高橋アキによる「ケージ×ビートルズ」
浅田 彰
2012.10.06
高橋アキによる「ケージ×ビートルズ」
ケージ生誕100周年・発来日50周年、そしてビートルズのデビュー50周年(10月5日が「Love Me Do」の発売日)を記念して、10月6日に京都コンサートホールで高橋アキによる「ケージ×ビートルズ」というコンサートが開催された。その構想の一端は『ユリイカ』ケージ特集(10月号)に彼女自身が書いている通り。曲目は;
アモーレス(1943)
ある風景のなかで(1948)
家具の音楽エトセトラ(1980)
(休憩)
トイ・ピアノのための組曲(1948)
季節はずれのヴァレンタイン(1944)
<「ハイパー・ビートルズ」より>
アルヴィン・ルシエ「Nothing Is Real」(Strawberry Fields Forever)
クリスチャン・ヴォルフ「Eight Days A Week」変奏曲
ジョン・ケージ「The Beatles 1962-1970」
<アンコール>
ジョン・ケージ「エクスペリエンシズ」No.1(1945)
冒頭の「アモーレス」はプリペアード・ピアノの響きがかそけくも美しく、他方、モーダルな旋律の断片が緩やかに浮遊する「ある風景のなかで」は通常のピアノの陰影深い響きがひとときの夢のよう。後半冒頭の「トイ・ピアノのための組曲」もリズミカルな演奏ながら玩具のピアノの音がいかにも愛らしく、「季節はずれのヴァレンタイン」も再び繊細なプリペアード・ピアノの音色を楽しめる。これらの曲目(トイ・ピアノの曲を除いて)は高橋アキ自身の録音(「危険な夜」Camerata CMCD-28142)でも聴くことができるが、いまこうしてライヴで聴き直してみると、かつて「衝撃の前衛音楽」として受け取られたプリペアード・ピアノなどのための作品群が実は静謐な美しさを秘めた音楽なのだということが、あらためて印象付けられる。
むろん、こうした1940年代の作品はケージの全体像の一部に過ぎない。高橋アキのために書かれた「家具の音楽エトセトラ」(河合拓始とのデュオ;アンコールも同様)は、サティの「家具の音楽」とケージの「エトセトラ」のピアノ・パートをチャンス・オペレーションで決めた順番により同時演奏していく19分あまりの作品で、スタティックなサティの音楽が安定的なベースをつくりはするものの、ケージの音楽は不協和音を連打しつつ暴力的に介入してくるし、それ以上に、ときどき二人が演奏をやめてかなり長い中断が入る、その沈黙がスリリングだ。同じことは、6台のピアノでビートルズの作品27曲の断片を同時に演奏していく「The Beatles 1962-1970」(先の二人に柿沼敏江・椎名亮輔・藤枝守・細川周平を加えた6人で演奏された)についても言えるが、ここまでくるとむしろ祝祭的な「音楽のサーカス」(musicircus)とでも言うべきだろう。
この最後の作品は高橋アキが「ハイパー・ビートルズ」プロジェクトのために委嘱したもので、今回はこのプロジェクトからルシエとヴォルフの作品も演奏された。とくに、「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」の断片を組み合わせたものを演奏し、直後にその録音をティー・ポットの中の小さなスピーカーで再生するルシエの作品は、ときどきティー・ポットの蓋を開けて紅茶の香りを聞くようにかそけき響きに耳を傾けるさまが魅力的だった。ビートルズ・ファンではない私は「ハイパー・ビートルズ」は聴いたことがなかったし、今回の3曲も録音で聴いて面白いかどうかは疑問だけれど、ライヴ・パフォーマンスは、ルシエの静謐な美からケージのサーカス的な混沌に至るまで、素直に楽しめるものだったことを認めておかねばならない。
ちなみに、50年前の1962年はケージが初来日して日本の音楽界に衝撃を与えた年で、50年後の今年、東京と大阪での録音がCD化されてリリースされた(「John Cage Shock」Vol.1〜3[OMEGA POINT/EM RECORDS]:他に京都と札幌でもイヴェントがあった)。ケージ自身のほか、武満徹、クリスチャン・ヴォルフ、カールハインツ・シュトックハウゼン、ミヒャエル・フォン・ビール、一柳慧の作品も演奏され、高橋悠治、小林健次、小野洋子も演奏に参加しているが、とくにデイヴィッド・チュードアの鋭く激しいピアノはいま聴いても衝撃的だ。ケージの初期作品の静けさや、晩年の柔らかな微笑だけを見て、この時期の暴力的なまでのインパクトを忘れるとしたら、著しくバランスを欠いた評価ということになるだろう。とはいえ、一柳慧の証言によれば、こうして FLUXUS のメンバー(上記の中ではフォン・ビールや小野洋子)と「共闘」しつつも、ケージ自身は FLUXUS の(自己)破壊的な闘争性に違和感を隠さなかったという(それはゲイであったケージがあらゆる種類のマチスモ[マチョ性]を嫌っていたこととも無縁ではあるまい)。半世紀たってケージの全体像が多少ともはっきりしてきたいま、われわれはケージを「音楽の解体者」としてよりは「別様な音楽の実践者」として見直したほうがいい。そのことをあらためて印象付けてくれる、これは楽しくも興味深いイヴェントだった。
ケージ生誕100周年・発来日50周年、そしてビートルズのデビュー50周年(10月5日が「Love Me Do」の発売日)を記念して、10月6日に京都コンサートホールで高橋アキによる「ケージ×ビートルズ」というコンサートが開催された。その構想の一端は『ユリイカ』ケージ特集(10月号)に彼女自身が書いている通り。曲目は;
アモーレス(1943)
ある風景のなかで(1948)
家具の音楽エトセトラ(1980)
(休憩)
トイ・ピアノのための組曲(1948)
季節はずれのヴァレンタイン(1944)
<「ハイパー・ビートルズ」より>
アルヴィン・ルシエ「Nothing Is Real」(Strawberry Fields Forever)
クリスチャン・ヴォルフ「Eight Days A Week」変奏曲
ジョン・ケージ「The Beatles 1962-1970」
<アンコール>
ジョン・ケージ「エクスペリエンシズ」No.1(1945)
冒頭の「アモーレス」はプリペアード・ピアノの響きがかそけくも美しく、他方、モーダルな旋律の断片が緩やかに浮遊する「ある風景のなかで」は通常のピアノの陰影深い響きがひとときの夢のよう。後半冒頭の「トイ・ピアノのための組曲」もリズミカルな演奏ながら玩具のピアノの音がいかにも愛らしく、「季節はずれのヴァレンタイン」も再び繊細なプリペアード・ピアノの音色を楽しめる。これらの曲目(トイ・ピアノの曲を除いて)は高橋アキ自身の録音(「危険な夜」Camerata CMCD-28142)でも聴くことができるが、いまこうしてライヴで聴き直してみると、かつて「衝撃の前衛音楽」として受け取られたプリペアード・ピアノなどのための作品群が実は静謐な美しさを秘めた音楽なのだということが、あらためて印象付けられる。
むろん、こうした1940年代の作品はケージの全体像の一部に過ぎない。高橋アキのために書かれた「家具の音楽エトセトラ」(河合拓始とのデュオ;アンコールも同様)は、サティの「家具の音楽」とケージの「エトセトラ」のピアノ・パートをチャンス・オペレーションで決めた順番により同時演奏していく19分あまりの作品で、スタティックなサティの音楽が安定的なベースをつくりはするものの、ケージの音楽は不協和音を連打しつつ暴力的に介入してくるし、それ以上に、ときどき二人が演奏をやめてかなり長い中断が入る、その沈黙がスリリングだ。同じことは、6台のピアノでビートルズの作品27曲の断片を同時に演奏していく「The Beatles 1962-1970」(先の二人に柿沼敏江・椎名亮輔・藤枝守・細川周平を加えた6人で演奏された)についても言えるが、ここまでくるとむしろ祝祭的な「音楽のサーカス」(musicircus)とでも言うべきだろう。
この最後の作品は高橋アキが「ハイパー・ビートルズ」プロジェクトのために委嘱したもので、今回はこのプロジェクトからルシエとヴォルフの作品も演奏された。とくに、「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」の断片を組み合わせたものを演奏し、直後にその録音をティー・ポットの中の小さなスピーカーで再生するルシエの作品は、ときどきティー・ポットの蓋を開けて紅茶の香りを聞くようにかそけき響きに耳を傾けるさまが魅力的だった。ビートルズ・ファンではない私は「ハイパー・ビートルズ」は聴いたことがなかったし、今回の3曲も録音で聴いて面白いかどうかは疑問だけれど、ライヴ・パフォーマンスは、ルシエの静謐な美からケージのサーカス的な混沌に至るまで、素直に楽しめるものだったことを認めておかねばならない。
ちなみに、50年前の1962年はケージが初来日して日本の音楽界に衝撃を与えた年で、50年後の今年、東京と大阪での録音がCD化されてリリースされた(「John Cage Shock」Vol.1〜3[OMEGA POINT/EM RECORDS]:他に京都と札幌でもイヴェントがあった)。ケージ自身のほか、武満徹、クリスチャン・ヴォルフ、カールハインツ・シュトックハウゼン、ミヒャエル・フォン・ビール、一柳慧の作品も演奏され、高橋悠治、小林健次、小野洋子も演奏に参加しているが、とくにデイヴィッド・チュードアの鋭く激しいピアノはいま聴いても衝撃的だ。ケージの初期作品の静けさや、晩年の柔らかな微笑だけを見て、この時期の暴力的なまでのインパクトを忘れるとしたら、著しくバランスを欠いた評価ということになるだろう。とはいえ、一柳慧の証言によれば、こうして FLUXUS のメンバー(上記の中ではフォン・ビールや小野洋子)と「共闘」しつつも、ケージ自身は FLUXUS の(自己)破壊的な闘争性に違和感を隠さなかったという(それはゲイであったケージがあらゆる種類のマチスモ[マチョ性]を嫌っていたこととも無縁ではあるまい)。半世紀たってケージの全体像が多少ともはっきりしてきたいま、われわれはケージを「音楽の解体者」としてよりは「別様な音楽の実践者」として見直したほうがいい。そのことをあらためて印象付けてくれる、これは楽しくも興味深いイヴェントだった。