ICA Kyoto TALK 059
アジアにおける比較美術史:1990年代以降のタイと日本のアートプラクティス
ゲスト:クリッティヤー・カーウィーウォン
photo: Oto Hana
京都市京セラ美術館の講演室で開催となったこの会も多くの人が集い、近年ますます勢いが増すタイのアートシーンの背景にある歴史や特性について学んだ。
構成:奥田奈々子
タイの現代美術を西洋的(つまり科学的で近代的な「一直線の時間軸」)に沿って語ることは困難であると、クリッティヤー・カーウィーウォン(Gridthiya Gaweewong:以下、カーウィーウォン)は話す。タイ、とりわけ「輪廻」や「再生」を信じる仏教的文脈の下では、時間は直線ではなく円を描く循環的な性質を持つ。この「循環する時間」と「直線的な時間」という二重性が、タイの政治、そして、現代美術の進展に影響を与えているのだ。
1990年代以降、タイの現代美術は円を描くように循環しながら進展してきた。ある時期は草の根的なアーティスト・ラン・イニシアティブが美術界を牽引し、またある時期は、国家の文化政策や民間コレクター、美術館といった異なる力学に取り込まれていくといったように。それぞれが過去の痕跡を保持しながらも、アートシーンを新たな方向へと押し進めてきた。
「タイの政治がしばしば後退するような動きを見せる一方で、アートシーンは政治的状況とは異なる方向に進み続けています。この対比こそが、タイの現代美術を魅力的なものにしているのです。タイのアートシーンが示す姿勢は、「危機の時代」における、しなやかな強さ、抵抗、そして回復力と創造性の証でもあるのです。」

Art Movements in Thailand within Social Context (1932–2020s)
当日のスライドから(提供:クリッティヤー・カーウィーウォン)
街をギャラリーに変えた CMSI の革命
タイ国内で初めて本格的な美術教育機関[*1]が設立されたのは、1930〜40年のことだった。以降も美術を専門的に学ぶためには、バンコクの学校に行く必要があり、地方の都市では美術教育の機会がなかった。そのため、若手アーティストはバンコクに集まる傾向にあり、結果として中央集権的な環境が形成された。
1980年代、チェンマイ大学に美術学部が開設され、ようやく地方分散の動きが芽生えはじめる。しかし地方、とりわけ北部では、美術を学ぶための環境やインフラが十分に整っているとはいえず、若いアーティストたちは寺院や市場といったオルタナティブな空間を自分たちの展示の場として活用し、作品を発表していった。
1992年、チェンマイで特筆すべきムーブメントが起こる。アーティストが中心となり、美術館で作品を発表する代わりに寺院や市場、墓地など街なかを会場に作品を発表する「チェンマイ・ソーシャル・インスタレーション(Chiang Mai Social Installation、以下、CMSI)」と呼ばれるアートプロジェクトを立ち上げたのである。タイにおける、「実験的アート」や「コンセプチュアル・アート」の到来といえた。
CMSIは自主プロジェクトとして毎年開催されたが、1997年にチェンマイ大学が政府助成を受けて附属美術館の設立を計画すると、プロジェクトは終結し、関係者は新しい美術館づくりに注力するようになった。
「CMSIは単なるフェスティバルではなく、アートと日常、アーティストとコミュニティの間のヒエラルキーを打ち破り、アーティストステートメントを表明するための場でした。バンコクの文化的独占にも挑戦するもので、チェンマイは突如として実験・協働・コミュニティに根ざしたアートの実験場となったのです。 」

CHIANGMAI SOCIAL INSTALLATION, 1993
当日のスライドから(提供:クリッティヤー・カーウィーウォン)
新しい独立系スペースの興隆
1990年代半ばになると、バンコク内で独立系のアートスペースが現れるようになる。その代表が1996年に、カーウィーウォンが、シカゴの学生時代の友人らや地元のアーティストとともにはじめたアートスペース「Project 304」[*2]や、クラオマート・イプインソーイ(Klaomard Yipintsoi)とパートナーのノパドン・カオサム=アング(Nopadon Kaosam-ang)による、「About Cafe 」だった。
「Project 304」は、新しいメディアや政治的な関与があるアートのハブとなり、スラシー・クソンウォン(Surasi Kusolwong)のほか、韓国のアーティスト、クー・ジョンア(Koo Jeong A)、そして日本からは、小沢剛といったアーティストの作品を紹介していた。「About Cafe」では、カフェとアートスペースのハイブリッドな場として展覧会や多様なプログラムが展開され、人々が一緒に食べ、語り合い、 アートを生み出すための土壌になっていった。また、「TADU Contemporary Art」は、タイ・ヤーンヨン・グループ(Thaiyarnyon Group:タイを拠点とする自動車関連企業)が創設した現代アート・ギャラリーで、国内外のアーティストの作品を紹介し、商業的実践と実験的実践の橋渡しをする役割を果たした。
「これら3つのスペース(Project 304、About Cafe、TADU Contemporary Art)は、若いアーティストが新しいアイデアを試すためのネットワークを形成し、国家管理や経済的制約から距離を置いて活動できる場を提供しました。DIY精神が重視されていた点は、当時の東南アジア全体に広く共有された傾向でもあります」

About Cafe/About Studio
当日のスライドから(提供:クリッティヤー・カーウィーウォン)
アジア通貨危機とアートの応答
1990年代後半、タイ国内、ひいてはアジア全域を揺るがす事態が起きた。1997年に起きたアジア通貨危機(Asian Financial Crisis)[*3]である。タイからはじまったこの経済危機は、やがて韓国、インドネシア、マレーシア、フィリピンなど東南アジア全域に波及した。経済はほぼ一夜にして崩壊した。
「タイ国内のアートスペースのいくつかは、経済的な困難に耐えられず閉鎖を余儀なくされました。一方で、この危機はアーティストにとって挑戦であり、内省の機会でもありました。作品のテーマにも不安定さ、脆弱性、そしてグローバリゼーションがより鋭く反映されるようになっていったのです。急速な近代化を進めてきたタイにとって、突如の崩壊はアジア全体の大きな物語の一部として俯瞰し、捉え直すための契機となったともいえます。」
1990年代の終わりは、タイのアートシーンにとって大きな転換期にあたる。というのも、当時、ヨーロッパを中心に巡回していたアジアの急速な都市化・グローバル化・社会変容を芸術的に可視化した展覧会「Cities on the Move」(1997–1999)[*4]の、巡回開催地にバンコクが選ばれたのだ。
1997年の経済危機の発生地であることを考えると、バンコクでの開催はある種、理にかなっているように思われる。しかし1990年代後半のバンコクでは美術館や作品を展示するためのスペースが十分に揃っておらず、都市内の小規模から中規模のアートスペースや公共空間を巻き込み、作品展示が行われることとなった。
「展示形式はCMSIの活動をバンコクで再演したようでもあり、とても興味深いものでした。チェンマイの実験精神が、国際展の枠組みの中でバンコクに拡張されたのです。「Cities on the Move」はアジアのアーティストを世界との新たな対話へと導きました。」

Cities on the Move, Bangkok (1999)
当日のスライドから(提供:クリッティヤー・カーウィーウォン)
制度化するアート── 終わりから芽吹くもの
2002年、タイ政府は伝統文化と現代文化を包括的に管轄するために文化省(Ministry of Culture Thailand)を設立し、その下部組織として「現代美術局(Office of Contemporary Art and Culture)」[*5]を設置した。それ以前のタイ国内では、芸術助成制度は整備されておらず、アートは自主的また民間に依存した環境下にあった。
文化省が設立された後、タイはヴェネチアビエンナーレへの、初の参加が決定した。ヴェネツィア・ビエンナーレへの参加はタイにとって、国際的な舞台へと参入する歴史的な第一歩であった。しかし当時、タイの国勢はパビリオンを建設するだけの資金が十分になく、アーティストたちは自ら「サーラー(sala)」と呼ばれる小規模な仮設パビリオンを建設し、そこで作品を紹介した。
キュレーションは同年に、現代美術局の顧問に就任したアピナン・ポーサヤーナン(Apinan Poshyananda)がおこなった。タイのアートシーンにおいても徐々にインフラが整い始め、文化・経済的基盤が強化される。一方で、オルタナティブ・スペースの衰退が見られるようになる。カーウィーウォンらの主宰する「Project 304」も例外ではなく、2002年に活動の幕を閉じた。
「Project 304での活動の終盤、私たちはほとんどの時間を資金調達に費やさねばなりませんでした。当然その労力と消耗は大きく、広州ビエンナーレへの参加を最後の機会に活動を終えるべきだと判断をしました。活動の停止は、私たちがこれまで批判してきた制度的存在に自らがなってしまうことへの警戒でもあったのです。」
オルタナティブ・スペースが衰退していく一方、タイの現代美術の進展をめぐる新たな動きがみられた。2003年タイ国内の非営利団体財団であるジム・トンプソン財団(Jim Thompson Foundation)による、現代美術を扱う私設美術館「ジム・トンプソン・アートセンター」の設立である。同財団はかねてより、ジム・トンプソンの個人邸宅を改装した美術コレクションを紹介する「ジム・トンプソン・ハウス・ミュージアム」を運営していたが、現代美術、特に若いアーティストや中堅の作家を紹介する、私設の美術館ができたことは、タイのアートシーンにおいて「新制度時代」の幕開けとなった。

The Jim Thompson Art Center & The James H.W. Thompson Foundation
当日のスライドから(提供:クリッティヤー・カーウィーウォン)
BACC構想 市民運動から生まれたアートセンター
1995年、バンコク都知事は「バンコク都心に現代アートセンターを建設する(Bangkok Art and Culture Centre, 以下BACC)」という構想を打ち出していた。しかし、2001年に新たに就任した別の都知事によって計画変更が公表され、計画地には大型のショッピングモールができるという方針が発表される。このことを受け、街では、アーティストや学生を中心とした大規模な抗議運動[*6]が起きた。最終的に市は、アーティストや文化関係者の要請を受け入れ、芸術コミュニティのための施設を建設することを決定した。
こうした経緯の末、バンコクでは初となる、現代美術に特化した公共のアートセンター、BACCが2008年に誕生した。また、BACCの開館は、美術館新設の火付け役となり、タイ国内で民間による美術館の建設が相次いだ。[*7]
現代美術をめぐるインフラが整い始めると、タイのアーティストたちは国際的な舞台でも注目を集めるようになっていった。タイの現代美術を語る上で欠かせない、モンティエン・ブンマー(Montien Boonma)がここに筆頭する。続いて、死や記憶、社会的タブーを主題とした映像やインスタレーション作品を制作するアーラヤ・ラットチャムルンスック(Araya Rasdjarmrearnsook)、「関係性の美学(Relational Aesthetics)」[*8]を体現するアーティストともいえる、リクリット・ティラヴァニ(Rirkrit Tiravanija)そして、アピチャッポン・ウィーラセタクン(Apichatpong Weerasethakul)など、彼らはタイから世界への道を切り拓いていった。
「彼らは皆、若い世代にとって世界への扉を開く存在です。多くの海外のキュレーターや研究者をタイに招き入れ、国際的なアートネットワークを築いていきました。その結果、タイのアートシーンは世界とのつながりをより強くし、現在のような豊かな交流が生まれていったのです。」
さらに、タイでは世界各地で起きたビエンナーレ・ブームに遅れることながら、フリービエンナーレ・ブームが到来する。タイで有名な「チャーン・ビール(Chang Beer)」が主要サポーターとして関与する、バンコク・アート・ビエンナーレ(Bangkok Art Biennale / BAB)のように民間企業によるものや、アーティストが行うプロジェクト形式のもの[*9]、タイ文化省とアーティストが主導するオルタナティブスペースが協同し開催する、タイ・ビエンナーレ(Thailand Biennale)[*10]など、政府・民間双方によるアートイベントが急増した。
「タイ政府が、現代美術に多額の支援・投資をするのはこれが初めてのことで、とても驚きました。タイ・ビエンナーレのコンセプトはバンコクでの開催を避け、国内各地を巡回するというものです。つまり、中央集権化されがちなアートシーンを分散化させる方針です。」

BANGKOK ART AND CULTURE CENTER (2008)
当日のスライドから(提供:クリッティヤー・カーウィーウォン)
アートの地方分散と地域密着型プロジェクトの活性
近年、タイではアートシーンの地方分散化が増加傾向にある。チェンマイ近郊では、タイ出身の二人のアーティスト[*11]による、環境・エコロジーに関する課題に焦点を当てた実験的プロジェクト「The Land(ザ・ランド)」がおこなわれている。
ビジュアルアーティストのSutthirat “SOM” Supaparinya(ソム)らが創立した、CAC(Chiang Mai Art Conversation)は、アーティスト支援やネットワーキングとしての機能をもつ。アートアーカイブの整備等も行っており、主なプロジェクトにチェンマイ市内のギャラリー、スタジオ、アーティスト・スペースなどを分類して紹介した「アートマップ」の作成などがある。
イーサン地方と呼ばれる東北部は、これまでアートに関する目立った動向が見られなかった。しかし近年、東北部出身のアーティストが地方に戻り、活動を行う傾向にある。コーンケーン(Khon Kaen)では、市内の古い建物を会場として活用する市民参加型プロジェクト「コーンケーン・マニフェスト(Khon Kaen Manifesto)」が開催されており、インサーン出身で美術評論家のThanom Chapakdee(タノム・チャパクディー)がキュレーションを行う。

REGIONAL NETWORKS AND DECENTRALIZATION-ISAN(NORTHEAST THAILAND)
当日のスライドから(提供:クリッティヤー・カーウィーウォン)
同じく東北部のウドーンターニ(Udon Thani)は、かつてベトナム戦争期、アメリカ空軍の主要基地が置かれた地域で当時、市民はこの基地に立ち入ることができなかった歴史をもつ。若いアーティストたちは、考古学博物館と協同し、土地の記憶やアイデンティティにまつわるプロジェクトを展開した。
タイでは、南部のムスリム地域やチェンライ、コラートなど各地で、若いアーティストの活動が活発化している。巡回型ビエンナーレの開催によって、都市や地域コミュニティとの関わりを重視したアートプロジェクトが生まれ、巡回終了後もその熱気が続くような取り組みが展開されている。
「ビエンナーレや地方プロジェクトが開催地に何をもたらしたのかを考えることが重要です。大事なのは、ビエンナーレや地方プロジェクトを契機として生まれた芸術活動が、地域コミュニティに根差し、継続されていくことです。」
現在、タイでは都市と地方を結ぶ多様な現代美術の活動が全国的に拡大している。中央では大規模な商業施設の建設や商業イベントの開催が増加する傾向にある。タイ東北部のイーサン地方では、タイ初の大規模アート・フォレスト「カオヤイ・アート・フォレスト 」が開催され、話題を呼んだ。2026年はチェンマイやバンコクで3〜4館の美術館が開館予定である。

クリッティヤー・カーウィーウォン
Photo: Oto Hanada
Q&A:クリッティヤー・カーウィーウォン✖️片岡真実
第二部について、本稿では、カーウィーウォンとICA京都所長・片岡真実氏のQ&A形式の対話についてご紹介する。なお、第二部前半の片岡氏のプレゼンテーション「アジアにおける比較美術史:1990年代以降のタイと日本のアートプラクティス」で紹介のあった、特に90年代前後の日本のアートシーンについてはICA Kyoto Journalにおける片岡氏の連載[*12]でも触れられているのでそちらをご参照されたい。
Q1(片岡)美術館では、展示の規模が大きくなることで、来場者層が広がり、アートに詳しくない人々にも場が開かれる必要性が生じると思います。この変化に伴い、展示内容やプログラムは、より理解しやすく人気のあるものを提供することが求められ、従来可能だった実験的・挑戦的な展示との両立が難しくなります。
そこで質問です。
・美術館において、オルタナティブスペース的な実験的表現と、一般来場者向けの分かりやすい展示とのバランスをどのようにとるべきでしょうか?
・来場者層が広がることで生じる内容面や運営面での葛藤に対して、どのような対応策が考えられるでしょうか?
タイも例外なく同じ状況に直面しています。現代美術に関心のある来場者がいる一方で、観光目的の来場者の関心は主に、建築や伝統文化の体験にあります。そのため、一般にも理解できる内容と、専門的・実験的な現代美術の両方を考慮して展示を企画する必要があります。
また、タイではほとんどの公共施設や美術館は「入場無料」という認識があり、私立美術館でも少額(50〜500バーツ程度)の料金設定が一般的です。展覧会の制作に関わる材料は高騰の傾向にあり、施設の持続可能性を確保するためには、適切な料金と運営費のバランスが求められます。美術館においてオルタナティブスペース的な実験性を維持しつつ、一般来場者向けの分かりやすい展示と両立させるためには、客層のリサーチ、適正な入場料設定、運営費の調整は不可欠です。その上で、施設やキュレーター、アーティストが持続可能な形で活動できる運営体制を構築することが、両立の鍵を握るといえます。
現在、芸術に関わるさまざまな仕組みが整い、マーケットも活性化するなかで、若いアーティストが大学卒業後にキャリアを始める際、どこから踏み出せばよいのか分かりにくく、以前よりもそれが難しくなっているように感じます。こうした状況に対して、若いアーティストにはどのようなアドバイスをされていますか。
A2(カーウィーウォン)現代の若手アーティストは、恵まれた支援環境を活用しつつ、自らのキャリア戦略や活動の場を主体的に選択する能力が求められているといえるでしょう。
現在のタイの若手アーティストは、過去と比べて非常に恵まれた環境にあります。助成金やレジデンス、ギャラリーなど多様な選択肢があり、支援を受けながらキャリアを築くことができます。一方、選択肢が増えたことにより、判断が難しい課題となっています。ミュージアム、民間ギャラリー、国際的な学びの場など、さまざまな選択肢の中でインターンシップ等をうまく活用したり、海外の文化に触れることで自分の立ち位置を見定めることが必要です。
また、過去の世代の経験や歴史について十分に理解していないことも、課題の一つのように思います。デジタルアーカイブや地域のアーティストランスペースの記録を参照することで、先行世代の活動や地域的文脈を学び、現代美術のネットワークやキャリア形成の参考にすることもおすすめします。



Q&Aの様子
photo: Oto Hana
[*1]チュラロンコン大学美術学校(Faculty of Fine Arts, Chulalongkorn University)
[*2]1990年代のタイにおいて、制度的支援やインフラの乏しい状況下で現代美術の可能性を探った独立系オルタナティブ・スペース。アーティストやキュレーター主導で展覧会や映画祭を企画し、実験的実践や国際的交流を通じて、新世代のタイ現代美術の形成に重要な役割を果たした。
[*3]アジア通貨危機(Asian Financial Crisis, 1997–1998)
[*4]「Cities on the Move」(1997–1999)
ウィーンのオルタナティブスペース「Vienna Secession(ウィーン・セッション)」の生誕100年を記念として企画された展覧会。キュレーションを広州出身のホー・フン・ルー(Ho-Hun Rue)とバーゼル出身のハンス・オブリスト(Hans Ulrich Obrist)が努めた。
詳細は以下。
artscape, Art Words,「移動する都市」展(ウィーン、ゼセッション館)
[*5]現代美術局(Office of Contemporary Art and Culture)
初代顧問には、キュレーターのアピナン・ポーチャナポンが就任し、タイ国内の芸術文化活動をサポートすると共に、タイの現代アートを世界に紹介した。
[*6]2001年2月には、アーティストらが「Give Back our Art Centre(私たちのアートセンターを返せ)」というキャンペーンを開始。抗議運動を担っていた「People’s Network for the Bangkok Art & Culture Centre(バンコク・アート&カルチャーセンターを求める市民ネットワーク)」はこの選挙を利用して「Art Vote(アート投票)」キャンペーンを展開。アートセンター設置を争点の一つとして候補者に訴え、約50,000筆の署名を集めた。
[*7]バンコクの「Museum of Contemporary Art(MOCA)」(2012年)、チェンマイの「MAIIAM Contemporary Art Museum」(2016年設立)など。
[*8]関係性の美学(Relational Aesthetics)
フランスの批評家でキュレーターのニコラ・ブリオーが1990年代に提唱した思想。作品を「物」ではなく「人と人のあいだの関係」や「社会的交流の場」として捉えることを提唱した。
[*9]Ghost
メディア・アーティストのKorakrit Arunanondchai(コラクリット・アルナノンチャイ)が行う映像+パフォーマンス・アートのシリーズ(フェスティバル的形式)
[*10]Thailand Biennale(タイ・ビエンナーレ)(2018年〜)
アーティスト・ラン・スペース/コレクティブSpeedy Grandma(スピーディー・グランマ)が主宰する。第一回目のキュレーターをジアン・ジェイホン(Jiang Jiehong)、第二回目のキュレーターを長谷川祐子、チェンライで開催された第三回目のキュレーターをリッキット・ティラヴァーニャ(Rirkrit Tiravanija)、そしてカーウィーウォンが務めた。
[*11]「The Land(ザ・ランド)」
Rirkrit Tiravanija(リクリット・ティラヴァーニャ) と Kamin Lertchaiprasert(カミン・ラーチャイプラサート)によって立ち上げたプロジェクト。2004年に The Land Foundation(ランド財団) として組織化。
[*12]片岡真実「所長ジャーナル|世界とはどこか? Vol.002 新しい世界を開くーー感覚の解放展」ICA Kyoto Journal
(上記全URL最終確認2026年2月23日)ICA Kyoto TALK 058 「アジアにおける比較美術史:1990年代以降のタイと日本のアートプラクティス」
⽇ 時: 2025年10⽉3⽇(金) 18:30-20:00会 場: 京都京セラ美術館 講演室(本館地下1階)
主 催: ICA京都、京都芸術⼤学⼤学院
協 力: 一般社団法人HAPS
ICA Kyoto TALKとは?
ICA京都は2020年に京都芸術大学大学院の附置機関として創設され、これまで国内外で活躍するアーティスト、キュレーター、研究者、ギャラリストなどを招いたトークイベントを継続的に行ってきました。その一環である「ICA Kyoto Talk」は、これまでの「Global Art Talk」と統合し、京都と世界各地の多様なアートシーンを結びつけ、対話を重ねるためのプラットフォームです。ローカルな現場とグローバルな動向とを往復しながら、複層的な世界を実感し、新たな視点を開く場となることを目指しています。ゲストプロフィール
クリッティヤー・カーウィーウォン(Gridthiya Gaweewong)
バンコクにあるジム・トンプソン・アート・センターの芸術監督兼キュレーター。「The Open World」(タイ・ビエンナーレ、チェンライ、2023年)、「Imagined Borders」(第12回光州ビエンナーレ、2018年)、「Between Utopia and Dystopia」(メキシコシティ、2011年)、「Unreal Asia」(インターナショナル短編映画祭オーバーハウゼン、2009年)、「Under Construction」(東京、2000~2002年)など、アジア、ヨーロッパ、アメリカを含む各地で多数の展覧会を手掛ける。
また、ゲスト・キュレーターを務めた、インディペンデント・キュレーターズ・インターナショナル(ICI)主催の展覧会 「アピチャッポン・ウィーラセタクン:The Serenity in Madness」(2016~2020年)は世界6都市を巡回。2018年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)のキュレーター・リーダーシップ・センターの研究員に選ばれ、2020年からはシンガポール美術館の収蔵委員会のメンバーを務めている。最近では、「ドクメンタ16」 のアーティスティック・ディレクター選考委員会のメンバーとしても活動している。
執筆者プロフィール
奥田奈々子(おくだ・ななこ)
フリーランス編集者。1982年東京都出身。大学卒業後、新聞社勤務を経て建築雑誌やウェブ、美術インタビュー誌の編集者として活動。現在、山口県在住。山口情報芸術センター[YCAM]勤務。コンテンツ制作のほか、イベントや教育プログラムの企画制作、運用も行う。アート・建築・教育分野を中心に企画・編集・制作を通してテーマや目的のアウトプットについて考え実践することを活動軸としている。最近の関心事は祭りなど伝統文化の伝承について、知財、公害、福祉。