文化時評38
田附勝『ママ』写真集と個展@GALLERY SIDE 2 かけらを継ぐ者
文:清水 穣
1枚の写真は世界の1つの断片であるが、自らが何の断片であるかを一義的に主張できない。だから言葉に対して無防備であるが、その反面、どんな言葉に対しても絶対的に中立である。平凡な風景写真に「かつての処刑場」とキャプションを付け、ありきたりの人物写真に「撮影時すでに末期癌だった」などと言い添えれば、写真の見方は大きく影響されるだろう。が、写真自体は変化しない。写真が言葉に染まることはなく、写真は饒舌な語り部の道具にはならない。その一方で、写真のなかの細部が、見る者の知識や経験を刺激して、記憶や連想、断片的な物語を導くことはある。多数の写真、多数の断片を継ぎ合わせれば、断片になる以前の「全体」を無理なく暗示することくらいはできるだろう。
本展覧会には、同タイトルの写真集『ママ』が付随している。そこに寄せられた作家の文章は、そこに収められた写真全体に決定的な意味を与え、いわば全体の答え合わせのようになっている[*1]。この「答え」を、写真作品自体から無理なく読み取ることは不可能だろうか。
『ママ』は、奥付の位置から左開きの本である。表紙は仏壇の写真なので、これが亡くなった『ママ』への追悼と追憶の写真集であることが最初に明かされる。仏壇には母、兄、妹の家族3人のスナップ写真が添えられ、写された兄妹ともにまだ子供なので、タイトルの「ママ」はこの子どもたちから発せられる言葉だとわかる。家族のスナップで妻と二人の子供を撮影する人といえば「パパ」であろう。「パパ」は、縦位置画面のフレーム中央にママを置き、右のソファーテーブル上のケーキ(誕生ケーキ?苺の数からして6歳くらい?)をも入れたために、ソファに座った兄は左隅で切れている。この「パパ」はこの写真集のどこにも現れない。これが最初の謎である。

田附勝 《裁縫箱 2025 撮影:2024年4月 富山県》 <ママ>より

田附勝 《ベットカバー(寄り)2025 撮影:2024年2月 埼玉県》 <ママ>より

田附勝 《ティッシュケース 2025 撮影:2024年8月 富山県》 <ママ>より

田附勝 《巾着袋 2025 撮影:2024年2月 埼玉県》 <ママ>より
2枚目から遺品の静物写真が始まる。以降、順に見ていけば、裁縫箱の中。片隅に置かれたキルトのバッグ。キルトの縫い目の接写写真(多数)。キルトのティッシュケース。可愛いキャラクターやぬいぐるみ、アップリケ。キルトの壁掛け(複数)、つややかな薬缶とキルトの鍋敷き、鍋つかみ(キッチンの片隅)。電気ヒーター(?)のカヴァー(ミッキーマウスのワンポイント付き、もちろんキルト)。「Reiko」(妹だろう)のためのキルトのポシェット。「マサル」(兄の方である)のためのキルトの巾着(ミッキーマウスのアップリケ付き)、キルトのベッドカヴァー、折りたたみの椅子と四角いキルトのクッション、キルトの材料となる端切れ。母の裁縫仕事の作業台(暗がり)、母のポートレート、主を失ったリヴィングソファとキルトの壁掛け。
これらの写真群から、何がわかるだろうか。まず、この「ママ」がひたすらキルトを制作していることである。裁縫を趣味とする彼女は、古着を繕い、子どもたちに必要な衣服や布製品などはすべて自作していたのだろう。そこから出た端切れは、次々とキルトへと作り変えられていった。しかし壁掛けなどの大作を見れば、それは端切れのリサイクルのレベルを遥かに超えて、キルトは彼女の積極的な制作であり、作品であったことがわかる。第2の謎は、彼女のこの執拗な情熱である。
キルトの接写写真や、裁縫箱の指ぬきなどは、縫い目の写真であり、指ぬきをはめた「ママ」が、一針一針、キルト制作にかけた時間を映し出す。緊密に揃った縫い目もあれば、不揃いのそれもある。それぞれに「ママ」の心理状態を反映している。磨き抜かれた薬缶、清潔なキッチンの壁、作業時に「ママ」が腰掛けていたであろう折りたたみ椅子の背の合成皮革の、拭きぬかれたような輝きを見れば、彼女の几帳面な性格が知られる。

田附勝 《作業で使った母の椅子 2025 撮影:2024年7月 富山県》 <ママ>より

田附勝 《使われなくなった作業台 撮影:2024年7月富山県》 <ママ>より
写真のトーンは全体にアンダーである。喪の写真集であるからそれは当然とも言えるが、母の肖像の直前に登場する、彼女の作業台の写真、写真集の中で唯一見開きの写真であり、この旺盛なキルト作家の創作の舞台の写真のほぼ半分が暗がりに沈んでいることには、意味があるはずだ[*2]。それは、キルト制作に暗い側面があることを示唆する。とすれば、キルト制作にかけられた情熱ないし固執は、この暗い側面に因るだろう。それが、この写真集のどこにも現れない「パパ」と関係しているだろうという推測は難しいものではない。暗がりは「パパ」の属性である。彼は「マサル」が6歳くらいまでは、いた。その後、いなくなった。
キルトとは、バラバラの端切れを、あたらしい秩序のもとに継ぎ直す芸術である。一つ一つの端切れ(生地、古裂)には来歴がある(子供のときに大好きだった、それを着て動物園に行ったね、など)。言い換えれば、端切れが現役だった頃とは、まだ「パパ」がいた時期なのである。そしてキルトはすでにその当時から制作され続けている。キルト制作の情熱とは、ばらばらのものを、そのつど新たに継ぎ直す情熱である。もうおわかりだろう。「パパ」の「暗がり」のせいで、バラバラになりそうなのは家族である。絶えず、家族は砕け散る危機に見舞われた。「ママ」はそれをことごとく継ぎ直し続けたのである。キルト制作は、彼女の抵抗であった。「マサル」はそのガーディアンであった。

田附勝 《火星表面から初の写真 2018 1976年(昭和51年)7月21日 朝日新聞 撮影:2016年3月15日 東京都杉並区》 <KAKERA>より
田附勝にはKAKERAというシリーズがある。各地の博物館を訪れて、縄文土器のかけらを、収蔵箱の下敷きになっていた当時の新聞とともに撮影するものである。1万年続いた縄文時代、新聞に切り取られた収蔵時の時間(昭和初期〜)、そしてそれを「いま」見ている我々の現在、さらには、我々の文明もまたKAKERAとなるだろう遠い未来を重ね合わせた作品である。おそらく母のキルトの写真を撮るうちに作家は、それが写真を撮り(断片にし)写真集や展覧会を構成する(継ぎ直す)行為と何ら変わらないことに気がついたのだろう。
田附勝 「ママ」 ー 森岡由利子の陶芸とともに
GALLERY SIDE 2
2025/12/13 – 2026/01/30
[*1]その答とは以下の通り:「僕が小学三年生か四年生になった頃には、“あいつ”が母に暴力を振るったり、暴言を吐いたり、家の中にあるものを壊したりする姿を強く認識するようになった。妹も小学校へ行き始めると、母は結婚を機にやめてしまった看護師の仕事を再び始めた、母が家事と仕事を両立するようになってから、さらに暴力や暴言がひどくなったが、やがて“あいつ”が家を出ることになり、別居生活が始まった。母と僕と妹がそれまでと同じ家でしばらく過ごしていたある夜、突然、“あいつ”が大声を上げて玄関の扉を開け、家へ入ってこようとした、妹は急いで玄関に向かい、扉のノブを必死に引っ張り閉めようとした。それでもこじ開けて入ろうとする“あいつ”に向かって、剣道を習っていた僕は竹刀を振り下ろし、力一杯に叩いたり、突いたりした。“あいつ”が痛がる様子を目にして達成感のようなものが湧き上がってきて、そんな感情を抱く自分自身が恐ろしくなった。」 『ママ』写真集最後のページから
[*2] 「ほぼ半分が暗がりに沈んでいるという」文中の描写は、ここに揚げた写真データではなく、写真集のなかの写真についてのものである。
執筆者プロフィール
清水 穣(しみず・みのる)
批評家、同志社大学教授。1995年『不可視性としての写真 ジェームズ・ウェリング』で第一回重森弘淹写真評論賞受賞。『BT美術手帖』『ICA Kyoto Journal』といった雑誌媒体に批評を連載する傍ら、数多くの写真作家の図録や写真集にテキストを書いている。主な著訳書として:『白と黒で:写真と・・』(現代思潮新社、2004年)、『写真と日々』(同2006年)、『日々是写真』(同2009年)、『プルラモン 単数にして複数の存在』(同2011年)、『陶芸考』(同2016年)、『デジタル写真論 イメージの本性』(東京大学出版会、2020年);『シュトックハウゼン音楽論集』(現代思潮新社、1999年);『ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論』(淡交社、増補改訂版2005年)など。