GAT 041 リー・キット
ぼくに何をして欲しい?
GATに招かれたリーは、「ぼくに何をして欲しい?」と問いかけ、今回のトークのタイトルになった。以下は2023年10月4日に行われたトークの抜粋である。
構成:高嶋慈
アーティストであろうとすること
これは、水玉のようなものがたくさんあるスケッチです。10年前に描いたものですが、10年経って、まだここに留まっている状況です。
私の考えでは、すべてのアーティストが特別であって、同時に、何も特別ではないと思います。普段、公共手段で移動するとき、隣に座っている人を見ると「この人は特別な人だ」、「アーティストであることは、特別なことなのだろうか」と思って生活しています。
自分は、何の結論もないまま何かをしているということで、アーティストであって、別に特別ではないと実感しています。偶然に人と出会い、何かを実践する。この偶然性が自分の中で重要です。私はまったく合理性がないけれど、同時に非常にロジカルでもあると言えます。今お見せしている水玉のような泡も、空気の中にあるコンセプチュアルなものや、日々の生活にあるものを示しています。
これはまったくコンセプチュアルなスケッチではなく、即興的なものです。これが良いかどうかが問題ではなくて、人や素材やホテルの部屋、窓から指してくる光などに日々出会い、それはふと入ってくるものです。それによって意味を作り上げるというより、それをつかんで会話のようなものをおこなう。それは出会いのようなものだと思います。
このスケッチは人生の中の30秒くらいの出来事だと想像してみてください。物事は常に移り変わっています。アーティストとして、人間として、私は何をやっているのか?おそらく、こうした感じのスケッチを常にしているんだと思います。展示やトークなど、何かをすること自体がクリエイティブなんです。学生時代から、アーティストとはすごくクリエイティブな存在だと学んできたんですが、実際、アーティストになってみるとクリエイティブではまったくなくて、ただのキャリアのひとつなんです。
こうしたスケッチを用いて皆さんにお見せできるのは、どうやって私が、あるいは私たちみんなが空気の中から何かをつかむことができるのか。それは、世界の中、社会の中、アートの中でつかむ行為ですが、それをどのようにより膨らませていけるのか。このスケッチの美しさはどこにあるのか。その美しさは、視覚的な美しさではなくて、その局面で起こっている何かの美しさです。
孤独感について
この展示は、原美術館での展示です。現代アーティストがやっていることはすべて、都市生活についてだと思います。都市生活で確認できることは、孤独感だと思います。

We used to be more sensitive
2018, Hara Museum, Tokyo, Japan
Courtesy of Lee Kit
いろんな人と孤独感について話すと、悪いことや悲しい感覚として描写されます。自分にとってはまったくそうではなく、楽しめますし、孤独感は常に必要なものだと考えています。そして私は、孤独感の背後に何があるかを見せようとしています。
本当は背景そのものになりたいと願うのですが、それは難しいので、だから展示を作る必要があります。
私の展示の仕方は、例えば、展示空間にあった窓を壁で覆ってしまおうとして、その作業を美術館側がしている最中に、この窓が見えたので、「全部覆ってしまわないで」とお願いしました。少し光が差している状態にしてもらいました。
この建物は、実際に原一族が使っていた建築物です。だからこの展示のために、わざわざインスタレーションを作り直すことはしませんでした。むしろ、この原家の古い空間にデコレーションをして、元々の感覚を宿すことを考えました。デコレーションをすることで、私のエゴがなくなっていきました。そのプロセスを楽しみ、東京に滞在する時間自体も特権でしたし、ホテルで暮らして、孤独感も楽しめました。

We used to be more sensitive
2018, Hara Museum, Tokyo, Japan
孤独感は東京だけでなく、ロンドンだったり、ニューヨークだったり、私の出身の香港にもあるのですけど、東京ではより進化したレベルでそれを味わうことができると思います。東京にいる限り、孤独感をまるでSMのように味わうことができます。SMの体験によって私はすごく安らぎを感じることができます。SMとは、ポルノに出てくる行為としてのSMではなくて、変化のないスピードと音のないところで味わう孤独感のことです。
極端な孤独感に私は美を見出します。それに直面することで、言葉にできないことからインスピレーションを受ける可能性が出てきます。
置き去りにできないもの
これは2018年の最近、ネパールのカトマンズでの展示です。とても美しい場所だったのですが、ここでどうやってインスタレーションができるのか、まったく分からない状態でした。

Something you can’t leave behind, 2017
Installation view at Kathmandu Biennial, 2018
Courtesy of Lee Kit
丸い窓のある古い建物で、このような同じ部屋が2つありました。レディメイドのオブジェとして、あるものは何でも使おうと思い、丸い窓にカーテンを付けようと考えていたら、突然、私は自分自身が絵描きだということを思い出したんです。それで、窓に色を塗りました。窓の向こうに庭があって、庭に見られている感覚があったので、プライバシーのために窓に色を塗って、自分を隔離しようと思いました。
透明なアクリル絵の具を何度も窓に塗りました。そうすると、太陽の光の様子が変わりました。そこからインスタレーションが始まりました。私にとって自然と、何をしたらいいのかが次々と出てきました。そのあと街に出て、道端でキャビネットを見つけて、持って帰りました。

Courtesy of Lee Kit
タイトルは、《Something you can’t leave behind》(2017) という作品です。タイトルを日本語に訳すと「置き去りにできないもの」という意味になります。カトマンズ市では以前、大地震が起きました。長い時間をかけて再建したのですが、そこにはなにか置き去りにできないものがあるはずだと思いました。それは空気中に感じたことなのですが、そうした歴史がカトマンズや人々の生活にあると思いました。
もう1つの窓があるので、カトマンズに持っていったスニーカーの片方を庭に置いて、もう片方は部屋の中に置きました。それをアート作品と見なすわけではなく、何か置き去りにされたものです。見ていると親近感がわくものです。
毎回インスタレーションを作るのは難しいです。ただ始めてみて、例えば自分が持っていったスニーカーとか何か1つ要素を見つけると、そこから始めます。
自分自身は絵描きだと思いますが、レディメイドを扱っています。毎回、空間にある要素を見つけて、それがレディメイドであって、そこには歴史的な要素も含まれています。空間の中で見えないものを嗅ぎ取ったら、それをつかんでレディメイドにしていく。自分自身の絵画もレディメイドのデコレーションになっていく。
これは2003年の作品です。2003年にもパンデミックがありました【*1】。当時、私は学生でした。教授の質問に答えないといけないんです。生地に色を付けて抽象化したら絵画であると説明できると思い、このテーブル自体をクラフトとして使いました。

Sunday afternoon:Picnic with friends and hand-painted cloth at Yung Shu O, Sai Kung, Hong Kong.
2003, Acrylic on fabric, photo document
Courtesy of Lee Kit
20~30個ほど、この手作りのクラフトを作って、色んなところで見せました。ただ、2003年のパンデミックが到来しました。ここに写っている手は、当時、私が好きだった人の手です。ピクニックに行こうと誘われて、特に何もやることがなかったので行きました。
このピクニックをカメラで撮った写真を見て「これは何か新しいことを始めるきっかけになるかもしれない」と思いました。手描きの布そのものは、誰にも読めない日記のようなものですが、それを日常生活の中に取り入れることで、何かを提示する新しい方法が生まれるのではないかと思いました。
その後、私はこのテーブルクロスをオープンスタジオの夜に使用し、香港の屋外レストランで展示しました。この絵画のプロセス自体、非常に時間がかかります。絵を描くだけではなく、1つ1つ、自分の手で何度も洗います。香港人は効率性を求めます。私は当時、お金がなくて、仕事をしなければいけなかったんです。仕事以外の時間は、これらの手描きの布を作ることに多くの時間を注ぎ、何度も何度も手洗いしました。その間、いったい効率性とは何かと問いかけました。それまで私は、香港にずっといたので、効率性に洗脳されていました。
その後、ニュージーランドのウェリントンのレジデンスに招かれて、2007年から2008年、1カ月ほど滞在しました。人々の生活がとてもゆったりしていて、その効率性のなさに何も政治的な意味がないんです。私はそれがすごく気に入りました。

Right:An afternoon with Ron and Mark, hand-painted cloth used as tablecloth. 2008
Left:Using hand-painted cloth to clean windows, Wellington, New Zealand. 2007
Courtesy of Lee Kit
レジデンスの後に、ニュージーランドで日々接していた人に、その布地をクッションケースにして、その上に「ID please」と書いて送りました。送った相手は、ニュージーランドのコンビニで働いていた人です。
そのコンビニに私はほぼ毎日通っていて、挨拶し合う仲なのに、毎回「IDを見せて」と言われるんです。それに対して「友達なのに、IDを求めるのか」と問題提起をして、人生はそんなに美しいものではないと示しました。そういう最悪なものを何人かに送ったのですが、ささやかな政治的行為だと思います。私自身は自分のことを政治的だとは思いませんが、常に政治には興味を抱いています。この行為の後、私は様々な面で政治的だと気づきました。
この作品では、絵が描かれたテーブルトップを用いています。私はそのテーブルに向かい、5年間ずっと傷をつけ続けました。そこに穴を開けたかったのです。

Scratching the table surface, 2006 – 11, Acrylic on plywood, 300 postcards
Courtesy of Lee Kit
【*1】ここでリーが述べているのは、SARS(重症急性呼吸器症候群)のこと。SARSコロナウイルスによる全身性の感染症患者の発見を皮切りに感染は急拡大。2003年 3月12日にWHOから「グローバルアラート」が出された。
リー・キット(李 傑)
1978年香港生まれ。台湾を拠点に活動。香港中文大学美術学部卒業。主な展覧会に「Lovers on the beach」West Den Haag(デン・ハーグ、2021)、「Resonance of a sad smile」Art Sonje Center(ソウル、2019)、「僕らはもっと繊細だった。」原美術館(東京、2018)、「I didn’ t knowthat I was dead」OCAT(深圳、2018)、「A small sound in your head」S.M.A.K(ゲント、2016)、「Hold your breath, dance slowly」ウォーカーアートセンター(ミネアポリス、2016)、「The voice behind me」資生堂ギャラリー(東京、2015)、「‘You (you).’」第55回ヴェネチア・ビエンナーレ(香港代表として、2013)など。
2015年、シャンタル・ウォンと協働し、香港の深水埗に非営利アートスペース「Things That Can Happen」を設立した。