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所長ジャーナル:世界とはどこか?
Vol.003 アジアと出会ったころーー「アンダー・コンストラクション」展
文:片岡真実

2026.01.22
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展示風景:「アンダー・コンストラクション:アジア美術の新世代」展、東京オペラシティ アートギャラリー、2002年
撮影:木奥恵三
Courtesy: Tokyo Opera City Art Gallery

私がキュレーターになって最初に訪れた日本以外のアジアは2000年のソウルでした。アートソンジェ・センター[*1]で韓国系アメリカ人のアーティストに着目した「KOREAAMERICAKOREA」[*2]を見て、キュレーターのキム・ソンジョンを紹介されました。開館したばかりの東京オペラシティアートギャラリーと「感覚の解放」展を彼女が知っていたことに驚きましたが、いま思えば、それはアジアと長く続く関係性の予兆だったのかもしれません。実際ソンジョンとはその後、2012年の第9回光州ビエンナーレも含め、いくつものプロジェクトで協働することになります。

日本では1990年代に「アジア美術ブーム」とも言われたこともあり、アジアの存在感は2000年代になってさらに増していきました。その背景には東アジアの奇跡とも言われたアジアの経済発展と1997年のアジア通貨危機という成長と崩壊を経て、強靱な経済構造が模索されていったこともあるでしょう。東京オペラシティ アートギャラリーでは2001年に欧州とアジアのアーティスト10名(組)によるテーマ展「わたしの家はあなたの家、あなたの家はわたしの家」[*3]を開催しました。これはフランス大使館やAFAA(フランスの芸術活動と芸術資源を国外に紹介する公的機関)の主導で、パリを拠点に活動するホウ・ハンルゥとジェローム・サンスが共同キュレーターをつとめ、2000年にソウルのロダンギャラリー(2011年に「PLATEAU(プラトー)」へと名称変更し、2016年に閉館)で開催された展示を再構成したものです。ここですでに欧米からアジアへの関心を見ることができますが、アジアの同世代のアーティストやキュレーターの間では確実に新しい時代の到来が実感され、急速に関係性を強めていました。

展示風景:「わたしの家はあなたの家、あなたの家はわたしの家」展、東京オペラシティアートギャラリー、2001年
撮影:中野正貴
Photo Courtesy: Tokyo Opera City Art Gallery

こうしたなかで2000年に国際交流基金アジアセンターが、アジアの若手キュレーターやアーティストの協働プロジェクト「アンダー・コンストラクション」[*4]を立ちあげました。このプロジェクトでは中国、インド、インドネシア、日本、韓国、フィリピン、タイから選ばれた20代〜30代のキュレーターがまず東京に集まり、それぞれが予算を与えられて各国でローカル展を開催。それを2002年に東京総合展として取りまとめ、43名(組)のアーティストが参加しました。東京展が国際交流基金フォーラムと東京オペラシティアートギャラリーで開催されることになったため、私も東京展のキュレーターのひとりとして参加し、バンコク、バンドゥン、ムンバイ、北京のローカル展も視察。インドネシアのバンドゥンではローカル展に与えられた同じ予算でホワイトキューブのギャラリーが建設され、そこで展覧会も開催されていたことに驚きました。まさにローカル展のタイトルが示すとおり、地元のアートコミュニティにとっての「ドリーム・プロジェクト」だったのです。日本は近代化以降、欧米の美術を追いかけ、西洋美術と日本の美術の関係性を主眼においてきましたが、アジア諸国を訪れてみると、とりわけ被植民地の歴史がある国では元宗主国の文化、言語、宗教などの影響が色濃く残る一方で、日本と同様に対欧米という観点で美術が論じられてきたことが分かりました。実際、同世代のキュレーターの殆どは自国以外のアジアへの訪問は初めてでした。また伝統文化と近代、欧米の美術的価値観との対峙や相克も共通した課題であることも学びました。ローカル展では伝統と現代、美術と工芸、日常と幻想、都市と地方などの対比構造がしばしば論じられ、東京展のために複数のローカル展を統合する議論では、①日常生活、居住性、サブカルチャー、場、コミュニティとの共同作業、②ハイブリッド、交換のプロセス、変容、経済、移動性、あちらこちら、海、③記憶、エニグマ、ファンタジー、夢といった多様なキーワードが二会場に振り分けられました。ただ、ローカル展では可能だったことが東京では出来ず、例えば簡単な大工材料も高価になることを分かってもらうために、軽トラをレンタカーしてタイの作家と一緒にホームセンターに買い出しに行ったこともあります。ローカル展では初めての環境だったこともあり、急成長する地域の熱気やエネルギーに包まれる高揚感もありましたが、そうした熱量が東京のホワイトキューブでは消滅してしまう、東京の観客に上手く伝わっていないというジレンマもありました。その場で何かがアドリブで起こるようなことが、整備され、制度化した環境では起こりにくいことも実感しました。限られた知識と体験に基づいた展覧会で、いま思えば突っ込みどころ満載なのですが、ここで壮大なアジアに対峙した私自身の無知や無力感は、その後の人生における幾つかの選択の決め手になったと言えるかもしれません。

展示風景:「アンダー・コンストラクション:アジア美術の新世代」展、国際交流基金フォーラム、2002年
撮影:木奥恵三
Courtesy: Tokyo Opera City Art Gallery

タッサナイ・セータセーリー《サンタが街にやってくる》2002年
展示風景:「アンダー・コンストラクション:アジア美術の新世代」展、東京オペラシティ アートギャラリー、2002年
撮影:木奥恵三
Courtesy: Tokyo Opera City Art Gallery

小沢剛《ベジタブル・ウェポンーアジア版》2001-2002年
撮影:木奥恵三
展示風景:「アンダー・コンストラクション:アジア美術の新世代」展、東京オペラシティ アートギャラリー、2002年
Courtesy: Tokyo Opera City Art Gallery


「アンダー・コンストラクション」展に至るまで、日本ではアジア美術に関するさまざまな蓄積がありました。日本におけるアジア美術との出会いの場としては、1979年に開館した福岡市美術館が起点にあると言って良いでしょう。同館は開館記念展に「アジア美術展第1部 近代アジアの美術~インド・中国・日本~」と翌1980年に「福岡市美術館開館1周年記念特別展 アジア美術展第2部アジア現代美術展」(アジア13カ国の現代美術を紹介)を開催するなど、当時各地に創設されていた地方美術館のなかでアジアに着目した最初の美術館となりました[*5]。発端は1973年、ユネスコの組織のひとつである「国際造形芸術連盟(IAA)」の総会で、世界の文化圏ごとに美術家は自国の伝統を見直し、時代の要求に答える新しい美術を創造するという決議が採択されたこともあります。連盟の日本委員会がそれを受けて、国内の美術館にアジア地域の現代美術展開催を働きかけたところ、美術館建設を推進していた福岡市が賛同したという経緯がありました。開館後も「アジア美術展」を1985年、1989年、1994年に開催したほか、アジア人作家の個展や国別展、歴史展など極めて重要な展覧会を数多く発信しました。なかでも1994年の「第4回アジア美術展」は世田谷美術館等に巡回。同年、広島市現代美術館で第12回広島アジア競技大会の芸術展示公式プログラムとして「アジアの創造力」展が開催されたこともあり、全国でアジア美術が注目されました。1999年にはアジア部門が独立して福岡アジア美術館が開館し、「第1回福岡アジア美術トリエンナーレ1999」が開催。2014年の第5回まで開催されました。福岡アジア美術館ではアジア美術に関する資料を、同館のオンラインサイト「アジア美術資料室」で公開しています[*6]。オンラインでアジア美術を学べる貴重なサイトです!
もうひとつの主要なイニシアティブとしては、外務省の外郭団体である国際交流基金(1972年設立)が1990年に開館した国際交流基金アセアン文化センターがあります。当時のASEAN(東南アジア諸国連合)は原加盟国5カ国にブルネイを加えた6カ国。そもそもベトナム戦争が激化する1967年に東南アジアの平和と安定のために発足したASEANは政治的な側面が強かったのですが、現在では経済面の関係性も重視され、10カ国が加盟する地域共同体となっています。先行してアジア美術に取り組んでいた福岡市美術館との協働や共催も多くみられます。1992年に開催された「東南アジアのニュー・アート:美術前線北上中」展[*7]は大規模なもので、ブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイの6カ国から17作家が参加し、東京芸術劇場展示ギャラリー、福岡市美術館、広島市現代美術館、キリンプラザ大阪にも巡回しました。1997年には「東南アジア1997 来るべき美術のために」展[*8]が東京都現代美術館で開催され、広島市現代美術館に巡回。こうした企画には各館のキュレーターが現地調査を重ねますが、その蓄積が知識の共有や関係性の構築には不可欠です。この間、国際交流基金は1994年に国際交流基金フォーラムを開設、1995年にはアセアン文化センターが国際交流基金アジアセンターとなり、展覧会やシンポジウムなど精力的にプログラムを発展させていきました。その後2004年には一旦国際交流基金本部に統合され、2014年から2022年4月までは新しいアジアセンターも設置されました。アセアン文化センター時代から長らく美術事業を牽引した古市保子さんは人材交流や次世代の育成に尽力され、私も大変お世話になりましたが、まさに日本とアジアを繋ぐ架け橋でした。古市さんがまとめられた「国際交流基金アジア美術アーカイブ」[*9]には大変貴重な資料が詰まっています。

90年代の世界の状況も見ておきましょう。1989年にパリで開催された「大地の魔術師たち展」が非欧米圏と欧米圏の美術の実践を併置させた展覧会として良く知られています。アジア地域では、1993年にオーストラリアのクイーンズランド州立美術館で「アジア・パシフィック・トリエンナーレ[APT]」[*10]が発足。同館の収蔵計画とも連動する重要な展覧会シリーズとして発展を続けています。同じ年の「ホイットニー・ビエンナーレ1993」[*11]は政治性、社会性やアイデンティティの問題に取り組んで大きな議論を巻き起こし、主要美術館がいかに多様な社会に関与していけるのかが問われました。1995年には韓国で光州ビエンナーレ[*12]が創設。これは韓国の民主化運動の転換点となった1980年の光州事件の地であることに重要な意味がありました。1996年にはシンガポール美術館[*13]が開館。現在では2015年に開館したナショナル・ギャラリー・シンガポールと並び、東南アジアを中心に世界のアートを精力的に蒐集・紹介しています。
2000年代には日本でも越後妻有トリエンナーレ[2000〜]、横浜トリエンナーレ[2001〜]、愛知トリエンナーレ[2010〜]、瀬戸内国際芸術祭[2010〜]など多くの大型芸術祭が創設され、アジアのアーティストも頻繁に紹介されています。2003年のヴェネチア・ビエンナーレではホウ・ハンルゥ企画の「Zone of Urgency」でアジアのアーティストが多く紹介され、その後も世界各地の国際展で常連になったアジアのアーティストは少なくありません。

アジアの経済成長や人口増加は続き、2025年も台湾やタイなどで多くの美術館が開館しています。私がアジア美術に出会ってから30年が経過し、その間に自らの知らない世界の扉を少しずつ開いてきましたが、アジアは変わり続けています。この世のあらゆることがそうであるように、知れば知るほど、知らない世界の大きさを実感するものです。「アンダー・コンストラクション」展以降のアジアでの学びについては、また次回以降に書きますね。



[*1]アートソンジェ・センター

[*2]「KOREAMERICAKOREA」アートソンジェ・センター、2000年

[*3]「わたしの家はあなたの家、あなたの家はわたしの家」東京オペラシティアートギャラリー、2001年

[*4]国際交流基金「アンダー・コンストラクション」

[*5]アジア美術展(福岡市美術館)

[*6]アジア美術資料室

[*7]国際交流基金「東南アジアのニュー・アート:美術前線北上中」

[*8]国際交流基金「東南アジア1997 来るべき美術のために」

[*9]国際交流基金アジア美術アーカイブ

[*10]Asia Pacific Triennial[APT]

[*11]ホイットニー・ビエンナーレ1993

[*12]光州ビエンナーレ

[*13]シンガポール美術館

(上記URLは全て2026年1月22日最終確認)


本連載について
「所長ジャーナル|世界とはどこか?」は、ICA京都所長・片岡真実が体験した、過去の展覧会等を手がかりに、「世界」への認知・場所性を読み解いていくためのシリーズです。2025年度はキャリアの原点となるいくつかの展覧会を紐解きながら、世界とは何か、考えていきます。



執筆者プロフィール

片岡真実(かたおか・まみ)
ICA京都所長。京都芸術大学大学院教授。森美術館館長、国立アートリサーチセンター長。第9回光州ビエンナーレ(2012年、共同芸術監督)、第21回シドニー・ビエンナーレ芸術監督(2018年)、国際芸術祭あいち2022芸術監督を歴任。2014年〜2022年国際美術館会議(CIMAM)理事/会長。2017-2019年度京都芸術大学KUA・ANNUALディレクター。