Out of Kyoto
004 プロが観るべきだったふたつの回顧展
文:小崎哲哉
撮影:柳原良平
毎年年末に一般紙やアート・メディアが「今年のベスト展覧会」を発表する。アート展とその他が混在するものや、多くが国内展を対象とする中で海外展を選ぶ者がいる企画はどうかと思う。およそ適任とは思えない選者が名を連ねる、読む価値のあまりない記事もある。とはいえ選ばれた展覧会名を通覧すれば、時代の傾向らしきものがうっすらと見えてくる。
2〜3の媒体を瞥見したところ、意外な点があった。富山県美術館で開催された「没後20年 東野芳明と戦後美術」展【*1】と、水戸芸術館での「磯崎新:群島としての建築」展【*2】の名が見当たらないのだ。念の為に新聞4紙、ウェブマガジン3誌を確認・再確認すると【*3】、延べ68名の選者が7媒体に総計260票を投じた中で、両展を選んでいるのは各1名のみだった【*4】。会場が大都市圏から離れていることが影響したのだろうか。
1930年生まれの東野は、1990年に脳梗塞で倒れ、2005年に亡くなった。瀧口修造(1903〜1979)とともに、同時代の海外アートの動向を、ほぼリアルタイムに日本に知らせた数少ない仲介者だった。初めて渡欧したのは1958年。その後、翌々年にかけ2度にわたって欧州・米国・メキシコを旅して回る。抽象表現主義からポップ・アートへの過渡期であり、ネオ=ダダが誕生し、マルセル・デュシャンの再評価(と言うより「再発見」あるいは「発見」)が始まりつつある時代だった。1962年にジャン・ティンゲリーを通じて初めて「現代アートの父」に会う。以後、「父」についての研究と執筆がライフワークとなった。【*5】
東野が倒れたあと、価値のある海外アート情報は目に見えて減少した。日本のアートはバブル経済と相俟って1990年代に一時的に注目されるものの、その後は世界標準アートと切り離され、井の中の蛙的な独善的な道を歩みはじめる。特に悔やまれるのはデュシャンへの関心が薄れたことだ【*6】。1968年のデュシャン没後も、秘匿されていた遺作「与えられたとせよ」の存在が明らかになったり、1977年のポンピドゥー・センター開館時にデュシャン展が開催されたりと、「父」をめぐる話題が尽きることはなかった。日本のアート雑誌でもたびたびデュシャン特集が組まれ、東野はほとんどの特集に寄稿家あるいは話者として登場し、デュシャン関連書籍を何冊か翻訳してもいる。1977年に『マルセル・デュシャン』を、1990年には『マルセル・デュシャン 遺作論以後』を上梓するが、執筆に留まらない旺盛な活動は、この年に唐突に終止符を打たれてしまった。
その東野について「ぼくらは、美術界のコンセプトを全部、東野経由で理解した」【*7】と回想したのが磯崎である。1931年生まれ(2022年没)だから東野と同世代。同じ知的ミリューに属し、ほどよい距離で交わるとともに、それぞれが様々な表現者と領域や国籍を超えた交流を持った。ひとつだけ例を挙げれば、東野はバックミンスター・フラーの『宇宙船「地球」号』を翻訳していて、フラーの来日時に磯崎と一緒に会っている【*8】。東野が、全部とは言わないが「建築界のコンセプトを磯崎経由で理解した」ということもあったのではないか。
東野展は時系列的な構成で、各章の冒頭に本人の業績が簡潔に記され、それがそのまま日本における現代アート受容の略史となっていた。展示物は富山県美の収蔵作品がほとんどだったが、本人や瀧口の旧蔵品も含まれていた。資料写真には、ミシェル・タピエ、アンドレ・ブルトン、サム・フランシス、ジャスパー・ジョーンズ、アンディ・ウォーホルらと仲睦まじげに語らう東野が写っている。「大ガラス東京ヴァージョン」制作現場の写真には、ティーニー・デュシャンの姿がある。東野が企画した「ラウシェンバーグへの公開質問会」や、様々な展覧会の記録写真もあった。雑誌に寄稿した記事や自著も随所に並べられていた【*9】。



展示風景「没後20年 東野芳明と戦後美術」展、富山県立美術館、2025年
撮影:柳原良平
現代の我々には、半世紀前に発表された作品を当時の観客の目で観ることは不可能だ。けれども背景に関する適切な参考資料があれば、雰囲気を想像するくらいはできる。その意味で東野展は回顧展として成功していた。東野はアーティストではなかったから、回顧展と呼ぶのは適当ではないかもしれない。しかしキャプションには本人の文章が引用され、観客は会場に展示された多数の作品を、東野自身の評価とともに鑑賞することができた。批評家/キュレーターとしての東野の人生を回顧しつつ、この国が辛うじて世界標準アートとの接点を保っていた時代の、ひそかな興奮とささやかな多幸感が感じられる企画であったと思う。
磯崎展も同様だった。30点以上展示されていた代表作の模型は大半が木製で、質実ながら洗練された印象を受ける。東野展と同じくほぼ時系列的に並べられていて、本人のインタビューを含む資料映像が各建築の設計コンセプト理解を助けていた。模型を観終えると、1978〜1981年に欧米6か所を巡回した「間」展に出品された、磯崎の《ふたたび廃墟になったヒロシマ》と高松次郎の《柱と空間》の再現展示が待っている。その先に、公表されることの少ない版画やドローイングをまとめた一室もあった。何よりも水戸芸自体が本人の手になる建築である。2004年に第2回横浜トリエンナーレのディレクターを降りる際に、日本を代表するキュレーターたちが自身の隣に並ぶシンポジウムで「キュレーターの思い上がり」を痛烈に批判したスピーチ映像もあって、「喧嘩の巧さ」に感心したことを想い出した【*10】。




展示風景「磯崎新:群島としての建築」展、水戸芸術館、2025年
撮影:ToLoLo studio
今回取り上げた2展は、そのままの形で10年ごとに再開催される価値があると思う。両展が成功した主因は、ひとことで言えば正攻法のキュレーションだ。精査した上で可能な限り多くの代表作を選び、作品や模型をなるべく時系列的に並べ、当人の関心や志向性の変遷と時代背景を理解するための補助線として、必要かつ的確な情報を提供する。真っ当な料理人が、旬の良質な食材を選び、熟慮してコースの順番を決め、料理が映える器と季節にふさわしい花や書画を用意した上で客を招くように【*11】。
2004年の磯崎発言にアート界からの反発はあったが、「デミウルゴス」【*12】との志や力量の差は明らかだった。東野も磯崎も、歴史と同時代の事象についての該博な知識を備えていて、教養を常にアップデートしていた。「今年のベスト展覧会」の選者には若手や中堅のキュレーターも何名かいたが、彼ら彼女らはなぜ両展を観なかったのか(「観なかった」と断言する理由は、観たとしたら選ばないわけがなかっただろうから)。現代文化芸術史についての貴重な証言とも呼ぶべき両展から学べることはたくさんあったはずなのに残念である。

展示風景「磯崎新:群島としての建築」展、水戸芸術館、2025年
撮影:ToLoLo studio
【*1】「没後20年 東野芳明と戦後美術」富山県美術館、2025年1月25日~4月6日
【*2】「磯崎新:群島としての建築」水戸芸術館、2025年11月1日~2026年1月25日
【*3】 讀賣新聞(2025年12月17日付朝刊)、毎日新聞(12月22日付夕刊)、朝日新聞(12月23日付夕刊)、日本経済新聞12月9日付朝刊、『美術手帖』「30人が選ぶ2025年の展覧会90」(12月8日〜30日)、『TOKYO ART BEAT』「2025年ベスト展覧会」(12月15日〜31日)、『ぴあ』「ぴあ執筆陣が選ぶ2025年のマイベスト」(12月25日)。選者は3名が重複。両展は『美術手帖』の「読者が選ぶ2025年のベスト展覧会」(3展)にも、『TOKYO ART BEAT』の「TABユーザーが1万件を超える展覧会から選んだトップ30」にも選ばれていない。
【*4】 東野展を選んだのは小川敦生(『TOKYO ART BEAT』)。磯崎展は建畠晢(讀賣新聞)。
【*5】 東野展には展示されていなかったが、『芸術新潮』1967年1月号(pp.68-71)に掲載されたクレメント・グリーンバーグのインタビュー「現代アメリカ展に不満のアメリカ人 グリーンバーグ」が面白い。抽象表現主義最大の擁護者に対して、東野はデュシャンピアンとして、またジャスパー・ジョーンズの友人にして信奉者として、果敢に論戦を挑んでいる。
【*6】 1995年にミシェル・サヌイエ編『マルセル・デュシャン全著作』の北山研二による邦訳が、2003年にカルヴィン・トムキンズによる伝記『マルセル・デュシャン』の木下哲夫による邦訳が出た。2004〜2005年には、平芳幸浩がキュレーションした『マルセル・デュシャンと20世紀美術』展が国立国際美術館と横浜美術館で開催された。これらの希少かつ貴重な試みがあったものの、日本におけるデュシャンの受容は質量ともに著しく低下していると思う。
【*7】 松井茂+伊村靖子編『虚像の時代 東野芳明美術批評選』(2013)の帯に記された文言。原文は「美術界のコンセプトはめまぐるしく変化しましたが、ぼくらはこういったこと全部を東野経由で理解した」(同書所収の磯崎新「反回想『おれは評論家じゃなくて批評家なんだ』と言った東野芳明のことを思い出してみた」p.316。インタビュー=松井+伊村/構成=編集部)
【*8】 作曲家のロジャー・レイノルズと音楽評論家の秋山邦晴が同席したという。(バックミンスター・フラー『宇宙船「地球」号』「訳者あとがき」p.193。1968/1972)
【*9】 カタログ『没後二〇年 東野芳明と戦後美術』には、執筆文献が網羅されている。展示された記録写真も大半が掲載されている。
【*10】 完全な採録ではないが、以下の書籍が刊行されている。(多摩美術大学芸術学科建畠ゼミシンポジウム企画『横浜会議2004「なぜ、国際展か?」』。2005)
【*11】 2014年に東京国立近代美術館で『高松次郎ミステリーズ』展が、翌2015年に国立国際美術館で『高松次郎 制作の軌跡』展が開催されたとき、浅田彰は、前者は「そもそも作品数が少なく」、解説も「焦点が合っていないものがほとんど」で「『よいこのためのたかまつじろうミステリーワールド』とも言うべき」展覧会だと批判した。対するに後者は「全館を使った充実した展示で、奇を衒うことなく作家の足跡をクロノロジカルにきちんと追ってゆく」ものだと評価している。(浅田彰「『現代美術のハードコアはじつは世界の宝である』か?!」。2015年3月31日付『REALKYOTO』。)
【*12】 磯崎新『造物主義論 デミウルゴモルフィスム』(1996)、『デミウルゴス ———途上の建築—』(2023)、『現代思想2020年3月臨時増刊号 総特集=磯崎新』などを参照。
※上記URLはすべて2026年2月25日閲覧本連載について
「Out of Kyoto」では、著述家/アーツ・プロデューサーの小崎哲哉氏が芸術や文化の話題を取り上げていく。歴史を参照しつつ、現代における表現のあり方を探る連載となる。
執筆者プロフィール
小崎 哲哉(おざき・てつや)
著述家/アーツ・プロデューサー。2000年にカルチャー・ウェブマガジン『REALTOKYO』を、2003年に現代アート雑誌『ART iT』を創刊し、あいちトリエンナーレ2013ではパフォーミングアーツ統括プロデューサーを担当。2012年9月から2020年12月まではカルチャー・ウェブマガジン『REALKYOTO』の発行人兼編集長を、2021年2月から2025年3月までは同『REALKYOTO FORUM』の編集長を務めた。編著書に20世紀に人類が犯した愚行をまとめた写真集『百年の愚行』『続・百年の愚行』、著書に『現代アートとは何か』『現代アートを殺さないために』などがある。2019年にフランス共和国芸術文化勲章シュヴァリエを受章。