松岡千恵「ナマエミョウジ展・展示日記」全文掲載
福永 信
2014.04.28
以下に掲載するのは東京・池袋のジュンク堂書店9階で開催された、ナマエミョウジ「キャラ名鑑」展の設営から最終日までを記録した日記である。日記の著者はこの展示を企画されたジュンク堂の松岡千恵氏である。私の「星座と文学」フェアとの連動企画であるため、ナマエ展の報告メールを随時いただいていたのであるが、その報告があまりにもおもしろい。そこで「ぜひもっと記録をとっておいてください」と松岡氏にお願いしていたのである。それが以下の「ナマエミョウジ展・展示日記」である。写真はすべてナマエミョウジ氏撮影である。では、ナマエ展のおもしろさを伝えるおもしろい文章を、以下お楽しみください(一部、福永による注釈が付してあります)。
松岡千恵「ナマエミョウジ展・展示日記」
11月某日 福永さんからメールが。新しいエッセイ集を出されるとのこと。あわわわギャーとなる。メールが届いた日、おぼろ昆布をおやつに食べていたのですが、それをのどにひっかけて死にそうになった。書店員の生死にまで関わってくる福永信の新刊。死ななくて良かったです。「ナマエミョウジさんに表紙を描いてもらいました」との記述。ナマエ・・・?誰・・・?福永さんが教えてくれたナマエさんtumblrにて、はじめてねむちゃんを見る。かわいいけどなんで目が線なんだろう、という感想。
1月某日 『星座と文学』発売日。この日なぜか、38度くらいの熱があったが、買った本を手に取るやいなや、想像を超えた表紙、カバーとったところ、そして内容、にさらに夜に熱があがる。書店員の生死に・・・(以下略)
1月某日 ナマエミョウジさん、展示会場を下見に初めてのご来店。夕方。思っていたより2倍くらいの身長の、クリーム色が似合う、ゆっくり話される静かな印象のお兄さんだったので驚く(なぜか勝手に、あの作風から判断し、どうせ黒田勇樹みたいな人が来るのだと思い込んでいました)。初日からメジャーでナマエさんが展示会場を測っていたが、壁のあまりの年季の入り方に「これは・・・」と仰っていた。その後、地下二階の商品課にご案内、この日からいきなり『星座と文学』のまわりに置くPOPを描いてもらう。地下二階に降りる途中のEVで、ものすごいナマエファンの書店員Dがナマエさんと遭遇。「ギャー!!なんでナマエさん(俺の憧れの漫画家)がここに!?」普段はクールなDの声がうわずる。ナマナマエさんを見れて嬉しそうにしていた。何かうらやましい。Dめ・・・。地下でナマエさんに「これに絵を描いてもいいですよ」と、私がはさみで切った星型の色紙を渡したところ、「こんなに個性のある切り方の星に絵は描けません」とにこやかに、しかしきっちりと拒否。ガ―ン・・・そんなにおかしな切り方なのか・・・「ある意味すごいですよ、こんな切り方は普通できませんからね」と言って、ジュンク堂の普通のPOP用紙に黙々と絵を描かれていた。考えてみれば、このあたりから松岡の工作にダメ出しをされていたのだが、ソフトな語り口調のため、まだまだ気付くのには時間がかかる。ナマエさんに漫画『名作集2010~2012』をもらう。
2月某日 ジュンク堂が終わった後、ブックスルーエへ。花本さん(ルーエのカリスマ)いるかなあ、と二階にあがったところ、ものすごく綺麗なシャツで(花本さんはいつもワイシャツが澄み切った小川のように美しいです)俊敏に動き回る男性の影が。「いやー松岡さん!」花本さんだった。奇しくも今まで、福永さんがいらっしゃったとのこと。悔やまれる。イベントでルーエの「星座と文学」フェアが、仮のブックトラックに移動されていて、「くそうよりにもよってこんな日に福永さんが・・・!」と、地団駄を踏む花本さん。しかしフェアじたいのラインナップと花本さんが作った福永さんのエッセイ入りの冊子の完成度はすばらしく、早速福永さんが選書されていた漫画『高橋さんが聞いている。 1』を購入(超絶おもしろかった)。花本さんにナマエさんにもらった『名作集2010~2012』を見せびらかし、ジュンクにもきてください、と言ってルーエを出る。花本さんの綺麗なシャツや、軽いフットワークや、そういうものを可能にしている「本のことが気になってたまらない」執念に今日も多くの人が救われているのだろう(そういうことをダラダラ考えていたら、翌日どうも花本さんが早速ジュンク堂の『星座と文学』フェアで埴谷さんの本を買ってくださったっぽい・・・このフットワーク・・・!さすが!)。
【福永注】ブックスルーエは吉祥寺の商店街にある本屋さん。ここでは、花本氏によって「移動可能」異色福永フェアが仕掛けられていた。この日(私の手帳によれば2月1日)、近くの三鷹駅周辺で3月に開催される「Civic Pride わたしたちのマチ わたしたちのアート」の打ち合わせ&下見のために私は上京していて、それが終わったので立ち寄ったのである。ちなみに前回のブログの「泥とジェリー」展を見たのは翌日の2月2日。ブログに書いたのは3月27日。私の筆不精ぶりがわかる。東近美の後、ナマエさんが参加されているコミティアにも行った。作家の岡崎祥久氏と遭遇。
2月某日 朝、通勤途中の電車で『名作集2010~2012』を読んでいたら、ある話のあまりのすごさにその後一ヶ月ほど、他の漫画は読めなくなってしまう。「I.E.との遭遇」という、家に似た夫婦の子供が日本列島に似ている、という、口頭で説明すると本当にわけがわからない話だった。詳しくは皆さん読んでもらいたいが、その、日本列島に似ている子供「よしお」が、家のおとうさんに、「とんがり帽子」のおみやげを所望するんですよ!おみやげのためにこの日本列島は、毎日おりこうにしているのだ。もうなにがなんだかわからなくなり、電車から降りて呆然とした。・・・ナマエさんという男が心底恐ろしくなる。この話のすごさを同僚、友人、版元の方々に毎日のようにして、「いよいよ松岡さん・・・」と言われるようになる。
2月某日 『キャラ名鑑』絵の設置。夕方にナマエさんが来られる。大荷物。申し訳ない。バックヤードの地獄みたいな階段に荷物を置いていただき、どの位置にどの絵を貼るか決めていただく。当初、絵の裏に貼る、250枚以上の発泡スチロールをジュンク堂で購入することが予算的に無理です、とナマエさんに伝えたところ、「それでは直接コピー用紙にプリントしたものを壁にぴったり貼ります」ということになっていたのだが、やはりそれではまずいと思い、ジュンク堂じゅうの発泡スチロールを集めることになる。あまりにも私が発泡スチロールの話ばかりしているため、「何かあったらすぐに松岡さんに発泡スチロールを」と、他のスタッフがこっそり相談するのを目撃する。ナマエさんが絵の位置を決めている間、私とT(とても真面目なバイトの人)で絵の裏に発泡スチロールを貼っていく。どう考えても閉店までには間に合わない(キャラ名鑑初日は明日)のため、明日の朝からジュンク堂スタッフで残りの絵を貼る事に。ナマエさんが「明日もきますよ」と仰ってくださるが、どう見ても顔色が真っ青で、寝てない様子なので、いいです、とお帰りいただく(なぜかこの時から、勝手にナマエさんは夜牛丼屋で働いておられるのだと松岡は勘違いしていた)。ナマエさんが、絵を貼るのに使う練り消しゴムをものすごい大事に扱っている様子に感嘆。練り消しなのに・・・考えたら、その後もペンとか色紙の細部をものすごいこだわって観察される方だった。しかしこの日も「あの星の切り方はおかしい」と言われガーンとなる。しかもなぜか「もって帰ってもいいですか」と仰り変な切り方の星をカバンにニヤリとほくそえみながら入れていた。ショック。さては「ジュンク堂、こういう星の切り方をする感性の奴が俺の担当なんだぜ、マジないわ~」と他人に証明するための道具にする気だな・・・!と勝手に疑心暗鬼に。
【福永注】そういえば、ナマエさんの「物をとても大切にする」は僕も目撃したことがある。ガケ書房で1月にナマエミョウジ名作展があってご本人がいらしたとき、僕は色鉛筆を1本借りた。ちょっと必要だったからである。夜も10時をすぎて、さて帰ろうということなったのだがナマエさんは、「福永さん、色鉛筆を…」と言う。もちろん僕は「え?色鉛筆?」と返事をした。すっかり借りたことを忘れていたからである。当然どこに置いたかもサッパリわからない。ナマエさんは、「いや、いいんですが」とこちらの気を遣いながらも、明らかに、迷子の我が子を捜すような感じで、店内を歩行し始めたのである。色鉛筆はけっきょく僕のズボンの尻ポケットに入っていた。「アッタ」と僕がマヌケな声を出すと、ナマエさんの顔がまぶしいほど輝いたのである。ナマエさんの耳には、色鉛筆の「ただいま」の声が聞こえていたのかもしれない。さて、ところで、2次元にナマエさんを押し込むとこういう「キャラ」になってしまうのであるが、むろんこれは僕の見たナマエさんである。松岡氏の記述するナマエさんも、彼女の見たナマエさんである。
2月某日 『キャラ名鑑』初日。開店前からパネルを紙に貼る作業の続き。パネル、一番欲しいサイズはA3だが、圧倒的に足りない。A4やB6や、それよりもっと小さいサイズのパネルを貼り合わせてA3にする作業×100枚くらい・・・もはやパネルを貼っているのではなく、パネル島という島を作っているかのような錯覚におちいる。A5というサイズの存在価値がわからない。ほんとうにわからなくなる。夕方ころやっと作業終了。すでに数人の熱心なお客様が展示を見ている!うれしい。
2月某日 ナマエさんご来店。貼ったものを見ていただく。絵の設置初日から「うーん・・・もうこれは、公民館みたいにするです・・」と仰っていた(会場のチープさかげんに)ので、その延長作業の話し合い(白いお花紙で「ケンカのポカポカ」を作ることにする)。ナマエさん、なぜかご自分で作った「高橋是清」のおめんを持ってこられていた。そしてなぜかそれをつけて是清で写真撮影。
2月某日 ナマエさんにもらっていたねむちゃんの小さい絵を、ふとした思いつきから9階のいろんな場所に貼ってみる。美文字の書き方本の近くに、えんぴつを持っているねむちゃんを貼ったら、小さい子が見かけて「かわいい!」と喜んでいたので、本棚やエレベーターの脇などに設置。後日、また小さい子がねむちゃんを見て「はんそでだー」と笑っているのを見て、はっとなる。ナマエさんに報告したところ、ものすごく喜ばれていた。
2月某日 ケンカのポカポカ用の白いお花を、自宅で作っていたら家に来た人に「おまえの頭がついにおかしくなったかと思った」と言われる。自分の周りに散らばったお花の総数を数えたら70個もあった。納得。ナマエさんに数を報告したら「そんなに使うかわかりませんが」と冷静なメールが。
2月某日 ナマエさんご来店。昼。なかなかお越しにならないなあ、と思っていたら、星のかたちのシールをいろんな文房具屋さんに探しにいっていて遅れたとのこと。後日、上司にそのことを話す機会があり、「シールをさがしに・・・」と報告したら(なにか子供の出てくるイラン映画の題みたいです)、「はあ!?シール?大人なのに?」と言った後で「あの人はなんかすごい、小学生みたいな人だ」と感心していた。いろんなところに貼ったねむちゃんの手直しと、ケンカのポカポカの設置。平面的だったねむちゃんが立体的になったり、より効果的に貼られていてびっくりする。ケンカの先輩とケンカちゃんを作ってもらい、その後、クッシーをナマエさんに描いて貰う。何回かクッシーを練習描きしてから「うーん・・・僕あまりこういう絵とか得意じゃないので・・・」と言われ、階段でずっこけそうになる。
2月某日 会場に来るお客さんの毛色がバラバラすぎて、まったくわからない。英語の幼児教材の本があるからか、外国人の女の子がなぜか展示のパネル前でおにぎりを食べ、お母さんに怒られていたり、「谷川さん」を見て女子中学生の集団が「男の幻想がかたちになった女だ」的なことをきゃいきゃい言っていたりして面白い。ナマエさんに報告したら、「谷川さんという名前は「谷間があってしかもかわいい」という意味なので、彼女らの指摘は間違ってません」と、冷静なようで、しかし喜んでいる感じのメールが。
【福永注】「谷川さん」はナマエ漫画のキャラ。「ケンカのポカポカ」は漫画によく出てくるあのふわふわしたわたぼこりから手とか足が出てるみたいな、これまたナマエ漫画常連。「クッシー」は雲に住むネッシー的な生き物。後述の「アイポド」や「ざぶとん」「とうふ」、「日本列島」「モザイク」「空飛ぶおっぱい姉さん」等も欠かせないキャラ。ちなみに「ねむちゃん」は「眠たい」なのかと思ってたら、名前(NAME)のことだという。いつどこで何がキャラになるか油断できないのもナマエ漫画の魅力。
3月某日 ナマエさんと西村ツチカさんがいっしょに来店。ツチカさんがとても落ち着いた方で驚く。パネルの厚みがばらばらなため、壁から浮いたパネルをナマエさんが見つけるたび、見逃さず壁にギュウギュウ押し込んでいるので、申し訳なくなる。本当にすみませんでした。この日、ナマエさんの漫画を読んでファンになった男性社員(ものすごい丁寧な接客と美しいズボンの折り目に定評のある男、Y)をナマエさんとツチカさんにご紹介する。Yのあだ名は実はシリアルキラーなのだが、あとでナマエさんに教えたら喜んでいた。Yとナマエさんがなぜか「虫を食べる話」をふつうにしていて、ツチカさんの反応が心配になる。それにしても、ナマエさんとツチカさんがいろんな芸術書を読みながら、フロアのいろんなところにねむちゃんを貼っている様子はあまりにも仲良しすぎて面白かった。小学校の教室みたい。この本がほしいねんーとか、本当にすごい線だねとか、おっ乱丁本だ!これをわざと買って版元からもう1冊送ってもらおうぜイヒヒ!とか二人でキャーキャー仰っていた。ナマエさんがツチカさんの前で、「松岡の星の切り方がへん」の話を当たり前のようにされたので、やっぱり・・・!もうやめろ・・・!と思いながらうつろな目に。ナマエさんが帰り際になぜかハンバーガーの肉部分が光るおもちゃをくれる。「光を見すぎて失明しないように」と言われた。その晩、光るパネルをナマエさんがぎゅうぎゅう押し込んでいる夢を見る。
3月某日 福永さんから「小説全5冊キャラ名鑑」が届く。初めて読んだとき私と上司の笑いが止まらなくなり、呼吸困難に陥った。やはり書店員の生死をも左右する小説家、福永信・・・。印刷して冊子にまとめ、フェアで配るが、ものすごい速度でなくなるため、半泣きで家で冊子を制作。うれしい悲鳴。
【福永注】ナマエさんの「キャラ名鑑」の展示が盛り上がっていておもしろそうなので、くやしまぎれに「福永信小説全5冊キャラ名鑑」というのを書いて松岡氏に送った。
3月某日 先日のシリアルキラーYから「展示会場にこれだけキャラクターがいるのだから、人気投票をしたらいいのではないか」という意見があり、どうやって投票する方式にすべきか考える。お客様に結果がわかりやすく、なおかつ楽しく、美しくもある展示。星にもひっかけたい。悩みまくっていたところ、小さいお子さんといっしょにご来店された版元さん(保育書を出しているところの方です)から、黒い紙に色紙の星を貼り付けて夜空にする方式の人気投票はどうですか?と言われた。すごい!ナマエさんにメールしたところ、それでいきましょう、とのお返事。早速家で投票用の夜空と、星を作成。星を作っていたら友人に「また頭が・・・」と言われる。(もう星はいくつ作ったんだかわからず)。
3月某日 ナマエさんの『名作集2010~2012』の中の、「アイポド」を電車の中で読んでいてはっとなった。中学1年生の当時、まさにオザケンや渋谷系が全盛だったころ、家でそれらのCDをよく聞いていたものだったが、あるとき「ブギー・バック」を昼にヘッドホンで聞いていたら、妙な雑音が入る。何これ、オザケンなんの試み?民族音楽?と思ったそのとき、部屋の外を見てはっとなった。庭にやってきた山伏が、お布施を求めるために、ほら貝を吹いていたのです(実話)。山伏と目が合ってしまい、もうこの町は駄目だ。意地でも東京に出よう。とそのとき思った瞬間が、ipodに似た大根を掘り出す地方の男子中学生の姿を見ることで思い出されたのでした。しかし、大人になった今考えると、山伏はそこまでひどくはない、むしろ素敵な思い出だったのかも、とも思える。
【福永注】ナマエさんの漫画に「ipodに似た大根を掘り出す地方の男子中学生の姿」を描いた傑作がある。
3月某日 ナマエさんの漫画を友人にメールで説明したため、友人の携帯の予測変換におかしな単語ばかり表示されるようになったと苦情が。「うんこ」「うんこクッキー」「日本列島」「モザイク」「血液 Rhマイナス」「泌尿器系アイドル」「くわい」など。
3月某日 キャラ名鑑のキャラ254人人気投票をはじめる。子供が食いつけばよいなあ、と言っていたが、試みがあたり、子供が毎日星を盗むしまつ。「ざぶとん」に入っていた星を、赤ちゃんが勝手に「とうふたち」にうつしかえていて、お母さんが激怒していた。
3月某日 小さい男の子がなぜかアワアワして、「キャラ名鑑」の前に星をたくさん持って立っていた。見ると「かわいそう、かわいそう」と言ってお母さんと一緒に星を貼っている。どうも、星が入っていないキャラをなくすため、まんべんなく貼っているらしく、彼のホスピタリティ精神に頭が下がる。かわいいなあ。彼が星を貼りまくってくれたおかげで、夜空が全体的に星で埋め尽くされる事態に。
3月某日 ナマエさんご来店。たまたま女子中学生が展示を見ていたのを見て、「あれは女子中学生ですか?」と仰る。それを当店の警備員に聞かれており、ナマエさんが帰ったあとに「あの人は普通の人ですよね?」と聞かれる。
4月某日 ナマエさんのキャラクター人気投票、「キャラ一覧リスト」を作るため、家でキャラクター(254名)をエクセルに五十音順でまとめる。軽い気持ちで行ったが、途中で「やめておけばよかった」と思うこと百回ぐらい。読めないキャラの名前をナマエさんに聞いたところ、「難読キャラ一覧」をまとめてくださり、読み方をご教授くださった。
4月某日 福永さんから最後のたくらみ企画、12枚のにがおえPOPが届く。すごい!シリアルキラーYに見せびらかす。にがおえ、福永さんがさまざまなやりかたで、見切れているところがポイント。
【福永注】『星座と文学』には作家の人達と美術館に行くという連載企画を収録してある。その初出の京都新聞には写真が掲載されていた。ゲスト作家と僕が展示を見て語り合ってるねみたいな写真で、それを台詞付のイラストにしてジュンクのPOPに描いてみた(裏に初出の写真のコピーを貼った)。
4月某日 ナマエさんがキャラ名鑑の上のほうに貼った「100万円さんのサイン」が波乱を巻き起こす。中国の観光客っぽいお客様にバイトの人が「あれは誰のサインか」と聞かれたとのこと。ナマエさんに報告したら「中国人やアラブの金持ちには、『このサインは100万円で販売してるから買ってくれ』と言っておいてください。」とのメール。
4月某日 展示最終日。松岡は休みだったが、落ち着かずジュンク堂へ。「キャラ名鑑」前に、なんだかものすごい数のお客様。本もものすごい勢いで売れていた。星もいたるところに増えており感激する。
4月某日 展示が終わった。搬出。星を数える作業。途中まで数えていたら、ナマエさんが「やあやあ」とやってきた。最後に二人で得票が多かった「ねむちゃん」と「空飛ぶおっぱい姉さん」の星を数える。その後ナマエさんとパネルの撤去。未だに、このパネルが明日から見られなくなるとは思えない。ナマエさんを見たら、やはり壁に貼り付けるのに使った練り消しを、綺麗に手の中に収め持ち帰っていた。パネル撤去が終わった直後、ナマエさんが「おなかがすきました・・・王将・・・王将でごはんを・・・」と仰る。聞けば朝から、何も食べられていないとのこと。松岡、ナマエさん、そしてNという元ジュンク堂の同僚と合流し、王将に行くはずだったが近くのファミレスへ。事前にナマエさんにNを「連続殺人鬼に詳しい人がきます」と紹介していたので、ナマエさんは「なたを持ったでっぷり太った肉屋の店主みたいな男が来るんじゃ・・・」と訝しがっていた。実際のNはみつばちハッチに似た、可愛い女子なので安心された模様(しかし好きな殺人鬼はエド・ゲイン)。NはNでナマエさんがファミレスでカツ煮定食的なものを食べた後「俺、デザートも食べたいかもしれん・・・デザートも食べようかな」と仰ったのを見て驚いていた。一度「でもきょうは寒いからやめようかな・・・」と取りやめていたが、30分くらいしてから「やっぱりデザートを食べます」と仰ったので、なぜか三人でパフェ的なものを食べる。なんだこの空間。初対面の女子の前であそこまで素直に『デザートを食べたい』と成人男性はなかなか言えないと思う。しかも黒糖ゼリーパフェに即決していた。ナマエさんのすごいところです。この会食の最中も、お決まりのようにナマエさんがNに「松岡さんの星の切り方、変ですよね!」「松岡さんが書店を開いたら、すぐつぶれるとおもう」などと発言。デザートを食べたあとは「ねむい・・・」とむにゃむにゃされていた。
もはや、やりたい放題である。Nがナマエさんを不思議そうな目で見ていたことが忘れられない。
このようなエピソードから、間違いなくナマエさんは松岡の目の前でカツ煮を食べ、黒糖ゼリーパフェを食べ、水も飲んでいたはずなのですが、不思議なことに、食べている場面はほとんど覚えていません。不思議なことに、覚えているのはファミレスのテーブルでも黙々と絵をかいていらしたナマエさんの頭のつむじや手先のみなのです。ナマエさんの顔を思い出そうとしても、いざとなるとぼんやりとしてほぼ思い出せないのです。ほんとうにナマエさんという人物は存在し、池袋で展示をし、ファミレスでご飯を食べて帰ったのだろうか?
そう訝しく思うのは、ナマエさんという人がもはや展示に溶け込みすぎ、「キャラ名鑑」の創造者、というよりは池袋で「キャラ名鑑」になってしまったからではないのでしょうか?
私は3歳くらいのころ、母親が妹を産むために入院したとき、家で毎日ひとり「赤」と「白」の色鉛筆を重ねて「ピンク」をスケッチブックに作っていました。母に教えてもらったのです。
ピンクちゃん、と祖父が呼んだ、その顔も何もない、丸いぼんやりした塊がスケッチブックに増えていくにつれ、悲しみはつのりましたが、泣きながらも、どうしても毎日描くのをやめられませんでした。祖父によると、ピンクちゃんが50人くらいになったところで、母が妹を連れて帰ってきたので私が泣きながら描くのをやめ、ほっとしたということです。
「キャラ名鑑」の展示はどこか、そのピンクちゃんの逼迫したエピソードに似ています。ものがものとして存在し、それを人間が見て、名前をつける。実際にはみえないケンカのポカポカや、5個のとんがりで表現される星というかたちも、人が「そう作りたいと思った」からこそ生まれた、その軌跡だからこそ人にまた、愛されるのではないでしょうか。星座はその最たるものです。だからこそあの子は、あの男の子はすべての空に、星を貼ろうとしたのかもしれない。
不思議な二ヶ月間でした。記号や文字と共存し、それらを読み取ることで私たちが生活しているならば、「読み取られる」ものにも人格を見出すとき、「キャラ名鑑」という別次元に行くことができます。壁のパネルやねむちゃんがいなくなってももう大丈夫、そう思えるようになりました。
ナマエさんが今後も、毎日おいしいデザートを食べ、線と色を重ねて、キャラという星をつないだ星座をつくりつづけてくれることを、切に願っています。
松岡千恵「ナマエミョウジ展・展示日記」
11月某日 福永さんからメールが。新しいエッセイ集を出されるとのこと。あわわわギャーとなる。メールが届いた日、おぼろ昆布をおやつに食べていたのですが、それをのどにひっかけて死にそうになった。書店員の生死にまで関わってくる福永信の新刊。死ななくて良かったです。「ナマエミョウジさんに表紙を描いてもらいました」との記述。ナマエ・・・?誰・・・?福永さんが教えてくれたナマエさんtumblrにて、はじめてねむちゃんを見る。かわいいけどなんで目が線なんだろう、という感想。
1月某日 『星座と文学』発売日。この日なぜか、38度くらいの熱があったが、買った本を手に取るやいなや、想像を超えた表紙、カバーとったところ、そして内容、にさらに夜に熱があがる。書店員の生死に・・・(以下略)
1月某日 ナマエミョウジさん、展示会場を下見に初めてのご来店。夕方。思っていたより2倍くらいの身長の、クリーム色が似合う、ゆっくり話される静かな印象のお兄さんだったので驚く(なぜか勝手に、あの作風から判断し、どうせ黒田勇樹みたいな人が来るのだと思い込んでいました)。初日からメジャーでナマエさんが展示会場を測っていたが、壁のあまりの年季の入り方に「これは・・・」と仰っていた。その後、地下二階の商品課にご案内、この日からいきなり『星座と文学』のまわりに置くPOPを描いてもらう。地下二階に降りる途中のEVで、ものすごいナマエファンの書店員Dがナマエさんと遭遇。「ギャー!!なんでナマエさん(俺の憧れの漫画家)がここに!?」普段はクールなDの声がうわずる。ナマナマエさんを見れて嬉しそうにしていた。何かうらやましい。Dめ・・・。地下でナマエさんに「これに絵を描いてもいいですよ」と、私がはさみで切った星型の色紙を渡したところ、「こんなに個性のある切り方の星に絵は描けません」とにこやかに、しかしきっちりと拒否。ガ―ン・・・そんなにおかしな切り方なのか・・・「ある意味すごいですよ、こんな切り方は普通できませんからね」と言って、ジュンク堂の普通のPOP用紙に黙々と絵を描かれていた。考えてみれば、このあたりから松岡の工作にダメ出しをされていたのだが、ソフトな語り口調のため、まだまだ気付くのには時間がかかる。ナマエさんに漫画『名作集2010~2012』をもらう。
2月某日 ジュンク堂が終わった後、ブックスルーエへ。花本さん(ルーエのカリスマ)いるかなあ、と二階にあがったところ、ものすごく綺麗なシャツで(花本さんはいつもワイシャツが澄み切った小川のように美しいです)俊敏に動き回る男性の影が。「いやー松岡さん!」花本さんだった。奇しくも今まで、福永さんがいらっしゃったとのこと。悔やまれる。イベントでルーエの「星座と文学」フェアが、仮のブックトラックに移動されていて、「くそうよりにもよってこんな日に福永さんが・・・!」と、地団駄を踏む花本さん。しかしフェアじたいのラインナップと花本さんが作った福永さんのエッセイ入りの冊子の完成度はすばらしく、早速福永さんが選書されていた漫画『高橋さんが聞いている。 1』を購入(超絶おもしろかった)。花本さんにナマエさんにもらった『名作集2010~2012』を見せびらかし、ジュンクにもきてください、と言ってルーエを出る。花本さんの綺麗なシャツや、軽いフットワークや、そういうものを可能にしている「本のことが気になってたまらない」執念に今日も多くの人が救われているのだろう(そういうことをダラダラ考えていたら、翌日どうも花本さんが早速ジュンク堂の『星座と文学』フェアで埴谷さんの本を買ってくださったっぽい・・・このフットワーク・・・!さすが!)。
【福永注】ブックスルーエは吉祥寺の商店街にある本屋さん。ここでは、花本氏によって「移動可能」異色福永フェアが仕掛けられていた。この日(私の手帳によれば2月1日)、近くの三鷹駅周辺で3月に開催される「Civic Pride わたしたちのマチ わたしたちのアート」の打ち合わせ&下見のために私は上京していて、それが終わったので立ち寄ったのである。ちなみに前回のブログの「泥とジェリー」展を見たのは翌日の2月2日。ブログに書いたのは3月27日。私の筆不精ぶりがわかる。東近美の後、ナマエさんが参加されているコミティアにも行った。作家の岡崎祥久氏と遭遇。
2月某日 朝、通勤途中の電車で『名作集2010~2012』を読んでいたら、ある話のあまりのすごさにその後一ヶ月ほど、他の漫画は読めなくなってしまう。「I.E.との遭遇」という、家に似た夫婦の子供が日本列島に似ている、という、口頭で説明すると本当にわけがわからない話だった。詳しくは皆さん読んでもらいたいが、その、日本列島に似ている子供「よしお」が、家のおとうさんに、「とんがり帽子」のおみやげを所望するんですよ!おみやげのためにこの日本列島は、毎日おりこうにしているのだ。もうなにがなんだかわからなくなり、電車から降りて呆然とした。・・・ナマエさんという男が心底恐ろしくなる。この話のすごさを同僚、友人、版元の方々に毎日のようにして、「いよいよ松岡さん・・・」と言われるようになる。
2月某日 『キャラ名鑑』絵の設置。夕方にナマエさんが来られる。大荷物。申し訳ない。バックヤードの地獄みたいな階段に荷物を置いていただき、どの位置にどの絵を貼るか決めていただく。当初、絵の裏に貼る、250枚以上の発泡スチロールをジュンク堂で購入することが予算的に無理です、とナマエさんに伝えたところ、「それでは直接コピー用紙にプリントしたものを壁にぴったり貼ります」ということになっていたのだが、やはりそれではまずいと思い、ジュンク堂じゅうの発泡スチロールを集めることになる。あまりにも私が発泡スチロールの話ばかりしているため、「何かあったらすぐに松岡さんに発泡スチロールを」と、他のスタッフがこっそり相談するのを目撃する。ナマエさんが絵の位置を決めている間、私とT(とても真面目なバイトの人)で絵の裏に発泡スチロールを貼っていく。どう考えても閉店までには間に合わない(キャラ名鑑初日は明日)のため、明日の朝からジュンク堂スタッフで残りの絵を貼る事に。ナマエさんが「明日もきますよ」と仰ってくださるが、どう見ても顔色が真っ青で、寝てない様子なので、いいです、とお帰りいただく(なぜかこの時から、勝手にナマエさんは夜牛丼屋で働いておられるのだと松岡は勘違いしていた)。ナマエさんが、絵を貼るのに使う練り消しゴムをものすごい大事に扱っている様子に感嘆。練り消しなのに・・・考えたら、その後もペンとか色紙の細部をものすごいこだわって観察される方だった。しかしこの日も「あの星の切り方はおかしい」と言われガーンとなる。しかもなぜか「もって帰ってもいいですか」と仰り変な切り方の星をカバンにニヤリとほくそえみながら入れていた。ショック。さては「ジュンク堂、こういう星の切り方をする感性の奴が俺の担当なんだぜ、マジないわ~」と他人に証明するための道具にする気だな・・・!と勝手に疑心暗鬼に。
【福永注】そういえば、ナマエさんの「物をとても大切にする」は僕も目撃したことがある。ガケ書房で1月にナマエミョウジ名作展があってご本人がいらしたとき、僕は色鉛筆を1本借りた。ちょっと必要だったからである。夜も10時をすぎて、さて帰ろうということなったのだがナマエさんは、「福永さん、色鉛筆を…」と言う。もちろん僕は「え?色鉛筆?」と返事をした。すっかり借りたことを忘れていたからである。当然どこに置いたかもサッパリわからない。ナマエさんは、「いや、いいんですが」とこちらの気を遣いながらも、明らかに、迷子の我が子を捜すような感じで、店内を歩行し始めたのである。色鉛筆はけっきょく僕のズボンの尻ポケットに入っていた。「アッタ」と僕がマヌケな声を出すと、ナマエさんの顔がまぶしいほど輝いたのである。ナマエさんの耳には、色鉛筆の「ただいま」の声が聞こえていたのかもしれない。さて、ところで、2次元にナマエさんを押し込むとこういう「キャラ」になってしまうのであるが、むろんこれは僕の見たナマエさんである。松岡氏の記述するナマエさんも、彼女の見たナマエさんである。
2月某日 『キャラ名鑑』初日。開店前からパネルを紙に貼る作業の続き。パネル、一番欲しいサイズはA3だが、圧倒的に足りない。A4やB6や、それよりもっと小さいサイズのパネルを貼り合わせてA3にする作業×100枚くらい・・・もはやパネルを貼っているのではなく、パネル島という島を作っているかのような錯覚におちいる。A5というサイズの存在価値がわからない。ほんとうにわからなくなる。夕方ころやっと作業終了。すでに数人の熱心なお客様が展示を見ている!うれしい。
2月某日 ナマエさんご来店。貼ったものを見ていただく。絵の設置初日から「うーん・・・もうこれは、公民館みたいにするです・・」と仰っていた(会場のチープさかげんに)ので、その延長作業の話し合い(白いお花紙で「ケンカのポカポカ」を作ることにする)。ナマエさん、なぜかご自分で作った「高橋是清」のおめんを持ってこられていた。そしてなぜかそれをつけて是清で写真撮影。
2月某日 ナマエさんにもらっていたねむちゃんの小さい絵を、ふとした思いつきから9階のいろんな場所に貼ってみる。美文字の書き方本の近くに、えんぴつを持っているねむちゃんを貼ったら、小さい子が見かけて「かわいい!」と喜んでいたので、本棚やエレベーターの脇などに設置。後日、また小さい子がねむちゃんを見て「はんそでだー」と笑っているのを見て、はっとなる。ナマエさんに報告したところ、ものすごく喜ばれていた。
2月某日 ケンカのポカポカ用の白いお花を、自宅で作っていたら家に来た人に「おまえの頭がついにおかしくなったかと思った」と言われる。自分の周りに散らばったお花の総数を数えたら70個もあった。納得。ナマエさんに数を報告したら「そんなに使うかわかりませんが」と冷静なメールが。
2月某日 ナマエさんご来店。昼。なかなかお越しにならないなあ、と思っていたら、星のかたちのシールをいろんな文房具屋さんに探しにいっていて遅れたとのこと。後日、上司にそのことを話す機会があり、「シールをさがしに・・・」と報告したら(なにか子供の出てくるイラン映画の題みたいです)、「はあ!?シール?大人なのに?」と言った後で「あの人はなんかすごい、小学生みたいな人だ」と感心していた。いろんなところに貼ったねむちゃんの手直しと、ケンカのポカポカの設置。平面的だったねむちゃんが立体的になったり、より効果的に貼られていてびっくりする。ケンカの先輩とケンカちゃんを作ってもらい、その後、クッシーをナマエさんに描いて貰う。何回かクッシーを練習描きしてから「うーん・・・僕あまりこういう絵とか得意じゃないので・・・」と言われ、階段でずっこけそうになる。
2月某日 会場に来るお客さんの毛色がバラバラすぎて、まったくわからない。英語の幼児教材の本があるからか、外国人の女の子がなぜか展示のパネル前でおにぎりを食べ、お母さんに怒られていたり、「谷川さん」を見て女子中学生の集団が「男の幻想がかたちになった女だ」的なことをきゃいきゃい言っていたりして面白い。ナマエさんに報告したら、「谷川さんという名前は「谷間があってしかもかわいい」という意味なので、彼女らの指摘は間違ってません」と、冷静なようで、しかし喜んでいる感じのメールが。
【福永注】「谷川さん」はナマエ漫画のキャラ。「ケンカのポカポカ」は漫画によく出てくるあのふわふわしたわたぼこりから手とか足が出てるみたいな、これまたナマエ漫画常連。「クッシー」は雲に住むネッシー的な生き物。後述の「アイポド」や「ざぶとん」「とうふ」、「日本列島」「モザイク」「空飛ぶおっぱい姉さん」等も欠かせないキャラ。ちなみに「ねむちゃん」は「眠たい」なのかと思ってたら、名前(NAME)のことだという。いつどこで何がキャラになるか油断できないのもナマエ漫画の魅力。
3月某日 ナマエさんと西村ツチカさんがいっしょに来店。ツチカさんがとても落ち着いた方で驚く。パネルの厚みがばらばらなため、壁から浮いたパネルをナマエさんが見つけるたび、見逃さず壁にギュウギュウ押し込んでいるので、申し訳なくなる。本当にすみませんでした。この日、ナマエさんの漫画を読んでファンになった男性社員(ものすごい丁寧な接客と美しいズボンの折り目に定評のある男、Y)をナマエさんとツチカさんにご紹介する。Yのあだ名は実はシリアルキラーなのだが、あとでナマエさんに教えたら喜んでいた。Yとナマエさんがなぜか「虫を食べる話」をふつうにしていて、ツチカさんの反応が心配になる。それにしても、ナマエさんとツチカさんがいろんな芸術書を読みながら、フロアのいろんなところにねむちゃんを貼っている様子はあまりにも仲良しすぎて面白かった。小学校の教室みたい。この本がほしいねんーとか、本当にすごい線だねとか、おっ乱丁本だ!これをわざと買って版元からもう1冊送ってもらおうぜイヒヒ!とか二人でキャーキャー仰っていた。ナマエさんがツチカさんの前で、「松岡の星の切り方がへん」の話を当たり前のようにされたので、やっぱり・・・!もうやめろ・・・!と思いながらうつろな目に。ナマエさんが帰り際になぜかハンバーガーの肉部分が光るおもちゃをくれる。「光を見すぎて失明しないように」と言われた。その晩、光るパネルをナマエさんがぎゅうぎゅう押し込んでいる夢を見る。
3月某日 福永さんから「小説全5冊キャラ名鑑」が届く。初めて読んだとき私と上司の笑いが止まらなくなり、呼吸困難に陥った。やはり書店員の生死をも左右する小説家、福永信・・・。印刷して冊子にまとめ、フェアで配るが、ものすごい速度でなくなるため、半泣きで家で冊子を制作。うれしい悲鳴。
【福永注】ナマエさんの「キャラ名鑑」の展示が盛り上がっていておもしろそうなので、くやしまぎれに「福永信小説全5冊キャラ名鑑」というのを書いて松岡氏に送った。
3月某日 先日のシリアルキラーYから「展示会場にこれだけキャラクターがいるのだから、人気投票をしたらいいのではないか」という意見があり、どうやって投票する方式にすべきか考える。お客様に結果がわかりやすく、なおかつ楽しく、美しくもある展示。星にもひっかけたい。悩みまくっていたところ、小さいお子さんといっしょにご来店された版元さん(保育書を出しているところの方です)から、黒い紙に色紙の星を貼り付けて夜空にする方式の人気投票はどうですか?と言われた。すごい!ナマエさんにメールしたところ、それでいきましょう、とのお返事。早速家で投票用の夜空と、星を作成。星を作っていたら友人に「また頭が・・・」と言われる。(もう星はいくつ作ったんだかわからず)。
3月某日 ナマエさんの『名作集2010~2012』の中の、「アイポド」を電車の中で読んでいてはっとなった。中学1年生の当時、まさにオザケンや渋谷系が全盛だったころ、家でそれらのCDをよく聞いていたものだったが、あるとき「ブギー・バック」を昼にヘッドホンで聞いていたら、妙な雑音が入る。何これ、オザケンなんの試み?民族音楽?と思ったそのとき、部屋の外を見てはっとなった。庭にやってきた山伏が、お布施を求めるために、ほら貝を吹いていたのです(実話)。山伏と目が合ってしまい、もうこの町は駄目だ。意地でも東京に出よう。とそのとき思った瞬間が、ipodに似た大根を掘り出す地方の男子中学生の姿を見ることで思い出されたのでした。しかし、大人になった今考えると、山伏はそこまでひどくはない、むしろ素敵な思い出だったのかも、とも思える。
【福永注】ナマエさんの漫画に「ipodに似た大根を掘り出す地方の男子中学生の姿」を描いた傑作がある。
3月某日 ナマエさんの漫画を友人にメールで説明したため、友人の携帯の予測変換におかしな単語ばかり表示されるようになったと苦情が。「うんこ」「うんこクッキー」「日本列島」「モザイク」「血液 Rhマイナス」「泌尿器系アイドル」「くわい」など。
3月某日 キャラ名鑑のキャラ254人人気投票をはじめる。子供が食いつけばよいなあ、と言っていたが、試みがあたり、子供が毎日星を盗むしまつ。「ざぶとん」に入っていた星を、赤ちゃんが勝手に「とうふたち」にうつしかえていて、お母さんが激怒していた。
3月某日 小さい男の子がなぜかアワアワして、「キャラ名鑑」の前に星をたくさん持って立っていた。見ると「かわいそう、かわいそう」と言ってお母さんと一緒に星を貼っている。どうも、星が入っていないキャラをなくすため、まんべんなく貼っているらしく、彼のホスピタリティ精神に頭が下がる。かわいいなあ。彼が星を貼りまくってくれたおかげで、夜空が全体的に星で埋め尽くされる事態に。
3月某日 ナマエさんご来店。たまたま女子中学生が展示を見ていたのを見て、「あれは女子中学生ですか?」と仰る。それを当店の警備員に聞かれており、ナマエさんが帰ったあとに「あの人は普通の人ですよね?」と聞かれる。
4月某日 ナマエさんのキャラクター人気投票、「キャラ一覧リスト」を作るため、家でキャラクター(254名)をエクセルに五十音順でまとめる。軽い気持ちで行ったが、途中で「やめておけばよかった」と思うこと百回ぐらい。読めないキャラの名前をナマエさんに聞いたところ、「難読キャラ一覧」をまとめてくださり、読み方をご教授くださった。
4月某日 福永さんから最後のたくらみ企画、12枚のにがおえPOPが届く。すごい!シリアルキラーYに見せびらかす。にがおえ、福永さんがさまざまなやりかたで、見切れているところがポイント。
【福永注】『星座と文学』には作家の人達と美術館に行くという連載企画を収録してある。その初出の京都新聞には写真が掲載されていた。ゲスト作家と僕が展示を見て語り合ってるねみたいな写真で、それを台詞付のイラストにしてジュンクのPOPに描いてみた(裏に初出の写真のコピーを貼った)。
4月某日 ナマエさんがキャラ名鑑の上のほうに貼った「100万円さんのサイン」が波乱を巻き起こす。中国の観光客っぽいお客様にバイトの人が「あれは誰のサインか」と聞かれたとのこと。ナマエさんに報告したら「中国人やアラブの金持ちには、『このサインは100万円で販売してるから買ってくれ』と言っておいてください。」とのメール。
4月某日 展示最終日。松岡は休みだったが、落ち着かずジュンク堂へ。「キャラ名鑑」前に、なんだかものすごい数のお客様。本もものすごい勢いで売れていた。星もいたるところに増えており感激する。
4月某日 展示が終わった。搬出。星を数える作業。途中まで数えていたら、ナマエさんが「やあやあ」とやってきた。最後に二人で得票が多かった「ねむちゃん」と「空飛ぶおっぱい姉さん」の星を数える。その後ナマエさんとパネルの撤去。未だに、このパネルが明日から見られなくなるとは思えない。ナマエさんを見たら、やはり壁に貼り付けるのに使った練り消しを、綺麗に手の中に収め持ち帰っていた。パネル撤去が終わった直後、ナマエさんが「おなかがすきました・・・王将・・・王将でごはんを・・・」と仰る。聞けば朝から、何も食べられていないとのこと。松岡、ナマエさん、そしてNという元ジュンク堂の同僚と合流し、王将に行くはずだったが近くのファミレスへ。事前にナマエさんにNを「連続殺人鬼に詳しい人がきます」と紹介していたので、ナマエさんは「なたを持ったでっぷり太った肉屋の店主みたいな男が来るんじゃ・・・」と訝しがっていた。実際のNはみつばちハッチに似た、可愛い女子なので安心された模様(しかし好きな殺人鬼はエド・ゲイン)。NはNでナマエさんがファミレスでカツ煮定食的なものを食べた後「俺、デザートも食べたいかもしれん・・・デザートも食べようかな」と仰ったのを見て驚いていた。一度「でもきょうは寒いからやめようかな・・・」と取りやめていたが、30分くらいしてから「やっぱりデザートを食べます」と仰ったので、なぜか三人でパフェ的なものを食べる。なんだこの空間。初対面の女子の前であそこまで素直に『デザートを食べたい』と成人男性はなかなか言えないと思う。しかも黒糖ゼリーパフェに即決していた。ナマエさんのすごいところです。この会食の最中も、お決まりのようにナマエさんがNに「松岡さんの星の切り方、変ですよね!」「松岡さんが書店を開いたら、すぐつぶれるとおもう」などと発言。デザートを食べたあとは「ねむい・・・」とむにゃむにゃされていた。
もはや、やりたい放題である。Nがナマエさんを不思議そうな目で見ていたことが忘れられない。
このようなエピソードから、間違いなくナマエさんは松岡の目の前でカツ煮を食べ、黒糖ゼリーパフェを食べ、水も飲んでいたはずなのですが、不思議なことに、食べている場面はほとんど覚えていません。不思議なことに、覚えているのはファミレスのテーブルでも黙々と絵をかいていらしたナマエさんの頭のつむじや手先のみなのです。ナマエさんの顔を思い出そうとしても、いざとなるとぼんやりとしてほぼ思い出せないのです。ほんとうにナマエさんという人物は存在し、池袋で展示をし、ファミレスでご飯を食べて帰ったのだろうか?
そう訝しく思うのは、ナマエさんという人がもはや展示に溶け込みすぎ、「キャラ名鑑」の創造者、というよりは池袋で「キャラ名鑑」になってしまったからではないのでしょうか?
私は3歳くらいのころ、母親が妹を産むために入院したとき、家で毎日ひとり「赤」と「白」の色鉛筆を重ねて「ピンク」をスケッチブックに作っていました。母に教えてもらったのです。
ピンクちゃん、と祖父が呼んだ、その顔も何もない、丸いぼんやりした塊がスケッチブックに増えていくにつれ、悲しみはつのりましたが、泣きながらも、どうしても毎日描くのをやめられませんでした。祖父によると、ピンクちゃんが50人くらいになったところで、母が妹を連れて帰ってきたので私が泣きながら描くのをやめ、ほっとしたということです。
「キャラ名鑑」の展示はどこか、そのピンクちゃんの逼迫したエピソードに似ています。ものがものとして存在し、それを人間が見て、名前をつける。実際にはみえないケンカのポカポカや、5個のとんがりで表現される星というかたちも、人が「そう作りたいと思った」からこそ生まれた、その軌跡だからこそ人にまた、愛されるのではないでしょうか。星座はその最たるものです。だからこそあの子は、あの男の子はすべての空に、星を貼ろうとしたのかもしれない。
不思議な二ヶ月間でした。記号や文字と共存し、それらを読み取ることで私たちが生活しているならば、「読み取られる」ものにも人格を見出すとき、「キャラ名鑑」という別次元に行くことができます。壁のパネルやねむちゃんがいなくなってももう大丈夫、そう思えるようになりました。
ナマエさんが今後も、毎日おいしいデザートを食べ、線と色を重ねて、キャラという星をつないだ星座をつくりつづけてくれることを、切に願っています。