ICA Kyoto TALK 062
異なる軌跡
ゲスト:ボスコ・ソディ
ニューヨークを拠点に、ギリシャ、メキシコシティ、京都にもスタジオを構え、制作活動を行うアーティスト、ボスコ・ソディ(Bosco Sodi、以下、ソディ)。シアターで開催された今回のトークは、ソディのドキュメンタリー映像の上映から始まり、長年のキャリアにわたって取り組んできた、豊かな質感と鮮烈な色彩による大型絵画、そして生の素材と作家との対話から生まれる創作プロセスへと話題が広がった。
「アーティストであることは複雑な旅路を歩むことです。だからこそ、若いアーティストとの対話は、自分自身の出発点を思い出させてくれます」と語るソディは、レジデンススペース「Casa Wabi」[*1]をはじめ、アーティスト主導で基金や機関を運営するに至ったリアルな経験についても語った。

ICA Kyoto TALK 062: 会場風景
今回は映像作品の上映などが多いことから、京都・烏丸御池の「新風館」地下1階にあるミニシアター「アップリンク京都」で開催された。
「「Casa Wabi」をはじめ、日本とのつながりは家族にとっても、私のものの見方や創作の考え方においても大きな影響を与えています」とトークの冒頭に語るソディ。自然のようなシンプルさの中にある美しさや偶然性、そして一期一会のような刹那性を制作プロセスにおいて大切にしてきた彼が、世界的なアーティストになるまでの長い道のりの中で経験した、3つのキャリアの転機を作品とともに紹介した。
絵画に導かれて、世界へ羽ばたく転機
まず一つ目に、ソディのキャリアにおいて、大型絵画の制作を始める転機となった作品《Organic Blue》[*2]のドキュメント映像から紹介が始まる。《Organic Blue》は、当時、ベルリンのギャラリーに大きなプロジェクトに取り組むよう背中を押された中で生まれ、キャリアにおける突破口となった作品だと彼自身は語る。
「《Organic Blue》は、私の人生を変えました。最初、ベルリンのカイ・ヒルゲマン・ギャラリー(Kai Hilgemann Gallery)から大型絵画の提案を受けたときは、大型絵画は飾られるだけなので、気が進まなかったのですが、今思えば、大きなリスクを取ったことが、その後の大きな展開につながったのだと振り返ります。 」
ソディは、6〜7歳の頃、ディスレクシア(読字障害)があり、注意力が散漫だったことから、母親の勧めでモンテッソーリ教育[*3]の学校に通ったという。以来、毎日アトリエへ向かうことは、ロマンチックな創作行為ではなく、自身にとって必要な治療のような意味を持っていた。

It was early morning yesterday, solo show at Johyun Gallery Haeundae, South Korea, 2022
そうした子ども時代を過ごしたこともあり、ソディの作品は完成形よりも制作プロセスを重視しており、創作はある意味で彼にとってセラピーでもある。《Organic Blue》の制作は、顔料やおがくず、接着剤などの素材をキャンバス上に重ね、乾燥やひび割れ、質感の変化を待ちながら進めていく。その過程では、作家がすべてを制御するのではなく、素材そのものの重みや湿度、気温、乾燥の速度といった条件が作品の表情を左右する。 そこには「コントロールしない」という信念があり、ソディは絵画が自ら進んでいくことを何よりも大切にしている。また、作品は天候をはじめとする、その土地固有の環境や条件を反映している。
続いて、ソディにとって二つ目の転機を与える作品《Pangaea》(2010[*4])のドキュメント映像が上映された。当時、ソディは自身の実力を試すため、約1年間ニューヨークに滞在していた。ある日、たまたまオペラに招待され、隣の席に座っていた女性と言葉を交わしたのだが、終演後、その女性が名乗ったのは、ブロンクス・ミュージアム・オブ・ジ・アーツ(The Bronx Museum of the Arts)[*5]の館長、ホリー・ブロック(Holly Block)だった。
ソディの作品を高く評価していたホリー・ブロックは、後日スタジオを訪れ、「4〜5年以内に展覧会を開催しましょう」と提案したそうだ。しかし、そのわずか3か月後、メキシコに滞在していたソディのもとへ突然電話が入り、10月の展覧会に空きが出たため、赤を基調とした絵画作品を制作してほしいという依頼を受けることとなった。

Beyond Wilderness, solo show at HEM Art Museum Guangdong, China 2024
展覧会は成功を収め、その後、多くのギャラリーから声がかかるようになった。その中で、世界的なギャラリーであるペース・ギャラリー(Pace Gallery)[*6]と契約するに至った。
「作品のプロセスは、天候や湿度といったさまざまな環境条件によって変化します。その予測不可能性の中にこそ、自然のようなシンプルさの中の美しさや偶然性、そして二度と繰り返されることのないアウラが生まれるのです。私は筆ではなく手を使い、常に絵画に触れながらエネルギーのやり取りを行っています。大型絵画は、計画によって成り立つのではなく、むしろ絵画そのものに導かれているのです。」
制作は、時間をかけて顔料を厳選するところから始まる。《Pangaea》では、実際に制作が始まると、ソディは32時間休むことなく制作を続け、その後は約1か月かけて作品を乾燥させる。制作後は、疲れが取れるまで2〜3か月ほどを要するとのこと。
「制作中は、ある種の現実離れした状態に近いです。高い集中力を保ちながらも、考えすぎることなく、絵画が進む方向に身を委ね、ただひたすらについていく感覚です。」
《Pangaea》は、ソディ自身のキャリアにおいて、世界的なギャラリーと契約をし、各地にスタジオを構えるようなプロフェッショナルなアーティストとして世界に羽ばたく重要な転機となった作品である。
「キャリアを築くためには、何かを犠牲にしなければならないこともあり、若いアーティストだった頃のような、プレッシャーのない状態とは無縁になってしまう。」
ソディが語るに、プロフェッショナルは、とにかくその時々の状況に対応していかなければならないのである。
地域との協働から生まれた原初的な作品
最後に上映された映像は、「Casa Wabi」ではじめて実施したレジデンスでのプロジェクトであり、友人であるアイルランド人アーティスト、コルバン・ウォーカー(Corban Walker)との共同制作から影響を受けた《Untitled (Clay cubes)》[*7]を記録したものである。
地域の職人たちとともに制作を進める中で、ソディは焼成した粘土のキューブ(テラコッタ)を積み重ね、空間を構成する作品を構想した。しかし、地域の職人たちは「それは不可能だ」と口をそろえたという。それでも、リサーチと試行錯誤を重ねることで、最終的にキューブ型の作品を実現させた。その際も、自らの手で素材に触れながら制作を行った。
「《Untitled (Clay cubes)》の制作は、自分のスタジオでは到底制作できる規模ではなかったので、別のスタジオを借りることにしました。一つ一つのキューブを焼くための窯は、その都度つくっています。粘土には、木やココナッツの殻など、できるだけさまざまな素材を混ぜるようにしています。キューブは、12時間から18時間かけて焼き上げ、焼成したキューブは二日間かけてゆっくりと冷まします。完成したキューブはとても重いので、氷の上に載せて運ぶという、メキシコに昔から伝わる方法を工夫しながら搬入しました。」
ソディは、土という素材は原始的でありながら、人の魂に触れる力を持つ素材であると語る。老若男女を問わず、人は土に触れ、その中から何が生まれるのかを探り、侘び寂びにも通じる美を求め続ける。そして、ある日突然、窯の中から思いがけず美しいものが姿を現す。その瞬間こそが、ソディにとって、自身のキャリアを象徴する作品が生まれる瞬間なのである。
素材との対話が育む創造と責任
トークの最後には「Casa Wabi」構想と立ち上げのきっかけについても語られた。ソディは2003年頃に日本を訪れた際、安藤忠雄の建築に強く惹かれ、「いつか財団をつくるなら安藤忠雄に設計を依頼したい」と考えるようになったという。その後、半年ごとにファクスで依頼を送り続けたものの、そのたびに丁寧な断りの返事を受け取る日々が続いた。
粘り強く依頼を続けた末に、安藤忠雄の側からペース・ギャラリーのアートディーラーを通じて連絡が入った。安藤はソディのニューヨークのスタジオを訪れ、《Pangaea》をとりわけ気に入り、ソディは長年温めてきた「Casa Wabi」の構想資料をその場で手渡した。
しかし、その数か月後、2012年にハリケーン・サンディがニューヨークを襲い、レッドフックにあったスタジオは浸水して大きな被害を受け[*8]、作品や制作のために保管していた顔料や画材の多くを失った。その被害の様子を写した写真を目にした安藤は、「あなたのために、その財団づくりに協力します」と伝え、ついに「Casa Wabi」のプロジェクトが動き始めることになる。
「アーティストになる理由の一つは、世界をより良いものにし、世界をより深く理解するための新たな視点を開くことだと思っています。成功するようになると、世界をより良くする責任が生まれます。プロのアーティストであり続けることの大変さ以上に、社会や世界へ還元していくことが重要なのです。」
こうして「Casa Wabi」は、若手アーティストへの還元を目的に、絵画に限らず、映画、ダンス、建築、執筆など、多様な分野のアーティストに開かれたレジデンスプログラムをメキシコで開始した。「Casa Wabi」が位置するオアハカ州プエルト・エスコンディード(Puerto Escondido)近郊の海岸は、ソディが幼い頃から家族と訪れてきた、ゆかりの深い土地である。資金は決して十分ではなかったものの、「Casa Wabi」の建設に着手し、2014年に無事に財団は設立された。財団が運営するアーティスト・イン・レジデンスプログラムでは、世界各地から招かれたアーティストが約5〜6週間滞在し、地域の人々や環境、文化と関わりながら活動を行う。参加者に求められるのは、作品制作そのものよりも、地域社会との接点を持ち、相互的なコミュニティ・プロジェクトを実践することである。

Casa Wabi Studio,
Puerto Escondido, México
当日のスライドから
「Casa Wabi」は世界各地のアーティストを受け入れるレジデンス・プログラムを運営するとともに、展覧会や建築プロジェクトを展開してきた。敷地内には、坂茂、アルヴァロ・シザ(Álvaro Siza)、アルベルト・カラチ(Alberto Kalach)らによるパビリオンが点在し、エクトル・サモラ(Héctor Zamora)、クラウディア・コンテ(Claudia Comte)、ベルナルド・キンサニョス(Bernardo Quinzaños)らが制作に参加。また、ダニエル・ビュレン(Daniel Buren)、ヤニス・クネリス(Jannis Kounellis)、ウーゴ・ロンディノーネ(Ugo Rondinone)、リチャード・ロング(Richard Long)、ローレンス・ウィナー(Lawrence Weiner)、ホセ・ダビラ(José Dávila)らの展覧会も開催してきた。また、展覧会には地域の子どもたちを招き、現代アートに触れる機会を設けているほか、隈研吾による《Casa Wabi Coop》をはじめ、建築家やアーティストとの協働によるパビリオンや介入プロジェクトも展開し、地域と芸術を結ぶ活動を継続している。

質疑応答
Q.「Casa Wabi」の活動を見て、若手に還元しようと思うアーティストが日本にはあまりいないように思います。エスタブリッシュ・アーティスト[*9]として活動する中で、若手をサポートしたいという想いに至る経緯について伺いたいと思います。
A. 私は還元することを強く信じています。それはある意味、責任だと感じています。子どもたちにも「よりよい世界で生きていけますように」と教えていますし、私にとってアートをつくることはセラピーでもあります。だからこそ、還元しないという選択肢を残すことは、倫理的に厳しいことなんです。成功できるということ自体、私たちは恵まれていると思います。
個人の見解として、アートの世界には社会的なコミットメントが足りていないと思います。巨大な金額がアートの世界に流れていますが、それらを還元しているアーティストは少ないです。実際、作品をいくらで売買するか、その価値を定めることは、私にはとても難しい問いです。私の作品が売買される価格を子どもたちに伝えることにも、実に時間がかかりました。
だからこそ、アーティストを後押しすることはとても重要で、「Casa Wabi」では、メキシコの若いアーティストたちにとって最初の展覧会となる機会を提供しています。
Q.技法についての質問です。粘土でできているように見えるキャンバス作品は、かなり重量がありそうですが、どのように吊り下げているのでしょうか。
A. キャンバスの作品は、粘土ではありません。24年ほど前にバルセロナに住んでいた頃、ジョルジュ・ブラック(Georges Braque)[*10]の展覧会を見て、彼の作品では黒を出すためにソーダスト(sawdust)を使用していることを知りました。軽く、保存性が高く、素材は有機的で、天候や場所によって変化します。青の顔料やラテックスを、それらの繊維に重ねて制作しています。
Q. 彫刻や絵画のような制作技法に限らず、感覚のような原初的なものを大事にされていると思いました。今、日本はマクドナルドのようなものに追われ、その下に埋もれている土地の記憶や歴史が見えなくなっているように感じます。それは世界中で起きていることで、そのような土地から生まれる創造性をどのように掘り起こしていけるのか、お聞きしたいです。
A. 今、アーティストには、自然と再びつながり直す責任があると感じます。ジェンダーや人種などの社会的な文脈を語りながらも、自然や他者とのつながりを回復することについては、あまり取り上げられていないような印象を受けます。私たちは、自分たちのルーツや地球とのつながりを失っています。これだけ多くのデバイスに囲まれている今だからこそ、これは未来に向けた大きな問題の一つです。
世界をより良くする小さな方法として、できる限り世界を有機的で自然なものとして捉え直し、人間と自然とのつながりを取り戻すことは重要です。私としては、アーティストと素材の間で起こるエネルギーの交換を大切にしているので、たくさんのアシスタントを抱えて制作をするアーティストを理解し難いことがあります。本当に大事なのは、作品との静かな対話だと思います。それが制作の本質です。それを失ってしまうのは残念なことです。それは絵画や彫刻に限らず、建築や映画においても同じことです。私たちは、シンプルさや本質を失いつつあります。私は、アーティストと素材との静かな対話が好きなんです。
[*1]CASA WABI
アートセンターとして、地域コミュニティとの交流とつながりを育むためのプラットフォームを提供。メキシコ・Puerto Escondidoの太平洋沿岸に位置し、一般に開かれた公共空間や庭園、アーティスト・イン・レジデンス、ギャラリー、そして教室を備えた宿泊施設などを一体的に備えている。
[*3]イタリアの医師マリア・モンテッソーリが考案した教育法。「子どもには自ら育つ自己教育力が備わっている」という前提に基づき、子どもの興味や発達段階に合わせた環境を整え、自発的な活動をサポートする。
[*4]《Pangaea》作品詳細
[*5]ニューヨーク市ブロンクス区にある現代美術館 https://bronxmuseum.org/
[*6]Paceは世界有数のメガギャラリーである
[*8]ソディのスタジオから流出した赤い顔料が、ブルックリンのレッドフックにあるヴァン・ブラント・ストリート桟橋一帯に広がった。2012年10月。撮影:ロザリア・ヨヴァノヴィッチ(Come Together: Surviving Sandy)。
[*9]すでに十分なキャリアと知名度を確立し、美術界や音楽業界などの特定の分野で高い評価を受けている作家
[*10]2002年、20世紀初頭にピカソとともにキュビスムを築いたフランスの画家、ジョルジュ・ブラックの展覧会を訪れた。「母がキュビスムをとても好きなので、その図録を買ったんです」と彼は振り返る。「帰りの電車でその図録を読んでいたら、ブラックは絵画に質感を与えたいとき、油絵具におがくずを混ぜて使っていたと書かれていました。それまでは私も、大理石の粉や砂など、アーティストがよく使う典型的な素材を使っていました。でも、それを読んで、おがくずを使った実験を始めたんです。」と語る。
Anoushka Khandwala, “Bosco Sodi’s Paintings Are Reminiscent of Extraterrestrial Topography,” ELEPHANT, November 2, 2020
ICA Kyoto TALK 062「ボスコ・ソディ 異なる軌跡」
⽇ 時: 2026年5⽉22⽇(金) 18:30-20:00
会 場: アップリンク京都 スクリーン2 新風館地下1階
主 催: ICA京都、京都芸術⼤学⼤学院
協 力: 一般社団法人HAPS
ICA Kyoto TALKとは?
ICA京都は2020年に京都芸術大学大学院の附置機関として創設され、これまで国内外で活躍するアーティスト、キュレーター、研究者、ギャラリストなどを招いたトークイベントを継続的に行ってきました。その一環である「ICA Kyoto Talk」は、これまでの「Global Art Talk」と統合し、京都と世界各地の多様なアートシーンを結びつけ、対話を重ねるためのプラットフォームです。ローカルな現場とグローバルな動向とを往復しながら、複層的な世界を実感し、新たな視点を開く場となることを目指しています。
ゲストプロフィール
ボスコ・ソディ(Bosco Sodi)
1970年、メキシコシティ生まれ。20年以上のキャリアの中で、世界各地で50回を超える個展を開催。豊かな質感と鮮烈な色彩の大型絵画で広く知られる。ソディは、制作に用いる素材が持つありのままの粗野さの中に、情緒を揺さぶる力を見出している。素材の探究、創作的ジェスチャー、そして作家と作品との精神的な結びつきに焦点を当てながら、ソディは概念的な障壁を超越することを目指している。
作品の多くをあえて無題にするが、これは、作品の直接的な存在を超えた先入観や関連性を排除する意図による。作品そのものが記憶となり、生の素材と作家との対話という創作プロセスを象徴する遺物となるのである。ソディが影響を受けたものは、アントニ・タピエスやジャン・デュビュッフェといったアンフォルメルの芸術家から、ウィレム・デ・クーニングやマーク・ロスコといった色彩の巨匠、さらには母国メキシコに息づく鮮やかな色彩に至るまで、極めて多岐にわたる。
執筆者プロフィール
三浦宗民(Miura Jongmin)
2000年生まれ、アートプラクティショナー。アジアにおける複数の地域・言語・文化の横断や、そこにはたらくさまざまな力学、流動性の中で個人や集団の記憶・記録の交差と生成に関心を持つ。制作者としての表現に限らず、実践の在り方やそのあわいを探り、主に現代写真を中心とした制作実践、企画運営のサポート、ライティング、通訳・翻訳などの実務を行う。2026年、京都芸術大学大学院芸術環境専攻卒業。 現在は、台湾・台南を拠点に制作・リサーチをしている。