトップ画像)。
縮尺を抑えたクリケット上に書かれたテキストは、現地周辺で主に話されている二つの言語であるウルドゥー語とアラビア語に翻訳されています。このフィールドは定期的に子どもたちに開放されており、2022年にはシャルジャ・ビエンナーレ15に合わせて修復されています。
本日お話したいくつかの例から、それぞれのプロジェクトの核にある志向や野心が伝われば幸いです。野心的なプロジェクトを構想する際には、その実現方法を慎重に考えると同時に、十分な注意、時間、そしてエネルギーを注ぎ、発見に向けて開かれた姿勢で現場に身を置くことが求められるのです。
ウンジー・ジュー(Eungie Joo)
サンフランシスコ近代美術館でキュレーター兼現代美術部長を直近まで務める。展覧会制作に加え、言説的、パフォーマティブな実践、新しいプロジェクトやレジデンシーの委嘱にも取り組んでいる。2007年から2012年までニューミュージアムの教育・公共プログラム担当ディレクター兼キュレーターを務め、「ハブとしての美術館」イニシアチブを主導し、『The Art Spaces Directory』(2012年)と『Rethinking Contemporary Art and Multicultural Education』(2009年)を共同編集した。第5回安陽パブリック・アート・プロジェクト/APAP 5」(2016年)のアーティスティック・ディレクター、「シャルジャ・ビエンナーレ12:過去、現在、可能性」(2015年)のキュレーター、「ニューミュージアム・ジェネレーション・トリエンナーレ」(2012年)のキュレーターを務めた。第53回ヴェネツィア・ビエンナーレ韓国パビリオンのコミッショナーとして、『Condensation: Haegue Yang』(2009年)を発表。あいちトリエンナーレ2022「Still Alive」、プロスペクト5(ニューオーリンズ、2021年)、2008年カーネギー・インターナショナルのキュラトリアル・アドバイザーを務める。シンシア・マルセール、アピチャッポン・ウィーラセタクン、ターニャ・ルキン・リンクレイター、アドリアン・ビジャール・ロハス、マーク・ブラッドフォード、トゥアン・アンドリュー・グエンなどの作品に関するエッセイを発表している。カリフォルニア大学バークレー校で民族学の博士号を取得。