ストレイ・エア・ライダー(陰で涼んで待ってみて)
文:船越晴稀
先々月までとは一転して、とても過ごしやすい気候である。タイでの滞在中は暑さを印象的に感じていたせいか、暑さを感じなくなった途端に滞在中の記憶も曖昧になってしまってきているのかもしれない。(記事を書き続けている7月現在、スマホには熱中症警戒アラートが表示されている。タイはもう少し暑かったなあと頻繁に思い出される。)
後編となる本記事では、前編の記事では執筆できていなかった具体的な私の活動に触れたいと思う。あくまで、レジデンスの一例として読んでいただけたら、あなたがレジデンスに参加する際の参考になるかもしれない。

ワット・ムアンに附設された資料館に展示されている約3000年前の海岸線の地図
アンクルたち、アンティたち、別の歴史
私は、2026年の2月15日から4月15日までの8.5週間(60日間)をタイで滞在した。その滞在日数のうち、最初の2週間はラチャブリー県内の影絵博物館や洞窟、織物の工場などの文化施設を巡ったり、意味もなく自転車でうろうろしたりとリサーチを兼ねながら生活した。子供ですら小型のバイクに乗っており、ほとんどの住民が車で移動する中、自転車で移動している見知らぬ成人の姿は彼らの目にどのように映っていただろうか。
3月に入ってからは、Baan NoorgのJiやYin、キュレーションを担当してくれたLunaと作品内容や展示場所、会期、告知日などの相談を行い、素材や制作方法を決めていった。そして準備が整い次第、3月28日に開催するオープンスタジオに向けて作品の制作と広報物の準備・投稿を進めていった。
滞在が始まってから1ヶ月半で成果を発表するということで、準備期間としてはぼちぼちで、長すぎず、短すぎずな期間であった。もし、作品制作において造作や設置に時間を要するアーティストであれば、2ヶ月ほどの期間があれば十分だろうか。事前に作品の内容が決まっている方の場合は、もっと別のスケジュールになるのかもしれない。
ただ、あくまで私の場合は、滞在を始めてから事前にインターネットや本に載っていなかった情報に多く出会った。森の中にある飲食店では熟れたマンダリンがご飯に向かって落下してくるため、頭上に意識を向けなきゃいけないことや野良犬には縄張りの意識があるため、限られた範囲でしか追ってこないこと、部屋の中にヤモリが5匹くらい棲みついているおかげでゴキブリを見なくて済んでいること、ラチャブリーの隣の県カンチャナブリーには、日本軍がビルマ占領時に数万人の犠牲者を出しながら建設した死の鉄道「泰緬鉄道」が敷設されており、日本人がつくった木製バスや日本軍が捨てた物で装飾した慰霊碑があること、、ノンポーに住んでいる人の多くが同じ名字を持っているので叔父さん(Uncle)や叔母さん(Auntie)の愛称で呼んでいること。
また、私が事前に本で読み込んでいた歴史とは異なる歴史を受け継いでいることも知った。歴史学者・柿崎一郎が研究している歴史観[*1]では、タイ人は中国南部から南下してここに住み着いたと紹介されていたが、ラチャブリーのワット・ムアンに敷設された資料館では、「我々は元からここにいた」と記されていた。そういった現地でしか知り得ない情報や異なる歴史観を肯定的に受けとめ、作品に組み込める計画を持って滞在に臨むのが良いかもしれない。

人目を全く気にせず、寝転んでいる犬と猫
そこに住む生き物のため
アーティスト・イン・レジデンスという環境で作品を制作する上で、作品のプランが滞在先の人たちに肯定してもらえるかも重要だ。私の場合は、滞在先のレジデンスがアーティストイニシアチブとしても活動していることもあり、彼らなりの活動方針や作品制作の方法論を持っていた。それは住人との交流や協力に重きを置いたコミュニティ・アートで、彼らの持つ歴史的背景や民族的アイデンティティを政治的に反映する上で、必然的に選択している方法だった。そのため、これまでに滞在したアーティストが発表した成果に対して、否定することがなくても彼らなりの成功の基準は持っているようであった。私は基本的に何を制作してもよいとされていたものの、コミュニティ(協働)を主軸においた作品を制作することが望ましいといううっすらとした期待を感じ取っていたため、(私を含めた)住民の生活のためになるような作品を制作したいと思った(住人と協働するwith communityではなく、住人のためのfor community)。
信頼のオペレーション
また、Baan Noorgで作品を発表する上で大きな壁として立ちはだかったのは、Baan Noorgが成果を発表するための専用の施設を保有していないということだった。これまでレジデンスに参加したアーティストは、屋外の小劇場や飲食店、寺院など自身が制作している作品と空間や文脈的に適した場所を展示会場として選んできた。私が展示場所をどこにするか決めあぐねていると、ディレクターのJiは「街にある場所は、どこでも展示可能だ。」と言ってくれた。彼のこの言葉は、とても印象深く残っている。
作品を展示する目的ではない場所で展示をしようと思った時、住人や利用者の人たちから承認をもらう必要がある。ノンポーにはいわゆる現代美術の作品を制作しているのはBaan Noorgくらいで、観光地でもないため、観光客が来ることは少なく、アーティストが来ることはもっと少ない。そのため外国から作品を作りにきたアーティストに対して不安感や好奇の目を持っていても仕方がないように思える。しかし、私は滞在中にそうした扱いをされることが全くなかった。それがないというのは、Baan Noorgが15年もの間ノンポーを拠点にしながら地域の子供達へのワークショップや映像祭を催したり、名産品の牛乳を用いたプロダクトの開発・販売したりするなど、教育・経済面で多くの貢献をしてきた信頼があるからではないだろうか。彼らは周囲の住人から先生と呼ばれている。Jiの両親はそのことを誇りに思っているらしい。いい話だ。
いわゆる美術館やギャラリーのような作品を展示することを目的とした場所がないこと。アーティストが作品を発表できるように後押しするための制度がないこと。それは、その地域に文化や公共がないことには全くならない。
2023年にゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川で行われた「ドクメンタ・トーク」[2]にて、キュレーター・大坂紘一郎さんのプレゼンテーションでは、インドネシア・ジャカルタを拠点に活動しているアーティスト・コレクティブであるルアンルパ(ruangrupa)によって描かれたスケッチを紹介しながら、美術館のような制度的な施設や表現を行うためのインフラが整っていないことは必ずしも公共性がないことにはならないことを説明した。Baan Noorgでは、そのための実践が淡々と行われている。当たり前のことに見えて、当たり前だからこそ見失ってしまうことなのかもしれない。
さらにそれは、日本国内の状況を考えた時にも同様のことが言えるのかもしれない。日本戦後美術を研究している美術史家・富井玲子の事例[3]を引用したい。
オペレーションのためのインフラは、一般に国(官)や公が導入した美術館や官展などの制度として理解されている。しかし、作家の営為に表現とオペレーション(=表現の社会化)の二つの位相を想定すると、制作のみならず作家の活動の総体が作家の主体性(エージェンシー)の発露であるととらえる視点が可能となり、DIY(do-it-yourself)の精神と戦略で作家が積極的にインフラをボトムアップで下から作ってきた事実が前景化される。
オペレーション(=作品や表現を社会にコミュニケーションしていくためのさまざまな回路とその総体)は、作家の主体性やDIYの精神によってボトムアップ的に作られていく。そしてその精神は、社会とコミュニケーションしていく中で時として都市のあり方に対しても見方を見出すことにも繋がる。
このオペレーションのDIY精神がタイにおいて先駆的に現れた事例が1992年から97年までタイ東北部チェンマイで行われたアーティスト主導のパブリックアート・プロジェクトであるCMSI(チェンマイソーシャルインスタレーション)という試みだ。[*4]
このプロジェクトは、当時チェンマイ大学芸術学部の教員であったミット・ジャイインがウィーン応用美術大学の学生時代に「ドクメンタ8」を訪れた経験がきっかけになっている。ウティット・アティマナ、モンティエン・ブンマー、アラヤ・ラートチャムルーンが中心人物として集まり、路上や寺院、飲食店などに作品を展開するオフ・ミュージアムの形式で開催された。
ちなみに、私はチェンマイにあるワット・ウモーンというお寺に3日間滞在した。そこは、CMSIの展示場所の1つになったことがあり、ナヴィン・ラワンチャイクンによって再制作されたモンティエン・ブンマーの作品が現在も設置されている。
身体を通して都市のあり方を探って行くという事例では、Baan Noorgがドクメンタ15で発表した《Churning Milk: the Rituals of Things》(2022)[*5]という作品にも触れておきたい。この作品は、ドクメンタ・ハレの屋内空間にスケートボードランプを設置することで展示空間をスケーターたちに解放するという試みである。現在でもBaan Noorgは、政府が経済効率を狙って建てたものの、立ち行かなくなってほぼ廃墟と化した市場で子供達にスケートボードを教えている。川上幸之介は、スケーターの存在が都市における公共性の捉え方を別の角度から見つめていることを説明している。[*6]
スケーターたちには、都市が見落とした共同体のあり方や、都市の中の前提条件─生産、消費といった交換様式のサイクル─を覆し、新しい視野を切り開く力を授けてくれるのである。また、スケートは都市を汚すのではなく、芸術と同じように、人々に新しい都市のあり方や見方を提示する。
Baan Noorgが作品を発表する専用の場所を持たず、飲食店や寺院を展覧会会場として活用するということは、そこにいる人やそこに来る人とのコミュニケーション、展示場所の公共性について否が応でも考えなくてはならない。そのため、Baan Noorgで生まれる作品は必然的にコミュニティとの関係を持ちながら生まれているのかもしれない。時にそれは、都市に対する共同体としてのあり方として提示されるのかもしれない。

ノンポーのバス停での展示風景
影の公共性、柔軟性
私はBaan Noorgが居住地の近くに持っているコミュニティラボと、ノンポーで1つ(反対車線にもあるため正確には2つ)しかないバス停で作品を展示することにした。コミュニティラボは、ワークショップを開催したりグッズを販売している他にレジデンスで長期間滞在するアーティストの宿泊と制作場所の機能を持っている。滞在していた時期は気温が37度を超える、1年で最も暑い2ヶ月だった。4月の最高気温へと向かう中で、暑さをやり過ごせるような環境を準備することが必要だと感じ、生活と制作、移動に欠かせない2つの場所に日除けの作品を設置することにした。
興味深いことに、タイでは白と青のボーダー柄のブルーシートが輸送のトラックや建設現場、市場などで広く利用されている。展示期間が短かったこともあり、ブルーシートの持つ仮設性とボーダー柄の持つちょっとした装飾感が気に入って日除けの素材として採用した。
このブルーシートには、ラチャブリーの文化的特性として特徴的なナン・ヤイ(影絵)の彫刻技術を用いて扇風機の彫刻を施した。ナン・ヤイは、インドから伝えられたラーマキエンの叙事詩を元に、水牛の皮を彫刻した巨大な絵に加え、音楽や舞踊が混ざった総合的な芸術で、現在でも毎年新年のソンクラーンの時期に公演が行われている(ちなみにソンクラーンはサンスクリット語で移動を意味している)。
私はラーマキエンの英雄的な物語を、扇風機とブルーシートの陰で休む野良犬や野良猫、ヤモリ、バスが来るのを待つ人たちへと読み替えることで、大衆的な物語へと手繰り寄せることができないかと考えた。ラチャブリーの滞在中、電気料金の高騰からエアコンではなく扇風機を使うことの方が多かった(ラチャブリーの建築物は四方の壁を完全に囲った近代建築ではなくところどころ隙間が空いている意匠になっているため、エアコンが機能しにくいという背景もある)。扇風機はフレームの間や彫刻によって空いた穴を風が通り過ぎるという点が重なって見えた。
また、ノンポーのバス停には時刻表がない。Baan Noorgのメンバーからは40分ごとに来るバスと毎時15分に来るバスがあると聞いた。しかし、その情報はGoogleで調べても見つからず、バスも時間通りには全然来ないため、バスに乗りたい人たちは少し早めの時間に来て暑い中椅子に座りながら30分〜1時間くらいバスを待たなくてはいけなかった。待つことにいかに肯定的になれるか、またその空間をいかに他者や他種と共有できるか、が問題意識としてあった。
オープンスタジオには幸運なことに、台湾からBaan Noorgに視察に来た学芸員の方やシラパコーン大学の教員、少し離れた場所で活動しているアーティスト、地元の人、後にチェンマイでの滞在中に家に宿泊させてくれたアーティストなど、様々な人が来てくれた。ローカルな場所でローカルな作品を制作することを意識していた私にとっては、急にグローバルコンテンポラリーアートに引き寄せられたようなギャップを感じる経験になった。
バス停に設置していた日除けは1週間ほどで撤去してしまったが、コミュニティラボに設置した日除けは現在でも些細ながらタイの強い日差しから滞在者や棲息している生物を守っている。
作品を決める最中、JiとYinから頻繁に「No rush」や「Take your time」と言われた。置かれている状況に対して声を上げることがとても重要である一方で、日が落ちるまで室内にいることやバスが時間通りに来ることを諦めて待つことなど、自分ではどうしようもないことを受け止めて急ぎすぎないこと、慌てないことにも多くの気づきがあった。
アーティスト・イン・レジデンスに参加するためには時間も労力もかかる。そのため、作品や展覧会を通してアーティストのキャリアに生きるような目に見えた成果を期待してしまう気持ちも分かる。しかし、国外での活動とキャリアを一度切り分けて考え、結論に急ぎ過ぎずにお互いの社会状況や関心について共有することに重きを置いてみるのはどうだろうか。その関係を持続することで得られることの方がよっぽど重要だったりするのかもしれない。
[*1] 柿崎一郎『物語タイの歴史 : 微笑みの国の真実』中公新書、2007
[*3] 富井玲子『オペレーションの思想 戦後日本美術史における見えない手』イースト・プレス、2024、pp.57
[*4] Simon Soon, Images Without Bodies: Chiang Mai Social Installation and the Art History of Cooperative Suffering, Afterall, 2016
[*5] Baan Noorg, Churning Milk: the Rituals of Things, ドクメンタ15, 2022
[*6] 川上幸之介『パンクの系譜学』書肆侃侃房、2024、pp.246
(全URL最終確認2026年8月9日)執筆者プロフィール
船越晴稀(ふなこし・はるき)
アーティスト。1999年静岡県生まれ。京都芸術大学大学院グローバルゼミ修了。 近年の主な個展に、「日よけのパペット」Baan Noorg CommuLab、Nong Pho Bus Stop(ラチャブリー、タイ、2026)、「スルースキル(平年より高い)」KIKA cas(京都、2025)、「トラヴェルス・アドヴェンチュア」山中suplexの別棟MINE(大阪、2023)。その他の展示に、「モノのレトリック」金沢工業大学五十嵐威暢アーカイブ(石川、2026)、「師走の喫茶」焚(京都、2025)など。