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GAT 031 吉竹美香
キュレーターとしての役割・発展: Part 1

2023.11.30
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国際的なキュレーターとしてこれまでに美術館やギャラリーで多くのプロジェクトに関わってきた吉竹美香。美術館とギャラリーの環境や目的にはどのような違いがあるのか。以下は2021年12月11日に行われたオンライン・トークの抜粋である。

石井潤一郎 (ICA Kyoto)




本講演では、博士課程在学中の2005年からインディペンデント・キュレーターとして現在に至るまで、美術館やギャラリー、さらには個人コレクションで関わってきた主な展覧会を紹介したいと思います。

特に、美術館とギャラリーのどちらで仕事をするのかという状況や目的について、プロジェクトが施設によって生み出されたものなのか、それとも自分自身から生み出されたものなのかということも含めて考えてみたいと思います。また、国際巡回展の企画、カタログの出版、パブリック・プログラムを通じて、日本の近現代美術をグローバルな文脈の中で紹介し、文化的な翻訳を行うというわたしの大きな役割について考え、最後に、気候変動と社会正義に関するわたしの今後のプロジェクトについて簡単に触れたいと思います。

ご覧いただいているのは、わたしの展覧会の概要と、わたしが担ってきた役割についてです。最初は美術館でプロジェクト・コーディネーターやキュレーター・リエゾンとして働き、主要なキュレーターのもとでトレーニングを積みました。その後、ハーシュホーン美術館と彫刻庭園で7年間、美術館のキュレーターを務め、草間彌生に関する大規模な巡回展を開催し、その最初と最後に、ブラム・アンド・ポーのゲスト・キュレーターとして、わたしがキュレーションを行った中では最もよく知られていると思う企画展『太陽へのレクイエム: もの派の美術』、そして最近では『パレルゴン』という1980~90年代の日本の展覧会をキュレーションしました。

2018年からはニューヨーク植物園、LACMA(ロサンゼルス・カウンティ美術館)、M+など、いくつかの美術館でゲスト・キュレーターを務め、次はハマー美術館になる予定です。

2001年、UCLA(カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校)の大学院に入学し、ミウォン・クォンとジョージ・ベイカーの2人のアドバイザーのもとで美術史を学び、博士課程では2008年に国際交流基金フェローとして来日、もの派のアーカイブがある多摩美術大学や慶応大学で研究を行いました。しかし、大学院在学中にMOCAで働き始め、村上著作の回顧展に携わることになりました。

MOCAでは、メジャー・キュレーターで、村上隆を『Public Offerings』というグループ展に加えたポール・シンメルのキュレーター・リサーチ・アシスタントとして採用されました。彼は、村上を21世紀の新しいタイプのアーティスト、ハイブリッドのクリエイター、起業家、文化大使と位置づけ、回顧展は社会的、文化的、美術史的に村上の世界的影響を辿るものでした。わたしが採用されたのは、わたしが村上の大ファンではなかったからだ、と言えるかもしれません。わたしはむしろ、思想家としての村上や、彼の日本の現代美術に対する知識に興味があったのですが、しかしその後、彼を知り、実際に彼と仕事をすることがとても楽しくなりました。

これは、100点以上の作品を含む、1989年、80年代後半から2007年までの展覧会の見取り図です。

«サインボード TAMIYA» は展覧会の最初の作品です。この展覧会のコンセプトは、村上がどのように消費の複製可能構造を明らかにしているかについて語るものでしたので、この導入は非常に重要なものでした。村上はタミヤと同じ構図を用いながら違うものをマーケティングすることで、この商品の、あるいはタミヤというブランドの記号的価値を浮き彫りにしています。

美術史家のハル・フォスターが指摘するように、わたしたちはモノそのものよりも、モノそれ以上のものを消費しています。わたしたちの欲望の引き金となるのはブランド名であり、記号としての商品がわたしたちのフェティスムの対象となるのです。村上はこの商品へのフェティッシュを、アーティスト自身の存在感と置き換えたのです。

また、村上隆は日本のアヴァンギャルドの歴史を再評価することにも関心を持っていました。だから、日本の有名なアーティスト、例えば「具体」をパロディとして再演することもありました。これは、彼にとって非常に重要なキーワードである「ナンセンス」の美学の一部でした。

これは彼の学位論文の図で「意味の無意味さの意味」と呼ばれるもので、あまり深くは触れませんが、この主題はポストモダンにおける「意味の空虚さ」に深い関係があります。

村上の作品によく出てくるキャラクターDOBは、「ドボジテ、ドボジテ、オシャマンベ」というフレーズに由来しています。つまり言葉です。つまりこれはキャラクターというより、1970年代の日本のマンガから引用された匿名の言語なのです。意味はなんだか不明です。

それからわたしたちはDOBの進化を追います。この道程、あるいは主題は基本的に「超過」、過剰消費の産物のようなものです。

次に、まったく異なるタイプの展覧会として、アレクサンドラ・モンローが企画した『李禹煥:Marking Infinity』展があります。

ここでは、わたしはアーティストと美術館の間に位置することになりました。ここではキュレーターとしてのトレーニングや展覧会づくりのあらゆる側面、また、現場での打ち合わせではすべてアーティストの通訳をし、展覧会やカタログのための独自のリサーチや貸し出し作業も行いました。

この展覧会を通して、わたしは毎週末彼のスタジオに通い、李と非常に密接に仕事をし、彼がどのように考えるのか、そして「もの派」の非常に重要な側面なのですが、どのように展覧会を設置するのかを学びました。

次にハーシュホーン美術館での経験ですが、基本的には7年間でした。コレクション展をいくつも企画し、実際にこれは、どうやってコレクションを構築し、また非西洋美術というレンズを通して、どのように再文脈化するのかを学ぶ素晴らしい方法でしたし、多くの日本の作品を収蔵品に加えることができました。

また片岡真実のキュレーションによる、アイ・ウェイウェイの展覧会『According to What?』のコーディネーティング・キュレーターを務めました。彼女にはここで初めて会ったのですが、わたしにとって非常に素晴らしい経験となりました。

わたしたちはアイ・ウェイウェイの作品だけでなく、コレクションについての対話も行うこともできました。アイ・ウェイウェイの作品と彼が参照する歴史、ロシア構成主義のナウム・ガボや、より制度批判的なミニマリストのハンス・ハーケ、そしてポスト・ミニマリストのアーティストであるリチャード・ノナスなどを通して国際的または国境を越えた対話を行う素晴らしい機会でした。

美術館でわたしが企画した最後の展覧会は、草間彌生の『Infinity Mirrors』でした。この展覧会は現館長のメリッサ・チウが、草間彌生の «Infinity Mirror rooms» を展示したいと言っていたのですが、わたしはそれに対して、これまでにも多くの観客向けの展覧会があったのだから、「インフィニティの系譜」を追うというのはどうでしょう、と提案しました。

わたしたちは草間と交渉して、この展覧会を行うことになったのですが、それは «Infinity Mirror rooms» を歴史的に文脈づけるためのものでした。

この展覧会は «Infinity Mirror rooms» の叙事詩のように始まります。草間は1965年以来、20以上の異なる「鏡の部屋」を制作しており、これは «Phalli’s field» と呼ばれる最初の作品です。

また、10個の覗き小屋のような部屋もあり、右側の部屋は «Love Forever» です。わたしたちは、これらの部屋の体験にとって非常に重要な、「知覚」というアイデアを盛り込みたいと考えました。鏡の部屋のひとつである «Love Forever» には草間彌生の大きな壁画があり、内部と外部は皮膚のようなものになっています。そして6つの鏡部屋は、他の様々な作品によって構成されています。

このフロア・プランについては、実際に彼女と密接に仕事をしました。これが最初の打ち合わせで、この展覧会は6つの会場を回りました。6つの会場でその都度、承認を得る必要がありましたが…… これが展覧会のフロアプランです。レイアウトされている作品のいくつかを見ていただければ、だいたい年代順に並んでいるのがわかると思います。

今回の展示のコンセプトは効率化の軌跡、この「無限性」というアイデアから始まりました。彼女は、このジェスチャー・マークを何度も何度も描いていたのですが、それから裁縫した筒に布を詰め込み、集積する彫刻を作り始めました。その後、彼女は彫刻を写真で再現するシルクスクリーンのプロセスを発見し、没入感のある環境に一挙に取り込んだのです。

これは、プロトタイプではありませんが、彼女のミラールームにつながる作品です。

彼女は実際、アムステルダム市立美術館でクリスチャン・メーゲルトというスイスのアーティストが鏡を使っているのを見て、それをきっかけに、水玉模様や集積彫刻のモチーフを根本的に「無限大」に増殖させることを発見しました。

これは «Obliteration room» という展覧会の最後のインスタレーションで、来場者は展覧会の最後の空間を抹消するために、ステッカーを渡されます。これは、1960年代の反ベトナム戦争運動の一環である「自己抹消」の哲学に関連するもので、本来は自分を裸にして、お互いを「他者」ではなく「対等の存在」として見るというものでした。これは非常にパワフルな政治的スタンスでもあります。戦争に対する積極的な抗議であり、また、この「自己抹消」の考え方は、草間彌生と聞いて通常連想される、エゴやナルシシズムとはほとんど正反対のものです。したがってこのインスタレーションを最後にもってくるのは面白く、参加型で、より祝祭的なインスタレーションではありますが、展覧会の最後にふさわしいと考えました。

キュレーターとしての役割・発展: Part 2』




吉竹美香(インディペンデント・キュレーター)

ハーシュホーン美術館と彫刻庭園(ワシントンD.C.)元キュレーター(2011–2018年)。カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(UCLA)より修士号および博士号取得。博士論文をもとに「太陽へのレクイエム:もの派の芸術」(Blum & Poe、ロサンゼルス、2012年)を企画し、国際美術評論家連盟アメリカ支部(AICA-USA)より受賞。開催予定も含む主な展覧会=草間彌生の北米巡回展 「Yayoi Kusama: Infinity Mirrors」(ハーシュホーン美術館と彫刻庭園、ワシントンD.C.、 2017–2019年)、「パレルゴン:1980-90年代日本美術」(Blum & Poe、ロサンゼルス、2019年)、「奈良美智 国際回顧展」(ロサンゼルス・カウンティ美術館、2021年、ゲスト・キュレーター)、草間彌生展「KUSAMA:Cosmic Nature」(ニューヨーク植物園、2021年、ゲスト・キュレーター)。草間彌生回顧展「Yayoi Kusama: 1945–Now」(M+、香港、2022年、ドリュン・チョンとの共同企画)、「息(る):気候変動と社会正義(Breath(e): Towards Climate and Social Justice)」(ハマー美術館、ロサンゼルス、2024年、グレン海乃との共同企画)。また、村上隆回顧展「©MURAKAMI」(ロサンゼルス現代美術館、2007年)、李禹煥回顧展「Lee Ufan: Marking Infinity」(グッゲンハイム美術館、2011年)にも携わり、カタログに寄稿。「ターゲット・プラクティス」(シアトル美術館、2009年)、 「東京1955-1970:新しい前衛」(ニューヨーク近代美術館、2012年)「カール・アンドレ:場所の彫刻1958–2010」(Dia Art Foundation、2014年)のカタログにも寄稿。

※ このトークは2021年12月11日にオンラインで開催された。