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GAT 031 吉竹美香
キュレーターとしての役割・発展: Part 2

2023.11.30
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国際的なキュレーターとしてこれまでに美術館やギャラリーで多くのプロジェクトに関わってきた吉竹美香。美術館とギャラリーの環境や目的にはどのような違いがあるのか。以下は2021年12月11日に行われたオンライン・トークの抜粋である。

石井潤一郎 (ICA Kyoto)




キュレーターとしての役割・発展: Part 1』



次にブラム・アンド・ポーでの特別プロジェクト、『太陽へのレクイエム: もの派の美術』を紹介したいと思います。これは、もの派に関するわたしの論文の集大成で、展覧会の目的は、アーティストのアイデアや作品を歴史的に新しい文脈で見直すことでした。カタログ上では記録作品やアーティストの理論、アイデアを、彼らの著作をわたし自身が翻訳しながら探求し、展覧会のスペースでは、独自の言語を持つ彼らの作品を紹介するという実験を行いました。

これはもの派のムーブメントを起こした伝説的な作品、関根伸夫の «位相-大地» ですが、この作品は明白にサイトスペシフィックで、すでに存在していないため、場所を考慮しながらに再制作しなければなりませんでした。

この展覧会の目的は戦後の日本美術において、そして広義の意味においての彫刻の、新しい理解を促すことであると述べました。展覧会では、それぞれの作家が紹介する特別な用語や概念、彼らの作品群を理解するための方法なども紹介されました。

わたし自身の役割は、第二世代--80年代初頭から紹介されてきた数多くの歴史的なもの派の展覧会の後で、何ができるかを深く考え、現代美術を学ぶ者として、まずポスト・ミニマリズム、ランドアート、アルテ・ポーヴェラとの比較を通して作品を位置づけ、しかしそれらの概念に作品を当てはめるわけではなく、しかしアーティスト自身のアイデアに焦点を当て、それを展覧会の一部として前景化させようと試みることでした。

例えば、1970年の「美術手帖」。実は母がこの雑誌をすべてコレクションしていたのですが、わたしはこれらの写真を見ました。それで初めて彼らの作品を知ったのですが、彼らの作品はとても過程を重視するもので、行為であり生であり、決して静物的なオブジェではなく「生きた構造物」とも呼べるようなものでした。

また「Bゼミ」という、それぞれのアーティストが独自の教授法を持っていて、学生にさまざまな素材や空間を実験させるという、通常のアート・スクールとはまったく異なる、彼らの教育法を学びました。これにはまるで、目からウロコが落ちるような思いでした。

次の展覧会、『パレルゴン』展は、藤井雅実が主催していた「画廊パレルゴン」(1981-1987)という、岡崎乾二郎、中村一美、宮島達男ら「ニュー・ウェーブ」とも呼ばれる新世代アーティストを打ち出してきた、東京のギャラリーの名前に着想を得ています。

「パレルゴン」とは、ギリシャ語で「周縁」を意味する「パラ」と、「アートワーク」を意味する「エルゴン」に分割される言葉です。基本的には、中心対周辺というヒエラルキー的な価値観を解き放ち、支配的なメディウム・スペシフィシティ(媒体特殊性)の系譜を再文脈化し、周縁化された断片的な要素も作品理解のために同様に重要であるとする枠組みであり、1980年代から90年代の日本の活動を示す非常に良い実例でした。

この展覧会は、わたしの学部の卒業論文でもあった柳幸典の1987年に制作した« グランド・トランスポジションー139°52’09” 36°33’52” » というインスタレーションに触発されたものでもありました。

この作品は「もの派」の影響を受けていて、実は「もの派」を知ったのも柳の紹介で、そういった繋がりがありました。ですので、この作品でオープニングを飾るというのは、とても面白いことでした。

これは単なるアース・アート(ランド・アート)ではなく、アートワークとは何かという、制度的な境界線を押し広げています。作品は土で覆われたひとつのヘリウム風船でできています。写真はオリジナル・バージョンで栃木のものですが、このヘリウム風船は他のアーティストのスペースにも入っていきます。柳にとっては、このように常に境界線を押し広げるような反抗的なやり方が面白く、これはキネティック・アートの作品でした。

彼はアレクサンドラ・モンローの『Japanese Art after 1945: Scream Against the Sky』(1994-1995)で明確に紹介されていました、それからわたしは昭和から平成に移行する、1989年頃からのアメリカでの日本の現代美術のさまざまな種類の展覧会『Against Nature: Japanese Art in the Eighties』 (1989)や『A Primal Spirit: Ten Contemporary Japanese Sculptors』(1990)、『A Cabinet of Signs: Contemporary art from post-modern Japan』(1991)などにも目を向けました。

この展覧会にはいくつかの鍵となる基準がありました。ひとつは、基本的に同時期に発生した作品を通して、共時的にこの時代を調査すること。1989年の作品には、参加型、テクノロジーへの接近、核の危機、環境問題など、さまざまなテーマを追求したものが多くありました。第二に「パレルゴン(周縁の作品)」というフレームを記述する、あるいは再記述するような作品であること。そして第三に、特に同時期のアメリカン・アートとの関連で、形態学上、あるいは形式上において共鳴する作品であること。

ここにあるのは、椿昇の «フレッシュ・ガソリン» と宮島達男の «時の海» で、共に1989年に紹介されました。わたしたちはこれをブラム・アンド・ポーでの展覧会に含めながら、30年後を思考したいと考えたのです。

参加型作品、小沢剛の «地蔵建立» は、おそらくこの展覧会で最も人気のあった作品のひとつで、上に登って写真を見ることができるのですが、その場所が非常に政治的な場所なのです。抗議活動の現場、危機の現場、様々な政治運動の現場。

これらは、形態学的な共鳴です。横尾忠則の作品は、例えばアメリカの新表現主義絵画との関連で考えましたが、デヴィッド・サーレの絵画、特にキャンバス上で編集したような作品と非常に共鳴しており、その違いや類似性について考える機会になりました。

中原浩大の作品は新しいタイプのユーモラスでシュールな彫刻であると、エルヴィン・ヴルムやジム・ホッジスといった他のアーティストの作品を通して考えていました。

最後に、LAを拠点に活動するアーティスト、グレン・カイノと取り組んでいる次の展覧会についてお話ししたいと思います。この展覧会が意図するところは、気候変動に対する正義と社会的正義との間の交差的な対話で、わたしたちは世代や分野を超えて厳選された現代アーティスト、科学者、デザイナー、建築家と協力し、気候変動に対する正義についてさらに知識を深めていこうとしています。

展覧会のタイトルである『Breath(e) /息 (る)』は、オブジェと行動の狭間に存在しており、オブジェを集合させて展示を行うというアイデアはもちろんですが、実践を取り入れるという意味でも機能しています。わたしたちが見ているアーティストの多くは、本当にアクティヴィズムなアートワークに介入しています。

わたしたちは人種的暴力と経済的不平等との間の抜き差しならない関係と、現代の活動家やアーティストたちがこれらの問題をどのように是正してきたかに注目することを計画しました。強力な例は、ダコタ石油輸送パイプラインの建造により先住民コミュニティへの水の供給が脅かされていることに反対する、スタンディング・ロックの講義者たちです。これは、スタンディングロック・スー族出身のカヌパ・ハンスカ・ルーガーによる «Mirror Shield» という作品です。これは、警察に向かい合うDIYの盾ですが、アクティヴィストによるインスタレーション、あるいはパフォーマンスとして、コミュニティを活性化させるものです。

もちろん美術史家として、アース・アートやエコの美学、持続可能性に関する過去の展覧会を見てきました。これらの例は、アート・システムや制度批判に通じるものですが、単なる作品の表現ではなく、また気候変動についてでもなく、本当に働きかけるもの、本当に政策に変化をもたらそうとしているものです。

これらはわたしたちが検討している主要なテーマ、芸術的な制作方法の一部です。最終的なものではありませんが、紹介できるものとしては、エコ・アクティヴィズム、サウンドスケープ、レクチャー・パフォーマンス、持続可能なデザインと建築、新しいイメージ技術、エンジニアリング・エコシステムなどがあります。

厳しく言うならば、気候変動の原因について、わたしたちはどのようにその相互関係を考えることができるでしょうか。これは重要なことです。なぜなら、気候変動は、単にさまざまな種類のカテゴリーがあるだけでなく、それらがどのように互いに影響を及ぼし合っているのかという問題なのです。海水温の上昇や海洋酸性化、森林伐採、乱獲、これらはすべて互いに影響し合っています。

わたしたちは、これらの影響について相互関係的に考えることができるアーティストを探しています。気候変動がもたらす影響に意識を向けさせ、介入するための戦略とは何か。政治的、経済的な利益という権力構造に対して、政府や機関、個人の行動によって提案された解決策をどのように評価することができるのか。これは厳しく批評的な態度で、というのも、わたしたちは美術館の役割について自省的に考えたいと思っているからです。

特にハマー美術館はオキシデンタル・ペトロリアムが設立していますし、ゲッティ・センターも石油会社によって設立されているので、どうしてもその関連性に疑問は残ります。ではどのように施設を考え、活かすのか、どのように展覧会の告知を行うのか、石油会社がスポンサーになっている美術館に対する抗議運動の例もあります。したがってこれは非常に慎重にならざるを得ません。

そして気候変動の視覚文化について。とても影響力のある多くの映画やドキュメンタリーの中で、マスメディアにおいても抗議行動や調査報道が行われているその巨大な文化産業の視覚的な気候変動の中で、「アート」は一体どのような役割を果たすことができるのでしょうか。効果的な学際的芸術的戦略とは何か。アート、サイエンス、エンジニアリング・デザインを統合することは可能なのでしょうか。そして最後に、より哲学的な質問ですが、わたしたちは、どのように人間を構成するものを想定し、自然との共存という概念へシフトしてゆけるのでしょうか。

どうすれば、より倫理に基づいたテクノロジーの使用を考えることができるのか、自然の生命とより繊細に対話するために、テクノロジーをどのように使用することができるのかを強調し、さらに気候変動に対するさまざまな生態系の保護に対する共感と行動を喚起することが、本当の目的であると考えています。


吉竹美香(インディペンデント・キュレーター)

ハーシュホーン美術館と彫刻庭園(ワシントンD.C.)元キュレーター(2011–2018年)。カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(UCLA)より修士号および博士号取得。博士論文をもとに「太陽へのレクイエム:もの派の芸術」(Blum & Poe、ロサンゼルス、2012年)を企画し、国際美術評論家連盟アメリカ支部(AICA-USA)より受賞。開催予定も含む主な展覧会=草間彌生の北米巡回展 「Yayoi Kusama: Infinity Mirrors」(ハーシュホーン美術館と彫刻庭園、ワシントンD.C.、 2017–2019年)、「パレルゴン:1980-90年代日本美術」(Blum & Poe、ロサンゼルス、2019年)、「奈良美智 国際回顧展」(ロサンゼルス・カウンティ美術館、2021年、ゲスト・キュレーター)、草間彌生展「KUSAMA:Cosmic Nature」(ニューヨーク植物園、2021年、ゲスト・キュレーター)。草間彌生回顧展「Yayoi Kusama: 1945–Now」(M+、香港、2022年、ドリュン・チョンとの共同企画)、「息(る):気候変動と社会正義(Breath(e): Towards Climate and Social Justice)」(ハマー美術館、ロサンゼルス、2024年、グレン海乃との共同企画)。また、村上隆回顧展「©MURAKAMI」(ロサンゼルス現代美術館、2007年)、李禹煥回顧展「Lee Ufan: Marking Infinity」(グッゲンハイム美術館、2011年)にも携わり、カタログに寄稿。「ターゲット・プラクティス」(シアトル美術館、2009年)、 「東京1955-1970:新しい前衛」(ニューヨーク近代美術館、2012年)「カール・アンドレ:場所の彫刻1958–2010」(Dia Art Foundation、2014年)のカタログにも寄稿。

※ このトークは2021年12月11日にオンラインで開催された。