「知らない」というクオリティ:荒木悠と潘逸舟
茶話会 and/or ワークショップ「知らないで入る」レポート(前編)
文:金澤韻
(茶話会 and/or ワークショップ「知らないで入る」募集要項より)
アジア各国から美術系大学の学生を集めてディスカッションする「Kyoto Gathering」を11月に開催することになり、私はそのディレクションを担うことになった。次世代のアーティストとキュレーターのネットワークを構築するこの合宿型会議に、京都の学生にも大いに参加してもらうつもりだった。しかし周囲からは、海外の学生たちと英語漬けの3日間なんて世界線は見たこともない学生たちが多く、応募が少ないのでは? という心配の声があがる。そこで、助走的に参加できるイベントを設けようと思ったのが、この「知らないで入る」考案のきっかけである。
「知らないで入る」というコンセプトは、英語ができないことや現代美術の知識がないこと、あるいは広く世界を知らないことなどを最初から肯定している場であることを表明している。舞台は大学なので急いで補足するが、これはもちろん「勉強しなくていい」といっているのではない。そうではなく、知恵とは「無知の知」から始まるという、勉強の手前にあるはずの態度をもう一度確認することであり、「知らない」という弱さを抱える学生に安心して学べる場を提供するということでもある。
また、現代美術という領域は、評価軸の絶え間ない見直しが行われる場でもある。たとえば周縁性は(引き続き負荷ではありつつも)批評と実践の積み重ねの中でそこから固有の可能性が切り拓かれてもきた。ならば知らないという「弱さ」にも、同じことが言えるのではないか。私はその思いのもとに、「知らない」という状態を一種のクオリティとして引き受けているアーティストを探し始めた(しかも英語でやってくれるアーティストを)。
まず頭に浮かんだのが荒木悠だ。異文化コミュニケーションをテーマにした作品を手掛けており、英語も流暢である。このシリーズは彼から始めるべきだという強い確信を持って打診したところ快諾してくれた。
「知らないで入る」01 荒木悠
2025年6月7日、Kyoto Gatheringでもメイン会場として想定しているお茶室「千秋堂」で、荒木を講師に迎え、「知らないで入る01」が行われた。10人の参加者に、英語はあまりわからないという学生と、日本語は少ししかわからないという留学生が混ざる。冒頭にアイスブレイクとして荒木が独特な自己紹介セッションを参加者に課した。それぞれ他の参加者と握手しながら挨拶していくのだが、挨拶するたび相手の名前になる、というものだ。つまり自分の名前はどんどん入れ替わっていく。この、自分につけられたラベルを次々と貼り替えていくような体験の、不思議な感触がワークショップの最後まで空間に残る。

Photo: Oto Hanada(本章の写真は全て同一クレジット)
続く荒木のトークでは、幼少期から作品づくりに至るまでの軌跡が語られた。山形に生まれ3歳で渡米。英語がほぼ話せず、名前の「悠(ゆう)」を呼ばれたと思い「You」に立ち上がってみんなに笑われたエピソード。英語がままならないまま、野球部に入り周囲に溶け込む努力をしていた高校の年次アルバムには「最も静かな生徒」と記され、得意なことで頑張ろうと絵に取り組み、卒業時には「最も才能のある生徒」と記されたこと。
作品制作の話へ進もうというタイミングで、彼の人生を変えたワークショップの体験が共有された。
荒木 「今日はまず、みなさんがここに来たこと自体を祝福したいと思います。なぜなら、それはまさに「わからない場所へ飛び込むこと」だからです。私も少なくとも12年前には、みなさんと同じ立場にいました。2013年、私はTacita Deanが主導した2週間のワークショップに参加しました。スペインのサンタンデールという海辺の街でした。
集合場所と時間だけ指定され、唯一の条件が「過去の作品にとらわれずに来ること」でした。私はその言葉に強く惹かれたんですね。美しいスペインのヴィラを拠点に、彼女は私たちに安全で実験的な空間を用意してくれました。まったく縁のないところに身を投じることで、自分自身と向き合うことができた。それが結果的に、作品を制作することととても深く関わっていたことを知ったのです。私がこのワークショップで共有したいのは、そういった態度です。」

荒木悠さん
この時制作された、隠れキリシタンの「オラショ」をスペイン語話者の友人が読む作品《ANGELO LIVES》(2014年)が紹介された。この映像の中で、かつてキリスト教信仰を乗せた言葉が、距離と時間を超え、その音の中に言霊の気配を伝える様子が映し出される。
それから、日本で英語を教えている外国語指導助手たちと175年前の英語教師ラナルド・マクドナルドを重ねた《NEW HORIZON》(2023年)、アイスランド、イタリア、青森の職人たちに作ってもらったオスカー像のシリーズ《Ólafur》(2014)、《JB》(2022年)、《SOUTH》(2023年)、《OOPARTS》(2023年)などが紹介される【*1】。荒木の作品では、人や物が、言葉が、思念が、文化が、元あった場所と切り離され、旅をし、別のものに出会う。そこに広がる味わいや景色が、私たちをほっとさせたり微笑ませたり、時に居心地悪くさせたり、あるいは妙な共感を呼んだりする。
ワークショップもその延長線上にあった。荒木は、俳優など好きな人の動画を何度も見て真似をするという、他者を「インストール」する方法を、彼自身の英語習得法として紹介してくれた。
荒木 「その人になりきって話したとき、私は異国語を話している恥ずかしさから少し解放されたんです。」
それから、参加者は各自選んだ人物の動画を観て「インストール」作業を行い、その人になりきって改めて英語で自己紹介をした。この日は「インストール」に十分な時間が取れなかったし、いま見返している記録では誰が誰を選んだのかが不明瞭なのだが、参加者はみなそれぞれに好きな人物への想いを語りつつ、その人になったつもりで自分の紹介をし、また他の参加者の、誰かに成り変わった自己紹介を聞いたのだった。
名前の交換から始まり、荒木の人生と作品の話を聞き、インストールした他人の声で自己紹介した数時間は、かなりインスピレーショナルな体験だったと思う。解散後も、会場撤収の時刻が迫るまで、参加者はみんな帰ろうとせずに荒木や他の参加者と話し続けた。

インストールをしている様子

自己紹介の様子
「知らないで入る」02 潘逸舟
第二回は、この人も絶対に呼びたいと思っていた、潘逸舟である。英語のワークショップであることを伝えると、「まあ勢いで大丈夫!」と力強い返事が来た。2025年6月28日、「知らないで入る02」を千秋堂で開催。この日も他大学からの参加者や留学生たちが混ざった。

潘は上海に生まれ、9歳で家族とともに青森へ移住した。もともと絵を描くのが好きで、美術専門コースのある高校に進学。その頃青森に国際芸術センター青森(ACAC)がオープンし、現代美術のコンセプトは理解できないこともあったが、現代美術の視覚的なインパクトに惹かれてよく通っていたという。ACACでトークをしたマリーナ・アブラモヴィッチの実践から現代美術が社会を映し出すものだと知り、まだ十代の頃から彼自身パフォーマンス作品を制作しはじめる。

潘逸舟さん
作品紹介では実に多くの作品について話してくれた。最初期の作品《White on White》(2008年)は、上海の実家で飼うアヒルの羽毛を青森の雪上に撒く映像だ。白というイメージのつながりの中で二つの異なるコミュニティとそこに生きる人々の暮らしが重なる。
潘の作品で頻繁に舞台となる海は、国境の象徴だ。ほふく前進で海に向かっていく《Place to Return》(2010年)、波を止めようとする《Return》(2011年)など、一つ一つの行為が個人的でありながら社会政治的な暗喩にもなっている。
また、マレーシアのマーケットで見たカラフルな秤に食器を載せ箸でつないだ作品《あなたと私の間にある重さ――マレーシアの大きな食卓》(2017年)や、高松空港近くのイサム・ノグチの石積み彫刻に自生する植物を撮影した写真作品《タイム・アンド・スペース / イサム・ノグチ 1989年作》(2024年)は、異文化の中に在るアイデンティティについて語りかける。
ワークショップでは、あらかじめ参加者は日用品を一つ持参するように言われていた。円くなって座った参加者は、隣の人の持ってきた物についての物語を想像して話す。その後、持ち主がその物品について話す。

潘 「誰かの持ち物について想像をめぐらせて、なんでもいいから物語を作ってください。誰からもらったとか、どこで買ったとか。どんなふうに使っているとか。それから持ち主が、その物についての物語を話します。あなたの記憶や、その物についての想いを。私たちはみんなで、二つの物語を聴いて、その間にある差異を楽しみましょう。」
想像された物語と実際の物語、ふたつの間に生まれるズレと重なりを味わうワーク。それはたとえばこんな感じだった。
想像する人「あなたは日本文化、日本の庭園のようなものが好きです。だからあなたの友達がこのような容れ物をあなたに贈ってくれました。
あなたはそれを庭に持っていき、葉っぱや花びらを集めて、それをこの箱の中に入れます。友人が、「夜の6時までに答えを見つけてください。もしできなければ、この箱を失うことになるかもしれません。」と言います。
あなたはそれでも最後には答えを見つけるのです。」
持ち主 「いいですね。実はこれは私自身が作ったものなんです。16歳で私はグラフィックデザイナーとして働き始めました。初めてもらった給料はとても少なかったですが、私は高級ブランドの財布を買いました。それを持てば自信が持てると思ったのです。
でも今振り返ると、それは愚かなことでした。今は、自分で作ったものからエネルギーや自信をもらいます。そのうち日本のハンドメイドの展示会に参加して、自分の手で作った作品でお金を得たいと思っています。それが今年の小さな目標でもあります。」
想像する人 「これは香水のボトルです。「Fleur」と書いてあります。フランス語かな。香りというのは、いつも記憶と結びついていますよね。香りを嗅ぐと、その記憶の中に自分が戻っていくような感覚になる。このボトルはかなり古いもので、故郷や家にあったものです。私の経験では、フランスの人たちは自分の家に固有の香りを持っていることが多いから。日本に来ていても、その香りを嗅げば、故郷を思い出すのです。」
持ち主 「とても近いですね。実はこの香りはフランス料理、特に地中海料理でよく使われるもので、オレンジの花の香りです。子どもの頃、両親が忙しかったので私はよく祖父母と過ごしていました。祖父母は地中海的な生活様式がある南フランス、マルセイユの出身です。実は南フランスの人たちだけがクレープ生地にこのエッセンスを入れるのです。このボトルは10年くらい前、親しい友人がモロッコから持ってきてくれました。モロッコも地中海地域ですね。ホームシックになったときや、ストレスを感じたり不安になったときに、これを少し嗅いだり、身につけたりします。そうすると、家族の愛が自分と一緒にあるように感じられるんです。」
語られた物語のすべてが、その物を取り巻くささやかな日常の情景へと私たちを誘った。それと同時にまた、物語を語る参加者一人ひとりを尊く感じたということも、私は記しておきたい。これらの物語をある者は流暢に語り、またある者はぽつぽつと、時に日本語を話してから英語で言い換えたりしながら話した(潘自身も日本語と英語を混ぜて話した)。足りない言葉を、みんなが頭の中で補っていた。想像によって他者と繋がることの豊かさが、この空間に満ちていた。


【*1】 作品制作とその背景については、過去ICA京都が主催したグローバル・アート・トークでも語られている。
「GAT 045 荒木悠 グローカル・アート・トーク」ICA Kyoto Journal
「知らないで入る」01
ゲスト:荒木悠(アーティスト/映画監督)
⽇ 時: 2025年6⽉7⽇(土) 14:00-16:00
「知らないで入る」02
ゲスト: 潘逸舟(アーティスト)
⽇ 時: 2025年6⽉28⽇(土) 14:00-16:00
会 場: 京都芸術大学 千秋堂
対 象: 美術を学ぶ大学生、大学院生
ゲストプロフィール
荒木悠(あらき・ゆう)
1985年生まれ、京都市在住。米国ワシントン大学で彫刻を、東京藝術大学では映像を学ぶ。日英の通訳業を挫折後、誤訳に着目した制作を始める。近年の主な展覧会や上映に「KYOTO INTERCHANGE:荒木悠」(半兵衛麸五条ビル2F ホールKeiryu、京都)、「六本木クロッシング2025展:時間は過ぎ去る わたしたちは永遠」(森美術館、東京)、「キュレトリアル・スタディズ16:荒木悠 Reorienting ―100年前に海を渡った作家たちと―」(京都国立近代美術館、京都)、「BEFF7: Nowhere, Somewhere」(One Bangkok Forum、バンコク)、「双殻綱:幕間」(SCARTS、札幌)、「スピードの物語」(瑞雲庵、京都)、「Engawa」(CAMグルベンキアン、リスボン)など。
潘逸舟(はん・いしゅ)
1987年生まれ、東京都在住。女子美術大学講師。社会と個の関係の中で生じる疑問や戸惑いを、真摯に、時にユーモアを交えて表現する。主な展覧会に、「Thank You Memory −醸造から創造へ−」弘前れんが倉庫美術館(2020年)、「MOTアニュアル2021−海、リビングルーム、頭蓋骨」東京都現代美術館(2021年)、「記憶は地に沁み、風を越え 日本の新進作家 vol.18」東京都写真美術館(2021-2022年)、「ぎこちない会話への対応策ー第三波フェミニズの視点で」金沢21世紀美術館(2021-2022年)、「ホーム・スイート・ホーム」国立国際美術館(2023年)、「APT 11」QAGOMA(ブリスベン、オーストラリア、2024-2025年)など。
執筆者プロフィール
金澤 韻(かなざわ・こだま)
ICA京都特別プロジェクト担当ディレクター。現代美術キュレーターとして国内外で多数の展覧会を企画。時代・社会の変化とともに変容する人々の認識と、私たちに精神的な困難をもたらすものを捉え、キュレーティングを通して問題解決の糸口を探る試みを行う。ニューメディアアート、インスタレーションから絵画・工芸まで幅広い表現領域のアーティストと協働し、しばしば創作的テキストを用いた実験的なキュレーティング手法を採る。東京芸術大学大学院美術研究科および英国王立芸術大学院大学(RCA)現代美術キュレーティングコース修了。熊本市現代美術館など公立美術館での12年の勤務を経て、2013年に独立。近年企画・参画した主な展覧会に「Art Rhizome Kyoto 逆旅京都」(京都市内10箇所、2024、2025)、Gangwon International Triennale (平昌、韓国、2024)、「インター+プレイ」(十和田市現代美術館、青森、2022)など。